背徳の紅"第十一話、鈴蘭"

「・・・だから嫌なんだ。」


血濡れのイグニスは、意識を失って倒れている。

その傍に、1人の少女。

コメット・ホウプスは、意識のないイグニスを見下ろしている。


いつもの治癒では、とても癒せない。

取り出したのは小さなナイフ。

向けるのは、自分の掌。

思い切り掌を、大きく斬りつけて血を垂れ流す。


"Nnj Doko Knmnw SkiTme"


他の者には意味の伝わらない言語の詠唱をする。

詠唱の最中、掌から流れる血でイグニスの周りを円で描いて囲む。

それはまるで歌のよう。

描いた円は眩く輝く。


「──────。」


コメットの身体に光の帯がまとわり着く。

光の帯には、小さな鈴蘭から癒しの力が溢れてくる。

それらはイグニスの身体に落ちて、傷を癒していく。


「・・・ぁ。

─────ああ、クソっ。」


体が癒えて、大地を伝う血は途切れる。

それから一分掛からず、目を覚ます。

敗北を結果として当たり前に受け取るが、ひとつ悔いた顔をした。


「────また、か。」


また、コメットを巻き込んだ。

こんな大掛かりな治癒術で、イグニスは救われ、そしてコメットは命を削った。

それが堪らなく、自分が許せなくなる。


「・・・。」

「・・・高く、つくぞ。」


癒しが終わると、光も血も消え失せる。

何も言わず、コメットは背を向けて歩き出す。

イグニスは視線を逸らす。

視線の先には、折れた大剣。

もう、暫くは充分には戦えない。


「・・・なにも、いらない。

おまえが、誰かが、おれの・・・手で、いき、たこと。

それ、が。お代・・・だ。」


ポケットから包帯を出して掌に巻き、余程体力を使ったのか、歩く速度はかなり遅くなり。


「知るか・・・!」


見てられない、とばかりに立ち上がりコメットを後ろから抱える。

コメットは珍しく、抵抗なく持ち上げられる。


「・・・軽いんだよお前は。」


折れた大剣は途中で拾い、片手と背中で持っている。


「・・・しかた、ない。」

「ぁ・・・?」


チクリ、と。

イグニスは何か、手に痛みを感じた。

それが何か考える前に─────


「な・・・に・・・」


─────四肢に、痺れを感じた。

その頃にはコメットはイグニスの手から離れる。

徐々に立つことすら不可能になる。

地に足が、手が、そして体が落ちて。

目が、霞んで見えなくなってくる。


「俺を助けるなら、俺を放っておくことだ。」


目が見えなくなったせいなのか。

或いは聞き逃せない言葉だったのか。

彼女の言葉が耳に残った。


"─────心配するな、3分もすれば動ける。"


その言葉を最後に、イグニスの意識は閉じた。



────────


研究室。

コメットはそこに帰還していた。

着いた瞬間倒れ伏して、引きずるように体を動かす。

デスクの裏に隠れるように、もたれて座る。


「─────ははっ」


倒れていく男の、顔を少しだけ見た。

諦めない視線が、刺さったような気がした。

それが、何だかよく分からない気持ちで渦巻く。


「やっかいなのを、助けた、か・・・?

─────けほっ」


力なく笑いながら言い、咳き込んでしまう。

彼女の治癒術の効果は強いが、同時に代償は重い。

対価はその治した傷に応じた、己の生命力。

イグニスは瀕死だった。それに応じた命が必要なら、無事では済まないのは当然だった。




────────


「・・・。」


3分経った、あの平原。

イグニスは何も言わず立ち上がる。


これで三度だ。

自分の責で、彼女は命を使う。

それが、今まで何より嫌だった。


"もうダメだ"


何を言ってもそんなに踏み込むなら、何を賭けても死なせるようなことは起こさせない。


「────高くつくぞ。」


怖かった。

これ以上、コメットに対して気持ちを入れ込むようなことが起きるのが。

だがダメだ、もうここまで来たら許せない。


復讐に踏み込んで来たアイツはもう、逃がさない。

どうせまた、自分のやりたいような事をして、無茶をするのだろう。

自分の生命すべてを投げ打って、誰かの生命すべてを救うのだろう。


────巫山戯るな。

断じてさせない、許さない。


復讐と同じく、彼は大事なモノは見つけた。

だからもう迷うことは無い、さあ踏み出せ。

何もかも手遅れになる前に────


「────俺は、もう目を逸らさねえ。」

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