ラストメイム.私の夢と彼の夢
教室から出ると、すっかり見慣れた真っ白な部屋が私を出迎えた。
目の前にはドアが宙に浮かんでいた。私はドアの表面を指でなぞる。つやつやとした、滑らかな感触だった。
「おめでとう、みほろちゃん」
後ろから声をかけられる。振り向くと、「あちら」と書かれ、ドアを差す矢印型の看板の上に、ノーネイムが立っていた。
彼は看板から飛び降りて着地すると、私に歩み寄ってくる。
「まさか夢の中だけじゃなく、現実でも救世主になるなんて、すごいじゃないか」
ひゅう、とノーネイムは口笛を吹く。
こいつは、私が三つの悪夢を救っただけだと思っている。
私が
「どうだった? 最後のトンネルの悪夢は?」
ノーネイムは訊く。わかってるくせに。仮面の口元が笑っている。
「私一人じゃ、絶対に救えなかったよ」
ありのままに私は答える。ほんとのことだ。恥ずかしくはない。
「でも、このドアが出てきて、夢のみんなが手伝いに来てくれて、クリアすることができた」
私は宙に浮いているドアを指差した。
ノーネイムはうんうんとうなずき、満足げに腕を組む。
「きみの人徳のなせる業さ。他者の力を借りていても、クリアした事実にけちをつけやしないよ。約束通り、願いは叶えよう」
「あんたが、」
そこでいったん言葉を区切り、息を吸い込む。
落ち着け。
「あんたが、あのドアを使ってみんなを呼んだんでしょ」
ノーネイムは帽子を目深にかぶった。
「さて、どういうことかな?」
「あんたは、私になんとしても三つの悪夢を救ってほしかった。救ってもらわなきゃ、困るんでしょ。だから、わざわざ他の夢の住人をそそのかしてまで、私のところへ向かわせたんだ」
仮面の男はくつくつと腹を押さえた。
「そそのかしたとは人聞きの悪いねえ」
「否定しないんだ」
ノーネイムの笑いが止まる。
私のかけたかまに、ノーネイムはまんまと引っかかった。
お前の正体は、もうわかっているんだ。
「ノーネイム。あんたは、どうしても私に三つの悪夢をクリアさせる必要があった。そうしないと、願いが叶えられないから。あんたは私の願いを、叶えたかったんだ」
「そうとも!」
ノーネイムはがばっと両腕を広げる。もう、取り繕うつもりはないみたいだ。でも、まだ仮面は着けている。往生際が悪い。
「俺の夢は、みほろ、きみの願いを叶えることだ! 友佳里を生き返らせたいという、きみの願いを!」
私ははあ、と息を吐く。やっぱり、そう思ってたか。
「悪いけどさ、」
私は一言一言、言い聞かせるようにゆっくりと話す。
「私の願いは、友佳里を生き返らせることじゃなくて、リョウをぐっすり眠らせてやることだよ」
それを聞いた瞬間、ノーネイムは自分の体に雷を落とされたようなショックを受けていた。彼の体が細かく震える。
「まさか!?」
ノーネイムの仮面の目の下、涙の跡を思わせるラインが光った。
「そんなはずはない! 友佳里が生き返った方がいいはずだ! そうすれば、きみの幼なじみだって安心して眠れるぞ! 結果オーライじゃないか!」
悪あがきをするノーネイム。今さらそんな台詞で私の心は迷わされない。もう、知ってるんだから。
「友佳里を生き返らせたら、代わりにあの子が死ぬんでしょ?」
ノーネイムの仮面の奥にある顔が青ざめたのが見てとれた。
「なぜそれを……!?」
「教えない」
友佳里が教えてくれたなんて、言わないよ。
でも、こいつは友佳里が助けた子どもが死ぬとわかってて、それを私に伝えずに友佳里を生き返らせようとしたんだ。
気持ちはわかる。
でも、手口が気に食わない。
私にこっそりと事実を隠して、自分の望みだけ果たそうとするなんて。
ずいぶん虫がよすぎない?
