第十八話『幾星霜、流る涯』(前編・その2)
「ええっと……ここは探偵、舎、ですよね?」
怖ず怖ずと、「わからないこと」には教えてくれると言質を取れたのだから、そう尋ねてみました。
「それは表の扉を見ればわかること。そして私は図書係でも何でもないよ。はは、案外物怖じしない子だ。疑問には質問しなきゃ気がすまない性分なんだ」
いえ、結構怖ず怖ずと、……でしたけど。
「ま、探偵が一人もいないんじゃ、留守番にできるのはこんな雑用だけなの。ここには未整理の蔵書がこれだけあるから」
なるほど。
つまり犀谷先輩がここに遣わされているのは、部室の管理や修繕、本の整頓のため?
他にも何か、あるような……。
ともあれ、そうなればやることは一つ。
私は目録の読み方や記述のし方、本の修繕や整理方法を、作業のジャマにならない程度に訊き、目で覚え、自分からも少しづつ、お手伝いをはじめました。
「……一応、いっとくよ。迷惑とはいわないし、手だって確かに足りてないんだ。感謝はするよ。だけど、これは別にあなたがやらなくてもいい作業だから」
「先輩がお仕事をしているのに、新入生の私が、ただぼーっと眺めているわけにもいきません」
「わかってると思うけど、この作業は『探偵』の仕事じゃないよ? だから、私は正部員であるあなたに何も伝えることもないし、手伝ってくれともいわないし、これはあなたの部活内容でもノルマでも何でもない。点数稼ぎにもならないし、私はあいにく人付き合いだって悪いし、自分勝手なんだ。後ろめたさなんて持たないで、あなたはあなたの好きなようにすればいい」
「ですから、好きにさせて頂きます。今のところこれといって『依頼』もありませんし、探偵に出番もありませんもの」
「ふぅん。誰かにいわれるまでもなしに、そうやって自分から仕事を作っていける子なんだ。でも……
まるで、何かを見透かされたような言葉のニュアンス。
「……いないのならば、なればいいです。ここでのお仕事が何かわかれば、それと併わせて自分で行えば良いと思いますから」
「はは、こりゃ感心だ。で……」
ポットから汲んだ黒豆茶を二つ盆にのせ、小さなテーブルの前に先輩は座る。休憩しよう、という合図でしょう。
「香織さんが『探偵』に
「……それは」
どうしよう。ここで黙秘も不自然ですし。
私はただ、じっと黒豆茶に映る自分の顔を見つめていました。
「今度は私に遠慮している。『この人を巻き込んでいい物かどうか』って顔だ、そりゃそうだ。ただの本の整理係だしね」
「いえ、そんなつもりは……」
そう。初日に会った時から、先輩は鋭さと推理力を私の前で発揮していました。ただの図書係というだけの人ではないでしょう。
それでも、「探偵ではない」という先輩を、私のワガママにつき合わせ、巻き込むことはできません。
「文芸部員の中でも、わりと私は推理物とか好きだったの。だから、自ら望んでここに来てさ。創作のポエムを見せ合ったり文集を作ったり、文学の感想を発表しあうような部活はイマイチ私にゃピンと来なかったしね。借り物の言葉や概念で『評論』だの『気付き』だの『指摘』だの、他人の
なかなか辛辣な言葉です。というか、それはあらゆるジャンルの評論、批評をもあざ笑うような姿勢で、何故文芸部に? とも思えましたけど……。
「まァ、ともかく。ここはそれなりに面白いんだ、色ンな物あるし。それに、独りの方がラクだったからね」
たしかに。普通の学校の図書室には置いてないような本もここには多いし、記録レポのようなファイルも結構あります。かつてのお婆様の活動の記録等も、ここには収められているのでしょうか?
