燎原に水

@komeko0933

第1話 衝突と出会い

 群青の空。静かな交差点。猛り狂う大きなヘッドライトは騒がしい。

 逃げ惑う疎らな人々を尻目に、惰性で歩いている男は何か重苦しい空気を纏っている。男の視界が突然、真っ白くなる。すっと顔を上げ、悟るようにうっすら笑む。

「あぁ、死ぬのか。よかった。」

 目標はいつも身近にいる。運動会の徒競走でも、部活動のレギュラー争いでも、大学受験でも、就職活動でも、今日のアルバイトだって、いい思いはひとつもない。いつも思い通りにいかなかった人生を自省する。

「いい事は…、無かったかな」

 鋭いクラクションの音と鈍い重量感がうっすら青みがかった空に響く。痛みを痛みと認識した頃にはもう気を失っている。無の景色だけが何も言わずに去っていく。

 入り乱れるサイレンの音。ざわくつ通行人。警察は車の誘導と現場検証。救急車に運ばれる男は骨も内臓もぼろぼろ。そこに手を振りながら近づいてくる男の声。

「その人、知り合いです」

「わかりました。それでは、一緒にお願いします。お名前は?」

「潮山庵です。」

 救急車の中では意識のない男の延命措置を施している。男のポケットから定期入れが落ちる。

「大槻さん、聞こえますか?大槻さん。」

 庵は天に祈りを捧げ、パチンと指を一回鳴らすと、静寂が辺りを包み込む。


 目を開けると周りは白い天井、白いカーテン、白いベッド。現実か否か考える力のない頭で辺りの情報を整理していると、1人の男が近づいて来る。

「大槻渓牙さん。おはようございます。」

 驚きと困惑で言葉も出ない。

「僕は潮山庵、この病院の医者です」

 どう見ても医者のコスプレにしか見えないその姿はふざけてるように思える。

 テレビはニュースが流れている。

「交差点での暴走トラック事故から1ヶ月が経ちました。現在は元の交差点に戻り、今も多くの人が見受けられます。」

 大槻は何かを思い出した。自分の足を触り、胸を触り、顔を触り、両手を何度も見回す。早朝の交差点での衝撃だけがフラッシュバックし、頭を抱える。身体中がズキズキと痛み出す。潮山は身体全体で包むように暴れる大槻を強く抑える。

「大丈夫、渓牙は生きてるよ。痛くないよ」

 大槻は考える余地もなく、空っぽの感情で安堵し、いま生きている事を自覚した。遠くから革靴の音が響いて聞こえてくる。突然、病室のドアが開き、黒服の男が資料の挟まったバインダーを持って入ってくる。

「潮山さん、明日のご予定です」

「ありがと」

 潮山と黒服が何か話している。大槻はアルバイトの事を思い出して我に帰った。腑に落ちない思いがあり、あの日の出来事を一つ一つ整理する。

 あれは早朝だった。バイト先の店長と喧嘩した後の帰りの交差点で青信号を1人で渡っていた。暴走トラックに轢かれ、遠くまでぶっ飛ばされ、全身骨折に大量出血=確実な死

 死んだ、生きてる、死んだ生きてる。そんな言葉が頭を繰り返し駆け巡る。潮山に事故について問いただす。

 病室の外が騒がしい。事故の話を中断し、黒服を連れて病室の外に出る。大槻も気になり、ベッドから飛び出して追いかける。病室を出てすぐのエントランスホールにはグレーのスウェットを着た男がナイフを振り回し、騒ぎ立てている。

「潮山庵!出てこい!」

「潮山です。何が目的ですか?」

「おまえ、俺の妻を利用して金儲けしてるだろ!」

 潮山は呆れた顔をしたと思えば、鋭い目つきで横にいる黒服に伝わる声で囁く。

「篠塚、あいつを殺してください」

銃声が鳴る。騒いでいた犯人の胸に確実に当たり、意識が混濁している。

 大槻は一瞬の事で訳もわからず潮山の頬を殴り、罵倒する。犯人のもとへ駆け寄ると脈はなく、息もしてない。確実に死んだのだと確証した。

「なんで、急に殺したんだよ。話ぐらい聞いても…」

 黒服たちは黙ったまま手際よく病室まで移動させる。大槻は蹌踉めくように病室に向かう。入ると黒服は犯人をそのままベッドに寝かせた。潮山は天に祈りを捧げる。パチンと指を一回鳴らすと、静寂が辺りを包む。