「友佳里よりも、知らない子どもの命を選ぶのか!?」
それを聞いて、私は眉を下げた。
そんなこと、言わないでよ。
選ぶなんて悲しい言葉を、ここで使わないで。
「友佳里を、見捨てるのか!?」
私はゆっくりと首を振る。
「違うよ。友佳里との約束を、守るんだよ」
そう、決めたんだ。
誰かを選ぶというのは、ひどく残酷なことだ。でも、友佳里は選ぶんじゃなくて、最後まで自分を貫いた。
友だちとして、こんなに誇らしいことはない。
「もしかして、きみも
なんで、そんなひどいことが言えるんだろう。
けれど、私はこの質問に答えなきゃいけない。
「……半分は、当たってるかもしれない。私はリョウのことが好き。ただし、それが幼なじみとしてだよ」
ぽつりぽつりと、誰にも話したことのない思いをはじめて言葉にする。
「私が本当に好きだったのは、友佳里の方」
「えっ……!?」
ノーネイムが驚きを声に滲ませる。私だって、自分がこんな思いを持っていたなんて気づかなくて、びっくりしたよ。
あの日。友佳里が私にリョウを好きだと打ち明けてくれたとき、やっと自覚したんだ。
少しだけ、目を伏せる。でもそれも一瞬のこと。私はすぐに、ノーネイムを見つめ直した。
「だから、友佳里がいなくなって、本当に悲しかった。寂しかった。この思いすらも告げられないままに終わったことが、悔しかった。友佳里に死んでほしくないって気持ちは誰にも負けないよ。でもね、悪夢の世界に行って、いろんな人に会って、思ったんだ」
私は口下手で人見知りで、おまけに恥ずかしがり屋だけど、ノーネイムが相手なら口はよく動く。
「悪夢だってその人を生かしている大切な一部なんだ。悪夢みたいな現実だからって、目を背けずに、しっかり見ることが大事なんじゃないかな、って。もしかして迷夢って、それを気づかせてくれるためにあるんじゃない?」
私は問いかけた。答えが自分と同じだと信じて。
ただ、ノーネイムはそれが気に入らなかったらしい。
がりがりと、自分の顔の仮面をひっかき始めた。
「ありえない! ここでみほろは友佳里を生き返らせるよう願い、迷夢はそれを叶えて、みんなハッピーになるはずなんだ!」
仮面の表面に引っかき傷が刻まれる。もうずたずただ。
ノーネイムは狂ったように仮面をかきむしりながら、私から目を逸らしてその場をうろうろしだす。
おもちゃが買ってもらえなくて、ずっとおもちゃ売り場にしがみつこうとする子どもみたいだった。いい加減、そこから動きなよ。
「それは私の夢じゃない。あんたの夢だ。夢は人から見せられるものじゃなく、自分で見るもんだ」
私はきっぱりと言った。これくらい強く言わないと、わかってもらえそうになかったから。
ノーネイムは私の言葉をどう受け取ったのか、ぴたりと動きを止めた。
言い過ぎたかな。
私のその心配は、要らなかったようだった。
ノーネイムは頭を抱え、帽子を床に叩きつけて、この世に幻滅したかのような声を出す。
「なんでだ! なんでこうなった!? 俺はいったいなにを間違えた!? なにを見誤ったんだ!?」
友佳里の、信念だよ。
それぐらいわかれ。
しかし、私の心の声は彼に届かない。
ノーネイムは、髪を振り乱して吠える。
もはや、負け惜しみにしか聞こえなかった。
見苦しいことこの上ない。
「そうだ! 友佳里の復活は俺の夢だ! 夢は叶えるものだ! そのためには、犠牲はつきものだろう!」
さすがに私も我慢の限界だ。
もう、これ以上は見ていられない。
私はぐっと拳を握り込む。爪が真っ白に染まった。私は一言、ぶち込んでやる。
「寝言は、寝て言え!」
