最終章 君のそばから、あなたの隣へ

第15話 あの日を、もう一度

 日奈は部屋のドアのところに立ったまま動かない。視線も斜め下を向いている。

 僕と穂波ちゃんはベッドから立ち上がった。


「私はそろそろ失礼しますね」


 そう言って穂波ちゃんは僕の部屋から出ていった。

 穂波ちゃんの話からして、おそらくこの状況は彼女に仕組まれていたんだ。穂波ちゃんが僕に告白することも、日奈がここに現れることも、そして、この後のことも。

 僕は日奈を見つめる。僕よりも低い身長、僕よりも柔らかそうな体つき、僕よりも整った顔。日奈の全てが今の僕にとって魅力的すぎて。


「ヒナ」


 僕はそう呟いた。意識したわけじゃない。完全に無意識だった。

 名前を呼ばれた日奈はビクッと肩を跳ね上げ、俯いた状態からだんだんと顔を上げていき、ついには僕と目が合った。

 今度は僕のほうが目を逸らしたくなった。でも、逸らしちゃいけない。逸らしたくない。

 日奈の頬が桜色に染まっていた。


「ハル……」


 日奈が、一歩進んだ。僕の部屋に足を踏み入れる。

 日奈が胸の前で手を組んだ。多分、これは無意識だろう。日奈は昔から、何か決意して相手に伝えるときは、何かを握りしめる癖がある。あの時は、スカートだったっけ。そして今日は、自分の手。

 今までの流れから、今僕が何を言うべきかはわかっている。一つしかない。


「ヒナ、聞いてくれ」


 もう一歩踏み出そうとしていた日奈に、僕は話しかける。日奈はすでに覚悟を決めていた。ならば僕も、覚悟を決めなければ。

 一歩、踏み出す。一歩分、彼我の距離が縮まった。あと、三歩。三歩進めば、彼女に手が届く。

 だから僕は、一気に距離を詰める。



「――日奈、好きだ」



 日奈がハッと息を呑んだのがわかった。日奈は動かない。

 無限にも感じる時間の果てで、ついに日奈は口を開いた。


「……そう、なんだ」


 今度は僕が息を呑む番だった。聞き覚えのある言葉だったから。

 だってそれは――昔、僕が日奈を振ってしまったときに、僕自身が言った言葉だったから。

 膨大な不安が僕を襲う。もし、あの時の復讐として、あの時と同じ流れで、今度は僕が振られたら。もしあの時の悲しみを僕に突きつけようと、あの時よりも残酷に、僕を振ったら。僕はどうなってしまうのだろう。

 でも、それも仕方のないことなのかもしれない。日奈がやり返してやりたいとそう思うのなら、僕は受け入れなければならないと思う。

 だから、僕は自ら、あの日の軌跡をなぞる。


「付き合ってくれないか?」

「っ……やだ」


 ほら、やっぱり。せめてもの救いは、日奈が苦虫を噛み潰したような表情をしてくれたことだろうか。

 これ以上は進めたくないけれど、やらなくちゃいけない。


「……ど、どうして?」

「だって、ハルは頭が悪いし、運動もできないし、それに……」

「……それに?」


 ここまではあの時と同じ。そしてここからも。これから僕は日奈に罵倒されて、初恋が終わるんだ。

 正直、怖い。日奈に否定されるのが。拒否されるのが。拒絶されるのが。

 でも。僕は最後まで聞かなくちゃ。そうしなければ、彼女に失礼だ。


「……それに、ずるい」


 ここで、過去の流れから外れた。


「……ずるい?」

「うん。……ハルはずるいよ。私がハルのこと好きだって知ってるんでしょ。だから、告白したんでしょ」

「……確かに、それは間違いではないと思う。でも、それだけじゃない。これはタラレバの話だけど、日奈が僕のことを好きじゃなくても、僕は日奈に好きだと伝えていた」

「だから? 何?」

「だから……いや、僕はずるいのかもしれない」

「ううん。ハルはずるいの。卑怯者で、泥棒なの」

「……何もそこまで言う必要はないんじゃないかな」

「いや。今まで溜めこんだ分、ここで発散するの」


 ならば、仕方ない。今まで溜めこんだのは僕に対するあれこれで。その原因が僕にあるのだから、聞き入れるしかない。

 それから数分間、僕は日奈に言われ続けた。

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