第十三話『殺戮天使』(前編・その4)
「……ああ、面倒だ。関わりたくもないね」
吐き捨てるようにつぶやく。正直、このままもう、寒空の下に放り出してとっとと帰りたいぐらいだ。
まあ、そんな事をすれば後々、ねちねち何か陰口や嫌がらせを受けるかも知れないし、だから当然、そんな真似だって出来やしない。
ああ、面倒だ。何もかも!
「だよね。関わるだけ人生のムダだと考えたって無理もないよ、こんなクズには。どっちにしろ、仮に逮捕されたところで、大した罪にはならないものね。そしてすぐに同じことを繰り返すでしょ。それはもう、確実に」
「クズっていい方はないだろ。いや、クズだけどさ!」
「クズにも色々あるよ? 相手にする価値もないようなクズもあれば、生きる価値もないようなクズもあれば」
ひどい言い草だ。
それに、わかってるじゃないか。警察に突き出しても、面倒なだけでロクなことはないってのも。きっと何の解決にもならない。教材か何かで読んだが、このテの性犯罪者の再犯率はかなり高かったはずだ。
そもそも、仮にブタ箱にブチ込んだって、こんな奴らが反省なんてするものか。
自らを省みるだの良心の呵責だの、そんな愁傷な心のある奴が、何度も常習なんて最初っから出来るわけないだろう。反省があるとするなら「ヘマをした」ってくらいで、「今度はバレないように上手くやろう」っていう、自らへの戒めが精々だ。
じゃあ、一体俺に何を?
証拠集めだって無理。告発したって大した実刑もつかないし、それで被害者が救われるとも思えない。野放しにして良いものじゃないが、どうして良いのかわからない。
俺に何を決めろって?
生? 殺? 与奪? バカバカしい。
生かせ、なんていちいちいう必要もないだろう。ほっといても人は生き続けるんだ。ようはこのまま知らん顔で「見逃せ」って話かよ? まあ妥当というか、普通の答だろう。胸くそは悪いが。
殺? 社会的に抹殺って話か? 無理だ。ナンセンス。そうそう簡単にはいかないからこそ被害女性も取り下げとかしてるんだろ。
第一、ろくな奴らじゃないにせよ命を奪うなんて訳にもいかないだろ。逸脱し過ぎてる。そう軽々しく口にして良いものじゃない。
俺には、何も答えようがない。
呆れた顔で首を振り続ける俺の前で、少女は銀色の手帖のような物をヒョイと胸元から取り出した。液晶の青白いバックライトが白い肌を照らす。
「さっきね、久美って名前が出た時の君の反応がおかしかったから、ちょっとデータを洗い直してみたけど……『被害者リスト』に連ねてる子で、君と同じ高校出身の人がいるの。もしかして付き合ってたのかな? 旗野久美……F女大の二年。彼女の足跡を追うと、どうも彼女は君の名前でコイツらに誘い出されてたようなんだ。その翌々日に自殺してる」
──え?
「直接の、本当の原因は知らないよ。遺書もない。死んでしまった今となっては、理由も思いも闇の中。だから、私も君がコイツらの『仲間』だと、ついさっきまで信じて疑わなかったの。君の、鳩が豆鉄砲食ったような様子をみるまでは。アッハハ、何事もちゃーんと調べなきゃーダメだね」
今、この娘は何ていった?