「ええっと……」
口を開きかけて、やっぱりやめる。
それは、自分の手でどうにかしなければならないことだと思ったから。
私は――胸の奥に秘めたまま、独り、それと闘う決意をしました。
……
ましてやそれは、明確に憎むべき相手も、倒すべき敵も、いるわけでもありません。
ただ、そこにあるのは……、
謎。
私が立ち向かう相手は、
「ま、いえないコトなんて誰だってあるさ。いいよ、忘れる。君が見かけによらず結構頑固で、意志の固い子だってのは、もう十分に理解してる」
「……すみません。いえ、ありがとうございます」
「今の私が闘わなきゃいけない相手は、このアホほど積んである本
「……はい。嬉しいです。頑張りましょう」
いつも険しい表情の犀谷先輩が、初めて私に、ニコリと優しい微笑みを向けました。
私も、自然に顔がほころびます。
この部屋に居ることに、私はようやく自分で納得ができました。
私は、ここに居ても良いし、迷惑をかけているわけでもないのだと。
そして……私は、独り、その目的を果たさなければならないと決意しました。
先輩には迷惑もかけないし、その手を煩わせることもしない。
誰にも頼らない。それでいい。
そうでなければならない。
そうと決まれば、私のやらねばならないことは、一気に絞られました。
夏が過ぎ、秋になる頃には、「香織」「麻衣さん」と呼び合うようにもなり、私もこの居場所にも十分、慣れてきました。
慣れる、とは、他のことに余力も割けるということ。私は――部室にある「資料」から、幾つか自分にとって必要なものを探し出せるようにもなり、放課後や休日の時間を利用して、独り、行動を始めました。
まだ、何をどうして良いのかわからない、右も左もわからない、世慣れもしていない小娘にできることは、たかが知れていました。
電車に乗り継ぎ、見知らぬ街を歩き。
幾人かに話を伺い、時にはいぶかしがられ、好奇な目で見られ、場違いであると追い払われ。徒労と思えることばかりが続きます。
途中、幾たびか心が折れそうにもなりました。
頼らないつもりが、祖父の現役の頃から付き合いのある捜査一課のおじ様や、幼馴染みや、クラスメイトのみんなに、迷惑をかけたこともありました。
彼女たちは、これといって何ら事情を知ることもなく、深入りや詮索もせず、探偵舎に顔をだしては、時折作業を手伝ってくれたり、麻衣さんに叱られたり弄られたりしながら、私がまるっきり孤独ではないことを思い知らさせてくれます。
私は――やはり、恵まれています。
私は――誰かに、常に、甘えています。
それには、嬉しさも、一抹の恥ずかしさ、自身の情けなさをも感じます。
こんな私には、深い絶望も、孤独も、心の闇も、その深淵も、まるでわかりはしないのでしょう。
どうやれば、
ここには居ない、此の世のどこにももう居ない彼女の気持ちを、私ごときでどう理解すれば良いのか。
焦燥と、ゆるやかな挫折。何一つ見えてこない、目前に立ち塞がった巨大な壁のような物を前に、自己嫌悪ばかりが背中を覆います。ともあれ、「二足のわらじ」を履くことにした限り、弱音は吐けません。
そんな時でも、この部室で、麻衣さんと共に過ごすことは、心の安らぐ一時でした。「やるべきこと」も明確です。
まずは、本の整理。ここには、一生かかっても読みきれないほどの本があります。
最低でも三年間は私がここに居ることになるだろうと思い、自分の作業能力から計算して、ある程度のノルマを決めて自由な時間を増やせるよう、麻衣さんと取り決めました。
(それだって、言い出しっぺは麻衣さんでしたが……)
黙々と作業をするよりは能率もあがり、軽くお話しをしたり読書をしたり、この小さな洋館をまるでプライベートな部屋のように使いながら、平行して「ある事件」の調査も私は続けて行きました。
そう、それは……当初の目的とはまるで関係のなかった、まさかそこに足を踏み入れることになるとは思いもしなかった、あの忌まわしくも
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