第十八話『幾星霜、流る涯』(前編・その1)
第十八話『幾星霜、流る涯』
(初稿:2005.04.15)
講堂から、式の練習でしょうか。柔らかなオルガンの音が響き、ああ――もうそんな時季なんだな、と気付かされます。
高二の私には、「卒業」はまだ、当面先のこと。
桜のシーズンもまだ遠く、梅のつぼみすら結ばないこの季節。
この学園では、高等部は3月の初旬から中旬に、中等部は3月の下旬に式が予定されています。中等部のちさちゃんは、持ち上がりで高等部へ進学だから、「いつもの終業式」くらいの感覚でいるのかもしれません。
私も、そうでした。
「まったく。まだ三学期もはじまって早々ですのに、こんな練習をしなくともよろしいでしょうに……。ひと
そう頬をふくらせながら、卒業生代表にえらばれ、答辞の原稿に目を通しているちさちゃんは、つまらなそうな態度で窓から裸の枝を眺めています。
「そうねぇ……」
微笑み、そして何かを返答しかけて、私もちさちゃんの眺める方を目で追い、そして言葉を詰まらせます。
寄せては返す波のように、巡る月日は同じ情景を繰り返し、いつか見た場面を脳裏に浮かばせて、想い出の中に引き込みます。
あの桜の枝に花が咲く頃には、また新たな出会いや別れがあるのでしょう。
私、弓塚香織がミシェール中等部を卒業してから、もうじき二年になります。
同じ敷地内に中等部と高等部が隣接しているせいか、郷愁とか感慨といったものを、卒業時にはあまり感じられませんでした。
何より、この『探偵舎』の部室──部室というよりも
エスカレーター方式で進学するせいもあってか、思春期のこの時期……十二歳から十八歳までの学生生活が、まるで「一年生から六年生まで」のような感覚が、ここ、ミシェール女学園にはあるような気がします。
そもそも、中等部と高等部の区別は校章の小さなバッヂくらいで、制服だって同じデザインの物です。
それでも、そう生徒数が多いわけでもなし、どれだけ成長の早い子、遅い子がいたとしても、学生同士でならお互いの年齢には何となくピンと来るものです。
私が初めてここ、『探偵舎』を訪れたのは、中学一年の初夏のこと。
そこで出会った先輩は、私よりも小柄な人でしたが、一目で上級生だとわかりました。
*
──銅板に*Puzzlers'CLUB*と刻印された扉を開くと、そこに広がったのは、まるで絵本の中にあるような光景でした。
薄暗い洋室に、蔦模様の鉛線の装飾窓から差し込む光が、幻想的に書架を彩っていて、私はただ圧倒されたまま、ぼぅっと立ちつくしていました。
カベ一面に、本、本、本。
探偵の書斎というよりも、これはまるで魔女の庵……。
「……用があるならさっさといって。それと、ここではきっとアナタの思うような物は何も得られないから」
頭上から声が響き、あわてて振り返ると、
細身で、大きな丸いメガネに三つ編みの髪、ソバカスの多い顔は、蝋細工のように華奢で鋭利な感じ。
第一印象では、神経質そうで、厳しそうな人に見え、私は少し身を硬くしました。
「すみません。私、入部希望者なんですけれど……」
「は? ああ、ええっと……悪いコトいわないから、今から『回れ右』してアッチの図書委員か文芸部にでも行った方が良いよウン。あのさ、ここって別に『推理小説同好会』じゃないから。それに……」
「いえ、わかっています。ここは……『探偵』の部ですよね?」
「んム……」
先輩はトントンっと素早く本をおさめ、ピョンと飛び降りて二脚のパイプ椅子を広げ、一つに座り、手を差し伸べて私に「座れ」とゼスチャーで合図をしました。
「あの……」
あまりのスピードに目をまわしそうな私の前で、シッ、と一本指を立て、
「まてまて皆までいうな。ええっと……この時期、普通ならもう新入生は部活に入ってるよね。顔に見覚えがないから今年の新入生でしょ、いくら背がデカくたってわかるよ。それに、何だか幼い雰囲気だし」
背がデカい、は余計だと思いました。それでも、幼く見えるといわれたのは少しだけ嬉しくて、なにしろ入学以来、私は何度も同級生から「先輩」と間違われていたのですから。
老け顔……だとは、自分では思わないのだけど……。
「そして、この部のことを『知っている』となると、そんな新入生はそうそういない。なら、今年ここに入学して来た『初代部長のお孫さん』……または、その子からこの部の話を聞いて来た、近しい者ってことになる」
「ええ。お婆様から……」
「あ~っ、まだ正解いうなーっ!」
「えっ!? あ、はい、すみません……」
少しムっとした顔のまま、先輩はじっと私を見る。
「……なるほど、かの伝説の少女探偵のお孫さんか。で、それが何故、今になってからこの部に? 私はてっきり入部するものと思ってたけど、何の音沙汰もないから諦めてた」
「すみません。私、とくに部活をしようとは思っていなくて」
「いなくて、それが何故?」
「それは……」
どう、答えて良いのか。私は少し迷う。
「ああ、これはべつに尋問でも詮索でもなく、私の興味本位の質問だから。答えたくないなら答えないでいいよ」
「そうですか。じゃあ……答えません」
「あらっ? ……はは。なるほど面白い子だ。私の名は、
文芸部?
「私は、一年松組、弓塚香織です。よろしくお願いしま……」
「じゃあ今日からあなたが、ここの
「えっ?」
奇妙なことに、その先輩は探偵舎の人員ではありませんでした。
というより、そもそも探偵舎には「
そのため、文芸部から出向する形で、探偵舎の維持に犀谷先輩はかり出されているとのこと。
「……といっても、右も左もわからない一年生一人を置いて『じゃあ、さようなら』ってわけにもいかないからね。私も今年一年ここに居ることになってるから。わからないことは教えるし、何をするかも追々指示してくから。じゃ、そーゆーコトで」
そういい終ると、先輩はパイプ椅子を畳んで隅に置き、今度は蔵書目録をじっと睨みはじめ、私は何をして良いのかわからないまま、ただその様子を眺めていました。
特に何かを命令されるわけでも、怒られるわけでもなく、その日は終了し、次の日の部活も同じく。
先輩は蔵書目録を眺めながら、本の位置を直したり、蔵書の奥付をメモしたり、テーピングで痛んだ本の角を修繕したり、書籍や図録のリストをコンピューターにカチャカチャと打ち込んだり、たまに図書室からの蔵書貸し出し要請に応じては、やや煩雑で面倒な手続きを済ませてその本を探したり、まるで図書委員のようなことを延々とこなしていました。
ただでさえ、すごい量。背表紙からも、雑多に奇怪、奇妙な珍書が並んでいるのが判ります。
洋書のカーやポー、ドイルや乱歩といった基本的な物から、犯罪関係の資料や仏具資料、文學作品にサルトル、デカルトやカント等の思想書、エノク書からコーランまで。
本の背をつらつら流し見ているだけで飽きないほど、まさに何でもありな混沌ぶりで、所狭しと大量の本が。古書、
それでも、十数分ほどただぼぅっと眺めて、さすがに質問を投げかけてみました。
このまま何もせず終わるのは、耐えられなかったから。
「あの……」
私が口を開くや否や、まだ何も質問する前に、即座に先輩は答えました。
「何をしてるかって? 観ればわかるじゃない。ここにどれだけ本があると思ってる? 一人や二人が一年二年かけて整理できる量じゃないし」
それは確かに。
しかし、私にはそれだけにも思えませんでした。一体、それが何かは、まだわからないけれど……。
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