私の記憶。

私は、頭がおかしい。









と、言うより記憶がおかしい…











小学4年までの記憶のほとんどが

『悲しい』『怖い』『痛い』『辛い』…

そんな負の感情の記憶しかない。










きっと、楽しかったり嬉しかったりした経験もたくさんしているはずなのに











何故かそんな記憶はない。











父が帰ってこなくなり、姉の反抗期ともいえる時期と

自由奔放な母と、頼りにならない私と…









そんな環境に身を置かれた姉のストレスが

私に向かうまで時間はかからなかった…










最初の頃は姉妹喧嘩だったような気がする。










それが、そのうち硝子やドアが壊れる程に発展していき、最終的には私の記憶さえ消してしまうものへとなった。










きっと、この時期が長く続くと属に言う『精神分裂症』とやらになるのかな?そう思ったことがある。










人は耐え難い苦しみから逃れるため

自分を守る行為に出ることがある。










最近は逆ギレと言うのかな?










けれど、この頃の私は力も口も3つ上の姉には勝てなかった…









出きることと言えば家を飛び出し、身を隠すことだけだった。










初めはトイレかお風呂場に逃げていた…









が、トイレのドアは壊され…お風呂の鍵はこじ開けられ…私の逃げ場所はあの家にはなかった。










目が合えば髪の毛を持って引きづられ…




家の事ができてなければ頭を足で踏みつけられ…





大きな声で助けを求めたらゴミ箱を被せられ

馬乗りになられた…





泣けば「泣くな」と殴り付けられ…






にらみ返せば前髪を切られ指を指して笑われた…







お風呂に沈められたことも、トイレに頭を突っ込まれたこともあったらしい…








このほとんどは酔っ払った姉の懺悔によって

私が20歳の頃に聞いた話だ。










私に言わせてみれば母も同罪だ。










夕食の時、イライラしていた母を見てニコッと笑っただけで「生意気だ、泣け!」と往復ビンタをくらい続けたこともあった。










運動会も、参観日も、遠足も、卒業式も

姉が卒業してから1度も来たことがない。









お弁当すらなく、私は家に走って帰り食べたり

先生が買ってきてくれたりしていた。









学校から帰って家事をしていなければ罵声を浴びせられ、叩かれ、口すら聞いてもらえなかった。










私は母にしてみたら父に似ていて

見ているだけで虫酸が走る存在だったらしい…











悲しいときや寂しいときには笑ってた私から

笑顔がなくなり、子供らしくない冷めた目をした子だと保健室の先生に言われたことがあるが


本当に今思えばそうだったのかも知れない。










この頃の私は寝ながら自分で自分の頭を撫でながら











毎晩、自分に言い聞かせていた。










『大丈夫。強くなれ。お前は強い。』

『泣くな、泣いたらあいつらの思うツボだ。』

『強くなれ、お前は強い。大丈夫。大丈夫。』












イメージ的にはもう1人の私が居て

弱い私を母親のように優しく言って聞かせるイメージで毎晩、毎晩、布団に潜りそう言い続け泣きながら眠っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る