中等部一年松組 住田はるか

 Fragments 04

 聖ミシェール女学園

 中等部一年松組 住田はるか




 アン・シャーリー。多感で空想癖のある、お喋りで赤毛のみそっかすな女の子。

 私は彼女にシンパシィもエンパシィも感じる。親友のダイアナへの複雑な想いにも。それでも、ビクトリア朝のグリーンゲーブルズのあのきらめく緩やかな世界の中で、マシューやマリラから愛されて、愛して、アンは美しく、優しく、素敵な女性になって、大嫌いだった男の子とも恋をして、ああもう、何っていったら良いのか。自分に照らし合わせて読んで行くのがだんだんと辛くなって行く。良い話なのに。感動的なのに。


 私は、くせっ毛のある三つ編みでソバカスだらけの、寝てるんだか起きてるんだかわからないような顔ってよくいわれる無表情でちっちゃい目で、小学の頃にはイヤなバカ男子からは「ぬりかべ」とか「でくの棒」とか「サンシャイン(キン肉マンの敵キャラらしい。読んだことはないけど)」とか「グレートゼブラ」とか「ゼブラちゃんちゃこりんマン」とか「ウドの大木」とか「ウド鈴木」とか「トーテムポール」とか、あと愛知から引っ越して来た子からは「ナナちゃん」って呼ばれて少しは可愛いかなって思ったけど後でそれが何なのかを知ってガクゼンとして、もう、とにかくその。


 私だって、好きで背が大きくなったワケじゃないのに!


「おはよう、はるかさん」


 玄関の前で待っている私の前に、稀代の美少女の我が親友が顔を出す。

 香織も、背が高い。とはいえ、隣に私が立てば十分に小柄に見える。そんな意味では私もまんざら存在価値がないワケじゃないんだな、と自分で納得してみせる。何かこう、横に並べる十円玉とかタバコの箱とかあるじゃない、アレよアレ。しかもこちとら特大サイズでインチキしてるの。


「おはよう、香織。あ、そうそうそう、あのさ、なんか香織ってさ、どこにも入部しないっていってたのにどっか入ったんだって?」

「どうして、それを?」

「入部届け貰ってったってさ、田端先生が。それにこの所……」

「あ、ゴメンなさい。はるかさんに一言いれるのを忘れていたわね。私ね……探偵舎に入ったの。はるかさんも知ってるわよね? お婆さまが昔……」

「え? っていうか、え──────ッ!」

「声が大きいわ」

「ごごごごごめんっ! っていうか、えーなにソレ、聞いてないーっ!」


 青天のへきれき。どこの部活にも入らないっていってたのに!

 私に黙って部活に入ったことには、さすがにショック。毎日一緒に帰ろうね、なんて約束してたわけじゃないんだから、すっぽかされたと怒るわけにもいかないけど。

 ……っていうか、っていうか、つくづく私ってミソッカスなんてもんじゃないわ。カラ回りしてるのもわかる。うっとうしいだろうなァってのもわかる。親友……って思ってるのはもしかすると私だけの勝手な思いなのかも知れないのもわかる。わかるけど、でも、香織とは親友でいたいの。私は。


 白雪姫の美しさを称える、石炭の瞳とか黒い髪なんて表現は、誰もが黒い目で黒い髪の日本人にはあんまピンと来ないかも知れないけど、香織を見ると「ああ、これか」と納得する。アンの焦がれたダイアナの黒髪。香織は本当に美人で本当に綺麗な髪で、肌も白くて、間違っても髪をブリーチだとか日焼けサロンにだけは今後絶対通って欲しくないっていうか断固として阻止したいと思う女の子で、外見だけでも相当なのに、彼女は本当に優しくて素直でアタマも良くて超可愛い、にっちもさっちもいかない完全無欠のお嬢様っていうかお姫様なのだから。

 もう、この際コバンザメでもいい。金魚のフンでもいい。「そーでヤンス、オヤビン!」と揉み手で脇にくっついてる腰巾着キャラでも構わない。私は香織のそばにいたいし、香織の友達でいたい。

 だから、この香織の独走にはものすっごい動揺した。香織が一人で何をしようと、それはもちろん香織の勝手だし、断りをいちいち私に入れる必要だってないけれど、なんだか凄く、置いてかれたような気がして、切なくて、苦しい。