拳を、ノーネイムの顔面に見舞う。硬いものを殴った感触が伝わるけど、タイムトンネルの壁に比べたらへっちゃらだ。私一人で、叩き割れる。
白い部屋に、砕けた仮面の破片が舞った。ノーネイムは殴られた衝撃で後ろにのけぞり、両手は前にだらんと伸ばしている。
床に仰向けに倒れたノーネイムは、すぐさま起き上がって必死に仮面の欠片を拾い集めようとするが、修復は無理だと悟ると両手で顔を隠した。
私は彼を見下ろす。
「もう、顔を隠す必要なんてないよ。そうでしょ? リョウ」
「…………!」
指の隙間から見える顔の主――
「なんで、俺だとわかった? みほろ」
リョウは少しためらったあと、立ち上がった。顔から手を外し、素顔を晒す。その目の下には、くまはできていなかった。
「いくつか、思い当たる節があったから。完全な自信はなかったけどね」
私は指を三本立てた。
「一つ。ノーネイムは健太郎さんやサキの名前は知らなかったのに、私やリョウ、友佳里の名前は知っていた」
ノーネイムの正体がリョウだと思えば、すんなり納得できる。むしろごく自然なことだ。私は指を一本、折り曲げる。
「二つ。トンネルの悪夢の世界で、この扉が出てきた」
私は宙に浮かんでいるドアに視線をやる。
「ノーネイムが私を助けてくれたんだと思ったけど、理由まではわからなかった」
そんなとき、友佳里が私を呼んで、教えてくれたんだ。
「今思えば、リョウは私にわざと悪夢をクリアさせて、友佳里を生き返らせようとしてたんだよね? 私のとる行動のくせや願いを知っているのは、友佳里を除けばリョウしかいないし」
さらに一本、指を曲げる。
「そして最後は、愛也さんから聞いた知識。メイムの意味。maim【メイム】っていう言葉には、なにかを傷つけるという意味があるんだってね」
天才科学者はなんでも知っていた。日本語も、英語も。私が不勉強なだけかもしれないけどね。
英語のメイムの意味を聞いて、真っ先に思い浮かんだのは、リョウの顔だった。
「リョウは、寝ないことで自分を責めて、自分で自分を傷つけていたんだ。友佳里と一緒に死ねなかったことが、許せなくて」
そう言い切ってから、私は全部の指を閉じた。
なにか反論はある? と目で問いかける。
私の推理を聞き終わったリョウは、呆然と立ち尽くしていた。
「……それだけでか?」
「うん、それだけで充分。何年リョウの幼なじみやってきたと思ってんの」
私は腰に手を当てて、鼻から息を吐き出す。
どうだ、まいったか。
リョウは額を手で押さえてよろりと立ち眩んだ。
「俺が、友佳里の死のショックをきっかけに心が切り離されて、半分だけ夢の世界に来た療治だということは知らなかったのか?」
「知らない」
私は即答する。
「夢の世界の俺がいる限り、現実の俺が夢を見られないということは?」
「知らない」
そうだったんだ。
「少しでも友佳里に会いたくて、悪夢をクリアするたびにみほろに友佳里らしさを与えていたことも?」
「知らないって。どうでもいいよ、そんなの」
あれってそういう目的だったんだ。
だけど、それがなんだ。
私は友佳里の代わりにはなれないし、ならない。
「なんにも知らなかったのに、俺が療治だって思い至ったのか」
「当たり前じゃん」
私はばかだから、夢の世界だとか、現実の世界だとか、小難しいことはあまりわからない。
けれど、そんなばかな私を、周りにいる人たちが助けてくれた。いろんなことを教えてくれた。だから、きみの正体にまでたどり着けたんだ。
もちろん、私を助けてくれた人の中には、リョウ、きみもいる。
リョウは矢印型の看板に手をつき、苦しそうに立っていた。
「これでも結構、ばれないように口調や性格を変えて演じてたつもりだったんだけどなあ……」
