第十八話『幾星霜、流る涯』(前編・その3)


 この頃になると、私もかなり麻衣さんとはうち解け、最初の頃には見えてこなかった面を幾つも知ることができました。

 麻衣さんは、二学年上の先輩だけに、私よりも読書量も多く、知識もあり、やや皮肉屋な所はあれど話術の巧みな人で、彼女の話を聞いているだけでも私にはとてもためになり、そして楽しく、部活は私にとって最も素敵な時間になりました。


 この、博識で聡明な麻衣さんが、私の調べている「」に、もし手を貸してくれたなら……そんな夢想も、時折はします。しかし、これ以上頼るわけにも、甘えるわけにも、まして巻き込むわけにもいきません。麻衣さんの存在は、精神的ささえになるだけで、私には十分でしたから。


 ある時、麻衣さんはポンっと、プロファイリングに関する英文の本を、私の目の前に置きました。


「九〇年代の半ば頃に、ロバート・K・レスラーの『FBI心理分析官』がベストセラーになり、トマス・ハリスの『レッドドラゴン』や『羊たちの沈黙』が大ヒットし、一躍この類の本が売れはじめたね。便乗本も多い」

「……あの。私、まだ中一ですから」


 洋書を読めといわれても、さすがに困ります。それに、私の中には「何故?」という、疑問だけが目いっぱいに膨れていました。


「これは記録集の類だから、そのへんの便乗本よりは楽しめるよ。中でも、最近日本で起きた、とある未解決事件に多くのページを割いていて、国内資料では網羅されてない部分が結構充実してる。何より、三流週刊誌と違ってノイズがほぼカットされてる点が良い」

「……あの事件ですか」


 今年の春からH市内を中心に、県内各所でおきた「連続猟奇殺人」のことは、知らない者もいません。既に市内だけでも三件ほど、不気味でおぞましい「惨殺死体」が見つかっていました。


 報道では、ワイドショーやゴシップ週刊誌が面白おかしく伝える物が殆どで、ちゃんとした事象のレポートとなると、とたんに資料が少なくなっているのも事実でした。


「それが、何故?」

「香織がここに入部してきた時期は、この事件が起きてからだいたい一ヶ月後だよね」

「……でも、これとは関係は」


 ない、ともいいきれない。

 いや、最初は関係ないと思っていました。


 幾度か「事件」を調べているうちに、私の調べていた事件と、この殺人鬼の事件とに、奇妙な共通項があることを、私は知ってしまったのです。

 普通であれば、それは考えられないこと。

 その事件と殺人鬼の事件を、結びつけて考えるような、いってみれば「妄想」のような飛躍……おかしな認識を抱いているのは、おそらく……私しかいないはずなのに。


「ゴメン、私ちょっと香織のコト調べたんだ。土日にはH市内なんかに、よく一人で行ってるよね?」

「……尾行ですか」

「うん、ゴメン。ちょっと探偵ゴッコしたくってね」


 ふぅっとため息をつき、しばらくうつむいて、そして顔をあげる。

 悪気があって麻衣さんもそんなことをしたのではないのは、十分わかります。きっと、私のことが心配だったのでしょう。

 気分屋で、身勝手なように見えて、麻衣さんはとても優しい人だから。


「私には、いまだに何が何なのか、サッパリわかりません。ですが……私の追いかけていた事件と、この殺人鬼……何らかの共通性があるとしか思えないんです」

「話してみな」

「あまり、話したくなるような話でもありませんが……」

「話してみよう」

「……はい」


 観念して、私は麻衣さんにうちあける。

 あまり他人には話したくなかった、その事件のことを。

 私が「私の事件」として、独りで追いかけたかった、あの出来事を。


 ──近所に、一つ年上のお姉さんが住んでいました。名前は、さきさん。

 佐和子さんは美人で、変わった本を読むのが好きで、すこし自閉気味な性格だけど、私にはとても優しくて、当時の私は実の姉のように佐和子さんを慕っていました。


 太宰治や坂口安吾、三島由起夫とか中原中也とか、おおよそ小学生が読むような本じゃない物ばかりを佐和子さんは私に薦め、私もわからないなりに必死で、大好きなお姉さんに付いて行くためにそんな本ばかりを読んでいました。


