第十六話『ボーイズ・ミーツ・ガールズ』(後編・その3)
「どれだけ現場が荒らされてるかは未知数だが、上手くいけば凶器が特定できる。それに証拠も」
「う~ん……そこはちょっと、見てみないことには判断も難しいわね」
「警察が来るまでは保全……いや、手つかずのまま放置でいるだろう。何故、まだ警察沙汰にしていないと思う?」
「……学校側としても、まずは彼らの証言待ち……って感じかしら」
つーか、一体何をいってるんだ? この女たちは。えっ、忍び込むつもり?
あの、血まみれの現場に!?
「ねえ……もう一度、聴くわ。あなたたちの良心に問うわ。本当にあなたたちじゃないのね?」
穏やかな口調で香織が俺たちに向き直る。本当だってば。
「罪と罰、良心の呵責と贖罪とは常に折り合いがつくものばかりじゃないわ。今だけやり過ごせればそれで良いってわけにもいかないし、本人に自覚のない事故や不注意であれ、やがてそれは自分を苦しめることにもなるの。因果が必ずしも報いることばかりでもないし、理不尽な結果になることもある、それを恐れる気持ちだってわかるわ」
……優しそうな穏やかな口調でも、この香織って女の方も考えようによっては知弥子より凶悪かもしんない。俺たちから疑いの目を一切外してない上でこの調子だ。
「今後の処遇だって、それが為されようと、すり抜けられようと、何らかの責が降りかかるかもしれない、そんな不安や焦りも、理解できるわ。一切れのパンのために何年も投獄される者もいれば、罪を許されても心は責められ続ける者もいるもの」
こんだけにこやかで温厚そうで、終始俺たちが犯人だったら、との前提でいるし、しかもそのことに何ら悪意の片鱗も見せない。
人が人を「疑う」ってのは、もっと黒々とした感情をぶつけて来るモンだろ、フツー。
まあ、暴力がないだけあっちの女より何億倍もマシだが……。
「ジャン・バルジャンかよ、くだらねぇ」
ミノルは鼻で笑う。
「レ・ミゼラブルで主人公のモデルになった男は実際にはジャン・バルジャンより刑期は短くて、ミリエル神父のモデルになった神父の元で一発で更生して、波乱もなく人生を終えてるぜ。ようはウソで固めた作り話だ。『物語』をいちいち引き合いに出すだけくだらないね」
「それはとても素晴らしいことね。ユゴーの作劇は人生訓の提示でもあるわ。ジャンの迎える艱難辛苦は、それらへ果敢に立ち向かう者の苦悩、葛藤と勇気を描くことに主題があったからだもの。
何の話だよ。
ブンガクとか読まねーよ。
「事実であるか戯曲であるかが重要点じゃないわ。私たちはそこから何かを学んだり、感じたり、考えを深めることができるもの。人間には人生に於いて『体験』に限界はあるわ。でも、芸術とは、その限界を超えての『経験』の共有と拡張が出来る物なの」
「どうでもいいよ。フィクションはフィクション、現実は現実だ。何がかわるでもなし」
醒めた言葉だ。
……しかし、現実っていうなら今、俺の目の前に起きている事は、幾ら何だって現実ばなれし過ぎている。
神父のじじいの血まみれになった姿もそうだが、こんなワケのわからない女に、大の男が何人も……。
嗚呼、たしかにタイクツしてたよ!
日々、やってらんねーし。物語みたいに非日常な、超越した何かが起きてくれねーかって願ってたよ。思ったよ。
で、起きたけど。でも、俺が願ってたのはこんなことじゃねえよ。
ありっこないボーイ・ミーツ・ガール。
百に一つどころか、億兆京に一つもないような、すっげぇ美人のお嬢様に挟まれて、それでこんなひどい目に遭うなんて、想像つくか?
つくわけねー。
つーか、ぶっちゃけありえねぇ。
空から降ってわいたような、超強い美少女に、暴力あびて言葉責めされて踏んづけられて関節技キメられて、あげく人格否定までされて説教喰らってパンチラの一つすらご褒美ナシ、って。ねーよ、そんなラノベ。
いやドMなら十分ご褒美かも知んないけどよ、ねーよ。少なくとも俺には!
「まあ、ぶっちゃけ……俺はどうだって良いんだ」
まだいうのかよミノル!