「これくらいなら明日には起きるでしょう」

 潮山が何を言っているのか理解出来ないでいる。さっき本当に死んでいたのに明日起きるなんて。額に手を添えて全身固まって考えるが、目だけは動いている。

「渓牙だってそうだよ。僕が生き返らせた。僕は相手の事を想ってこの指を鳴らせば死んだ人でも生き返らせる事が出来るんだ」

 大槻は理解が追いつかず、もう一度説明をしてくれるよう問う。

「だから、僕の生き返らせる力はいい感じなの。だいたいケガは半日、死んだ人は1日かかるかな?渓牙は骨とか身体とかぼろぼろだったから起きるまでに1か月かかったけど」

 潮山は数秒黙り、何か言いたそうにしている。深呼吸をし、目の色を変える。大槻の手を強く握り、澄んだ目で見つめる。それは、無色透明で防弾ガラスのように強く透き通った目をしている。

「だからさ、僕の友達になってよ」

 そのひと言は絶望の淵に立たされていた自分にとって、耐えがたい侮辱のように思える。それと同時にとても心地よく、笑みを隠せないでいる。

 大槻はふっと一連の出来事を思い浮かべる。それは、とてもありえない光景だったと了知した。

「ちょっと待って。生き返らせることが出来るから殺したのか?」

「そうだよ。その方が楽だから」

潮山に握られている手を振り解き、軽蔑したような目で睨みつける。

「やだ、なんか怖い。バイトもあるしさ」

「バイト、やめたんだよね?」

「うん」

「それに、渓牙のアパートは僕が解約したし、実家という実家もないんだよね?」

「なんで、勝手に。それにどうして知ってんだよ」

「だからさ、僕の家に来てよ。ほら、僕って渓牙の命の恩人なんだし」

 大槻は他に打つ手がないことを自覚し、ついて行くことにした。


 潮山の家はタワーマンションの最上階。一人暮らしにしては広い部屋でありながらひどい荒れようだ。ソファには服が脱ぎ捨ててあり、テーブルには食べかけの弁当が放置してある。ほぼ使ってないであろうキッチンと冷蔵庫にはプリンと卵とエナジードリンクが少量ずつあるだけで中はスカスカだ。

 潮山は冷蔵庫からエナジードリンクを2本持って真っ直ぐソファに向かった。

「渓牙、好きな部屋で寝ていいからね」

 朝起きてリビングに向かうと、潮山は朝食を食べている。大槻もテーブルにつき、皿に盛られている目玉焼きを食べる。

「渓牙、おはよ。美味しい?目玉焼き」

「お、美味しい。そういえば、どうして俺なんかを助けたんだ?」

「ん?それはね、今度言うのね。食べたら行こっか」


 朝の空気を僅かに残して、暖かい風が2人の足を緩々と動かしている。大槻はついて行く義理は無いと感じながら、図らずも潮山と出勤する。涼しげな風を感じながら話す潮山は、影が少し濃い。

「僕の治療ってほら、指ひとつだから。明らかに不自然というか…、特に難病だと、幾つもの病院をたらい回しにされた後に僕の病院にたどり着くことが多いの。難しい手術にも関わらず、4日間とかで退院させちゃうの。その上、骨と身と臓器さえ残っていれば、どんな状態でも治せるから手術代がね」

「いくらよ」

「一指鳴らし1000万。そりゃ、コスパ良すぎて恨まれるよね」

 聞いたその数字は大槻の想像を遥かに超えていた。大槻の思考は我を失い、海藻のようにぷかぷかと浮いている。潮山に助けられたことを思い出して、慌てふためく。立ち止まって、大槻の手を取り目を合わせて話す。

「大丈夫。僕から助けた人はノーカンだよ。昨日のおじさんからもお金は取らないし、頼まれた時だけ徴収するシステムだから」

 潮山のもの柔らかな表情がにわかに強張った。大槻は昨日のエントランスホールでの出来事を思い出す。微量な闇を感じる。

「燎原の火。僕はこの能力に気づいてから凄まじい速さで今の地位まできた。その分、僕に恨みをもつ人も十分に増えた。もう、止められないんだよ。この勢いは。依頼は絶えないから、僕を求める人は求める。僕を恨む人は恨む…」

「い、庵がそう言うなら俺は、その燎原に撒く水になるから。その勢いを止めるから。その水は微量かも知らないけど、防ぎきれないかもしれないけど。ついていく、俺は庵に」


 真っ直ぐに向かうそこは病院の会議室。黒服たちがテーブルを囲っている。テーブルには顔写真の付いた資料と地図が広げられている。周りには数人の黒服がいる。潮山はとある事件の説明を聞いている。

 依頼者:24歳女性。

 依頼内容:性犯罪の常習犯である山本辰彦46歳男性が出所するため、これ以上被害者を増やしたくないとの内容。

「わかった。このひと一回殺しちゃおっか」

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