第二〇話『少年、少女、初夏の風。』(後編・その4)

「……柳ってクズはな、君ぐらいの年端のいかない少女にな、イタズラとかしてたんだ」


 吐き捨てるように、柴田はそう口にする。


「はっきり強姦っていおうよ」

「……まあそうだけど」

「最悪じゃん」


 目を閉じたまま僕も口を挟む。


「……柳ってクズはな、君ぐらいの年端のいかない少年にもな、イタズラとかしてたんだ」

「よけい最悪じゃん!」

「珍しくないわよ、ペドファイル犯罪者なんて。性的虐待を受ける子なんてどこにでもいるわ」


 茲子は、まるで何てこともない話のように冷たくいい放つ。


「珍しくはないだろうが、やられた本人にとっちゃ一生の大問題だわな」


 うん……もし「やられたのが自分だったら?」なんて、さすがに想像のしようもないっていうか、想像したくもない話だけど。


「その被害者の子たちって、……トラウマとかそんなのから克服できたのかな」


 映像を目に入らないよう、そっと薄目を開ける。


「……しようとしていた。少なくとも、この子はな。だから、対峙しに来たんだろう、過去の忌まわしい思い出の張本人と」

「でも、その子は程なくお亡くなりになったんだ。自殺ってことで」


 茲子の言葉でハっと気づく。あの記事の切り抜き――。


「まあな。証拠も根拠もないが、でも俺は殺人だと思ってるよ」


 小型の携帯灰皿に、くわえていた短いタバコを柴田は押し込んだ。


「俺には姪っ子がいてな。姉の子で、まあ愛想のないガキで、滅多に顔も合わせたこともない子だったんだけどな」


 肺に残った煙をため息のように吐き出し、じっとイエス様を柴田は睨んだ。


「ある日、珍しくあいつは俺に懇願して来た。泣きそうな顔で、どうしても調べて欲しいことがあるってな」

「この子の死を調べて欲しいって話ね」


 よく見れば「自殺」の下に小さくクエスチョンマークも付いている記事の切り抜きを茲子は拾い上げた。衆人環視の中での墜落死、事故か事件かも曖昧な第一報での、自殺報道のガイドラインも上手く機能しちゃいないゴシップ系の三文記事で、死亡月は去年の四月。柳が戻ってきて一ヶ月ほどだ。

 ……そうだよ、その記事だけ柳と何の関係もない事件じゃないか!


「調査員は探偵でも何でもねえ。そりゃ、松田優作のクドーちゃんとか憧れてこの仕事に就いたんだが、現実はクッソつまんねえモンだったよ。でも、そんな俺を姪っ子は頼ってきた。親友だったそうだ、宗派が違うから学校は違うようだが……」

「去年の春から調べてたの?」

「いや、その時は自殺と断定されてるし、仕事で公私混同はしたくないんでな。半年以上過ぎて、会社から柳の件で不審な書類が回ってきた。それを切っ掛けに色々調べて……ここまで来るのに結構かかったんだ。昔あんな事件があったんだ。その娘の家族は、引っ越して、過去を全てひた隠しにしててな。姪っ子だって、具体的に親友が向かった先がどこかなんて知らなかったんだ。俺が先月ここに初めて来た時にはもう無人だった。ああ、畜生。これ消していいか?」

「この機械ごとブッ壊しちゃっていいわよ」

「ハハ、そうもいかねえ」


 乾いた笑いを漏らしながら柴田はスイッチを切った。


「……なんでそんなの、嬢ちゃん気付けたのかな」

「あなたの行動は、調査員としては逸脱し過ぎてるわ。新聞配達員に小銭でも握らせて、止めたの、あなたね」

「……警察沙汰の事件には、まだしたくなかったからな。もう少し張っていたかった」


 あの異様な様相の原因、あんたかよ!

