トンネルの向こうは chapter2
真っ黒な穴を通ってたどり着いたのは、これまた真っ暗なところだった。一メートル先もろくに見えないほどの、暗い闇。
最初はまだ穴の続きなのかと思ったけれど、足はしっかりと地に着いている。地面があるということは、やはり悪夢の世界に来たんだ。
右も左も上も下も、すべてが黒い。真っ白な迷夢の空間とは真逆だった。
これだけ暗いと、夢見人を探すのも苦労しそうだ。どこかに光はないかなあ。
などと考えていると、白く小さな点が、上下左右に動きながら近づいてきた。あれは、光だ!
その光は何度か私を捉えると、次第にぴったり固定されて私だけを照らし出すようになった。
暗闇の中に浮かび上がる私。脱獄囚にでもなった気分だ。
かつうん、こつうん。耳をすませば、誰かの歩いてくる足音も聞こえてくる。人がいるんだ。
光はだんだんまばゆくなり、私の全身を包むほど大きくなってくる。私は手を顔の前にかざした。
「すいません! あなた誰ですか!? 私は
「……なんだお前は」
不機嫌そうな男の声がした。彼は続けてこう言った。
「なぜ、俺の夢にいる」
え? この人、ここが夢の中だって、知っている?
目が慣れてきたのか、男の姿が見えるようになる。
白衣を着た、長身の男だった。三十代くらいで、怒ったように目尻が上がっている。顎には無精ひげが並んでいた。
「見ない顔だな。研究員というわけでもなさそうだ。誰だお前」
研究員? なんのことだろう。
私は首をひねりながらも、言い返す。
「ですから、津星みほろです」
「知らん。他人の名前に記号以上の価値などない」
男はふんと鼻を鳴らした。なにこの人。失礼な。
「えっと、ここはあなたが見ている夢なんですか?」
「その通り。俺の夢だ」
ってことは、この人が
男は少し頬を緩め、誇らしげに言った。
「俺は、この夢で人類の歴史を変えるのだ」
……意味がわからなかった。マイペースな人って苦手だ。自分の言いたいことだけを優先させて言うから。
男の手にしたライトが私に向けられる。まぶしっ!
「それで、お前は何者だ。どうやってここに入ってきた?」
男は殺し屋のような目で尋問してきた。てきとうなことを言ったらなにをされるかわからない。
どうやら、迷夢やノーネイムのことも話さないと、納得してくれなさそうだ。
だけど、正直に言ったところで、果たして信じてもらえるんだろうか。
しかたないか。私は順を追って説明することにした。
「
私の拙い説明をひとしきり聞いたあと、男は言った。
この人、人の話を聞かないタイプか?
私は呆れて訂正する。
「いや、ですから、夢に迷った人がたどり着く、迷子センターみたいなところのことですってば」
今度は男の方が呆れたように鼻で笑う。
「俺が言っているのは迷夢という言葉の意味だ。辞書を引けばわかる。日本語も知らんのか」
いちいち人を見下したような言い方しかできないのか、この人は。
というか、迷夢って言葉、あるんだ。知らなかった。
私が感心していると、男は不意に顎に手を当てた。
「いや、待てよ? 英語にもメイムという発音の言葉があったな。確か意味は――」
男は英語のメイムの意味を口にする。それを聞いたとき、私ははっとした。
そうか、そうだったんだ。
迷夢の謎が、思わぬ形で解けていく。
「にしても、ノーネイム・ウォーターハウスとかいう管理人の存在に、悪夢を救うと願いが叶うという現象……非科学的過ぎて、にわかには信じられんな」
「おじさんは、科学者なんですか?」
「おじさんと呼ぶのはやめろ。俺は
人の名前にとやかく言うのは失礼だけど、似合わないなと思った。
「それと、俺はただの科学者ではない。天才科学者だ」
うわ、自分で言っちゃったよ。ほんとにいるんだなあ、こういう人。
「それで、その天才科学者さんは夢の中でなにをしてるんですか? あっ、もしかして明晰夢ってやつですか?」
自分が夢を見ているという自覚がある夢のことを明晰夢という。そういう意味では、迷夢も明晰夢だ。
「いかにも凡才らしい発想だ。これは明晰夢などとうに通り越している。この夢の神髄は、そのはるか先にあるのだ」
むかっ。ばかにする暇があるなら、さっさと教えてよ。
「これは、人為的に見る正夢だ。予知夢と言い換えてもいい。俺は今、その検証をしている」
人為的に見る、正夢?
愛也さんは得意げに続けた。
「知っての通り、正夢とは夢で見たことが現実になるというものだ。俺は脳科学を研究しており、人が正夢を見るメカニズムの解明に成功した。そして思ったのだ。能動的に正夢を見ることができれば、それは人類の夢の一つ、未来予知の実現につながるのではないのか、とな」
愛也さんが両手を掲げると、白衣がばさっと広がった。科学者の演説は止まらない。
「正夢というのは、脳が過去の記憶をもとに未来の出来事を演算して夢という形でアウトプットする、高度な予測シミュレーションシステムなのだ。レム睡眠時に四十および二十五ヘルツの微弱な電流刺激を三十五秒間与え、前頭葉と頭頂葉の活動を促してやることで、見る可能性を跳ね上げさせることができる。いいか、この三十五秒間というのがポイントだぞ」
どうしよう、ちっとも内容が頭に入ってこない。
科学者というのは、自分の研究の話をするとき、饒舌になる生き物らしい。そして、たいそう自分に酔っている。
けれど、知的探求心に溢れたその目はきらきらと輝いていて、子どものように純粋だった。
「じゃあ、ここは未来なんですか?」
「質問ばかりか。いいぞいいぞ。答えてやろう」
愛也さんはライトを地面に置く。下からの光が私と愛也さんを照らし出した。
「正確には、まだ未来ではない。ここは未来の景色へとつながる通路。俗に言うタイムトンネルというやつだ。このトンネルを抜けた先に、正夢、すなわち未来の世界が待っている」
ここ、トンネルだったんだ。
言われてみれば、照らされた天井はなだらかなアーチを描いていて、左右に長く伸びている。
へー、ふーん。もしこの人の言っていることが本当なら、すごい発見だ。うぬぼれたくなるのもわかる。
「まったくっ! 自分の才能が恐ろしいっ!」
片手で顔を隠す愛也さん。前言撤回、朝令暮改。やっぱりうぬぼれるのはよくないですね。
恐ろしいのは才能じゃなくてあんたの思考回路だ。
「まあ、迷夢とかいうふざけた不確定要素は認めるわけにはいかないが、ここで会ったのもなにかしらの科学的根拠があるのだろう。俺とともに未来への一歩を歩かせてやろう。ついてきたまえ、津星くん」
ライトを拾い、偉そうに歩き出す愛也さん。急に馴れ馴れしくなったのに違和感があったので、その背中に、私は言葉を投げかける。
「もしかして、寂しいんですか?」
愛也さんはずっこけた。リアクションが古い。
私は確信する。
「図星なんですね?」
「断じて違う。科学者にとって孤独は友人のようなものだ。いちいち意識していてはつき合いきれん」
すぐさま起き上がり、天才科学者は早口でまくし立てる。
孤独なのは否定しないんだ。
「質問コーナーは終了だ。世紀の実験に立ち会えることを光栄に思いたまえ。では、行くぞ」
有無を言わさず、踵を返された。とことんマイペースな人だ。
しょうがない。ついていってあげよう。私は愛也さんの斜め後ろに立って歩くことにした。
天才科学者でも、一人でいるのは不安なんだろう。
そう思うと、なんとなく愛也さんがかわいく見えるから不思議だ。ぜひ、この現象にも科学的説明をしてほしい。
こうして、私は即席の助手になったのだった。
インスタントなアシスタントだ。
私は心の中で舌を出した。
アインシュタインみたいに。
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