そう? でもさ――
「リョウはずっと、泣いてたじゃん」
「?」
目を点にするリョウに、私は足元に転がっていた仮面の欠片を一つ手に取り、見せる。それは、目の下の、涙の跡に見える線の入った部分だった。
「友佳里の死んだあと、こんなに悲しんでくれるのは、リョウしかいないって。私は、泣くの苦手だからさ」
さっき、友佳里にさんざん涙を見せたのは内緒にしておく。女の意地だ。
「もう、自分を許してあげてよ」
私はリョウに歩み寄って、彼の胸にぽす、と拳を軽く当てた。
「こんなこと友佳里は望んでないとか、友佳里は悲しんでるとかは言えないけど、私は、これ以上リョウが自分を責めるのは見たくない。ただ、それだけ。だからこれは、ただの私のわがまま」
現実のリョウに言えなかったことを、夢の世界のリョウには告げることができた。ほんの少しだけ、私の中の霧が晴れた。
私はリョウの肩に手を回す。
「もう、おやすみなさい、リョウ」
そうして、私はリョウの頭を抱きしめた。リョウは私より背が高いので、彼を猫背にさせる形になる。
私の腕の中で、リョウが瞼を下ろすのを感じる。
けれども、次の瞬間。
「まだだ!」
リョウは強引に私の肩をつかみ、引きはがした。
「まだ俺は、夢の世界の俺が眠るわけにはいかない! 俺が寝てしまったら、迷夢からはじき出されてしまう! 願いを叶えるチャンスを、ふいにしてしまう! 現実の世界の俺を、安心させてやれなくなる!」
彼はどこまでも優しかった。現実の世界のリョウのために、彼は今まで仮面をかぶって道化を演じてきたんだ。
リョウは、誰かのために動くときにこそ、最大限の力を使う。そういうやつだ。
こうなったリョウは意地でも譲らない。どうしたら、今のリョウを眠らせることができる?
いくら殴ったところで、彼はこの迷夢の世界に踏みとどまるだろう。
私じゃ、だめなのかな。
そう思って、握っていた拳を振りほどいたときだった。
「よくやった、みほろ」
透き通った、きれいな声が聞こえてきた。
私とリョウは、その声のしてきた方向を見る。
視線の先にあったのは、宙に佇むドア。
ドアの中から足が生え、勢いよく扉を蹴破った一人の少女が姿を見せる。
私の大切な親友で、リョウの大事な恋人が。
「よう。三人そろうのは久しぶりだな」
友佳里は手を上げる。遅刻して悪ぃ、とでも続けて言いそうな気軽さだった。
「友佳里……!?」
リョウは隠しきれない驚きを声に滲ませ、友佳里を見る。信じられない、とその顔が物語っていた。
「やっと会えたな、リョウくん」
友佳里は軽やかにドアから飛び出し、私たちの前に立つ。その顔は自信に満ちていて、強い笑みを浮かべていた。
「ありがとよ、みほろ。お前が仮面を壊してくれたおかげで、私はリョウくんを見つけられた。こいつがリョウくんの存在感を隠していたんだろうさ」
友佳里は私たちに向かって歩きながら、床に落ちていた仮面の欠片を指でつまみ、すぐにぽいと捨てた。
一方、リョウは感動と興奮に打ち震えていた。
満面の笑みを浮かべて、両手を広げる。ノーネイムのときと同じしぐさなのに、今度は芝居がかってなくて、本気だとわかる。
「友佳里、やっときみに会えた。俺は今度こそ、きみを助けてみせる! なにがあっても生き返らせると決めたんだ!」
リョウは友佳里を腕の中に迎え入れようとしている。
そんな恋人に、友佳里は大股で近寄り、手を後ろに振りかぶった。
「余計なお世話だ!」
そして、リョウの横っ面に、思いっきりビンタをした。
ぱあん! と小気味いい音が白い部屋の中に響き渡る。
えぇー……
何事? 感動の再会じゃなかったの?
