トンネルの向こうは chapter4
「よく頑張ったね、お嬢さん」
マスターは微笑む。優しい目をしていた。
いや、それよりも。なんで、マスターがここに?
異変はそれだけで終わらなかった。
「よう小娘ぇ! ずいぶん弱ってるじゃねえか! 俺の頭を蹴り飛ばしたときの威勢はどうしたよ!?」
マスターの横に、病的なまでに肌の色の白いつるっぱげの男が並んでいた。こいつは、豆腐?
私は、壁を殴りすぎて頭までおかしくなったんだろうか。そう疑いたくなるほどに、目にしている光景が信じられなかった。
「あんた、頭が吹っ飛んだはずじゃあ?」
豆腐に問いかけると、やつはにやりと笑った。
「おかげさまでな。だが、あいにくここは夢の中。なにを驚くことがある?」
やや高めの声だ。そういや、こんな声だったな。
そこで、私は気づいた。二人の後ろに浮かんでいる、長方形の物体に。
あれは、
豆腐は口の端を上げる。
「お前が憎いし仕返しもしてえがよ、加勢しに来てやったぜ。感謝しろ」
その言葉にますます混乱する。
私はまだこの事態を飲み込めていない。どういうこと?
「私ら夢の住人たちは、救ってくれた恩人を忘れはしない。迷夢のあのドアを通して、夢の世界ってのはみんなつながっているのさ。だから、こうして駆けつけることができたのだよ」
落ち着いた声音でマスターは説明してくれた。
「それで来てみればよお、どうやら現実の世界も危ないみてえじゃねえか。夢は現実あってこその世界だ。他人事じゃあいられねえよな」
真っ白な歯を見せて豆腐は笑う。相変わらずいやらしい笑い方だけど、今は憎らしいくらい頼もしかった。
「お嬢さんのためなら、私らはいくらでも力を貸すともさ。……なあ、そうだろう、若いの!?」
マスターは後ろに呼びかける。その声に応じて、ドアは開いて人影を吐き出した。
現れたのは、人型の上半身に、シャコに似た下半身を持つロボット。
「スキュラ……?」
ディスクの夢で博物館の警備をしていたロボットは、ドアを雑に開けてこちらへ落ちてくる。すぐ隣に着地したスキュラにマスターは声を荒げた。
「こら! 私らを潰す気か!」
「悪い悪い、じいさん」
スキュラの中からくぐもった声がした。
スキュラが、喋ってる?
私が疑問符を浮かべていると、スキュラの体は左右に割れる。その中には、赤いシャツを着て、髪を短く刈り上げた活発そうな少年が入っていた。
「よう、みほろ」
タクマだった。彼は片手を上げて気取った挨拶をする。
「お前はいいやつだった。だから、助けに来たぜ」
自然と、私の口は笑みの形を作る。
だからさあ。なんで、あんたがおいしいところを持ってくわけ?
彼の後ろから、さらに三体のスキュラが姿を見せる。
中に入っている人は、見なくてもわかる。そのスキュラたちの体から、それぞれ違う色の布がはみ出ていた。青、黄色、緑。エイジにショーコ、それにヨースケだ。
サキだけいないのは、彼女が夢の住人じゃなくて
それでも、彼らは私を勇気づけるには充分だった。
「待たせたな、みほろ」
エイジの声がする。
「今度は私たちが頑張る番だよ」
こんなときでもショーコは笑っていた。
「僕たちに、任せて」
ヨースケは照れくさそうに言った。
なんだよ。
戦隊も、意外とかっこいいじゃん。
うるんだ声が、私の喉から搾り出る。
「みんな、本当に、助けてくれるの?」
マスターも、豆腐も、タクマもエイジも、ショーコもヨースケも。
みんなが、声をそろえてこう答えた。
「ここでお前を見捨てたら、俺たちの夢見が悪くなる」
私はぼろぼろになった拳で、涙を強引にぬぐう。
みんな、ありがとう。
さて、とマスターは口ひげを揺らす。
「要はこのトンネルを壊せばいいんだろう?」
その手にはつるはしが握られている。
「最強の豆腐をなめるなよ」
豆腐は、掘削用の大きなドリルを軽々と担いでいた。
「俺たちはスキュラを操縦するぜ!」
「お――っ!」
タクマのかけ声に、エイジたちは号令を上げる。
すると、私の手がふんわりとなにかに包まれた。
「私は、みほろちゃんを手当てしますね。それぐらいしかできませんけど、みなさん、頑張ってください!」
気づけば、
あなた、健太郎さんと一緒にいなくていいの?
