夥しい死をもたらす

 彼女の右腕の機関銃には血と焦熱の匂いが染み付いている。


「今日はみなさんのクラスに新しいお友達がやってきました。転入生です。仲良くしてあげてくださいね」

「タタラムヤコです。よろしくおねがいします」


 担任の紹介の後で儚げな雰囲気の女子が名乗り、ぺこりとお辞儀をした。赤いランドセルの中身が傾いて音を立てる。黒板には、担任が書いた「多々良たたら霧弥子むやこ」という文字がある。


 教室は、しん、としていた。

 静寂の理由は明らかだった。

 多々良さんの右の前腕は、一メートルほどの筒状をした機関銃だったからだ。

 転校生がやってくるという一大イベントにもかかわらず、クラスメイトたちは驚いたような顔で顔を見合わせたりしている。担任が苦笑した。


「多々良さんは先の大戦で活躍した兵士でした。右腕の機関銃はその時使われたものです。でも今は使えません。エネルギーは供給されていないし、そもそも強化薬を打って体のパワーを高めてからでないと反動に耐えられませんからね。本人も優しい子だから、みんなすぐに良いところに気づくと思うわ」


 かっこいい、と誰かが呟く。それを皮切りにクラス中が盛り上がり始めた。多々良さん、腕を機関銃に変える時痛くなかったの。多々良さん、戦場ではどれくらいの敵兵を倒したの。多々良さん、必殺技とかはあるの。多々良さん、霧弥子ちゃんって呼んでもいい。


 渦中にいる多々良さんはといえば、伸びた前髪に両目を隠したまま、特に反応を寄越さなかった。無表情。色素の薄い肌のこともあり、どこか幽霊を連想させる。ただ、幽霊と例えるにしてはやはり、右腕の黒光りする砲身が異質だ。変なバランスだな、と僕は思う。


「じゃあ多々良さん、室井むろいくんの隣に机があるから、そこへ座ろうか」

「はい」


 担任の指示で多々良さんが僕の隣に来る。僕は目を合わせようともせず、しかし軽く会釈した。多々良さんも僕などいないかのようにすぐ席に着く。退屈な授業が始まり、終わる。

 また始まり、終わる。

 始まり、終わる。

 始まり、終わる。

 始まり。

 終わった。

 その間、多々良さんは周囲に集まってくる同級生たちに無反応を貫き続けた。

 誰かが舌打ちをした。




     ◇◇◇




 僕が日直の仕事を終えて、クラスメイトよりも少しだけ遅れて昇降口を出た時、校門の脇にいる多々良さんに気づいた。しゃがみこんで、チューリップの咲く花壇を眺めている。

 やはり右腕の機関銃が気になる。重くないのかな。重いんだろうな。


 それにしても多々良さんは微動だにしない。

 花壇がそんなに気になるのだろうか?


 僕は興味を抱いたけれど、自分には関係のないことだとも思う。大戦で敵兵を撃ち続け、世界の勝利に貢献したのは凄い。だからこそ、遠い人だ。他人に対して無視を決め込んでいる理由はわからないが、戦場で過ごすうち精神が成熟してしまい、僕らのことを見下さずにはいられないのかもしれない。あるいは、戦争で人格が壊れてしまっているのかも。

 何にせよ、僕には関係がない。

 僕は黒いランドセルを背負い直し、足早に通り過ぎる。

 その間際に多々良さんの顔をちらりと見て、ぎょっとした。

 微笑んでいた。

 チューリップの近くで舞う蝶を見て、頬を緩めていた。


 天使のような笑みだと思った。


「多々良さん」


 口を突いて出た言葉に、僕は自分で言ったくせに再び驚いた。

 しかしその後が出てこない。

 多々良さんがこちらを見上げる。表情が消えている。僕はたじろいだ。言葉に詰まる。自分でもなぜ呼んだのかがわかっていないのに、何か言えるはずがない。


 す、と多々良さんが立ち上がった。


 微笑を湛えて蝶に対して小さく手を振り、お別れのジェスチャーをした後、口角を上げたまま僕の方へ近づいてくる。


「なまえは」


 そう言った。


「名前?」

「うん」

「僕は室井。室井修太郎……だけど」

「むろいしゅーたろ」


 むろいしゅーたろ。むろいしゅーたろ。

 何度か小さく呟いて、それから多々良さんは目を細めた。


「おぼえた」


 初めて気づいたことがあって、それは多々良さんの肌がつやつやとしていることや、前髪に隠れがちな多々良さんの両目が澄んでいることだったりする。僕はまじまじと目の前の女子を見ていたけれど、なんとなくいけないことをしている気がして、すぐに目を逸らす。

