第二〇話『少年、少女、初夏の風。』(後編・その5)

「だから、俺ぁ違う」


 柴田はそういって首を振る。


「そう。違う。私はそれを信じる」


 茲子はそっとイエス様に近づいて、再び十字を胸に切る。


「あなたしか知らない話を、知ってる誰かが犯人ってことになるわね」

「そんなの……」


 ハッと柴田の表情が変わった。


「私はこの『犯人』もなかなかにクズだと思うよ。死んだ子だって、こんな形で自分の死後に表沙汰にされることは望まない。弔いでも鎮魂でも、ましてや復讐ですらない。ユッキ君、私にもこの行動原理はわからない。これは……狂気だと思う。まるで神の視点での」


 神? 死神って方が近くない?


「……いいかい、嬢ちゃん。『予想』と『推理』は違うモンなんだぜ?」


 神妙な顔で、少しため息まじりで柴田はそう口にした。

 うん。今の茲子の話は、筋は通っててもやっぱり突飛すぎる。

 それに、何をどう考えたって、今の話を総合すると……僕には柴田が怪しいと思う。

 クリスチャンだって人は殺せるじゃないか。

 動機も、能力も、何もかも充分そなえているのは柴田しかいない。

 どこの馬の骨ともわからない、正体不明の第三者が犯人だなんて、考えるほうがそもそもバカげてる。


「必要なのは論証と証明ね。なら、あるわ」


 ──え?

 ちょ、ちょっと待てよ!?

 ある、って?


 ブロンズのイエス像の裏側に、小さく血痕があるのを茲子は指差した。


「ホイ、


 えええええええええええええ~!?


 気付いてたなら先にいってくれよォ!


 ……どこかにぶつけた切り傷とかで血が付いたって感じじゃない、飛沫が幾つか。噴射でもしたかのような水滴の軌跡って感じだ。裏っ側に? 勢いがなきゃできない痕跡だぞ、これ。


 柴田は、呆然としている。


「一つだけ、わかったよ。『殺人鬼』は無宗教、いやね。それだけが今日の収穫」


 ……唖然とした。


……いや、その一撃で死んだと限らないにせよ、確かにそれは柴田さんには出来ない。私にだって出来ないわ。幾ら無宗教でも」


 いやいやいやいや、何ソレっ!?


「……バチ当たりにも程があるだろう、おい!」

「他に充分な兇器だってあったでしょうに。でも、それを選んで殴ったんだろうね。最悪だ」

「……理由は?」

「快楽殺人鬼がなんで人を殺すかなんて、理由は『』しかないじゃない。それと同じでしょ。イエス様で殴り殺すのなんて、考えただけで『』じゃない?」


 思わない! 思わない!


「この家の埃を見ればわかるよ。このイエス様だけピカピカじゃない。無宗教でバチ当たりな強姦魔のこのニセモノは、イエス様に隠してたんだろうね。目に入らないように。どんなに無宗教でも、何か霊験ありそうな物って敬遠しちゃうもんだよ。百均で売ってるような数珠でも、ユッキ君それ踏める?」


 ……無宗教じゃなく、絶宗教……なんとなく、意味がわかった気がした。


「逆にいうならインチキ牧師の柳本人のほうが、むしろこのクソ野郎よりもアンチ・クライストかな。そいつは牧師の服を着て、平気でイエス様の前で子供を──」

「……嗚呼」


 しょぼくれたやさぐれ男が、熱心に手を合わせて目を閉じていた。


「胸クソ悪い。吐きそうだ」

殺ったのかな。少なくとも『』とは違うわね」


 茲子は、エジェクトボタンを押してガシャっとテープをデッキから取り出す。


「マスターじゃないかも知れないけど、こんなのここに残したくない。私は警察でも探偵でもない。彼女の為に──」


 シャーッとテープを指で引き出した。


「闇に、葬る」


 そして、記事の切り抜きを拾い、破ってポケットに詰めた。

 僕は――どうしていいかわからないまま呆然としていた。


「……指紋、一応残さないようにな。靴跡はまあ、しょうがねえか。どうせ足のつかねえ安モンだ」


 軽く笑いながら、ヒョイっと茲子からテープを取り上げ、柴田は拳で叩き割った。





    ★



 日没にはまだ遠いけど、すっかり陽も傾いていた。

 茲子は、再び渡された柴田の名刺を手に持て余している。子供が大人から名刺を貰うなんて、やっぱり変な気分だ。


「証拠隠滅から共犯に格上げかね」

「かわりにゲーセンで面白半分に作った名刺渡しといたけどね」


 ゲームキャラといっしょにピースサインをしている顔写真の入った、ふざけた名刺。この前一緒に作ったヤツだ。まさかホントに誰かに渡すコトになるとは思ってもみなかった。


 もちろん住所なんてデタラメで、〒666金玉市糞壺町69とかめちゃくちゃ適当にしか打ち込んでない。渡してどうするんだ、あんな物。


 春の気配はすっかり去り切ったけど、空気はまだまだ夏まで遠い。

 ひゅるりと吹いた初夏の風は、少しだけ肌寒さを感じさせる。


 きっとあの家はこれからも無人のままで、死体がどこかで見つかったとしても、警察の手があの家に届くことはないかも知れない。

 柴田を最初はヤな奴だと思ってたけど、「場合によっちゃ殺してたかもしれねェ」の一言で、僕は彼に共感と好感を持った。


 人のみちからどれだけ外れていようとも、僕だって茲子がもし何か酷い目に遭うようなことがあれば、相手を殺すかどうかしちゃうかもしれない。

 茲子は僕が殺されたって、きっと平気な顔をしてるかも知れないけどね。

 ああ、僕は確かに、彼女をしてるよ。そして──


「もうそろそろ降参だ。本当のことを教えてよ。君は何を知ってて、何を隠してるんだ?」


 茲子は黙ったままだ。


「どうして、ここに……」

「うん、ゴメン。ユッキ君には話す。あのね、見たの」

「見た? 何を?」

「真っ黒なセーラー服の女の子が、真っ黒い影の男とこの家の前に立っていたの」

「……それって?」

「私はそれはハンズかドンキで売ってるようなオモチャだと思ってた。でも、あとから考えて気になってきたんだ。考えてっていうか――光景を思い返して」


 まるで写真のように「見た物を鮮明に記憶する」――そんな特技が、確か茲子にはあった。その時その瞬間には気にも留めていなかった物を、後からアルバムを見返すように、何かの切っ掛けで思い返して――ってことなのか。


「たぶん、生首を二人は持っていた。そんな気がした」


 ──僕は、それ以上のことを茲子には訊けなかった。





 後日、新たな「殺人鬼の犠牲者」が山奥から発見された。


 体は七つに引き裂かれ、首だけが無かった。


 死体は腐乱し、被害者の身元は完全に不明──珍しいケースだった。




         To Be Continued

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