ディスク管理社会 chapter3
ディスクからの銀色の光の帯が無数に反射し合うなか、私たちは「TAKUMA」と書かれた一枚のディスクの前にいた。いや、厳密に言うと、ディスクの前にタクマ、そこから少し離れて、エイジ、サキ、私の順にディスクから遠ざかったところに立っている。
「準備はいいか、お前ら」
リーダー気取りでタクマが言う。なぜこの期に及んでお前が仕切る。作戦の立案者は私でしょうが。
まあいい。私たちは無言でうなずいた。
タクマはディスクに手をかざしたまま、ごくりと喉を鳴らす。
「いくぞ!」
そして、その手でディスクをつかんだ。
「今!」
私が叫ぶと同時にブザーが鳴り、ディスクが真っ赤に光る。タクマはディスクから発せられた赤い光の線を、手鏡で反射させた。
「エイジ!」
反射した光はエイジへと伸びる。エイジは自分の手鏡で、赤い光線を再び跳ね返した。光はタクマとエイジの手鏡の間を何度も往復し、鏡と鏡を結ぶ一本の道になった。
「よし! やったぞ!」
だからタクマ。なぜお前がやったような雰囲気なんだ。
でも、作戦成功みたいだ。
私の作戦はこうだ。
まず、ここのセキュリティシステムは、ディスクに触れると、ディスクが警告の赤い光を、触った者の近くに発射する。それから、光に照らされた床からスキュラが現れて、不届き者を捕獲するという仕組みになっている。
なら、その光を遮断してやれば、スキュラは出てこない。とくに、向かい合わせた鏡の中に光を閉じ込めておけば、より安全になるというわけだ。
私って、案外天才なんじゃなかろうか。これ、現実で高校の単位とかに加点されないかなあ。
「すごいな、お前」
エイジが驚きを顔に浮かべて私を見る。
それほどでもぉ。
「よっしゃあ! あとはこいつの中身を書き換えれば――」
タクマは喜び勇んでディスクをするりと抜き取った。
って、ばか! ディスクを動かしたら、鏡も一緒に動かさなきゃだめじゃん!
私が危惧した通り、タクマの手の中にあるディスクから伸びている光は、ディスク本体がずれたことにより、鏡の牢獄から解放されて一直線にタクマの足元を照らし出す。
あとは、さっきと同じだ。タクマの足元に赤く丸い光が映り、そこに穴が開いてスキュラが這い出てくる。
「しまったあああ!」
ばくん。哀れにもタクマはいとも簡単にスキュラに捕まり、食べられてしまった。タクマの手から鏡が取り落とされ、床に当たって割れた。
タクマを体内に取り込んだスキュラは、何本もの足をぞろぞろと動かして穴の中へ戻っていき、その穴も閉じてしまった。
「タクマ――!」
エイジが駆け寄るも、穴はもうぴったりとふさがっている。エイジは悔しそうに歯噛みした。
「タクマはいいやつだった。普段から暑苦しくてばかだったが――」
「いや、もうそれいいから」
さすがに飽きた。二度あることは三度あるというけれど、あいにく仏の顔は三度までなのだ。
サキが私の方に顔を向けた。
「……みほろちゃん、どうしよう」
そんなの、こっちが訊きたいよ。
泣きたいのもこっちだ。
自分で考えろ。
無数の銀色の光が交差するなか、私たちは黙り込む。
鏡は二枚しかなかった。そのうち一枚が割れてしまったから、もうさっきの作戦は使えない。
ほんと、どうしようだよ、これ。
万策尽きたって、こういうときに使うんだね。
「あ」
すっかり忘れていた大事なことを思い出したので、言っておく。
「ここって、夢の世界なんですよ」
「夢の世界?」
エイジが眉間にしわを寄せた。
「そんなメルヘンなこと言って、この場の空気をどうするつもりだ」
「ロボット相手に吸血鬼の弱点用意してた人たちにメルヘンとか言われたくないです」
そこは絶対に譲れない。
「信じられないかもしれないけど、ここは夢の中なんですよ。おそらく、あなたたち二人のどっちかが見ている、夢の」
私はエイジを見て、それからサキを見た。
「ねえ?」
サキの肩が跳ねる。
