菖蒲院中学二年C組 嘉嶋蛍子(01)


※後ほどInterlude(幕間)の章に移動させると思います。

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 Fragments 05(前編)

 菖蒲院中学

 二年C組 嘉嶋蛍子



 そこはどこにでもあるような古い建物で、老朽化もかなり進んでいる。

 建てられたのは昭和の四〇年代あたりだろうか。

 五階建てで、一階は丸々どこかの会社の事務所、二階も三つほどの小さな事務所が入っていて、あとは管理人室と共同トイレ、三階~五階が一階層につき五つの玄関のあるアパートになっている。

 間取りは、単身者ならば余裕のある、子持ちの家庭ならば手狭な、六畳二間と一畳半ほどの台所に風呂場とトイレの構成になっている。当然、昨今のマンション入り口にあるようなセキュリティの類は一切ない。

 一階入り口のエレベーターと階段の横には、クリーム色のペンキで何度か厚塗りされた五×四の郵便受けが並んでいる。

 殆どに名前は書かれていない。ダイレクトメールやチラシが大量にねじ込まれたものも幾つかあり、ダイヤル錠がかけられている幾つかが、入居者のいる証だろうか。


 エレベーターから降りた一人の女性が、上から三番目の列の一つの郵便受けを確認し、そして早足に夕景の中を去って行く。

 道の反対側に佇んでいたもう一人の女性が、今立ち去った女性の背をしばらく目で追った後、時計をチラリと確認し、先ほどの彼女の降りたエレベーターへと近づいた。




 オレンジ色に輝く夕陽が、磨り硝子ごしに部屋の中を半分ほど照らしている。あとのもう半分は黒の闇。

 黒とオレンジのツートーンが、この六畳二間のアパートの中を彩る、だいたいの構成要素だった。

 その闇の中に、ひとつ。

 幾重のレースとビロードで構成された、紅いショートドレスと真紅の髪、黒のヘッドドレスとフリルで飾られた、まるで人形のような少女が――少女のような人形、かもしれないが――、ぺたんと床に座り、膝の上で不釣り合いに大きな本を広げ、ただぼぅっと闇の虚空を見つめている。

 微動だにしない肢体、動かない半開きの瞳。

 生きている物なのか、命の無い者なのか、それすら判別できる「観測者」の存在は、ここには居ない。


 ガチャリ、と細い廊下の先で、ドアノブが音を立てる。襖二枚を隔てた板張りの、体重をかける度にギシギシと鳴るその廊下に、侵入者は土足のまま足を乗せた。

 チャキッと音を立てて、闇の中で火の粉が散り、何者かは煙草に火を点けた。


「あなたはだあれ」


 数秒の間の後――抑揚のない声で、座ったままの、人形のような小さなものが口を開く。この瞬間に、ドールではなく人だと、この場で新たに「観測者」となった、この侵入者の目にもそれが理解できた。

 かといって、それが本当に「人」であるのかどうか。その「少女の姿をしたもの」は、あまりにも人間離れしている。

 整い過ぎた顔立ち、白く華奢な肢体、大きな目、そして毒々しいまでに紅い髪。

 その異様な装いひとつとっても、子供の普段着のようには思えない。


「見知らぬナニモノかがさァ、勝手に鍵あけて家に入って来たんだぜ? もっと怯えるとか不審がるとかしねーか、フツー」


 咥え煙草で煙を吐き出しながら、闇の中の闖入者は笑いながら応える。

 まだ若い女の声で、かといって姦しいような、弾むような甲高さはない。

 やや低く、くぐもった、ドスの効いた声で、子供を小馬鹿にするような大人独特の話し方でもなかった。


「怯えたってどうにもならない。あなたがもし、空き巣とか押し込み強盗だったとして、こどものわたしに為すすべもない。悲鳴をあげて逃げ出そうにも、そこの玄関しか出口がないから、おてあげ」

「そりゃそうだ」


 西日の射し込む台所側の窓から逃げ出そうにも、ここは三階。訓練を積んだアクション俳優ならともかく、まして子供では、そこからぴょんと飛び降りたところで、即死を免れたとしてもまず無事では済まないだろう。

 いや、体の柔らかく体重の軽い子供の方がオトナよりは無事である確率は高いか……などと、どうでも良いことまでその女の頭の中に廻る。


 ――答えとしては納得できる。しかし、これを即答する子供という存在はさすがに不可解だ。

 前情報が何も無ければ、だが。

 漂う紫煙を纏いながら、闖入者は扉をガシャンと閉める。


「そして、目に見えてわかりやすい痕跡を残しながら入って来たあなたが、空き巣でも押し込み強盗でもないのはわかる。わたしの目からは大人のようにも見えるけど、あなたは中高生の女の子で、なら、目的は――煌子なら、今はここに居ないよ」

「お前の姉ちゃんが今ここに居ねーのを知ってるから来たンだよ、わざわざ」

「あら。じゃあ……目的は、わたし?」

「噂に違わずアタマいいガキだな」


 ゆっくりと影が、ドールのような少女に近づく。


「噂……ね。正直、どうかと思う」

「まったくだな。未成年で人殺しだ強姦魔だなら必死こいて隠すクセに、どっかの誰かが勝手に想定した、『良かれ』と思っての方向にゃ、子供の人権もクソも無くなっちまうってのは、ままある。天才サッカー少年だの絵や作文で賞状もらったガキだの、そんなのの手柄をいちいち自慢したがるバカな大人もいる。お陰で配慮もクソもあったモンじゃなく、お前の存在はチョイばかし狭い世間の中じゃ、知られちまってるワケさ。アタシみてーな奴にまでな」

「……知能検査なんて、障害児を選定してための物で、優体を選ぶためのものじゃないよ。そもそもあんなものはタイムアタック偏重のパズルで、解法さえ識っていれば頭の善し悪しなんか関係ない。同じテストを続けて二度やれば、誰だって一四〇以上の数字スコアは叩き出せる」

「事前の了解なしに行ってハイスコアを出せる、そこに意味あんだよ。ようは機転、頭の回転がそんだけ良いって事実にゃ違いねーし。それは愚鈍と利口者とを見分ける指針には十分さ。突発の結果なんて、マイナス方向なら幾らだって操作もできるが、プラスは手前の上限以上は無理だろ」


 どすっと腰を落とし、ややずんぐりとした体型の侵入者は、小さなドールに向き直る。

 この位置に来て、闇から出て来た女性の外観がやっと認識できた。茶髪と金髪と、ブリーチし過ぎて白髪になっている部分と、黒と。

 他にも、ヘアマニキュアだろうか。カラフルにまだらになった、ウェーブのかかった長い髪に、ジャラジャラと装飾具を制服にブラさげた、一目で「ガラが悪そう」「頭悪そう」とわかる、「ギャル」の恰好だ。

 ドールのような少女には、むしろ相手の姿を確認した為に、余計に疑問が深まった感があった。


 ――何なの? この女。語彙は豊富で、教養もあり、そして悪意的。想定可能な人物像には無いちぐはぐさを感じる。

 それでも小さな少女は、視線を相手には合わせない。心ここにあらずな方向に、顔と瞳を向けたまま、ただぼぅっとしているようにも見えた。


 疑問や関心、ないわけじゃない。しかしそれもまた、どうだって良いこと――。

 とはいえ、何故ここに、何のためにこの女が来たのか?

 危害を加えられるようでもなし、居て困るわけでもないが、ぼんやり独りでいた所を、見知らぬ誰かに目の前で居座られてもさすがに収まりが悪い。


「用件は、何なの」

「せっかちだな。ちったぁ世間話とかしようぜ。天気とか政治とか野球とか」

「だいたいアウトじゃないの、それ」

「わかってていってンだよ」


 ヒャヒャっと、ややカンに障る笑いを口元に浮かべながら、目の前のまだら髪の少女は、それでも顔の上半分は険しい表情のまま、ジっと小さな少女を睨み続けている。


 用件――もちろん、無いでもない。彼女は何らかの目的を持って、三〇分ほど外で張って、この子供が学校から帰宅し、その母親が出て行くまでを見届けてからここに押し入った。

 何故この子供がこんな恰好で、どこかに遊びに出るでもなく、何をするでもなく、ぼーっと部屋の中で座り込んでいたのか、そこまではわからないし、予想もしていなかった。




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