「大げさよ」


 香織はクスっと苦笑を漏らす。

 うん、大げさ。わかってる、自分でも。

 なんだかソワソワしたり気を揉んだり、詮索するような、ギクシャクするような、そんな私を華麗にいなして、暖簾に袖押し糠に釘とばかりに香織は微笑みながらスルーして、改札をくぐり同じ電車に乗る。


 ミシェールには、私はかなり無理をして入学した。私の学力では入学できるかどうかは賭けに近いレベルだった。渋る進路指導の先生を説得し、両親を拝み倒し、必死こいて勉強してやっとこさ試験に受かり、高い学費にはもう、両親に足を向けて寝られない。

 そうまでしてミシェールに通いたかったのは勿論、香織がいるから。本当に私には主体性がない。ヘタすりゃこりゃ、ストーカーだ。勿論、変な意味で変な恋愛感情を抱いてるようなことはないし、私が香織に抱いている感情は、カリスマとか尊敬とかに近いんだけど──いや、もちろん同い年なんだけど。そうまでして香織になんで執着しているのかは、まあ、彼女を一目見た人にならきっと説明はいらないと思う。

 絶対にそう思う。だってさ、いないもの、こんな子。

 ……そして、きっと、もう一つ。


 私はたぶん、佐和子さんに嫉妬していたんだ。

 佐和子さんは、ちょっとイジワルでキツい所はあったけど、良いお姉さんで、私にも香織にも同じくらい仲良くしてくれたし(ていうか、佐和子さんにとって私はさぞや、弄り甲斐というか、からかい甲斐のある子だったであろう……との自覚はある)、私は佐和子さんのことも大好きだった。佐和子さんはいつも本を読んでて、三島とか中也とか太宰とか一葉とか、小学生なのにそんなのばっかり読んでいて、私が読書好きになったのも、確実に佐和子さんの影響だと思う。


 だけど、佐和子さんと香織の間の絆は、目で見えそうなくらいに太くて確かな物だった。私はたまたま傍にいただけで、なんかホラ、ドラえもんでいうならのび太ジャイアンスネ夫たちが空き地で野球をやってるようなシーンだけ突然生えてくる名前もない級友その1ってポジションくらいだったと思う。私の役目や立場はそんなもの。


 佐和子さんがいなくなってからの香織は、見ているこっちの方が辛くなるほどに痛々しく、弱々しく、そりゃあ、私だって佐和子さんが消えてショックは受けたし、寂しかったけど、佐和子さんがいなくなったことで香織までこんな調子になって、仲の良かった相手をいっぺんに二人も失ったような衝撃を受けて、私はなんとか香織を勇気づけようと色々がんばったり、陰ながら応援しようと色々手を尽くして佐和子さんの行方を探ってみたけど、まったく何の役にも立たなかった。

 佐和子さんの訃報には、私も泣いたし、ものすごくショックも受けたけど、同時に……私は少し、ホッとしてもいたんだ。そんな自分の気持ちに気付いた時に、私は自分で自分が恐ろしくて仕方がなかった。人が死んで、ホッとするなんてどうよ!?

 おかしいじゃないの!?


 でも、これできっと香織は諦めがつく。もし再会した時に、佐和子さんがすごく変わっていたなら、きっと香織は衝撃を受けるだろう。もし、何も変わっていなければ、また二人は絵になる姉妹のように仲睦まじく過ごせるだろうけど……正直、そんな風にはなりそうにない、って予感はあった。一度入った心のヒビは、決して元には戻らないのだから。

 佐和子さんは、死んでしまった。あの時のままで永遠に止まってしまった。思い出の中だけの人になってしまった。私は、そのことに安堵して、そして、安堵してしまった自分が、イヤでイヤで仕方がなかった。


 嗚呼、神様!

 袖の中のロザリオの珠を握り、そっと指で繰る。

 カトリックの神様なんてよく知らない。そもそも家は浄土真宗で、そして私は浄土真宗のことすらよく知らないのだ。それでも、神様──どうか、私を許して下さい。私のこの、嫌な嫉妬心を。私のこの、卑怯さを。私のこの腹黒い思い、私のこの罪深い思いを。

 私は、優しい女の子になりたかったのに。優しくて、友達思いで、愛情いっぱいの素敵な女の子になりたかったのに。なのに何故、私はこんなにもダメでダメでダメなダメ人間なの!?