 やがて私が小学校の六年にあがる頃、佐和子さんの家は突然、私の前から姿を消してしまいました。

 夜逃げとか、そういった話でもないのでしょうが、何の挨拶もなしにの、突然のことでした。両親に尋ねても、佐和子さんの家はH市内の方へ引越したと聞いたくらいで、やはり詳しい話は何も知らされてはおりません。


 引っ越し先への郵便物の転送を期待して、幾度か手紙を出してみても、何の返事もありません。電話をかけてみても、移転先番号の案内すらありませんでした。

 それでも、佐和子さんなら私の住所も、電話番号も知っているはずです。いつかきっと、必ず、私に連絡は下さるだろう――そう信じて、ただ待つばかりでした。

 そうして、まったく佐和子さんとは連絡がとれないまま、寂しい気持ちで私は小学校最後の一年を過ごすことになりました。


 時折、私は「御崎」という苗字を頼りに、H市内まで赴いて、電話帳などを調べたり、市内の中学校を回ってみたりもしました。


 ……電話帳に、新たな番号や住所が即座に反映されるものでもないことは承知しています。また、掲載を望まない者の番号も載らないことも知っています。

 任意登録の引っ越し先番号案内すら行っていないことから、何らかの事情で佐和子さんの両親が、移転先を伏せているのではないか――そういったことにも、既に思い当たってはいました。

 でも、私にはやはり納得できません。子供には教えることのできない事情で、実はやはり夜逃げだったのではないか。嘘をつくような両親ではないものの、H市内へ引っ越したという話も、本当かどうかはわかりません。


 一時はその、H市内の中学に進学しようとも考えましたけど、そんな芒洋とした目的で、ままも通せません。


 そして両親からもお婆様からもミシェールを薦められ、私はこの学校に通うこととなりました。

 やがて、このミシェールにも慣れて、暫くした頃。


 不意に、私の耳に飛び込んできたのが、佐和子さんの訃報──


 自殺でした。


 信じられなくて、それこそ安っぽい表現だけれど、「目の前が真っ暗になるような気分」でした。


 ……学校内での自死……半ば公然の場での未成年のセンセーショナルなケースでは、厚生労働省とWHOによる、自殺報道のガイドラインが徹底されないこともしばしばあります。由々しき話ですが、皮肉なことに、あれだけ知りたかった佐和子さんの所在は、その新聞記事で知ることができたのです。


 何故、そんなことに?

 この一年の間に、佐和子さんの身に、一体何があったの?

 誰も詳しいことは、話してはくれません。

 我が娘の自殺という事実に対して、彼女の両親がそう何かをペラペラ話してはくれないのも無理はないし、周囲の大人たちもあまりそんな話を、子供の私に対して語ってはくれないでしょう。そもそも、どれだけ事情を把握しているかもわかりません。


 私はその、どうしても信じられない事実に納得するために、新聞の記事を入念に読み、現地にまでこっそり向かいました。

 同世代の学生になら、誰か、何かを話してくれるのではないだろうか、と。そう思って。


 ──得られる物は、殆どありませんでした。


 それどころか、厭な噂話や、流言蜚語ばかりを耳にしました。


 中学生という年代で、少女の自殺という格好のシチュエーションは、面白おかしく突飛な噂話を作り出すのに、向いていたのでしょう。

 加えて、佐和子さんのあの性格です。孤立しがちどころか、あからさまに中学での女子グループから反感を買うような言動も行っていたようです。

」ではなく反感。そこはさすがに佐和子さんらしい、とも思いましたけど……。


 そうなれば、あとは面白おかしく非常識な噂に、都市伝説を塗布するような下世話な話にしかなりません。


 曰く、彼女は妊娠していた。

 曰く、彼女は援助交際していた。

 曰く、彼女は付き合っていた男に捨てられた。

 曰く、彼女は禁忌の【詳細不明】を破った。

 曰く、彼女は【詳細不明】を行った。

 曰く、彼女は呪いを受けた。


 バカバカしい……!



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