第二〇話『少年、少女、初夏の風。』(後編・その6)
EXTRA EPISODE 20
黄昏れ時に近づく河原に、柴田はぼうっと腰掛けて、揺れる葦の波を眺めていた。
ゆるい風が温く頬を撫でる。
油断していると、これから日没後はアッという間に寒くもなるだろう。日差しが強くなっては来ても、夜はまだまだ、蒸し暑さとは程遠い。
季節の変わり目は注意しないといけない、と思いながら、手にしたお茶のペットボトルを一口飲む。
汗ばむほどではない程度に、まだ気温も高い。
――今日、柴田の身に起きたことは、自分でもまだ理解ができていなかった。
危ない橋も何度か渡ったことはある。
凄惨な死体を見たこともある。
それと比べれば、ただ単に、事件現場『
──そうだ。これは『
他人ごとではなく、俺自身が関わる事件だからだ──そう結論づけた。
殺人鬼? バカバカしい。何の証拠すら特定できてないじゃないか。あんな血痕一つで断定なんて出来るか?
――できる。
そう、これは調査員としての「経験則」で得た、「感覚」的なもの。証拠にはならない、出せない。でも、「確信」はする。何よりあんな血の飛び散り方は、凶器で殴るかしなきゃ出来ない。そんな現場はさんざん見て来た。
第三者として傍観することは何度もあった。危険な目にも遭った。しかし、この「見ず知らずの男」が「見知らぬ何者か」に「殺された
いわば、予兆、前兆。「ハードボイルド探偵」の小説なら、まさにツカミの部分だろう。我が身にこれから何が起こるのかは、まだ未知数だ。
ピンク色の文字が印刷された、チャチな子供むけ名刺を取り出して苦笑する。デタラメなアドレス、コが五つ並んだふざけた名前は本名なわけもないだろう。ただ、併記してある数字……電話番号か?
もしかすると──この一枚の紙切れが、あのちっぽけな子供が、俺を救ってくれるかも知れない。
今、柴田が混乱している原因のもう一つは、あの子の存在だ。
正直、飲み込まれた。他人をノせて自分のペースにハメるのは柴田も得意技だったが、あんな小さな女の子が自分をはるかに凌駕した能力を持つとは、と。
ましてや、探偵としての能力すら勝っていそうだ。
「……何なんだろうなァ、ありゃ。本当にあんな子いんのか?」
頬をつねる。痛い。
学習塾帰りらしいおさげの女の子が、とぼとぼと横を通り過ぎてゆく。まじめそうな眼鏡っ子で、みるからに優等生だ。
あの子と同じくらいの年齢だろうか。
どんなに優秀だろうと、しょせん人間の能力には限界がある。「かしこそうな子」なんて、あれっくらいのが普通だろうに──。
そう思って、ぼっと見ていると、少女と目があった。
別に気まずくはないが、愛想笑いをする。
変なおじちゃんと思われるのもシャクだが、何かを誤魔化す時は笑うに限る。そうそう、こういう時の最近の子は、不審者には「こんにちわ!」とか大声で挨拶するよう指導されてんだよな。逆だと「声かけ事例」になるが。
理不尽な話さ――。
「……あの、血が出てますけど」
「え?」
そう口にするなり、その子はトトトっと近寄って来た。
「バンソーコーありますから」
「あ、いいっていいって別に、気にしないで」
手をさっき切ったのか。頭に血が昇っていたとはいえ、ヘマをしたものだと反省する。
柴田は仕事には冷静に、常に「他人事の目」を失わないよう気をつけていた。しかし、さっきの状況ではそれを忘れていた。
「よくないです。はしょうふうになったらどうするんですか」
真面目な口調の子に苦笑する。しつけが厳しい家の子なんだろうか。
ファンシーなキャラの印刷された絆創膏を見て更に苦笑した。
──おいおい、待ってくれソレ俺に貼んの!?
「消毒液もあります。手を見せて下さい」
「そんなの常備してんのかい、君」
「家から塾まで遠いからって、色々お母さんが……まあ、使わないんですけどね」
「ああ、だから、使ってみたかったんだ」
「そうです。……切ったんじゃなくて打撲ですね。ケンカ……じゃないですよねえ。なんで硬いモノなんて殴ったんですか?」
さすがにギョっとする。傷の状態でそこまでわかるのか?
いや、幾ら何でもさっきの子みたいなのがそうそういるわけがない。
家が医者だとか、そういった子なのかもしれない。
「……まあ、人間たまには意味もないことはするからな。チョイとこう、どうにもならないほどアタマに来ることがあってね」
少女のカバン脇に縫い付けたれていた札を、めざとくチェックする。
「4年2組 咲山巴」……やはりさっきの子と同い年だ。
「発散するなら自分の身に無害な方法を探すべきですよ。それに、発散するような動機があるなら『意味のないこと』じゃないですよ」
それもそうだな、と考える。
……あのニセ柳を殺した奴の行動も、じゃあ確かに無意味ではない筈だ。
動機は──。
どうにもおかしなことが脳裏をよぎる。……いや、
しかしあの子の示唆した言葉を信じるのは柴田には辛い。
ありえない、ばかげてる──そう首を振り、柴田はその考えを頭から追い出す。
「お嬢ちゃんだと、頭にくることあった時はどうしてる?」
「不満は何もないです。はい、できました」
ちょっとしたナースのお仕事ごっこの練習台になった気分で、柴田はファンシーキャラの絆創膏の貼られた拳を眺める。
「……わぁ、アリガトな、嬢ちゃん。しかしな、見知らぬ大人にはもっと警戒しような」
「近づいて来るようなオトナならもちろん警戒しますけど、これは私から近づいたんですから。それに、周囲に人通りもありますし、何かあったら警報ブザーも鳴らせます」
「はは……しっかりしてるな」
「しっかりが私の取り柄なんです」
「でもな、安心して近づいたからって無事で済むとも限らないんだ。親切はいいけど、オトナにはまず疑ってかかる方が利口だぜ」
「見知らぬオトナは犯罪者だと思えっていうような風潮、わたしキライなんです。児童への被害なんて大抵は『見知らぬ変質者』の犯行じゃなく、家族とか教師ですよ」
苦笑する。確かにそりゃそうだが。
柳の被害にあった信者の子らは、家族ぐるみで信仰してる教会の牧師の手にかかった。相手の立場で安心なんてできやしない話だ。
……そう思いながら、それでもこんなしっかりした子なら被害にも遭わなかったに違いない、と考え直す。
「アリガトな、嬢ちゃん。絆創膏……無駄遣いさせて悪かったな。何かジュースでもおごろっか?」
「やったのは私の勝手だし、バンソーコーだって私の買ったものじゃないからそれはいいです。感謝されたくてやってるんじゃなく、自分が正しいと思うコトをやって自己満足できたから、私はこれで楽しいんです。お礼はむしろ私がいいたいかな? それじゃ……」
女の子はトコトコとバス停まで駆けてゆく。
「……ああ、なるほどね……」
去ってゆく女の子を眺めながら、柴田は納得した。
今の瞬間に、「殺人鬼」――だかどうかはしらないが、柳(いや、ニセ柳?)を襲った犯人の謎が――ほんの少し、解けたような気がした。
To Be Continued
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます