花姫様を司るもの。

 台所から、鼻腔びこうをくすぐるとてもいい香りがする。

 僕はコンロの前に立つ花姫様を、彼女を驚かせないよう、ゆっくりと後ろから抱きしめる。


「おお、司。もうちょっとで完成じゃぞ♪」

「ねぇ、どうしてご飯作るの?」

「まだ、食べられるじゃろ?」

 ことこと煮込まれているのは、牛肉がたっぷり入ったビーフシチュー。


「やはり洋食が好みだったんじゃな。もっと早く、伝えてくれればよかったのに」

「だって、和食のほうが神社の息子っぽいじゃない。あとは……」

「あとは?」

「……子供舌みたいで恥ずかしかった」

 僕が目をらしながらこたえると、花姫様は呆れたようにふふっ、と笑った。

「欧米では普通にまかりとおる『めにゅー』じゃ。わらわも新しいことに挑戦するのはだいすきゆえ、しっかり、『りくえすと』するのじゃぞ!」

「……うん」


✿✿✿✿✿


 聞いてしまえば簡単だった。

 海景は確かに、花姫様へ『鍵』をかけた。

 でもそれは、時限式のもの。

 つまり、時間が経てば自然にける術だったのだ。

 そして更に、花姫様は目をつむった状態からカラダが動かせないだけで、触覚や聴覚みたいな感覚は普通に生きていたという鬼仕様おにしよう……。

 僕が恥ずかしさのあまり身悶みもだえまくったのは、言うまでもない。 


✿✿✿✿✿


 シチューはあと、ひと煮立ちさせれば完成らしい。静かにおたまを動かす花姫様を、邪魔しない程度にようして、出来上がってゆく鍋を見つめる。

 不意にかちり、と火を止めた花姫様は、僕の腕の中でよじよじと方向を変えた(大変にかわいい)。そして僕の服を小さくつまむようにして、まっすぐな瞳で問う。

「――本当に、よかったのかの? 誠に『ヒト』を、捨てるのかの?」

「正直、怖いくらい迷いはないんだ」


 母さんたちも、納得してくれた(というか、母さんに至っては『あたしの代わりにしっかり花姫様を幸せにすんのよ!』って豪快に激励された。えっ、こんな近くにライバルいたの??)


 僕は最愛のひとへ、ふわ、と微笑んだ。

「――僕は、貴女とりつづけたい」

 そう告げて、頬を彼女の頭にすりよせる。


✿✿✿✿✿


 弱音も妄言もすべて知られ、あまりの羞恥に気の済むまで転げまわった僕は(花姫様はちょっと引いていたけれど、あの告白の数々より恥ずかしいことなんてないので問題などない)、なんとか体制を立てなおしたのちに宣言した。


 このまま花姫様の『情』を受け、『ニンゲン』であることを放棄する、と。


 海景は、花姫様と僕の真剣な姿勢に、最終的には折れてくれた。


 僕は少しずつ、ものを食べる必要がなくなってきている。『神』に、近づいてきた証拠だ。


 ただし、神やヒトの『仕組み』に造詣ぞうけいの深い海景によると、僕は『完全な神』にはなりえないらしい。


 どうしたって、元が『ニンゲン』だから。


“なあ、貴様は『ヒト』でも『神』でもない『存在もの』になって、永遠に『生きながらえる』んだぞ? その覚悟はあるのか……?”

 海景が投げかけたこのせりふは、多分僕を案じた気持ちから出たものだろう。

 でも僕は、躊躇ちゅうちょなくこう続けられた。

“もちろん。花姫様が、かたわらにいてくれるからね”

 彼女の手を握りしめる。花姫様は、その手をきゅっと握りかえしてくれた。

“彼を……司を、愛してる。変わることなく永劫、司だけを想うと――わらわは花姫の名をかけて誓おう”

“……!”

 これには正直、海景も僕も目をいた。

 花姫様に光が宿り、一瞬強い風と可憐な花びらが巻きおこる。急いで伏せた目を開くと、彼女の首筋には、既に赤いもんが刻まれていた。

 神の『名をかけた宣誓せんせい』は、不履行の場合『りつづけること』が敵わなくなる――文字通り、『命をした盟約』なのだ。

“花姫様……っ、僕、そこまで望んでないよ!?”

“おお、では『さぷらいず』は成功じゃな♪”

“そんな暖気のんきに……発動しちゃったじゃん?!”

“発動せねば困る”

“命かかってるのに、どうして……っ”

 どうしてこんなリスキーなこと。

 これで彼女は逃げられない。こんな、僕みたいなやつから。

 僕の思考を見透かすように、彼女はにっ、と笑った。

“司は、それだけの価値がある『益荒男りっぱなおのこ』じゃ。そなたこそ、わらわを捨ててくれるなよ?”


 ちなみに、海景は泡を吹いて卒倒した(回復するまでちょっと待った)。


✿✿✿✿✿


 台所で僕に、頭の天辺てっぺんあたりへ頬をすりよせられた花姫様はぴたり、と一時停止して。でも刹那、ちょいちょい、と手招きをするので彼女へ顔を寄せたら、ついばむようにくちづけられた。

 その上で『髪が乱れる……今はこれで、いい子にしておれ』なんて、照れながらのたまうのだから。

 いい加減理性が焼ききれてしまったのは、仕方のないことだと思う。



 そしてこのとき、僕は初めて、花姫様を司るものの正体が見えた気がしたんだ。


 それは、自惚うぬぼれていいのなら。



 ――『ぼくへの、愛』。





【終】

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