第16話 後輩の想いⅢ

 壁の向こう側から、春輝先輩に向かって罵倒する新山先輩の声が聞こえてきます。

 私は春輝先輩の部屋から出て、帰るふりをして壁に寄りかかりました。私の恋は儚くも散ってしまったけれど、だからこそ、最後まで知っておきたいのです。

 私が春輝先輩に恋をしたのに、きっかけはありませんでした。

 入学した中学の入りたくなった部活に春輝先輩がいて、部活動をしていくうちに、自然と私は春輝先輩のことが好きになっていました。

 高校も春輝先輩が進学したところに入れるよう一生懸命勉強しました。

 けれど、やっとのことで進学したのに、待っていたのは私にとって残酷な現実でした。

 直接聞かなくても、二人がお互いに対し抱いている気持ちは明らかでした。何故付き合っていないのかがわからないほど。

 それからは意味がないとわかっていても、春輝先輩にアピールしました。もしかしたら振り向いてくれるかもしれない、ただ一心で。

 でも春輝先輩はこっちを見てくれませんでした。彼の視線の先にあるのはただ一人でした。

 それが悔しくて、私は決心しました。


――一度でいいから、一瞬だけでもいいから、春輝先輩に、私を見てもらうと


そこで私は春輝先輩に協力することにしました。運のいいことに、春輝先輩も悩んでいた様子だったので。

結果は良好でした。私の気持ちを伝えるとき、春輝先輩は私を、私だけを見てくれました。

 だから、いいのです。全部全部水に流して、私の恋心もなかったことにして、全てが嘘だったかのように、これからを過ごしていくことにします。だって、引きずったままだと春輝先輩に迷惑をかけてしまうから。

 だからきっと、今視界がぼやけているのも、口から堪えきれないおえつが出ているのも、走り出したくなっているのも、どれもこれも嘘なんです。嘘じゃないといけないんです。

 これから先輩たちは晴れて恋人同士になって、幸せに生きていくんだと思います。その中に、私は必要ありません。恋人を狙う存在なんて、いない方がいいんです。

 けれど私は、最後に、わがままを言います。


 ――やっぱり、春輝先輩が好きで、結ばれて、幸せに暮らしたかったです


 でもこれは言葉として外界には出しません。私の心の中にだけ閉じ込めておきます。この気持ちのせいで、嫌な気持ちになる人がいるからです。大切な人が傷つくところなんて見たくありません。

 聞こえてきていた罵声が聞こえなくなりました。代わりに、ひっくひっくとつっかえながら息をする音だけが聞こえてきます。

 さて、そろそろ本当にこの場からいなくならないといけません。それは二人のためだけではなく、一番は私のためです。

 春輝先輩が新山先輩が告白されているところを目撃してショックを受けたように、私も同じようになると思うからです。

 ……いえ、おそらく春輝先輩よりも酷い状態になるかもしれません。春輝先輩は答えがわかっていなかったけれど、私の場合は答えがわかっています。その分、ショックも大きくなると思います。


「さよなら、春輝先輩……」


 それだけ言い残して、私はもたれ掛かっていた壁から背中を離し、玄関に向かいました。後ろから聞こえてくる声を極力聞かないようにして。

 最後に玄関の扉の所で、振り返ってしまいました。でも、これは未練からではありません。これからの色々なことに対しての決心を固めるために、春輝先輩と新山先輩がいるところを見つめます。

 ……よし、もう大丈夫です。

 私は私の、新しい道を歩みます。そのきっかけとなった人を思い浮かべて、近くにいるけれど最も遠い所へ行ってしまった人を思い浮かべて、夕闇に染まった街路を歩きだしました。

 次に会うのはいつでしょう。同じ学校に進んでしまったので、夏休みが終わった後でしょうか。それまでにはきっと、私も吹っ切れているはずです。

そしたら今度は、恋人じゃなくて親友ポジションでも狙ってみようかな。

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