リョウはぶたれた方の頬を手で押さえたまま、あんぐりと口を開けていた。そりゃそうだ。私だって混乱してるよ。
「なにを、するんだ」
震える声で、リョウは訴える。
その目には、ひっぱたかれたせいではない涙が光っていた。
「俺はただ、きみにまた会いたかっただけだよ」
「うっっっせえ! こうして会えるだろ、夢で! お前なにしてた! 夢も見ずに、私に会いに来ないで! みほろにさんざん、骨折らせやがって!」
友佳里は、世界に喧嘩を売る剣幕でまくし立てた。
リョウも必死で反論する。
「俺は、現実で友佳里に会いたいんだ」
「夢の私には会いたくないってことか!?」
「いや、そういうわけじゃ……」
あのリョウが、迷夢の管理人が、夢の住人である友佳里に気圧されている。さすが友佳里だ。
結婚したら、リョウは間違いなく尻に敷かれていただろう。
友佳里の怒りはまだ治まらない。
「それになあ! 死んだ人間は生き返らないんだよ! 私の復活を夢見るよりも、現実を見ろ!」
「っ……!」
友佳里のその叱咤は、リョウに、頬をぶたれたとき以上の衝撃を与えたようだった。
怒鳴りながら、友佳里は私を指差す。
「死んだ私じゃなくて、今、お前のために頑張っているみほろを見てやれよ!」
がつんと、私とリョウの頭が揺さぶられる。彼女は死んでも、夢の中でも、自分らしさを貫いていた。私たちの大事な人で、私たちを大事に思ってくれている。
友佳里……。きみは、私が言いたいけど、絶対に口にできないことを代わりに言ってくれるんだね。その言葉が、心が、温かい雫となって私の顔を伝う。
彼女はリョウの胸ぐらをつかんだ。
「私のことが好きだって言ってくれたみほろも我慢してるんだぞ! 私の彼氏なら、それぐらいしてみせろよ! 目ぇ覚ませ! そんで寝ろ! 泥のように眠れ!」
友佳里の叫びが、リョウの心の奥底を殴りつける。彼女は全部出し切ったらしく、今は肩で息をしていた。友佳里の荒い息遣いだけが、真っ白な迷夢の中に木霊する。
私はつばを飲み込んで、彼女を見る。
「……友佳里、私の気持ち……?」
「さっき、扉の向こうで聞いたよ。ちょっとびっくりした」
友佳里はリョウの服を握りしめたまま、顔だけをこっちに向けて笑った。
私の声は震える。
「気持ち悪く、ないの?」
「なんで?」
それだけだった。たった一言で、彼女は私の不安を消し飛ばす。
「好きになってもらうのって、いいことじゃん」
ああ。
うん、やっぱり大好きだよ。友佳里。
もう、なにも心配はいらない。なにも言いよどむことはない。
私はリョウに目をやった。
彼のために。友佳里のために。そして、私自身のために。私は今ここで、こう言うんだ。
「私は、リョウに好かれなくてもいい。許されなくてもいい。私がリョウと友佳里のことを好きでいられれば、それでいい。だからさ、リョウ。お願いだから、寝顔を見せてよ。それが、友佳里の彼氏としての、けじめだよ」
これが、私の素直な気持ちだ。私の覚悟だ。
「友佳里を生き返らせないのは、間違っているかもしれない、それでも、私は自分の夢を突き通したいんだ」
私は人見知りで、恥ずかしがり屋で、口下手で、卑屈屋で、嫉妬深くて、短気で、頭が悪くて、すぐに手が出る乱暴者だけど。
友佳里とリョウにだけは胸を張れるような、強い女でいたいから。
友佳里の代わりにはなれないけれど、友佳里の分まで、強くなる。
私は、約束は絶対に守るんだ。
「………………そうか」
長い長い息を、リョウは吐いた。
憑き物が落ちたような顔だった。
「友佳里とみほろがなにを願っているのかは伝わった。だけど、どう答えるのがいいか、俺にはまだわからない」
それから、リョウはやんわりと微笑んだ。
「だから、ゆっくり寝てから、答えを出すよ」
え……?