どうやらビンゴらしい。
夢を見ている人は、夢の中では受け身で口数が少ないだろう。
私は味噌汁の夢の中の健太郎さんを見て、そう感じていた。
夢を見ているということは、夢という映画を観ている客になっているようなものだ。
映画の上映中にたくさんしゃべる人はいない。
夢見人は傍観者で、第三者で、自分からアクションを起こさずに、ただ夢の世界を眺めているだけ。
もちろん、一概にそうとは言えないけれど、最後に残ったのがエイジとサキな時点で、なんとなく当たりはついていた。
エイジは、いきなり紛れ込んできた私を訝しんでいた。
でも、サキはすんなりと私を受け入れた。
夢を見ている人は、それがどんなに理不尽な展開でも、たいてい夢を受け入れるものだ。だから、この世界の夢見人は、サキだろうと思ったんだ。
「やっぱり、夢、だったんだ」
サキは長く息を吐く。
夢の中なのに、夢から覚めたような顔をしていた。
「おかしいとは思ったんだ。私なんかに、こんなに友だちがいるなんて」
「おいサキ、なにを言っている?」
「私はね」
サキはエイジに構わず続けた。
「勉強もできないし、友だちもいないし、なにもできないんだと思う。現実でもきっとそう」
その言葉は、湿り気を帯びていて重かった。
「だから、たくさんの友だちがいて、つまらない自分を書き換えたくて、こんな夢を見たんだろうなあ」
サキは遠くを見るように目を細めた。
「サキ……」
エイジの顔が、寂しそうに歪む。
「タクマくんも、ショーコちゃんも、ヨースケくんも、そして、エイジくん、あなたも、たぶん私が夢の中で作った友だちなんだよ。だから、みんなだんだん消えていくんだ。夢は、覚めるものだから」
夢見る少女は悲しげに微笑む。
「本当は、私は『いい人』になんかなりたくない。だって、もうなってるから。現実でさんざんそう言われてきたから。でも、『いい人』って言われるたびに、違う、私はそんなできた人じゃないって否定したくなって、苦しかった」
「つまり、この夢でみんなが『いい人』になるのに失敗するのは……あなたなりの、『いい人』への、復讐なんだね」
「そう、かもね」
私の意見に、サキは同調する。いや、同調しているのは私の方かもしれない。
「いい人」という言葉の枕には、「都合の」とつくことがほとんどだ。
彼女は、それに我慢ができなかったんだろう。
だから、その「いい人」を目指す友だちが、どんどん消えていった。
でも、それじゃ悪夢だ。私は悪夢をハッピーエンドにするためにここへ来た。黙って眺めているわけにはいかない。
「あなたは、本当はどうしたい?」
私はサキの目をまっすぐ見つめる。
サキも、真剣な表情で見返してきた。
「みんなを、助けたい。たとえ夢の中だけにしかいない友だちでも、私は見捨てたくはない。そんな女には、なりたくないから」
その声は、しっかりと芯の通ったものだった。
エイジは、サキと私を交互に見やり、最終的にサキを見る。
「お前、タクマたちを……?」
彼は眼鏡の奥で目を見開いていた。
サキはエイジに瞳で問いかける。。
「うん。手伝って、くれる?」
不安そうな視線を受けたエイジは、やがて口の端を吊り上げて、手を差し伸べる。
「ああ。友だちだろ?」
サキはぎこちなく手を取り、それをエイジががっちりとつかむ。
夢の中だろうと、起きたら消えてしまうとしても、この友情は本物だ。
なら、これからのシナリオは決まった。
あとは、私たちが「本当のいい人」になるだけだ。
とは言っても、実際はノープランなわけで。
勢いづいたはいいものの、どうやってスキュラに取り込まれた三人を助け出すかなんて、正直わかんない。
ここはやっぱり、この夢の住人に訊くのが手っ取り早いだろう。
「スキュラって、弱点とかないの?」
「あるにはあるんだが……」
エイジは言葉を濁した。
「あるんだ!?」
じゃあなんでそこを攻めなかったんだ。いや、できなかったのか?
エイジは悔しげに唇を噛む。
「俺たちには、たぶん無理だ」
「なに? いいから教えてよ」
エイジを急かす私に、反対側から声がかけられる。
「歌、だよね」
サキが両手の指を合わせていた。
「そうだ。スキュラは、きれいな歌声を聞くと機能停止する。らしい」
エイジの眼鏡が指で押し上げられ、光る。
歌。
……歌ぁ?
「俺たちは、全員音痴なんだ。だから、この方法は使えなかった。みほろ、お前は……どうなんだ?」
二つの期待の眼差しが私に向けられる。
これは、きつい。視線から逃れるように、私は目を逸らす。
観念して、残念な真実を告げなければならない。
「……私も、音痴です」
六人もいて、全員が音痴ってありえるのか。
なんで他人の夢の中で悲しいカミングアウトをしなくちゃいけないんだ。
というか、この流れだったら、私が歌でこの悪夢を救うのが正解だろう。
私はなんのためにここへ来たんだよ、って話ですよね。
だけど、ここは夢だ。
為せば成る。なんだってできるし、起きる。
やってみる前から諦めるほど、私は行儀のいい人間じゃない!
「歌うよ、私」
そう、決めた。
「スキュラを呼ぼう」
私のその一言が、最終ラウンドのゴングになった。
三人で円陣を組む。半分になってしまった円陣。欠けたものを、取り戻してみせる。
今はいないタクマの代わりに、エイジが発破をかける。
「みんなを、助けるぞ!」
「お――っ!」
エイジのかけ声に、私たちは心を一つにする。
円陣をほどいた私たちは、銀色に輝く、誰のものとも知れない一枚のディスクの前に立つ。
「それじゃあ、いくよ」
「待て、なにをする気だ」
エイジが止めるより早く、私はそのディスクに拳を叩き込んだ。
円盤は大きく割れ、銀色の破片が光を反射しながらきらきらと宙を舞う。
「ディスクに触っただけでスキュラが一体来るんなら、壊したら何体来るんでしょうね」
「みほろちゃん!?」
サキは目を丸くしていた。
私は彼女に拳を突き付ける。
「友だち、なんでしょ」
「え、うん」
ディスクで切ったのだろう。私の手からは、血がしたたり落ちていた。大丈夫、痛くない。
「だったら、助けるのに手段なんか選ぶな!」
私の叫びをかき消すように、それまでより何倍もうるさい警告音が鳴り響き、鼓膜と肌の表面を震わせた。ドーム内で光が明滅する。赤を超えた、毒々しい紫色だった。
ドームの中心の床に直径十メートルぐらいの穴が開き、そこから十体近くのスキュラが続々と出てくる。あっという間に、私たちはスキュラに包囲された。紫色に染まるドームの中で、得体の知れないロボットに取り囲まれる。まさに悪夢だった。
でも、こちとら怖がってやるほど暇じゃないんだ。
「一番、
大きく息を吸い込む。
こうなったら、好きに歌ってやる。
私の歌声が、ドームの中に響く。
「きみのためなら空を歩こう きみのためなら地を飛ぼう――」
曲目は、私の大好きな歌、「玉手箱」。キーもリズムも、どうでもいい。とにかく、歌うんだ。
「それが私にできること 可能性の蓋だって開けてみせる――」
スキュラの動きが、止まった。
これは、ひょっとすると、ひょっとすると……!
私はブザーに負けないくらい声を張り上げ、喉に力を込める。
「たとえ中身が煙でも 心まで老いはしないから――」
もうすぐサビだ。ここまでくれば――
しかし、スキュラは動きを再開し、私たちに迫ってくる。
やっぱり、夢の中でも私の音痴は治らないか。
体を左右に開いたロボットが私を取り込もうとしたとき。
「歌って、みほろちゃん!」
サキが私の前に躍り出て、盾になる。
スキュラはサキを取り込み、口を閉じた。
だが、スキュラの中から、一本の棒が外装を突き破って生えてきた。
あれは、白木の杭!