私が目で訊ねると、蜆さんはにっこりと笑う。
「あなたを助けないと、私は胸を張って健太郎さんの隣に立てませんから」
ああ、やっぱり、この人の笑顔はきれいだ。真珠のような、深い輝き。
蜆さんは私の反対の手にも包帯を巻き始める。
「それに、私たちがここに来られたのは、健太郎さんが行けといってくれたからなんですよ?」
「健太郎さんが?」
蜆さんの口から出た名前に、私は思いを馳せる。蜆さんは続けた。
「夢の住人が他の夢へ行くには、夢見人の許可と意思が必要なんです。みほろちゃんが大変そうだと知った健太郎さんは、自分が夢の中に一人取り残されるのも構わずに、私たちにみほろちゃんを手伝うように頭を下げたんです」
健太郎さんが、あのちょっと頼りない人が、私のために自分をいとわずに応援を向かわせてくれたんだ。
「ほんと、昔っから強がって無理するんだから」
そうこぼした蜆さんは懐かしそうな顔をしていた。それって……?
なにかが頭に引っかかった。もしかして、あなたは――
考えを整理する前に、新しい声が届く。
「俺たちも、サキに頼まれてここへ来たんだ」
エイジが眼鏡を押し上げて言った。
「あいつもいいやつだ。いい女だ。そう思わないか?」
エイジの言葉に、私は何度もうなずいた。
サキ……健太郎さん……。
本当に、ありがとう。
最高の恩返しだよ。
それはそうと、この場に一人だけ、いまだに状況を理解できない人がいるのを忘れていた。
「なんだ、こいつらは? 夢のキャラクター……?」
目を白黒させる
「キャラクターじゃないです。私の友だちですよ」
素敵なね、と心の中で付け足した。直接言うのは恥ずかしい。私は人見知りなのだから。
でも、こんな人見知りでも、助けてくれる人たちはいたんだ。
「さあて、いっちょ未来を壊しますか。若い頃の血がうずきますなあ!」
マスターはつるはしをバットのごとく振りかぶり、私が殴った箇所の壁に打ち当てる。甲高い衝突音が響き、私が入れたひびからトンネルの壁の内装が壊れて、灰色の中身が剥きだしになった。表面は金属でコーティングされているけど、どうやら中はコンクリートらしい。
にしても、この人ほんと、若い頃なにしてたんだ。
「この世でもっとも硬く、もっとも強いのはこの俺、豆腐だあ!」
豆腐がマスターの壊したところに、ドリルを当てる。耳障りな金属音と火花がまき散らされ、あっという間に人一人分は入れそうな大きな穴が開いた。
マスターと豆腐の反対側では、四体のスキュラがシャコのハサミで壁を連打している。ドドドドド、と空気が震え、壁はみるみるうちに崩れていく。
「津星くん、彼らは、信用していいのか?」
愛也さんがこっちを見る。
私は包帯まみれの手で親指を立てた。
「もちろんです。信じてもばちは当たりませんよ」
私のサムズアップを受けた愛也さんは下を見てうつむいたのも一瞬、即座に顔を上げて目を光らせた。表情が生き返っている。
「よおし! ならばここからは俺が指揮をとろうじゃないか! 今から俺は現場監督だ! 効率的なトンネルの壊し方を教えよう!」
そのまま、有無を言わさずにびしっと壁を指差す。
