第2話 閉じて、綴じて

 授業自体は、特に異常は見られなかった。まあ、細かいことを言えば私が答えられる問題だけ当てられ、それ以外は回避できたとか、そんな偶然じみたものだけだ。


 彼はというと、それ以来痛い目にあったということもなかったらしい。


「んで、図書室に来たわけだけど」


 司書さんすら知らない秘密の扉の先を誰かに見せることになるとは、思ってもいなかった。まあ、その中には私の好きなSFとか、空想とか、妖怪とか、そういった本しかないので恥ずかしいということはないのだが。


「あわよくば、じゃなかった、万が一ってことがあるかもだし」


 私は、扉を開けると同時に毎回行う緊急施錠エマージェンシーロック機能を解除して、中の本を探すことにした。


「……うわ、すげえ」


 それから間もなく、誠太郎君もやってきた。


「空間どうなってんの、これ」

「いや、私にもよくわかんないんだけど……。司書さんがね、倉庫として使ってたところなの」

「じゃあ、その倉庫にあった本たちは?」

「倉庫にあったって言っても、いっぱいにあったわけじゃないから、はじっこに寄せさせてもらったの」

「なるほど」


 それから、二人きりの時間が続いた。

 ……何を喜んでいるんだ、私は。今は、彼のピンチを解決しなきゃいけないの。だから、そういう妄想はナシってことにしとかなきゃ。

 ……でも、もし解決したら。


『ありがとう』

『いえいえ、こちらこそ』

『これからも、僕と一緒にいてよ』

 なんてことが起きるかもしれない。


 ……いやいやいや、そんなこと起きるわけないでしょ。


「あのさ、」「ひゃいっ!」

 思わず変な声が出てしまった。


「な、なんでしょう?」

「いや、どうしてこんなにたくさん見つけられるのかなって」

「なんでって言われても……」

「目にしたことない本ばっかりだし」

「それは、あれだよ。『惹きつけ理論』ってやつ」

「惹きつけ……なに?」

「怪異に出会ったものは、また新たに惹かれやすくなるというか、そういうやつ」

「あー、ん?」

「だから……そうだな、例えばポニーテールの女の子が好きになったら、街中を歩くとき、思わずポニーテールの子に目が行くでしょ?」

「確かに」

「要はそういうこと。私自身、不思議系が好きだから、そういうのを見かけやすくなっているの」

「なるほどなぁ。それが、惹きつけ理論ってやつか」

「まあ、私が考えたんだけど」

「なんだよ。でも、すげえな。名称つけられるって、頭いいんだな」

「別にそんなことないよ」


「やっぱりあれなのか? 国公立志望だったりするのか?」

「いやいやいや。私、理系苦手だもん。私大をちゃんと狙いますって」

「そうか。なら、TALENTとか、それくらい?」


 TALENTとは、この辺の地域にある大学の総称で、いわゆる大学群と呼ばれる奴だ。話せば長いことになるが、要はめっちゃ頭いい大学の集まりで、横の意識が強い。帝栄大学ていえいだいがく荒木工業大学あらきこうぎょうだいがく、レンベル記念大学lenbell きねんだいがく永名寺大学えいめいじだいがく丹政大学にせいだいがく東英文化大学とうえいぶんかだいがくの6つである。それぞれ、経済・工学・国際関係・史学・法学・文学に長けている。


「そのこと、なんだけどさ」

「ん?」

「私、誰にも言ってないことがあるんだけどさ」

「あ、待って。君のことだから学栄館大学がくえいかんだいがくじゃない? 怪異文学の権威がいる文学部があったよね?」

「……なんで、そんなこと知ってるの?」

「なんでって、こないだ調べたんだよ。『ねずみ姫』を調査しに行ったら、ちょっと楽しくなっちゃって。それで、大学でも学べたらって。まあ、どっちかっていうと僕は古代史や考古学の方だったんだけどね」


もし、君が。君が、その気なら。跳ねる心を一生懸命抑えて、私は言った。


「……それならさ、」

「ん?」

「一緒に、目指さない? 学栄館大学」

「……いやいやいや、僕なんて頭悪いし」

「それだったら、私がリストアップしてあげる。似たようなことが学べる、同じ県内にある大学」

「……いや、悪いよ」

「そんなことないよ。友達が、欲しかったの。勉強友達が」

「でも、僕なんかが」


 刹那。扉が強く閉められた音がした。人間の力で動かせるわけがないほど大きな扉が、明らかに自動的に閉まった音ではない、乱暴な音とともに閉じられた。


「……え、え?」


 私は、扉を開けようとしたが、なにしろ動くはずがない。エマージェンシーロックだって解除したはずなのだ。なのに、スイッチが反応しない。


「……どういうことだ」

「わかんない、どうしよう」


 焦る、焦る、焦る。目が泳ぎ体が震える。声がまともに出ない。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 私のせいで、彼が。