 逸らした視線の先に、否応にも、黒い機関銃が飛び込んでくる。

 破壊兵器。

 暴力の象徴。

 血と焦熱の染み付いた、夥しい死をもたらすもの。


「しゅーたろ。むやは、ぜんぶころそうとおもってる」




     ◇◇◇




「修太郎、酒」

「うん。ここに置いとく」

「…………」

「あの、お父さんさ、あんまり飲み過ぎると……」

「あ?」

「なんでもない。行ってきます」


 僕はその日もいつものように家を出た。

 通学路を歩き、学校に到着すると、ちょうど多々良さんも下駄箱から上履きを出していた。


「おはよう、多々良さん」

「ん」


 こちらを一瞥して小さく頷き、多々良さんはさっさと歩いて行ってしまう。僕もそれ以上距離を詰めることはせず、後ろを歩いた。

 教室は今日も賑やかだったが、多々良さんが入ると少しだけ静かになる。歯車が噛み合っていない感覚があった。彼女に向けられる視線は、好奇、恐怖、敵意……なんにせよ、異物が紛れ込んだ時の反応をしている。


 だが、まあ、すぐに多々良さんもこの場に溶け込むだろう。

 存在感を消して、最低限の受け答えだけはちゃんとするようにしておけば、過剰に浮いたりはしない。

 僕のように。


「はいみんな着席してー。朝の会を始めますよ」


 退屈な朝の会が始まった。退屈な授業が始まった。退屈な休み時間。退屈な日常。

 やることはやっている。幸い、勉強は得意な方だった。授業は簡単なことばかりだ。中学生に上がったりしたら、もう少し難しいのだろうけれど。


 歯ごたえのない算数が終わってから、僕は本を取り出してページを開き、眺め始める。給食の時間に入ったところだった。机を動かし、グループごとに固まる。多々良さんは片手で机を移動させていて、不便そうだった。


「ねえ、多々良ぁ」


 そこへクラスの女子が三人やってきて、声をかけた。

 多々良さんの机を指さす。


「ここに何て書いてあるか読める?」


 思わず僕もそこに目をやる。

 黒いペンで「死ね」と書かれていた。

 僕はぼんやりと三人組の女子を見る。

 クラスメイトってことはわかるけど……名前は、何だったかな……。


「よめない」

「アハハッ! 読めないって! じゃあこれは?」


 女子が多々良さんの目の前で堂々と机に文字を書く。多々良さんは首を傾げた。


「よめない」


 本当に読めないようだった。

 笑い声が響く。


「じゃあこれは?」「これは読めるかな?」「漢字のお勉強だよ?」


 机が黒く塗りつぶされていく。僕はその様子を眺めながら、数日前のことを思い出していた。初めて多々良さんと一緒に帰った時のことだ。全部殺そうと思ってる、と彼女は言った。具体的なことは聞かなかったし、多々良さんも説明する気がなさそうだったけれど、ひとつだけは、わかる。


 多々良さんはいろいろな物事に絶望している。


 この前、多々良さんと初めて会話をしたあの日、帰り道を一緒に歩いたのだけれど、その時、こんな話をした。多々良さんは右腕の機関銃を道に引きずって、ズズズと音を立てていた。