「ご老人とドリルくんは、斜め一列に穴が並ぶように壁を壊していってくれ! 出口に近づくにつれて穴を開けるところを高くするように!」
「あいよ!」
意外にも豆腐は素直に指示を聞き、マスターと協力して右肩上がりに穴を開けていく。マスターが最初に外装を壊し、その中を豆腐がドリルで掘る形だ。
「そっちのロボット諸君は、四体で肩車をして、上下同時にパンチを打ち込んでくれたまえ!」
「おう!」
タクマたちは愛也さんの言う通りに肩車をして重なり合い、壁の上から下まで均等にシャコの拳をぶつける。
振動と破壊音がトンネル内を蹂躙する。ぱらぱらと、天井から粉が降ってきた。
「みなさん! 頑張ってください!」
「当ったり前だ!」
蜆さんのエールに、みんなが応じる。全員の息が、一つになっていた。
愛也さんは手を掲げる。
「よくやってくれた! あとは、天井の一番高い部分、中央の真上に刺激を与えたいのだが、そのロボットに飛行機能はあるのかね?」
「いいや、ねえな」
愛也さんの質問にタクマが首を振る。
「ならば、誰か一人が降りてくれ。無人のロボットを投げ飛ばし、射出する」
「オーケイ、俺が降りよう」
スキュラの体が左右に開き、タクマが降りてきた。
それを見た愛也さんはうなずき、スキュラの一体を指差す。
「そこの青いきみ! きみがその空いたロボットを天井目がけて投げてくれ」
「了解した」
スキュラに乗ったエイジが愛也さんの指示に従う。
天才科学者はどんどん作戦を展開していく。
「そうそう、もし可能なら、誰か無人のロボットにドリルをジョイントしてほしい。できるかね?」
「俺を誰だと思っていやがる。豆腐だぞ?」
豆腐は、ドリルをタクマが乗っていたスキュラの腕に取り付けた。
ドリルの付いたスキュラを、エイジの操縦するスキュラが抱え、地面にシャコの足を何本も突き刺し、しっかりと踏ん張る。
愛也さんは天井を指差した。
「では、テイクオフだ!」
「おおおおおお!」
エイジの雄たけびがトンネルの中で反響する。勢いよく投げ飛ばされたスキュラが、天井に向かっていく。
「いっけ――!」
私は拳を突き上げた。みんなの夢を乗せて、ドリルを搭載したスキュラは天井にぶつかる。爆発にも似た火花が弾け飛び、衝撃がトンネル内を大きく揺らす。最初は拮抗していたスキュラとトンネルだったけど、どんどんスキュラは天井に沈み込み、やがて完膚なきまでに突き破った。
天井に亀裂が走り、空の光が漏れてくる。そして、亀裂は放射状に広がって、トンネルの地面まで縦横無尽に降り注いだ。
「退避!」
愛也さんのかけ声を合図に、みんなが出口側から過去の方へ向かって走り出す。直後、トンネルの出口はがらがらと重い悲鳴を上げながら崩落し、大きな破片がいくつも地面に直撃して降り積もっていく。巻き上がった大量の土煙が私たちを包み込み、追い越していった。
音が止んで、土煙が晴れたとき、トンネルの出口は、がれきの山によって完全にふさがれていた。
これでもう、あの未来へつながることはなくなった。
未来は、自分の手で開通していくんだ。
私たちは顔を見合わせ、思い思いに手を上げた。
「やった――!」
全員が喜びに打ち震え、達成感に包まれる。
私たちは、やり遂げたんだ!