それって……
「俺の、負けでいい。こうして友佳里に会えた。みほろが俺のために一生懸命になってくれた。それだけで、満足しないとな」
リョウはそっと目を閉じた。彼の体が、淡く光り出す。友佳里は、そんな彼を抱きしめた。
「ああ、ずっと一緒にいようぜ、リョウくん」
彼女の体も、じんわりと光っている。
二人が、夢の世界に溶けていく。
私の入り込む余地はなさそうだ。
少し寂しいけど、恋人同士の時間に横槍は入れないでおこう。
私はただじっと、二人を見守ることにした。
友佳里とリョウの体が光に包まれて輪郭がかき消え、蛍のような小さな光の玉が、二人の体から出ていく。その分だけ、彼らの体は少しずつなくなっていった。
「私がいるから、安心して寝ろよ」
腕の中のリョウを見つめる友佳里は、穏やかな目をしていた。
リョウはもう眠っているのか、目を閉じたままなにも言わない。
二人の周りを無数の光が漂う。その光景は、一枚の絵のようだった。
「ああ、そうそう、みほろ」
体がほとんど消えて、胸から上だけがかろうじて見える状態になってから、友佳里は私の方を向く。
「たまには、私に会いに来てくれよ」
彼女はにひっと笑う。
私は拳を突き出した。それを見た友佳里は、同じく手を握って私と拳を合わせる。
私もにっと微笑み返す。つくづく、穏やかな笑みが似合わないね、私たちは。
「会いに行くよ。何度でも」
きっともう
女と女の、約束だ。
破るわけにはいかないでしょう。
「ありがとよ」
友佳里は最後の言葉を紡ぎ終える。同時に、友佳里とリョウの全身はほどけて、空気に溶け込んでいった。無数の光が舞い散る。
夢の世界へ、消えていったんだ。
真っ白く静かな部屋に、私は一人立っている。
足元には、粉々になった仮面の欠片と、ノーネイムだったリョウのかぶっていた帽子が転がっていた。後片付け、した方がいいのかな。やっぱめんどくさいからやめた。立つ鳥跡を濁さずとは言うけど、私は鳥じゃないもんね。
さて。片付け以外にもう一仕事、残っている。
私は友佳里とリョウの溶けた空気を大きく吸い込み、自分の思いと一緒に目いっぱい吐き出す。
「私の願いは、リョウを眠らせることだ!」
私の夢が、迷夢の中で何重にも反響する。
最初から私がずっと願っていたのは、これだけだ。なんだかんだあっても、結局この思いは変わらない。
すると、矢印型の看板がぎぎぎと軋み、百八十度回転する。ぽつんと浮かんでいたドアの反対側に、新しいドアが現れた。矢印は二つ目のドアを差している。最初からあった方のドアは透明になり、消えていく。
看板の表面に書いてあった「あちら」の文字が「こちら」になった。こっちに進めば、リョウが眠れなくてぼろぼろになる未来は、夢となって消えるんだろう。
そう、あれこそ夢でいい。
どうやら、無事に願いを聞き届けてもらえるみたいだ。
私は内心ほっとする。
管理人のノーネイムがいないと願いが叶わなかったらどうしようかと、ちょっと思ってたんだよね。
でも、もう大丈夫だ。
私も帰らなきゃ。
リョウの待っている、現実へ。
夢から覚めるときが来たんだ。
私は新しいドアのノブに手をかけ、回した。
扉は外側に開き、その先に広がる世界が私を受け入れる。
その中へ、私は一歩、踏み出した。
ありがとう、迷夢。
楽しい夢だったよ。
楽しすぎて、もう二度とごめんだけどね。
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