暗闇の中、カツン、コト、トトン、とリノリウムの床を踏む靴の音がまばらに響く。

 そして、差し込むのは八本の光。


「マジでくれェんだけど、ウケる」

「え~、めっちゃ進むじゃん! ちょっとぉ~」


 チャラ男な先輩が先陣を切り、怖いもの知らずな様に振る舞いながらどんどん先に進み、その背中にくっつくように――あるいは彼を盾にするかのように――すぐ後ろをチャラ男の彼女がついていく。


「おい、あんまり先に進むなよ!」

「迷っても知らんぞお前ら~」


 それを五メートル程離れた後ろから、真面目な性格のサークル代表と、やや気の抜けた声の教授が咎める。

 そのすぐ後ろに三年の先輩と小太りの同級生が並び、そこから三メートル弱のところを、僕とSが歩いていた。


「ホントに大丈夫? バスで待ってた方が良かったんじゃ……」


 心配そうに僕の顔を覗き込むSに、僕は空元気を振り絞り、手で口元を抑えながら「大丈夫」とガレた声で返す。

 空元気、と付けたところから分かる通り、その時の僕はかなり限界だった。

 胃の中の物が口内にまで迫ったのを無理矢理飲み込んだせいで、口の中は異臭にまみれ、喉は軽く焼けたような違和感と熱さを感じる。

 しかも、夏の夜だというのに異様な寒気を感じ、体が言う事を聞かず震える始末。

 そうして精神的に追い詰められていると、Sがどれだけ異質なのかが分かる。


 泰然自若にして、天衣無縫。皆がそれぞれ緊張感を抱きながら辺りを懐中電灯で照らしながら進んでいるのに対し、彼女にはまるで散歩でもするかのような気楽さすら見えるのだ。オマケに若干鼻歌混じりで。

 周りを照らすにしても、未踏の観光地にやってきたかのように興味深げに見る程度で、恐れも何も感じられない。

 そんなSに気遣われ、僕は自分が情けなく思う以上に、その在り様が酷く羨ましく、同時に「本当に、自分と同じ人間という種の存在なのだろうか」とも思ってしまった。


 そんな時、先頭から声が聞こえてきた。


「お、なんかあんじゃん」

「え、なになになに……院長室?」


 どうやら、先頭のカップルがこの病院のトップの部屋を見つけたらしい。

 近づいてみれば、二人が扉の前で「ほら、行こうぜ」「や、怖いって」と乳繰り合っている。

 教授はそんな二人をあっさりと無視し、サークル代表に声を掛ける。


「よし、じゃあ部屋の中、見るか」

「分かりました。……君達はどうする?」


 サークル代表の問いに対し、僕らの前を歩いていた二人は頷く。

 最悪、置いて行かれるかもしれない。そう考えた僕は咄嗟に頷こうとしたが……それよりも先に、Sが口を開いた。


「すみません、彼、少し体調が良くないみたいなので、ボクが付き添いで残ります」


 思わず、えっ、と声が漏れてしまうが、微かな声だったので多分周りには聞こえて無かった、と思う。

 Sの言葉を聞いたサークル代表が「そうか。それなら仕方ない。無理は禁物だ」と返し、院長室の扉を開けた。

 教授も「先にバスに戻っといてくれていいよ」とこちらに声を掛けながら、Hに続いて入っていく。

 そして、僕とSを除いた残りの面々も、彼らに続く。先頭のカップルが部屋に入る際にこちらを鼻で笑ったような気がしたが、一々そんな事を気にする余裕が、僕には無かった。


「どうする? バスに戻っとく?」


 暗闇の中でも変わらない彼女の微笑みが、この廃墟においては酷く場違いなものに思え、逆に不気味に思ってしまう反面……心惹かれている自分がいるのも、また事実だった。

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