第十三話『殺戮天使』(前編・その5)
俺がふたたび目をさましたのは、どこかの白い部屋だった。
ベッドの上だ。
壁も天井も何もかも白い。
見知らぬ人たちが周囲を囲んでいる。
そこで幾つも質問をされ、答え、その内容も今ではあまりおぼえてない。
――しらない。何も見てない。
おぼろげに、そのフレーズだけがずっと脳裏に残っていて、きっとうわごとのように俺はそれを繰り返していたんだと思う。
頭がシャッキリするまで二、三日はかかったと思う。
消毒薬の匂いでそこが病院だとわかった。
……俺は、あの子に何をされたんだ?
された……? 何を? 一体何がどうなっている? 怪我?
……入院、させられた?
しかし……不思議とあの子に対しての怒りはない。
そもそも、誰だ? 「あの子」って。俺はなんであの子と、あんな駐車場で……何を? 何の話をしてたっけ?
薄ボンヤリした記憶の彼方に、何があったのか。
俺は、まだしばらくはそれを思い出せないでいた。
ただ、約束――それが、何のための物かもわからないまま、それが俺の「するべき事」だとの、理由不明の確信から、しらない、何も見てない――それだけを口にし続けた。
かわるがわる面会に来るのは、心配そうに見守る家族、医師や看護師の人たち、そして刑事……(刑事?)
俺は、どうも何者かにスタンガンで襲撃されたらしい。
(その「何者か」が誰かは、名前こそ知らないものの、俺には分かっている。とはいえ、それも当然、口にはしなかったが)
首の後ろにかなりの火傷ができているそうだ。「もう数秒やられてたら、一生後遺症が残ったかもしれない」と聞かされ、少しゾッとした。
そして、何でも気絶した俺は、そのまま河原の寒空の下に放置されていたらしい。指先や顔に凍傷が出来るほど長い時間、野ざらしにされていたそうだ。
倒れた時に右頬とヒザを打って捻挫もしたらしい。
実感はない。傷口は包帯でグルグルに固定され、痛みもない。倒れた時に強打でもしたのか、アゴがちょっとガクガクし、奥歯に違和感がある程度だ。
ともあれ、おかげで怨む気もない。
むしろ、夢か何かであった方がホッとする。
……朦朧とした意識がはっきりしはじめたのは、先輩たちに関する質問に受け答えていた時だ。
最初は、意味がわからなかった。
先輩たちの様子に、おかしい所はなかったか?
君は何をしていた?
どこで、誰にやられた?
わからない物には答えようがない。
まさかあの子だなんていえやしないし、曖昧に「わからない」「しらない」と答え続けていた。どっちにしたって俺に、あの店の駐車場までの記憶しかないのは事実だから、少なくとも嘘はいってない。
やがて、少しずつ、その意味が飲み込めて来た。
先輩たちは「死んだ」らしい。
受けた傷の状態から、俺は疑われてはいない(らしい)が、何かを知っているのではないか? と、穏やかな口調で何度も、何日も、繰り返し問い質された。
……死んだ?
俺が一通り、まともに動けるようになり、受け答えも普通になった頃に、やっと先輩達の「集団自殺」を聞かされた。
細切れに、出し惜しみしつつポチポチと聞かされた話を総合すると、どうやら先輩たちは俺の車の中で、練炭による一酸化炭素中毒死をしたらしい。
ポケットには何かのメモ(遺書?)、睡眠導入剤とスピリタス(アルコール度数九十六のウオッカ)。彼らの胃や血液中からも同じ物が検出され、スタンガンも持っていたそうだ。
「メモには何と?」
そう尋ねても、刑事たちは困った顔をしただけで、最後まで言葉を濁したままだった。
だいたい、眠剤やスピリタス、スタンガンを持ち歩くなんておかし過ぎるだろう、とは思ったが、何故だか刑事たちはその辺りを不審には思っていないらしい。
話が飲み込めるにしたがって、状況が状況だけに、ボンヤリした俺ですら、次第にビクビクして来た。背中に脂汗が浮く。マジ?
俺には自力ではできない位置から電撃に襲われた傷があり、車の外に放置されていた。発見者の匿名通報がなければ、凍死していてもおかしくない状況だったと聞く。
……何故?
自殺だって? アイツらが? まさか。
その瞬間、全てが飲み込めた。
殺されたんだ。
誰に?
あの子に? まさか本当に、あの子がやったっていうのか? マジか?
……いや。
違う。
そうじゃない。
――
そう告げたのは、俺だ。そしてその時、あの子は、何ていった?
――それが君のジャッジね。
生殺与奪――決めたのは、俺だ。
その権利を委ねられたのは、
判断を下したのは、
…………俺か?
俺が──『決定』した。
あいつらが死んで「ザマァ見ろ!」って気になれたか?
否。
ウラミは晴らした。久美、安らかに眠ってくれ──そんな風に思えるか?
否。
良心の呵責とか、罪の意識は──それも、ないかもしれない。
あいつらはクズだ。糞だ。でも、俺は俺がやったことが何なのかを今更になって知り、あきらかに動揺している。
やがて、報道の一部がスッパ抜いた。
ヤツラが残したのは遺書ではなく、これまでの犯行を自白する、告発のメモだったらしい。
手持ちの「自殺道具」は、練炭を除けばすべてヤツラが犯行に使っていた物だ。
マスコミは騒ぎ、先輩たちの遺族は沈黙し、被害者の何人かは被疑者死亡の状況でも告訴に踏み切った。被疑者死亡ってことは、刑事訴訟は自動的に不起訴になるはずだから、ようは民事の準備って話か。真相究明の為に被害者側が打てる、唯一の手段だ。もっとも、この辺りは、不勉強なせいでそう詳しくは知らない。
いずれにせよ、全てはイヤな感じに収まってゆく。出来すぎなくらいだ。
一体、何がどうなっているんだ? そして、そのイヤな収まり方の歯車の中に、確実に俺も含まれているっていう事実。
……何より、警察もマスコミも「自殺」を毛頭疑っていない点だ。これが殺人なら、悪魔のような手際の良さだろう。
俺は──この事態を前に、ただ恐怖のまま沈黙した。
(後編につづく)
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