俺は、自分の耳が信じられなかった。
久美は……可愛いくて、おとなしい子だった。
付き合ってると宣言できるほどの仲じゃないが、恋人同士のような気持ちも少しあった。今にして思えば、ほとんど只の恋愛ゴッコかも知れない。進学校だったし、手を握る以上には発展しなかった。
俺は無様に浪人し、彼女は女子大に進み、そして疎遠になった。
同級生から、彼女が自殺したことをこの夏に聞いて、あの時は一週間ろくに飯も喰えずに落ち込んだままだった。
「……俺の、名前……だと?」
「母校のアルバムや名簿とか、貸さなかった?」
記憶はおぼろ気にある。入学早々だったから、春くらいのことだ。
個人情報保護なんちゃらで、今日び卒アにいちいち住所までは載っけていないが、俺の母校は旧態依然で危機管理のゆるいままなせいか、顔写真と名前程度は、掲載可・不可の単純な念書一つにマルをつけて出させる形で、まあだいたいみんな提出してて……、
え? ……何だ、それ。
ちょっと見せてよ、っていわれて、何の気もナシにああ、良いよって、飯塚に……え、何それ。
名前と、顔と。……寄せ書き。何々大学に行ってもみんなのこと忘れないよ、とか何とか、余計なコト書いてたっけか、あの子は。
俺のせいか?
ちょっと、待て。
久美本人、なのか? さっきの話の……。
「こんな短時間じゃそこまで裏付けは取れなかったけど、君とこいつらの間には春の新歓以来、今日の昼までほぼ接点が無かったことは自動車部の複数から言質は取れたよ。川島くんとあともう一人……」
「え、あ、……ま、待てよ。調べるって……ていうか久美……」
だめだ、もう……、何も考えられない……。ぐるぐると頭の中に黒い渦が広がるような感覚。
「だから、君に権利があるんだよ『審判』の。旗野久美にかわり、こいつらに下すべき判断。死者の代弁者として。神罰の代行者として。助けたいならそれも良い。君に免じて今日は何もしない。こいつらを君がその後どうするかまでは知らないけど、私はこのまま帰る。そうでないなら──」
「ないなら……どうする?」
「共犯になって貰う」
──生きる価値もないクズだ。
ああ、確かにそうだ。「胸糞悪い」とかそんなレベルじゃない。
こいつらは……。
ぐらりと、天地が歪むような感覚。
今まで、ただ嫌悪感だけが一杯に詰まっていた胸の中に、熱い何かがこみあげてくる。吐きそうだ。
今この瞬間に思い出した。
夏にかかって来た同級生の電話。「もしもし鈴宮? あのさ、最近、旗野に会った?」そんな出だしだった。何故? と問い、そこで久美の自殺を知った。どこかで俺と会うような話でもしていたのか?
誰だその俺。
血が沸騰したのか、凍結したのか、自分でもわからない。目眩がする。
片手をグーに握り、後部席のドアをあけて、今にも眠ってる先輩たちをボコ殴りにしたくなった。背後から少女の手が俺を止めた。
「君がソイツらを殴り倒したって上手い解決にはならないと思うなぁ」
「……どうすれば良いってんだよ」
後ろも振り向かずに、つぶやく。自分の声が震えているのがわかる。
久美の顔が脳裏をチラつく。
ブリーチしてない女子なんてあいつだけで、ややダサめな私服だけど可愛くて、一度なんかの女向け雑誌で何度目だかの『再ブーム』とか書いてあったルーズを履いて登校したら女子一斉に「似合わねー!」と笑われて真っ赤になって、それから卒業までずっと紺ハイソだったあの子の顔が。
一緒に歩いたり、ファーストフードに入ったり、どうってことのないデート……いやデートとも呼べないような付き合いしかしていなかったけど……あらゆる思い出が一瞬に。
全ての思い出が憎悪になる。
憎悪が炎のように脳味噌を焦がす。
ひやりと、何かが後ろから首筋に当たった。
血がのぼった頭が少し冷えた。
「で、どうなの?」
「……
「それが君のジャッジね」
少女は何かをつぶやいていた。
経文のような、得体の知れない言葉だ。
──神はなし、されど神はあり。数奇なる因力、混沌と沈黙の闇に礼賛す巫女、我等は死者の代弁者。我は神罰の代行者。天が使わし黒き翼を持つ者なり──
「俺は……何をすれば良いんだ?」
「何もしないで良いよ。ただ『知らない』――『何も観てない』そういい続ければ良いの。その約束を破った時の君の命の保障はしないけどね」
「……そうか」
次の瞬間、バチッと衝撃が走り、俺は目の前が暗くなった。
…………。
……。
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