 確かに、逸脱し過ぎだ。それに、これまでの話の何をどう総合しても、保険会社にとって利、または損害の阻止に繋がる話にはなりそうにない。

 まあ、行動がおかしい人間なんてどこにでもいるかも知れないけど……。

 現に僕たちがそうだ。


「なんでっていうなら、誰とも近所付き合いが無い『もと犯罪者の家』に、子供だか女の子だかが一人で訪ねてきたなんて話、どこかで漏れてるなら周囲で噂にならないワケないわ。ましてや以前の事件の被害者でしょう。そんな噂が立ってたなら自殺の時点で警察がここを調べに来てるし、騒ぎにもなるはず。『』のがそもそも、おかしいの」

「失敗したなァ。しかし、誓っていうが俺は……」

「うん。あなたには出来ない。本当はアナタ、柳だかニセ柳だかをどうするつもりだったの?」

「自分でもわからん。場合によっちゃ殺してたかもしれねェ気もするよ。直接、俺はその死んだ子との面識は無ぇが。姪っ子と同い歳ってだけで赤の他人だからな。その存在を知った頃にゃ、とうに死んでたんだ。でも、なんでその子が姪っ子と親友なのか、調査してるうちにわかってきた。普通に優しくて生真面目な、良い子だよ」


 胸元からクロスを取り出し、柴田はそれを握った。


「その子は、……ニセモノのクソ牧師を『許す』つもりだったんだ」

「隠れて生活し、石を持ち打たれるとが人のように、付近住民の誰からも憎まれ忌み嫌われ避けられる、まして自分を犯した相手を?」

「だからこそだ」


 敬虔けいけんさが仇となった?


「そしてここに居たのが『』だと、口封じされたワケだね」


 ……最悪だ。


「スマホで録らなかったのは、指のせいで操作に不慣れだったとか、単純に柳が元々ここにビデオカメラを残してたのが目に入ったからとか、そんな程度かもしれないけど――」

「柳の罪状や性分から考えりゃ、元々そんなテープも大量に残してたのかも知れねェしな……いや、さすがにとっ捕まった時に押収されてるか」


 いや、そんな話はもういいから。

 ――脅しのために撮られたのを苦に自殺したのか、ニセ柳だかが撮った上で自殺にみせかけて殺したのか――わからないけど、まあリスクの点から前者が精々でしょう――そんなことを茲子はつぶやくが、もう、そんなのは僕の耳には入らない。

 ……最悪だ。


 不快さ、怒り、そんな物が自分の中にふつふつと湧き上がっているのを感じている。

 窓の外のうららかな陽射しも、緑にそよぐ初夏の風も、僕にはそれが現実には思えなかった。

 今ある状況が既に非現実的なのに。

 茲子と二人で出かけている楽しい気分も、一切心の中に残っていない。

 終わってしまった出来事に、終わってしまった生命に、僕は何ができるっていうのか。

 ただ、やるせない。いきどおっている。そして、どうにもできない、どうにもならない。

 僕は全くに無力だ。茲子と柴田の会話も、ただ耳の右から左に流れるだけだ。


「こいつらは、……柳にしろ、その偽物にしろ、殺されても仕方の無いような人間だと私も思う」

「……それを決めて良いのは裁判官だけだ。法律の範囲じゃな」

「天罰や神罰って物もあるかもね」

「神様は見守るだけだ、何もしちゃくれないよ」


 イエス様を眺めながら、茲子はつぶやく。


「天になりかわって、神になりかわって、罰を下す存在がもし居るとするなら……それはとんだ倣岸ごうがんかも知れない。道理もみちも通じない者に、法が加護や審判を与えることもきっと同じだよ。人が人を裁く権利も、人が人を殺す権利も、そんなものはない。でも、権利なんてなくたって、人は人を裁くし、人は人を殺す」


 僕には、わからない。ただ首を横に振り、ぼそりとつぶやく。


「……柳……いや、ニセ柳が仮に殺されていたとして。その殺人の『犯人』は、……そもそも何が原因でここに来たんだろう。この名前も知れないクズを、最初っから殺す気で? じゃあ、この部屋の様子は……?」

「断罪」

「何を? 誰の?」

「誰だかわからないこの部屋にいた何者かが、何者であって何をしたのかを示すために、部屋をこんなにしたとしか私には思えない」

「それだと、その……まあ、ニセ柳を殺したヤツがいたとするとだ。ソイツのこのメッセージって……つまり『』じゃねえか?」


 柴田が複雑な顔をした。


「神通力の持ち主じゃない限り、こいつの正体や過去や、その自殺した女の子の事件に迫れる人はのよ。つまり、その想定で考えるなら犯人は柴田さん、あなたしかいなくなる」


 えっ?





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