第二〇話『少年、少女、初夏の風。』(前編・その3)

「え~っと、つまり……いや、ダメだ降参。僕にはよくわかんないや」


 柚津起君はお手上げのゼスチャーをする。


「現状じゃ、私だってそうだよ。この状況の目視だけじゃ、根拠の薄い『推測』を並べるくらいしかできないの」


 そう、チラリと状況を一べつしただけで、事の顛末をピシャリと言い当てるだなんて、そんな『安楽椅子探偵』なんて化物じみた存在などというモノが、この世に存在するわけもない。まして、いくら私が天才少女と誉めやそされようとも、私にできることなんて、ぜいぜい「その目で見た状況の精査と判断」くらいだ。


「いずれにせよ、『止められてない』って事実だけで考えるなら、新聞の営業所への連絡はともかく、夜逃げする人が銀行の口座をそのままにはしないと思う」

「可能性としてはまあ……でも、それは確実な根拠にはならないね。考え方の一つとしてはアリかもだけど、裏付けのとれる材料は一切ないんだし」


 柚津起君はこういった点でも冷静な判断が下せる男の子だ。


「うん。そしてもう一つ。配達以外に誰かの訪れた痕跡が無い、ってのは、これは重要だよ」

「そう?」

「逃げる人ってのは、誰かに追われるから逃げるんだよ。誰に?」

「そりゃあ、え~っと、何だろ。警察じゃないのは確かとして、ヤクザ? 債権者? 前科者ってコトは、かつての被害者からの逆襲とか追求とか。……なるほど、来た痕跡が無いワケないな。さすがに今どき警察沙汰になるようなマズいことは早々やらないだろうけど、来たぞコノヤローって痕跡くらいはちゃんと残すよなぁ」


 落書きはともかく貼紙くらいは今でもあるし、貼らないまでもドアの隙間に差し込むくらいはあると思う。


「うん。例えば、新たに何か犯罪をしでかして、バレる前にトンズラってこともあるかもしれないけど。いずれにせよ経過時間がね」

「だよなぁ。まともに社会生活を行っていれば、三ヶ月も『誰も来ない』ってワケないよなぁ……」

「ん……それはどうだろ? ただ、逃げたのなら誰かが張ってたり、上がり込んだり、メッセージを残しててもおかしくないはずで、そうでないなら、失踪にしろ逃走にしろ事件性と切り離せない……かな?」


 誰かに追われた、債権者なり恐喝者なり、かつての被害者からの逆襲、そいうったケースがまず当てはまらない状況。それでいて「逃走」は少し考え難い。


「う~ん。でも、三ヶ月だよ? 近所の人とか、誰も何とも思わなかったの? いや、軽くウワサになるくらいだから、認識はしてたのか。でもそれでどこかに届け出る様子もないのって、近所付き合いすら皆無ってコトだったのかな?」

「そこにこのインチキ牧師には一つファクターが加わるの。その、前科者の前科ってヤツ。七年くらい前かな。新興宗教がらみの事件が世間でいくつか立て続いて騒がれてた時期に、信者相手の詐欺とかワイセツ行為で捕まったんだよ。地域住民からも糾弾されて、逃げるようにここから立ち去ったらしいんだけど……」

「そんな事件おこして舞い戻ってくるのも凄いもんだ。ああ、どうりで郵便受けが無いワケだ。ウンコとか入れられちゃうしね」

「ウンコて。ま、だから近所付き合いは断絶してたっポい」


 配電盤をあけて、貼られていた検針票を見る。電気も微弱だけど、三ヶ月使われ続けている。

 契約者名は郵便物と同じく「柳精一」――図書館の新聞で確認した、事件を起こした牧師と同一の名前だ。

 出所後、しばらく行方をくらませていた柳は、不意に一年ほど前、ここに戻って来たらしい。

 当然、隠れるように生活し、誰とも顔を会わさない暮らしぶりだったらしい。

 近隣住民にしても、柳に対してはどのツラ下げておめおめと……って思いはあったろうけど、刑期を終えて出所した相手に文句もいえやしない。ただ、夜になれば明かりは付くし、誰か暮らしてるのはわかるくらいで、出入りもコソコソと身を隠すような姿しか目撃されていないし、積極的に関わろうという者もいなかったらしい。