「ふう」
愛也さんは額の冷や汗を白衣の袖でぬぐった。そして、私たち全員に頭を下げる。
「みんな、よくやってくれた。おかげで未来は救われた。礼を言わせてほしい」
愛也さんの辞書に、敬意と感謝の文字があったことにびっくりした。
「みんな、ありがとうございました」
私も礼をする。その頭を、わしゃわしゃと撫でられた。
「なあに、世界を救うなんぞお互い様じゃないか」
マスターが、豆だらけのごつごつの手で私の頭に手を当てていた。くすぐったいです。頭も、心も。
「じゃあ、そろそろ私らはお役御免かな」
マスターは手を離して、口ひげをなぞる。
「もう、行っちゃうんですか?」
夢は覚めるものだ。それぐらいはわかっている。だけど、どうしても名残惜しくてたまらなくなった。
「まだ、なにもお礼ができていないのに」
私のか細い声を、スキュラから出てきたエイジが受け止める。
「みほろ、お前はタクマたちを、そしてサキを助けてくれた。それだけで充分だ」
蜆さんが私の手を両手で握る。
「みほろちゃんのおかげで、私は健太郎さんにプロポーズされたの。夢の住人の私が、反対に夢を見せてもらったんですよ? お礼を言うのは、私の方」
彼女が一歩下がると、代わりに豆腐が躍り出た。
「俺はまだ諦めてねえからな。小娘、今度会ったときが三度目の正直だ、決着つけてやるから覚悟しとけよ」
豆腐は憎まれ口を叩いた。今さらそんな悪ぶったところで、私を助けてくれた時点で、説得力ないよ。
「よっしゃあ! みんな、帰ろうぜ! 俺たちの世界へ!」
タクマはいつの間にか現れていた迷夢のドアノブに手をかけていた。
「みほろ、俺たちはまだまだすげえやつになってみせるぜ。そしたら、絶対にまた会いに来いよ」
うん、きっと。約束するね。
タクマはドアを開け、足を進める。サキの夢の中へ、帰るんだ。
「サキが待ってるから、行くね。あんまり夢の中でひとりぼっちにしちゃ悪いし」
ショーコが続いてドアの向こうへ消えた。
「もし、現実でサキに会ったら、友だちになってあげてね」
ヨースケは少しぎこちなく笑っていた。もちろんだよ。
「またなにかあれば、いつでも呼べ。友だちだろ?」
エイジはそう言ってドアをくぐる。うん、ありがとう。またね。
「今度うちの店に来てくれたら、新商品のウインナーコーヒーをご馳走しますよ」
マスターもドアノブをひねる。えっ、味噌汁にウインナーを入れるの!?
「俺が倒すまで、誰にも負けるなよ」
少年漫画みたいな台詞を吐いて、豆腐もあとに続いた。
「みほろちゃん」
蜆さんが抱きついてきた。私は背中に手を回していいかどうかわからずに、直立不動のまま固まる。
「私のこと、覚えててくれたら嬉しいです」
蜆さんはふわりと羽のように離れ、ドアの中へ足を踏み入れる。いい匂いがした。
絶対、忘れませんよ。
「あなたにも、いい人ができますように」
蜆さんのその言葉を最後に扉は閉ざされ、ドア自体もだんだん下から透明になって消えていった。役目を果たしたんだ。
あとには、私と愛也さんだけが崩れたトンネル内に残された。
「……きみは、思ったよりすごい人間なのだな」
愛也さんが頬をかく。
「俺は今日まで、学力と知能指数だけで他人を評価してきたが、どうやらそれだけじゃ不完全なようだ。いろいろ見下すような発言をしてしまってすまなかった」
再び愛也さんは頭を下げる。今度は、私だけに。
「きみのおかげで、危機的な未来を回避することができた。なんと礼を言っていいかわからない」
お辞儀の姿勢のままの愛也さんを見て、私の中にいたずら心が生まれる。
「……だったら、ぎゃふん、って、言ってくれます?」
愛也さんは上体を起こし、数度まばたきをしてから首をひねる。
「……ぎゃふん?」
私は笑いをこらえられなかった。
「はい、それでもういいです」
ほんとに言わせてみるもんだ。これは結構、気分がいい。
そこで、私の足元から頭に向かって、軽くなっていくのがわかった。手を見ると、輪郭だけ残して透けていっている。
悪夢をクリアしたと、みなされたんだろう。
私も消えていく。
「それじゃ、研究はたいへんでしょうけど、頑張ってくださいね」
私は色の抜け落ちた手を差し出す。
「きみには一生分くらい驚かされた。いつか、迷夢とやらも解明してみせよう。いい刺激になった。感謝する」
愛也さんは笑い返して手を取り、握手した。
「今回の実験は不確定要素が多すぎて、正直、成功とは言い難い。だが俺はそのうち、現実でもきみの耳まで俺の名前が届くほど、大きな研究の成果をあげてやるとも」
「楽しみにしてますね」
笑い合いながら、私の意識と体は薄れていく。
まさか、現実の未来まで救うことになるなんて思わなかった。
あの未来でなにが起こるかなんて知らないし、どうでもいい。
あんなところへ、私やリョウを行かせるもんか。その可能性は、みんなの力で潰すことができた。
力を合わせれば、私たちは未来だって変えられる。
そして、ついに三つの悪夢の世界を救い終わった。
リョウ。もうすぐ、きみの未来も変えてあげられる。
私は、長い長いトンネルを抜けたんだ。
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