 およそ二〇分かけて駅に着き、そこから黒づくめの女の子たちに囲まれてバスに乗り込む。頭一つ余裕でピョコンと飛び出して、輝くキューティクルの天使の輪を私はいつも通り一〇分間眺め続ける。この学校では、生まれつきとかハーフとか留学生の子以外は全員黒髪で、少し安心する。安心と同時に後ろめたさも感じる。私は天使じゃないし、私の頭には天使の輪もない。無理に無理を重ねて、私はこの学校に通っている。

 なにしろ、ここにいるのは全員優等生で裕福な子たちばかりなのだから。柔和で賢くてその上個性的で、いつも劣等感ばかりが刺激される。香織のようにマンガの中から抜け出してきたような、何かのギャグかコントでやっているかのような「お嬢様ことば」の子も、少なくはない。少なくはないけど多くもなくて、まあクラスに四、五人いるかいないかだけど、つまりはクラスに四、五人もいるってことだ。こんな学校はおかしい。私は、あきらかに「居てはいけない場所にいる」ような、チクチクとした違和感ばかりを感じる。それでも、仕方がない。私が選んで決めたことなのだから──。


 香織に案内されて、私は初めてその、不思議な庵に足を運んだ。


「いや、べつに私、入部する気はないし」

「違うの。はるかさんにも見て欲しくて」


 蔦の絡まる、何もかもが素敵な洋風アンティークの小さな洋館で、金色のプレートの打ちつけられた扉を開ける。


「私は、放課後はここに暫く通うことになると思うの」

「うん……」


 だから、下校時にはもう自分を待たないでもいいのよ、ってことだろう。帰宅部の私にはちょっと寂しい。実をいうと私には運動部からはアホほどスカウトが来てて、それは片っ端から断っているけど。


「何か私に急用がある時は、きっとここにいるから。遠慮しないで呼んでね。そうそう、紹介したい先輩がいるの」

「え?」


 潜水艦の中のように圧倒される、壁面いっぱいの書架の部屋の中には、眼鏡で小柄な先輩が、既に書類の整理をしていた。


「なに? その子も入部するんだ?」


 顔をあげて、ちょっとキツい感じの上級生は私を睨む。


「いえ、私のやっている部活がどんな物かを、こちらの子に……はるかさんにも、知って欲しくて」

「はっ、はっじめましてっ! 私、住田はるかといいますっ!」


 勿論、入部なんてする気はない。私はきっと邪魔になる。そこまでホイホイくっついて、香織の足手まといにはなりたくない。

 それに、探偵……その時点で、私にはもう、ピンと来ていた。

 諦めてなんか、いなかったんだ。

 本気で、香織は佐和子さんのことを調べるつもりなんだ。彼女の死の真相を。

 私たちと離れていた一年に、佐和子さんの身に何が起きたのかを。

 いなくなっても、二度と逢えなくなっても、それでも忘れられない、香織にとっては何より、一番大切な人だから。「思い出の中だけの人」なんかじゃない。それは、きっと、ずっと、香織が背負っていく、香織と共にある存在になったんだ。

 ……私は、何もかも佐和子さんに負けている。いや、最初っから勝負の土俵にすら立ってはいないけど。


「お友達を連れてきて、駄弁ったり茶話をする為にここがあるとは思わないでよ」


 やや険がある口調で、上級生が香織にチクリと釘をさす。


「はい」

「あっ違いますいやっ、そのっ! 香織はそんなつもりで、私もっ」

「アナタは少し黙ってた方が良いっぽいね。もっと落ち着こう」


 しゅんっとなって、私は少し小さくなる(なった気がした)。勿論、何をどう考えても私がここで一番ばかでかいんだけど。この三年生、犀谷先輩って人は、佐和子さんに負けず劣らずなキツさの人のようで、僅かなフレーズだけでも頭の回る人なのはわかる。