 この「年数」が、私には少し気になる。


「えーっと、ボクたち、この近所の子?」


 不意に、誰かが私たちに話しかけた。

 サラリーマン……に、見えるような、見えないような。

 だらしないシャツの着こなしで、くわえタバコ、どう見たってウサン臭そうな痩せた中年男が、そこに立っていた。


 アヤシイ大人には注意しなきゃいけない、とわかってはいても、こっちは二人。何かあった時はどちらかは逃げおおせられるだろう。そばには自転車だって停めてあるのだし。――まあその場合は柚津起君が引き止め役で私が逃げる係ね。

 それに、見た感じ児童にイタズラをするタイプの犯罪者って感じには見えないかな。いやいや、人は見た目じゃ判断できないけどね! さて……。


「……何て答えよう?」


 小声でボソっと、柚津起君が訊く。


「コドモのフリしようぜ」


 私も小声で答える。フリもなにも、子供なんだけどね私たちは。あはは。


「んーとね、ウン。そうだよ?」


 まるで毛利のおっちゃんの前で猫を被ってる時のコナン君のように、甘ったるいコドモ声で柚津起君が答えて、おかしくて声が漏れそうになる。

 このあと「チッ」とか「ったく……」とか「バーロー」って後ろを向いて毒づくんだよね。あと毒針発射。


「ああ、俺ぁね、ん~、保険会社の調査をやっているんだけど……って、わかんないかなぁ、わかんないだろうなぁ。ちょっと、ここの家の人について、聞きたいコトがあったんだけど……」


 柚津起君が肘で小さく小突く。


「来たじゃん、誰か調べに」

「……借金取りのでもなさそうだけど」

「ん、ボクたち、なーに話してるのかナ~?」


 いや今の柚津起君も大概だけど、こういうコドモ相手にいかにも小馬鹿にしたような「コドモ対応喋り」をするオトナって、やっぱイラっとするネ!


「んとね、知らないおじちゃんと話しちゃダメだって、ママがね。おじちゃんホントに会社員?」


 ママだって! 柚津起君、そーゆーキャラじゃないでしょー? あ~おかしい。吹き出しそうになるのを、顔をそむけてギュっとこらえる。


「ハハ、しっかりしてるな。ん~」


 まあ、確かに普通の子供の目から見たって、この目の前の男はマトモな会社員には見えないだろうし。近づくと、首筋に細いチェーンのネックレスが見えた。遊び人っぽくも見えるし(もっともコレは、若者のシルバーアクセとは思想性から大違いな物だとは思うけど)、何よりそれでノーネクタイ。

 肩にかけた上着から、面倒そうに名刺を取り出し、少し苦笑しながら私たちに渡す。


「子供に名刺渡してたんじゃ世話ねえな、ハハハ」


 意外なことに、大手の保険会社名が印刷されてある。失礼ながら、とてもそんな立派な会社の人には見えないんだけど。


【資料・調査部】

 ・アジャスター 柴田孝久


「ちょうさぶ?」


 この人、


「うん、まあ色々ね。あのなぁ、坊やたち。あの家の人……最近見かけたりした?」


 首をふる。まあ、見てないのは事実だしウソじゃない。ここにはさっき来たばっかりだけど。


「ふ~む。まさか中に篭城……は無いしなァ。そうだ、坊や、ちょっと頼まれてくれるか?」


 柴田と名乗る男は、名刺の次は財布を取り出し、中を確認し始める。


「たのまれるって、なにを?」

「……あのお家の中にな、コッソリ、忍び込んで様子を探って欲しいんだよ」


 思わず柚津起君と目を見合わせる。

 ソレ、幾ら何でも無茶なんじゃ?

 まだ何もいってないうちに、柴田は指を一本たてて「シーッ」とゼスチャーをする。


「ナイショだよ? ホラ、お小遣いもあげるから」

「いや、あのですね柴田さん。いくら何でも……」


 ビックリし過ぎてちょっとキャラ崩れちゃってるよ柚津起くん!




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