とんちんかんなスキュラ対策に持ってきた杭を使って、サキはスキュラを内側からこじ開けていた。
機械の体に開いた穴から、サキの顔が覗く。
「私は、その歌好き――!」
エイジもサキを助けようと、スキュラに足をかけて、外から全力で杭を引っ張っている。
「俺もだ! 続けろ、喉がかれても!」
そこまで勇気を振り絞られたら、ここまで言われちゃあ、頑張るしかないでしょう!
最高のアンコールを受けた私の後ろから、声がする。
澄んだ、とてもきれいな声だった。
私はその声に合わせて歌う。
「星は輝きを止めないし 木々は静かに波を見つめる――」
私の喉から、友佳里の声が出ている。
友佳里が、私を助けてくれている……?
そうか、これは夢の中だから、死んだ友佳里の声だって出るんだ。
「もしも もしも ひとつだけ あの島へ持っていけるなら きみを連れていきたいんだ――」
これほど心強いことはない。だって、友佳里は抜群に歌が上手いんだから――!
「きみがいれば諦めずにいられる 幾百年経とうとも――」
私の気持ちと歌詞がリンクしたとき、スキュラたちが細かく痙攣しだした。
ブザーが止み、鋼鉄の警備員は次々と急停止し、体を左右に開く。
そのうちの三体から、それぞれ赤と黄色と緑のシャツを着た男女が吐き出された。
「タクマくん! ショーコちゃん! ヨースケくん!」
「お前ら、そこにいたのか!」
サキとエイジは驚きと喜びを声に滲ませる。サキ自身も、スキュラの中から出られていた。
やった。友佳里、やったよ……!
機械の檻から出てきたサキは、にっこりと笑いかけてきた。
「みほろちゃん、その歌、素敵だね」
サキのその言葉に、不意に視界がぶれる。
私はにいっと歯を見せた。
「でしょ? これは、私の友だちも好きだって言ってくれた歌なんだ」
ありがとう、友佳里。
おかげで、一つ夢を守れたよ。
やっぱり、持つべきものは友だちだ。
タクマたちが目を覚ますのを待ってから、私たちは全員で博物館を出た。
外に出ると、夜の霧は散り、空が白じんで陽の光が柔らかく降り注いでいた。
「もう、ディスクは書き換えなくていいね?」
確認する私に、サキは笑い返す。
「うん。みんながいれば、『いい人』になれなくてもいい!」
そう言う彼女の顔からも、闇は晴れているみたいだ。
「たとえディスクになんと書かれていても、傷が入っても割れても、みんなとの思い出さえ書き込まれていれば充分だよ」
それを聞いて安心した。
これで、心おきなくここから去れる。
「そう。なら、きっとそれが正解なんだよ」
そう言って、私は五人に手を振った。
「じゃあ、私そろそろ行かなきゃ」
現実で、リョウが待っている。
私は彼らに背を向けた。
「みほろ――!」
振り向くと、タクマが両手を口に当ててメガホンを作っている。やたらと声が大きい。
「お前はいいやつだった!」
「もうそれはいいって」
私は苦笑するしかなかった。
「俺たちは、ディスクを書き換えなくても、自力でディスク一枚分は勉強して、『すげえやつ』になってみせるぜー!」
だから、なんであんたがおいしいところを持っていくんだ。
まあ、いいけどさ。
「みほろちゃーん!」
今度はサキだ。ぴったり九十度上半身を倒してから、起き上がる。長い髪がなびき、太陽の光を浴びてきらめいていた。
「この夢が覚めても、私、絶対に忘れないからねー!」
私もだよ。
「ありがとー!」
どういたしまして。
私は親指を立てた。
「また、会おうね」
視界に映る、五色の男女がかすんでいく。
私の体が薄れていっているのだろう。
人の夢に土足で上がるのは失礼かもしれないけど、私も、大切な友だちと会えたよ。
どうもお邪魔しました。
朝の光の中に、私は夜露と一緒に消えていった。
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