第2話 日常Ⅱ

 春休みになった。たった一週間ほどしかないというのに、課題が出された。けれどそれはかなりの量があるわけではないので、一日で終わるだろう。


「それでねぇ……」

「あらまぁ……」


 早く自分の部屋へ行きたい。だけど、それができない理由があった。

 日奈のお母さんが来ているのだ。日奈も連れて。

 日奈はソファに座っている僕の隣に来て、一緒にテレビを見始めた。気まずい。

 僕達の仲は冷えているのかもしれない。でも、それは親には関係のない事で、親同士、特に母親同士の仲は良好だ。家族ぐるみの付き合いなので、遠い親戚よりも心を許せる間柄なのだろう。昔の僕達も、そんな感じだった。


「成績、大丈夫だった?」


 日奈が話しかけてきた。昔みたいな感じではなく、少し冷たいような、けれど温かいような。こちらを心配していることがありありとわかる、そんな声。


「ああ」


 僕はそれに端的に答えた。日奈よりも声音が冷たかったと自覚はしている。それが彼女を傷つけることだということも知っているけれど、一度拗れた関係は、そうそう元には戻らない。日奈は気にしていないだろうけど、僕は今だってあの日の後悔を引きずっている。


「……」

「……」


 居心地が悪い。気まずい。動悸がする。早く、部屋へ行きたい。

 僕は一人っ子で、彼女も一人っ子だ。母は話に盛り上がっているので、僕達は蚊帳の外。もしここで僕が自分の部屋に入ってしまったら、日奈は独りになってしまう。それはなんだか、心情的に嫌で。だから今もこうして、早く引きこもりたい衝動に駆られながらも日奈の隣にいる。

 テレビはお昼ということもあってニュース番組しかやっていない。正直つまらない。世界がどうの、あの人がどうのと言っているけれど、僕はそれらに興味はあまりない。


「ね、ハルの部屋に行こうよ」


 突然日奈がそう言ってきた。心なしかさっきよりも声が柔らかかった。

 隣を見ると、日奈も僕を見ていた。前方に体重をかけ、僕の方にわずかに傾いている。


「別に、いいけど」


 僕はこれでも高校生だ。思春期真っ盛りで……でも、だからと言って何かあるわけじゃない。

 日奈をそういう対象として見たことはないし、これからも見ることはないだろう。関係が進展しないなら、の話だけど。


「じゃあ行こう」


 日奈は立ち上がった。少し遅れて僕も立ち上がる。

 僕が先導して向かう。僕の家は一軒家で、お隣は日奈の家。僕の部屋は二階にある。

 階段を登って、すぐのところにある僕の部屋で、昔はよく僕と日奈の二人で遊んでいた。ベッドの上ではしゃいだり、テーブルの上でお絵描きしたり。


「よいしょっと」


 日奈は何の躊躇いもなく僕のベッドの上に座った。ついでとばかりにクッションを抱きかかえる。


「なんで、ベッドなの」

「ダメだった?」

「……いや、ダメじゃない」


 昔はよくて、今はダメだなんて、言えなかった。言いたくなかったのかもしれない。自分から、彼女を突き放しておいて、変わらない関係性を彼女に求めているだなんて、僕はよっぽど我儘らしい。


「少し、お話聞いてくれる?」


 呟くような声量で日奈がそう言った。頷いて、耳を傾ける。


「あの頃の事、覚えてる? ほら、私達の関係が壊れ始めた、あの頃の事」

「勿論、覚えてるさ」


 忘れられるもんか。


「私もね、覚えてるんだ。鮮明に、まるで昨日の出来事のように」


 昼の強い日差しが、南向きの僕の部屋の窓から差し込む。少し気温が上昇したような気がした。


「あの時言ったことは、本当。嘘偽りのない、私の本音だったの」


 わかってた。なんてことのないように見えていたけれど、頬は朱に染まり手はスカートを握りしめていた。周りの男子女子は気付かなかったかもしれないけれど、僕にはそれが、彼女の癖だということがわかっていた。

 だから彼女の言葉が本気だとわかったし、だから本当は僕の本音を伝えなければいけなかった。


「でもフラれちゃった……」


 僕はあの時、彼女の告白を断った。日奈と付き合うことが嫌だったわけじゃない。日奈のことが嫌いになったわけでもない。その逆で、僕は日奈のことが好きだった。

 でも、僕は彼女の告白を断った。ただ、気恥ずかしかったという、それだけの理由で。


 ♥


『私、ハルが好きだよ』

『……そう、なんだ』

『付き合ってくれる?』

『っ……やだよ』

『……ど、どうして?』

『だって、ヒナは頭が悪いし、運動も苦手だし、それに……』

『……それに?』

『いつもうっさいんだよ! ブスッ!』

『……っ』

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