「無実の罪で糾弾されようが投獄されようが、どうだって良いんだ。今よりは、少しは退屈じゃなくなるかも知れないしな」
何いってんだよ、おい。
「……無実で罪をきせられることを、あなたは『どうでもいい』って思うの?」
さすがに香織の方も首をかしげている。
「どう転んだってどうだっていいじゃねーか。たぶん実刑にはなんねーし、未成年だし。それに証拠不十分って話になるだろう。実際、やってないんだからやったことにされたとしてもその一点は変えようがない」
そりゃそうだ。白は灰色にできても黒にはならない。
無理くり黒に塗ろうってなら、何者かの過剰な思惑なり権力なりで捻じ曲げなきゃ無理な話で、そんなのは明確な痕跡も残るだろう。
「でも、そうなれば退学にもなったり、将来にも……」
「だから、将来なんてねーじゃん」
おい。
……いや、わかるけどさ。
そもそも、将来の目的とかそんなの、あったっけ?
あったかもしれない。遠い昔には。だが、今の俺には、俺たちには、そんなの何も見えちゃいない。見失ったのか、最初っからそんなものなかったのか、それすらわからない。
バカだってのは間違いない。
でも、そこから努力を続ける気がなかったのは、きっと、なりたいモノなんて何もなかったからだろう。行きたい場所があるわけでもなかった。
……きっと、俺たちのそんな気持ちは、この常人ばなれしたお嬢様たちにはわかりっこないだろうさ。
「ないなら死ね」
うわっ!
「今、死ね。生きているだけ酸素のムダだ」
強烈な言葉を、無表情なまま知弥子は口にした。まだこれが、感情的に罵倒されてるなら少しはわかる。ごくふつーに、何の感情も見せずに口にしてる。
何なんだ、この女。
つーか、人様に面と向かって「死ね」はねーだろ。そんなの軽々しく口にして良いわけが……いや、してたか。俺ら。
「生きるか死ぬかの瀬戸際の人間だっている。お前たちだってそれを目にしたはずだ。それでまだそんなヌルいことをぬかしているようなら、そもそも生きているだけ地球上のリソースのムダだ」
「な、なんだよ死ね死ねって……。ちょっと強いからって、何えらそうにいってんだよ、お前なんかに俺らの気持ちがわかるわけねーだろ」
つい、口をつく。また関節ワザをかけられるかもしれないが、知ったことか。
「虫けらの気持ちなどわかりたくもない」
ひでぇ!
「ちょ、ちょっと知弥子さん! いくら何でもあんまりよ」
「生きるということは未来への展望だ。明確な目的があろうがなかろうが、明日をより良い日にしようと思うから生きていける。命ある限りな。お前らは所詮、生命も、水も空気も安全も、何もかもただ小遣いと同じく誰かからダダ漏れに与えられ受け取っているだけだ、無考慮に」
「……な、なんだよ。そんなの……あたりめーだろ? 俺ら、高校生なんだぜ? 何か自力で人生とか選択できるって? できやしねえし」
「お前の今の糞みたいな生活はお前自らが選び択った自堕落な道だ。努力だってしていない。逃避と自己憐憫の結果が今のお前らだ」
ぐいっと知弥子はミノルの胸ポケットに手を突っ込む。
くしゃくしゃの煙草を掴みとり、屑籠に投げ捨てた。
「例えばこんな単純なルールも守れない。守れないというより、破るためにワザとやっている。酒を飲もうが煙草を吸おうがそんなのは貴様らの勝手だ。しかしそれをわざわざ校内でやる意味は何だ?」
……そりゃあ、
「幼稚にも程がある反抗心だ。そして、そんなお前らが何をどう『無実』を主張しようと誰も信じやしない。一方的な被害者意識を振り回しても、他人が自分たちを『理解してくれない』と主張しようとも、そんなのはムシが良すぎる。それに見合うだけの誠実さはお前たちにない。一方的な甘えと自分勝手さだけでお前たちは構成されている」
……たぶん、何も反論できない。ミノルもだ。
……わかってんだよ。
あぁ、甘えてるって事ぐらい、最初っから!
勉強くらいしか「価値観」がなかったんだ。
それだけが目的になってて、手段であって、他になんにもなかったんだよ。
その梯子が降ろされた今、どうすりゃ良いんだって?
わからない。見えてこない。
空虚で、空っぽで、宙ぶらりんだ。
でも、そんなのを、何もこんな、初対面の女の子からいわれる事ぁねーだろ!?
まったく、史上最悪のボーイ・ミーツ・ガールだ。
ありえねえ。
「あのね、知弥子さん……」
おっとり女の方が、「やれやれ」といった面持ちで、知弥子の正面に立つ。
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