「にてるね」

「似てる?」

「しゅーたろと、むやは、にてる」

「そうなのかな」

「しゅーたろは、あきらめてる。あんまり、じぶんとか、ほかのひとに、きょうみがない」

「……決めつけられてもな」

「むやもそう。だいたいのことが、どうでもいい。だれがしんでもいいし、じぶんがしんでもいい。いのちに、いみはない」

「すごい考え方だね」

「しゅーたろも、そうじゃないの?」

「僕は……」

「しゅーたろからは、むやと、おなじにおいがする。おなじせいかくの、においがする」

「……わからないよ。ただ、多々良さんの考え方は……魅力的だと思う」

「みりょくてき?」

「いい感じだってこと」

「んふ。そうでしょ。しゅーたろ。むやのことも、むやってよんでよ」

「それはちょっとな」

「えー。なんでー」


 あの日、妙に懐かれて、服の裾をぐいぐい引っ張られながら、僕は思索を巡らせていた。

 確かに僕は諦めている。過去にも今にも、この先にも、あまり興味がない。

 だから多々良さんの気持ちもよくわかったのだった。

 ほとんどの物事には、期待する意味がない。

 父親に何かを期待したところで、酒瓶を投げつけられるだけなのと同じように。


「お? 何? 何立ち上がってんの?」


 多々良さんが椅子から立った。

 その目はクラスメイトを見つめているようで、その実、何も映っていない。


「てかさ、ムカつくんだよね。昨日とかさ、うちらのこと無視してたっしょ? 先生から言われたことにもあんまり反応しないし。舐めてんの?」


 多々良さんは黙っている。


「大戦で敵兵を倒したっていうけどさ、どうせまぐれだったんじゃないの? それか実は逃げてばっかりだったとかさ。だって聞こえないふりは得意だもんね。戦場で助けを呼ぶ仲間とかの声がしても無視してるんだもんねどーせ」


 多々良さんは黙っている。


「キモいんだよねえ。反応がないっていうのはさあ。なんか言えよ。あ、聞こえてないのかなもしかして? じゃあ耳元で言ってあげよっか? 耳元で教えてあげるね?」


 多々良さんは。


「この机に書いてある文字、ぜーんぶ、死ねって書いてあるんだよ」


 多々良さんは右腕の機関銃を構えた。

 僕は止めなかった。

 止めるべきなのかもしれなかったけれど、止めなかった。

 僕には、止める理由がない。




     ◇◇◇




 血と脳漿の海の真ん中で、多々良さんは佇んでいた。

 誰かの眼球がころりと転がり、誰かの髪の毛が机に張り付いている。

 遠くでサイレンの音がする。もうじき、ここへ駆けつけてくるのだろう。




     ◇◇◇




 僕は穴だらけの教室の端で腰を抜かして尻をつき、口を半開きにして、震えていた。

 多々良さんが怖ろしいわけではなかった。

 蜂の巣にされた死体たちが気持ち悪いわけでもなかった。




     ◇◇◇




 ぺしゃ、ぺしゃと血だまりを踏みながら、多々良さんが僕に歩み寄る。

 震える僕を見下ろして、機関銃じゃない方の手を差し伸べた。

 眠たげな調子で声を紡ぐ。

 舌足らずだけれど、小鳥のさえずりのように、可愛らしい声だった。


「いっしょに、いこ。ぜんぶころしに」


 多々良さんの白磁の肌に、赤い返り血が飛び散っている。

 僕は多々良さんの手をとると、よろめきながら立ち上がった。

 彼女の右腕の機関銃には血と焦熱の匂いが染み付いている。

 やっぱり多々良さんは、魅力的だ。

 考え方だけじゃなく。


「うん……行こう」


 僕たちは破綻している。

 他人に絶望しているはずの僕たちが、互いに興味を持ち合っている時点で、矛盾も甚だしい。

 きっと僕が多々良さんに惹かれているのも、多々良さんが僕に懐いているのも、一時的なものでしかなく、いずれ関係ごと壊れてなくなる。

 それでいいと思う。そういうものだ。


「しゅーたろは、かえるばしょ、あるの?」

「ないよ。多々良さんは?」

「ない」

「そっか。じゃあ、自由だね」

「うん!」


 多々良さんが『たんっ』と床を蹴って、返り血で濡れそぼった体を振り向かす。

 無邪気に笑った。


「ねえ、しゅーたろ。つぎは、だれをころそっか?」






 ――『夥しい死をもたらす』了――

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