「待って、委員長」

 瞬間、彼は肩を強く抱き、それから私の瞳をしっかりと見つめた。

「落ち着いて、大丈夫だから」

 優しく、やわらかいその言葉に、とろけてしまいそうだった。


 これが、式崎誠太郎。


「とりあえず、座ろう」

「……う、うん」


 彼は、そう言うとすぐに本を探し始めた。


「……何を探してるの?」

「君は座ってていいよ。ちょっと、もしかしてと思っただけだから。仮説にも満たない思い付き程度の話だから」

「……そう」

 彼はくまなく探していたが、とうとう見つけられなかったようだ。

「無いかぁ……」

 すると、彼は隣に座った。

「じゃあ、せっかくだし。もう少しお話ししようか」

「え?」


 願ってもいないチャンスだ。


 ……とか、思っちゃいけないってば。


 それから、小一時間くらいだろうか、雑談をした。彼の好きなことや、私の休日とか、たわいもない話を長々としていた。それだけで十分に楽しかった。


「ちょっと話し戻すけど、大学はよく調べてるの?」

「ええと、まあ。この学校って、昔は県内トップの超進学校だったんだけど、私立が増えたりして、今は廃れちゃってるのね」

「そうなんだ。知らんかった」

「だから、情報だけは入ってくるけれど、それを教師陣が管理しきれていないの。だから、私みたいな地方受験者には、厳しいのよ」

「手厚いサポートが無いってことか」

「そゆこと」

「それじゃあ、地方の大学なら委員長に訊けばばっちりってことなんだな」

「まあ、そういうことになるかな」

「ちなみに、この辺の大学と、地方の大学でどんなメリットデメリットがあるの?」

「……そうね。大学によって学部学科や重きを置いているところが違うから、何とも言えないけれど。しいて言うなら、」

「しいて言うなら?」

「地方の方が何となく、受かりやすいかも」

「……なんとなく?」

「これはあくまで持論なんだけどね。もちろん、それ相応の勉強をしなければならないってのはあるけど、圧倒的に受験者の差があるの」

「……そうか」

「それに、地方の大学ってそもそも少ないから、そこまでレベルが高くなくてもブランド力があるから、卒業後も安泰って人が多いの」

「なるほどなぁ」

「まあでも、地方ってことは大企業がたくさんあるわけじゃないし、むしろその地方でしかブランドにならないってこともしばしばあるようだけどね」

「大学って、勉強するところじゃないのか?」

「もちろん、勉強するところよ。この辺の大学は、大学同士の競り合いが、教育の質をよくするし、地方の大学は地道に蓄える上に、そこまでライバルとなるわけでもないから、その情報たちを共有して強くしていくの」

「この辺は、ライバル関係。地方は、家族関係」

「まあ、そうなるわ」

「大学にもいろいろあるんだなぁ」


「それでね、君が志望する学問は確か考古学だったよね?」

「あ、うん」

「だとしたら、まずは学栄館大学。偏差値は相当高いけど、高得点科目は2倍される方式を採用してるから、一点突破でなんとかなるかも。そうじゃなければ……同じ県で西郡大学にしごおりだいがく。偏差値自体は若干下がるけど、4科目受験が絶対条件だからどっちかに絞ったほうがいい。そのすべり止めとして有名なのは、統奥大学とうおうだいがく。受験生の10パーセントはここを受けると言われているくらいのマンモス校なの。その下ってなってくると恵蘭大学けいらんだいがくとか、あと白野江大学しらのえだいがくとかかな。とりあえずは、こんな感じだけど、やっぱり実際に行ってみないとわかんないこともあると思うわ」

「……お、おう」

「ああ、ごめん。わ、私、しゃべりすぎた」

「大丈夫だよ。君がいつもの調子を戻せたみたいでよかったし」

「……ありがと」

「いやいや。じゃあ、僕も受けてみようかな。って言ってもそんなに頭がいいわけじゃないから、ちゃんと勉強しなきゃだけど」

「ほんと!?」

「もちろん。君が薦めるということは、それだけ素晴らしい大学ってことなんでしょ?」

「……そう、かな。って否定しちゃうと大学も否定しちゃうことになるし」

「肯定していいんじゃないかな」

「そうかな。じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとう、信頼してくれて」

「いえいえ、こちらこそ」


 瞬間。扉は静かに開いた。私はちょうど真ん中にもたれかかっていたため、そのままこけることになってしまった。


「うわぁ!」

「……白か」

「言うなぁ! ばか!」


 あれ? と彼はつぶやきながら歩いた。「ちょっと、無視しないでよ」と私は立ち上がりながら彼の背中を見つめる。


 なぜだろう、彼の背中から恐怖を感じる。


「時計が、進んでない」

 彼が呟く。


「え? そんなわけ。私たちさすがに5限目はさぼりになっちゃうねって話した……のに」


 時計を見ると、確かに昼休みの最中だった。


「……どうなってるんだ」

「なにこれ」

「あそこ、時間が止まるのか?」

「いやいや、そんなわけ。私が今まで使ってて、そんなこと一度だってなかったよ」

「じゃあ、どういうことなんだ、これ」

「……」


 何が起きているのだろうか。この学校は、いつから不思議現象にまみれたのか。

 ……不思議現象? 方城七伝?

 いやしかし。でも、それじゃあ。


「……とりあえず、教室に戻るか。放課後、一緒に考えよう」

「そ、そうだね」


 私たちは図書室を後にした。


 ただならぬ雰囲気と、蟠る心を抑えながら。

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