第二〇話『少年、少女、初夏の風。』(前編・その4)
「そう、犯罪だよ。大人がやったらね。でも、君たちは子供だから」
「ちょっ、いや、子供はやったって犯罪は犯罪でしょ……?」
慌てる柚津起君の前で、柴田はククっと笑う。
「子供が空き家に忍び込んで探検したところで、コラーっ! ……って叱られる
ひっでえ論理!
なるほど、この人……かなり倫理観が
面白い。
「……どうする? 茲子。どうにもこのオッサン怪しいんだけど」
小声で柚津起君が訊く。かなり迷っているようだ。
確かに怪しいけど、うん。私たちと、利害は一致する。
「オッケー、柴田さん。信じましょう」
スっと、私は柚津起君を押しのけて前に立つ。
「私はあなたの小悪党な所を信じる。私はあなたの壊れた倫理観を信じる。私はあなたのアナーキズムを信じる」
あたふたしている柚津起君をよそに、私は手頃な石を拾い上げて、そのままガチャン! と窓に投げつけた。
チャリチャリと音をたて、ホコリで白く濁った窓ガラスが砕け落ちる。
さすがの柴田もあっけにとられていた。
私は手をヒョイと出す。
「安くはないわよ?」
「え? あ、ああ……ええっと」
千円札を抜き出しかけ、ちょっと考えて柴田は一万円札を渡した。
「さっきの名刺と交換な」
「証拠は残さないってことね。良いでしょう」
「だって君、これ器物破損もやってるじゃないの。叱られるよ~?」
「捕まりはしないし尻尾も残さないわよ。さ、ユッキ君いきましょ」
「あ、ぅ、えーと」
まだ口をパクパクさせてる柚津起君の首をひっぱって、割れたガラスで手を切らないよう注意しながらクレセント錠を外し、私たちは窓のサッシを開けて忍び込む。
*
そんなに広い家じゃないにせよ、手前の窓を割って入った中は、どうやらいきなり礼拝堂兼事務所のような場所らしい。
礼拝堂といっても、大きな教会にあるような物ではなく、さしずめ水まわりのない、ダイニングキッチン。
かつては折り畳みの長椅子でもあったのだろう。今はそれもない。
カトリックの教会にあるような、荘厳で様式美に溢れたような装飾もない。
「……そういやさ、バプテスト派って、たしかプロテスタントの中じゃ米国最大派閥だっけ。でもさ、教会にも見えないよ。何コレ」
一面に散乱した、書類。
白濁した窓から差し込む光が、舞い散るホコリを照らす。
神秘的──とは、違う。
でも、この光景も「まとも」では無い。日常からは逸脱し過ぎている。
差し込む光は宗教画のようでも、そこに照らされる室内の
鼻を刺す僅かに不快な、理科室を思わせる人工的な匂い。焚香?
「ここの、柳ってもと牧師は、まともな教会からは破門だか除名だかされているはず。その後に興したこの、自分だけの教会で、幾つかいかがわしい事件を起こして……」
散らばる書類は何だろうか。
個人情報らしい、幾多もの。幾人もの。新聞記事のスクラップもある。
「刑務所にブチ込まれたの?」
「証拠不十分ってコトもあってか、シロにこそならなかったけど、半年そこらで出たッポいよ。ま、いずれにせよそんな事件起こしたんじゃ、しばらくは雲隠れするしかなかったとして……」
どこに?
そして、何故ここに戻って来た?
借家じゃないなら、不動産持ちってことだろう。
そうそう手放せないし、手放してもあんな事件を起こした後じゃ、二束三文で買い叩かれるのは見えている。
「柴田さんの存在がヒントだね。オプが、何故ここに?」
オプ──ハードボイルド物の推理小説の、定番主人公だ。ホントにそんなのがいるなんて、ワクワクしない?
「彼が本物の調査員だと信じるなら、って前提が必要だけどね」
「仮に信じるとしましょう。そうなるとこの失踪には『保険金殺人』のような側面が含まれているんじゃないかな?」
でもそうなると──この事件は、一連の「殺人鬼事件」にはあてはまらないし、話がチョットおかしい。
考え込む。
いや、これで考え込んじゃうのは、きっとこの世でただ一人、私だけだろうけど。
だって、その二つを結びつけて考えるなんて他に誰がいるの?
でも、私がここに来たのは、他ならぬその「殺人鬼」のせいだけど……。
散らばる書類は、さまざまな個人データ。何十人か、何百人か。そう信者数が多くはなかったはずだけど、地域住民で何十人かはここにかつて通っていた筈。
その人数を、この書類の量は超えている。
それにこの切り抜きは何だろう?
過去に柳の起こした事件もあれば、わりと最近の物もある。去年の春に女学生が自殺したとか、そんな記事だ。
柳は、ここで何を……?
「うわっ! キモっ!」
「ん、何?」
「ゆゆゆ、指っ!」
机の上を見る。人差し指の先のような肉色の何かが転がっている。
「……おもちゃでしょ。この時期、人体のパーツならとうに腐ってるよ」
それに、あの殺人鬼がこんなチンケな「解体」はしない。
「ホントだ。宴会芸マジックのタネか何かかな?」
薄くホコリを被った机の上には書類、筆立て、懐中電灯、小型のテレビinビデオ、劇画週刊誌、佃煮か何かの空き瓶、遠近両用眼鏡、開封したばかりでまだたっぷり残ってるウィスキーボトル、封を切ったピーナッツの袋なんかがある。
既に聖職者じゃないにせよ、この一角は生活臭がする。
懐中電灯に電池は残ってる。週刊誌の発売週は失踪時期と合致し、ふやけている。アルコール臭に仁丹臭。中年臭か。筆立てには、カッター、マジック、そして……
「すごいな。曲面のテレビなんて、現物初めて見たよ。こんなもん今、使えないでしょ? 骨董趣味なのかな」
「どうかな。地上波はコンバーターを着けてももうまともに視聴は無理だと思うけど、ビデオ再生機って点ではまだ使う人はいるかもね」
そう、個人情報なんて、紙資料だけじゃないはず。アナログ時代に録画されたデータだって結構な量はあるはず。これは、その確認用だろうか。それか、デジタル変換して取り込むにしてもアナログの再生機は要る。目視じゃわからないけど、どこかに大量のビデオープでも隠されているのだろうか。
「あとは……これ、左利き用のハサミだね。あれ、電灯スイッチとかルーズリーフの並びや開きをみると右利きっぽいけどな、この家の主は」
利き腕が急に変わったってこと? いや……。
「……可能性は二つかしら。ここにある物だけ見れば、可能性は五分五分。……いや、柴田さんの存在を考慮すれば『
「こっちって、どっち? ん~、急に利き腕が変わった……指、とか? ヤクザ相手に何かヘマしたってこと?」
「それが原因で、こんな所に出戻ってこんな暮らしを強要されているのかも知れないね。勿論それも、考えられなくもないけど」
つけ指が必要ってだけでも、好奇な目で見られるのを避ける生活をしていた、と想像するに難くない。
もしかすると顔にも怪我とか、そんな状態だったのかもしれない。
ただ、この指のオモチャ一個でそう判断するのも早急だと思う。
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