第二〇話『少年、少女、初夏の風。』(後編・その3)
――柴田の話では、出所後、柳は五年とちょっと程、一説によれば関西に潜伏していたらしい。一説――というのは確証を得られる痕跡を遺していなかったため、不確かな目撃証言だけの判断に依るものらしい。当然、何かあった際の生存の立証にはならない。
ヤクザ資金の運用や、いかがわしい商売の手配に手を染めていたとも聞くようだけど、それだってちゃんとした証拠や証言がある話じゃない。
一年前(目撃談によれば十四ヶ月と十二日前)にこちらに戻って来てからは、基本的に家にこもりっきりで、恐らくは在宅で出来るレベルの、そんな汚れ仕事の類を引き続きやっていたのだろう。
ただ、その話にしたって正確な情報でもない。それが「柳本人である」という確証は、いまだ誰からも得られていないようだから。
「元々ここは、慕われてた牧師の爺さんがやってたそうでな。柳はどうにかしてその爺さんの養子になって、まもなく爺さんはドブにはまって死んだ。保険金は爺さんと柳が元々あった借金と、相続税分とをチャラにする程度だったが、それで柳はこの教会兼自宅と数十世帯かの信者を手に入れた」
「でも大本の協会から認められなかったので、死んだそのお爺さんから譲り受けた宗教法人で新たに作ったってわけね。元信者さんたちは、代替わりでリニューアルしたぐらいの認識だったかな?」
ひっでえ話だなぁ。
つまり、元々のここの教会の信者の人たちは、知らない間に新興宗教に入信させられてたって話?
「ま、そんな所だ。ぶっちゃけ爺さんの件は殺人だと俺はにらんでる。証拠は出なかったが」
あっさり、ポロっと、とんでもないコトを柴田は口にした。殺人って……いや、まあ僕だって今話を聞いて、ほぼ同じコト考えてたけど。
「それで味をしめた奴なら同じことは繰り返すんじゃないか、って判断?」
「はは、ノーコメントだ嬢ちゃん。俺が誰の、何の、調査をしてるかはいえねェんだ。今重要なのは、柳の行方だな」
「柳本人にかけた保険の受取人がいるの? ……妙な話ね。そのまま失踪してたなら失踪宣言が効いて、保険金も下りて良い筈じゃない?」
「だから、ここに戻ってきてては困るヤツもいるんじゃないかってね」
その可能性は、僕は考えていなかった。
「そもそもが、誰かさんの手に大金が下りて欲しくないから、柳がまだ生きてて、ここにいるってことにしたかったのかも」
えっ? ちょ、じゃあここにいたのは偽物ってこと?
「それだと俺の会社としては大助かりだな、ハハ。まー何しろ、今となっては近所付き合いも皆無の鼻つまみ者だ、『居る
「まったくゼロなの?」
「一度、ここに尋ねてきた子はいたそうだよ」
子?
「その人は?」
「死んだ。とっくに」
……えっ?
「なるほど……」
そっけなくつぶやいて、茲子は考え込む。
「さて、誰が被害者で誰が加害者かって話かな……柳本人であるのか、違う誰かであるにせよ、ここでソイツが……凶器は──」
「ちょ、ちょっと待ってよ茲子! 仮に、ここに居たのが柳の偽者だったとしてさ。じゃあ、本物の柳は?」
「本物は、その関西あたりで潜伏中に、とっくに殺されてるかも。でも、殺されたことにしたくなかった誰かが、まだ生きている風に装うために、適当な誰かをここに遣って住まわせていた。労働ナシのタコ部屋生活みたいなものかな。そうでなければ誰とも顔をあわせず、誰とも接しない生き方なんて、たとえ前科があっても中々できないよ」
床の書類を幾つか手に取って、茲子はそれをひらひらとかざした。
「付近住民や元信者の仔細な情報……こんなもの、何で、誰が、必要とするの? ここでいんちき牧師の
成りすますなら、住民との接触をどれだけ避けていようと、どこかで何らかの形で生存証明はしなきゃいけない。学習は必要か。
そして、自分の起こした事件記事をスクラップしてニヤニヤ笑う奴はいるだろうけど、
「他人に成りすまし息をひそめて暮らす仕事って……底辺に近いな。何かの罰とか、他でヘタ打った奴の一時潜伏先とか色々考えられるけど。じゃあ、これは……?」
僕の指さした「指」を、柴田がハンカチを手に、ヒョイと摘む。
「その想定なら、柳の指から型とった物なんだろうな。指紋の再現がある程度できる特殊な素材があるのは聞いたことある。薬品の臭いがしてたのは、これを普段浸けて保存していた液体がもう蒸発してたのもありそうだ」
「それって、……まあ一昔前のPCの指紋認証なら通ったかも知れないけど、そんなインチキ指紋スタンプが柳の『生存の証拠』になり得るの?」
指紋認証は確か、初期のやつは中国あたりで物理ハッキングされて、アッという間に「指紋スタンプ」が出回ったから、今じゃ国内の金融機関にしろスマホにしろ、指静脈認証が主になっているはず。
これは今となっては冷笑モノな話だけど、黎明期の指紋認証システムが出回った90年代くらいには、すぐに「逆張り系の皮肉ネタ」として、認証を通すためにターゲットの手首を切り落とすブラックなネタが、未来世界を描いた漫画とかゲームで出回ったけど、現実の方はアッという間にそんなの不可能って方向になった辺り、創作で中途半端に現用テクノロジーを取り入れるとろくなことねえな、とは思う。
「無理だな。印鑑社会の日本で指紋押捺のお呼びなんて、今じゃ犯罪者かヤクザの血判くらいだ。鑑識だってそこまで馬鹿じゃない。完全な再現だって無理だ。ただ、何割かでも本人の『指紋
「……なにか、関西あたりでのチンピラ同士の小競り合いってことかな」
「つけ指が必要ってことは、ようは指を欠損したヤツって話でしょうし。事故とかも考えられるけど、ヤの世界でヘタを打った奴と想定するのもそう無理な話じゃないかもね」
背景の事情がややこしそうだ。だいたい、誰がどういった形で受取人になってるか、それによっても話はかわってくるだろう。そういった情報は柴田は漏らしそうにない。
「でも、その偽者は不意に『
その茲子の言葉に、柴田は少し押し黙り、僕はきょとんとした。
「……誰に? ソレ、もう保険金殺人の意味がないだろう?」
「だから、『保険金なんて関係ないヤツに殺された』の」
茲子は立ち上がり、少し考え込んだ顔をした。
「ユッキ君、目を閉じてて」
「え?」
「気はすすまないけど……柴田さん、チョイ確認できない? この録画」
ガシャン……ああっさっきのエロ!
こりゃいけない。慌てて目を閉じる。
って、茲子はいいのかよ!
「もしかして、さっきいってた『とっくに
「…………」
柴田は、ただ黙っていた。
「一つ確認していい? もし、ここに居た誰かが殺されていたとして……柴田さん、
「……もちろんだ」
僕が考えていた不安を、茲子は平然と柴田にぶつけた。……いや、あのっ!! それもし本当に柴田が犯人だったらどうすんだよっ!?
「そうね、充分条件は備えてるけど……『
待てって。どーゆーコト!?
ついていけてないよ!
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