第2話 秘密基地(アトリエ)

 授業はチャイムと同時に始まり、チャイムと同時に終わる。しかし、放課後というのは、そこを行くと、とても曖昧な始まり方をする。生徒たちが次々と教室を出ていくときにはすでに放課後が始まっているのか、それとも、

「いや、普通にさようならって挨拶したろ」

「あ、そうか」


 放課後。僕らはとある場所へ向かっていた。廊下は部活動に勤しむ同級生ないし先輩方が活動場所へと急いでいたが、僕らはその隣をゆっくりと歩くのだった。まるで生きる時間のスピードが違うかのようにも思える瞬間が、何よりも青春らしかった。


「で、僕たちは今どこに向かっているの?」

「どこって、そりゃあいつのところだよ」

「あいつ?」

「柊。柊千桜ひいらぎ ちはる。さっきの電話の」

「あー、その人。そういえばさっき訊くの忘れていたけれど、その人とはどういう関係なの?」


 僕の質問に、彼は分かりやすく動揺し、次に誤魔化そうと色々考えて、結局言葉を紡いだ。


「命の恩人というか、元カノというか、パートナーというか、親友というか、まあ、そういう奴。正確に言えるのは、同じ中学だったってことくらい」

「へ、へえぇ」


 平静を装ってみたが、全く取り繕えていないのが自分でも分かった。え、命の恩人? そんな物騒な中学だったの? パートナー? 徒党を組んで戦ってたの?


「まあ、中学もこんな感じだったから」


 彼はこちらを見ずにそう呟いた。

 こんな感じって何? 帰ってきた街でどんなことが起きてるの?


「適任っちゃ適任だな。校長もよく分かってる」


 彼の呟きは全く以て理解を介さない。後で分かるのだろうか。まあ、多分そうなのだろう。そういうことにしておこう。


「さあ、着いたぞ」

 そこは、美術室だった。

「美術室? 彼女は、美術部の部員なのか?」

「そうなのかどうかは知らないけれど、勝手に使ってる可能性もある」

「え、いいのか?」

「校長が貸してくれたからセーフなんだろ、きっと」

 いいのか校長。

「というか、この美術室、今年はおろかかれこれ10年くらい使われていないはずだ」

「……え、そうなの?」

「確か」


 言われてみれば、美術室もそうだけれど、この近辺に足を運んだことは過去一度もなかった。もっと言えば、ここに近づく者すら見たことがなかった。


「ようこそ、我らの秘密基地アトリエへ」


 彼が、そう宣言した。ずれてる人の代名詞は彼に使われるべきではないだろうかとふと思ったが、ドアの先に広がる景色は、確かに宣言したくなるようなものだった。


「え、待って、どゆこと?」


 美術室というからには、石像なり絵画なりが少なくとも飾られていると思っていた。しかし、そこにあったのはテレビの画面がずらりと並んでいるだけだった。


「テレビじゃなくて、パソコンだけどな」

 彼が付け加えた情報も、しかしだからといって納得できるものではなかった。

「だから言ったでしょ、秘密基地って。ここは、彼女が過ごしやすいように改造されているんだよ」

 へ、へえぇ。

「ここは、冷酷少女こと柊千桜の研究室兼データ取扱室。この学校のありとあらゆるデータがここに集まってくるってわけ」


 そう言ったのは、彼ではなかった。暗がりの部屋から現れたのは、白衣を着た少女だった。というか、幼女だった。


「ちゃうわ。ちゃんと同じ学年だわ」


 僕の身長もそこまで高くないが、彼女はその僕の胸の高さくらいの身長を有していた。

 その身長の腰くらいまでの長さがある銀色の髪。およそ艶やかとは言えないその髪からは、見た目を気遣うということへの興味のなさを感じた。鋭い瞳に、小さな口。赤ぶちの眼鏡に、ピンク色の補聴器。かわいらしいと美しいの境目にいるような少女だった。

 ちゃんと手入れしたら、きっとモテてしまう。


「とりあえず入りなさい。その、和泉若菜の情報が少しだけだけど集まったから」

 恐る恐る入っていくと、その先にはかわいらしい人形が集まる部屋があった。

「え、ここって」

「入ったらたとえ友達の友達でもぶち殺す」

「あ、はい」


 それからしばらく沈黙が続き、靴音が床とぶつかるクリスタルな音が響き渡るだけだった。にしても、この部屋はいったいどうなっているんだ? 全く原形を保っていない美術室は、僕の知らない機械がずらりと並んでいた。好きな人にはたまらない光景なのだろう。


「……?」

 僕の視線の先に、この部屋にふさわしくないものが、わりかし大きなスペースを取りながら鎮座していた。

「ねえ、柊さん」

 沈黙を破り、僕は少し前にいる彼女に手を伸ばす。彼女はその手を払いのけて、「千桜でいいわ。で、何?」と言い放った。てっきり僕は彼女のことを「体に直接触れることで、物事を認識する人」だと思っていたが、実はそうではないらしい。


「この世には、空気を読みすぎて未来予知ができるようになったという人もいるらしいからね」

 腐れ縁はそう付け加える。


「彼女は、小さい音にも表情というか、感情を読み取るんだ。その所為で国語はひどい点数なんだけどね」

「あれは、私の見識が正しいんだ」


 振り向かずに意見を飛ばすが、その声色に怒りが乗っていることは僕にもわかった。


「はいはい」

 彼は彼女をなだめる。まだ怒っている様子だった。

「彼女は、人の感情変化に敏感なんだ。そんで、細かい。だから、より詳しく考えちゃうんだよ」

「選択肢にひとつも正解が無かったんだ」

「分かったって」

 なるほど。視力と聴力が最低限しかないからこそ、彼女はそれ以外の部分で判断しなければならない。

「で、だから、何?」

「あー、ええと」


 正直逸れてしまった話を元に戻されても、その話題に関しては一度終止符が打たれている気がして戻す気になれない。


 しかし、彼女が振り向いてしまった手前、話さないわけにはいかない。

 振り向いた彼女は、なんというか儚げだった。


「あそこにある、中世風の本棚は、千桜さんの趣味ですか?」

「まあそうだな、そんなところだ」


 その台詞には、どこか寂しさが乗っているような気がした。敏感ではない僕が感じたものだから、正解とは限らないけれど。

「あ、もしかして」

 笠木が指差した先には、でっかいモニターがあった。

「ああ、これだ」

 彼女は自慢げな態度を見せる。

「……可愛い、可愛いけど」


 本当に女子高生なのか?

 それが、彼女――和泉若菜に対する第一印象だった。

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