「はるかさんに、心配をかけたくなかったんです。私がどこで何をしているのか、何をするつもりなのか。それを、わかって欲しかったの」


 微笑みながら、香織は積まれた書籍に手を伸ばす。


 ──何をするつもりなのか。


 うん、わかる。香織は何もいわなかった、でも、いわなくても私がそれを「わかる」ことをわかってた。

 私は──香織に、信頼されている。だから、私も香織の信頼を裏切りたくない。


「あ、あのっ、私……あ、すみません、喋っていいですか?」

「私はアドバイスをしただけで、禁止したわけじゃないから。どうぞ」

「私……その、香織の友達で……ええっと、あの。何か私に手伝えることはないでしょうか?」

「入部しないんじゃなかったの?」

「しません。でも、手伝えることがあれば……」

「手伝って欲しいことができたら、呼ぶよ。力仕事には役に立ちそうだし。今はいいよ」

「は、はい……」


 無理に気を使わないでいいのよ、と香織はいう。それもそうだ。私はちょっと、いや、相当、とっちらかっている。


 犀谷先輩は早々に作業を切り上げて、お茶を淹れて私と香織にすすめ、この不思議な洋館の歴史や由来、文芸部や図書部とのちょっとしたいざこざの経緯を面白おかしく語った。

 何だかんだいって茶話を始めたのは犀谷先輩だった。遠慮がちに、小さな椅子に窮屈に縮こまって、緊張しながら耳を傾けていた私だけど、犀谷先輩の話はとても面白く、つい時々何度か噴き出したりもした。


 何もかもが黄色い「もや」のかかったような、眩しい夕景の中。洋館の掃除を手分けして終え、私は香織と並んでバス停へと歩いていた。犀谷先輩はカギ束を手に、私たちに先に帰るよういいつけて、一人で職員室に向かった。


「……はるかさん。私、これから一人で行きたい所があるの」


 電車の中で、不意に香織がそういった。


「え? って、ちょっと待って。えっ? もう夕方じゃないの?」

「ええ、H市内の方に」

「待って待ってよ、H市内っていったら……S駅から片道で二、三〇分はかかるじゃないの? 往復で考えたら、帰りは夜になるよ?」

「ええ」


 ひ、非行っ!?

 いや、それはない。そんな子じゃない。……と、なると。


「……佐和子さんのことね」

「ええ」


 やっと、私は彼女の名前を口にした。訃報を目にした時でも口にしなかったその名を。かける言葉もみつからなく、ただ憔悴して黙っていた香織前で、私もまた黙って何もいえなかったまま、あれからずっと――。たぶん半年ぶりぐらいに、香織の前で口にした。


「……バカだよ、そんなの。中学生の、中一の女の子で、何かわかると思う? 何かできると思うの?」

「無理よね、普通」


 わかっているなら、何故……そう、いいかけて、それから先の言葉が私の口からは出なかった。何かを口にすれば、即、それは厭味にでもなりそうだ。何をいっても、香織の決意に対して水を注す言葉にしかならない。私は、香織を信用してないといってるのと同じになる。

 ……信用、してるの?

 どうなの? 自分。

 して良い信用としちゃいけない信用はある。妄信はよくない。香織は凄い子だけど、不思議パワーを発揮したり変身して戦えるわけじゃないし、誤ることもあるだろう。

 今、彼女は亡くなった佐和子さんのために、「できもしないこと」をしようとしている。きっと、香織がそれで傷つくことになるのは予想に難くない。香織がもし、間違ったことをしようとしているなら、私は止めなきゃいけない。それができないようなら、そんなの友達じゃない。じゃあ、今の香織のしていることは? しようとしていることは?

 ……どうなんだろう? 何もいえない。私にはまだ、何もいえないし、わからない。


 陽の落ちたS駅の改札をくぐり、私は一人、泣きそうな顔で家路に急いでいた。

 私には何もいえなかった。口を開けなかった。黙ったままS駅で電車は止まり、私は無言のままホームに降りた。香織はそのままH市へと向かった。

 何ていっていいのか、わからない。どうなるかもわからない。ただ、何だか酷い胸騒ぎがして、空気は初夏に近づいて生ぬるいというのに、私は寒くて寒くて死にそうだった。


 その日の夜に、暫くTVのローカルニュースをベッドの上で眺めていた。心配性にも過ぎると思うし、何か変な事件に香織が巻き込まれるだなんて、考えてもいないけど、やっぱり何か気になった。その日はH市内で喧嘩か何かで少年が一人死んだニュースが流れたくらいで他にこれといった出来事は何もなく、一番大きな商店街に何かのキャンペーンガールがコスプレで物販としたとか市内の有力企業の人事が変わったとか、地元球団の今期の戦力予想とか、つまらないニュースだけが流れた。

 そして、ローカルニュースの後にはH市内で起きた猟奇殺人事件の特番が流れ、慌てて小さな液晶のポータブルTVのスイッチを消した。





To the next time.

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