第十三話『殺戮天使』(前編・その1)


 最悪だ。胸糞悪ぃ。

 しばらくの間、俺はこの耳で聞いた内容が信じられないでいた。

 ……一体、何をいってるんだ、こいつら!?

 酒が進むにつれ、先輩たちの会話内容は、どんどん顔をしかめたくなるような、ドぎつく、下世話な物になって行く。

 とてもじゃないが、聞くに堪えられない。

 マトモじゃない。


 幽霊部員同然の俺が、先輩たち三人とこうして今、この店にいるのは、たまたま昼間に部室で顔を会わせ、車のパーツの話で一しきり盛り上がったからだった。

 俺が籍を置いている自動車部には、ジムカーナや軽耐久に血道を注いでいるような熱血部員も、コアメンバーには結構いるらしいが、まぁ大半は部員だ。

 自家用車の整備のイロハを覚えるためとか、ペードラがAT限定解除の練習を積むためだとか、何となくドライブの予定を立てるために所属している等、ゆるゆる具合も各種色々取り揃えてある。もちろん、俺もその一人。

 何かの大会出場の際には応援に総出でかり出されたりはするけれど、あとは極めて自由ってのも良い点だ。

 そして、同期の川島と何となしに駄弁っていた時、普段たいして話をした記憶もなかった安土先輩が割って入って、まあ、意外と博識で話術も巧みで、この人あんま良い噂は聞かないけど、喋ってみたら案外面白い人なんじゃないの? ……と。そこで幾つか話がはずんだ後、


「そうだ鈴宮、今晩飲み会あるんだけど、来る?」


 そういわれて、最初こそ遠慮はしたものの、話を聞けば、ようは帰りの運転手を確保したいだけらしく、どっちにしろバイトがある川島は無理ってことで、アルコール抜き、飯はオゴリって好条件で、俺はそれを引き受けた。

 どうせ俺には何の予定があるでなし、元より一滴も飲めない。ヒマだけならたっぷりあるんだから、断る理由だって別にない。


 普段来ることもないファッションビルの一角。馴染みの和風装飾の民芸居酒屋チェーン店とは違い、そこは料理も内装もやや洋風で、それでも、やけにウェイトレスの格好が可愛い点を除けば「普通」な感じの、味や値段までまあ普通(大方、この制服目当てで選んだのだろう)なテナントの店だった。

 普段話さない相手と付き合う、良い機会だろう――最初はその程度に軽く考えていた。

「どうもおかしい」と思ったのが、先輩たち三人にアルコールが回りはじめてからだ。

 正体が出たのか、気を許したのか、話がやけに下品になって行く。

 ここにいる俺のことなんて、まるで目にも入っていないかのように、やれ女の話、合コン、ナンパの成功失敗談、そこから更にセックス談義だとか、そういったシモシモへと話題が品のない方に移ってゆく。

 地が出れば人間、こんなもんか──。

 シラフの強みでそう思いながら、軽く受け答えてはいたけれど、話がどんどんドぎつく、おかしくなってくる。単にエロ話ってだけじゃない。


 ……先輩たちの話、ソレ、殆ど「ナンパ」じゃなくて「レイプ」だろう!?

 冗談なのか、マジなのか。

 だいたい、酒には強い方だと豪語していたのに、このヘベレケっぷりは何だ?


 ……はぁ。

 ……冷静になれ、俺。


 考えてもみろ。そんなバカなこと、あるわけがないだろう?

 本気にすんなよ、俺。こいつらのいってる話って、普通だったら、ただの犯罪だぞ?

 やれ、その後写真を撮って脅しただ、何々をさせただ、聞いてる方がウンザリ来る話ばかり。それを相づちを打ちながらキャッキャと大袈裟に「面白がる」なんて、頭がどうかしてるとしか思えない。

 幾つか挙がる女の名前だって、一人二人じゃない数だ。

 ……ないって。ンな話さ。馬鹿々々しい。

 酒で気が大きくなって、妄想だか現実だかも区別がつかなくなってるだけなんじゃないのか? これ。

 そもそも、こんなのは所詮、ヨッパライのだ。どれだけその内容が、不愉快で、最低でも。

 そうだ、もしかすると、俺の食欲をなくしてオゴリ分を少なくさせる計画かも知れないぞ?


 ……って、まぁそんな判断力もなさそうな酔い方だけど。


 だいたい、いつ、どこで、どうしたとか、アイツはどうだったとか、具体的に相づちも打っているんだから、出任せに今作ったばかりの話とも思えないんだが……。


 高校時代に付き合ってた子と同じ名前も出て来て(まあ、珍しい名前じゃないが)余計に不愉快だった。先輩たちもその名前を出す時にチラチラ俺を見て笑ってるような気がした。我ながら、とんだ被害妄想だ。

 ……どうかしているな、俺。


 あの子は──久美は、夏休み前に自殺したと聞いている。


 まだ、ひきずってるのか? 俺は。

 ヤレヤレ……。

 一滴も飲んでないのに、吐きそうな気分だ。


「あの、大丈夫ですか?」


 いや、俺の方はともかくね。コイツらが──近寄る店員にそういって、早々に引き上げることにした。


 足どりもフラフラなリーダー格の先輩が、レジで無用心にカードを振り回し、会計しているのが目に入った。目の焦点も合ってない。すっかり出来あがっている。

 チーズアスパラもシーザーサラダも、胃の中でまともに消化されていないような感覚。異物でもねじ込まれたようにズッシリくる。こんなヤツらにおごられたと思うだけで、正直、胸糞悪い。

 まして、これからこの酒くさい連中を、俺が一人で運ばなきゃいけないんだぜ?

 ……堪忍してくれよ、おい!

 そりゃあ電車もバスもまだ余裕の時間だが、放ったらかして帰るワケにもいかないだろう、これ。


 顔をしかめながらも、前後不覚の先輩たちに肩を貸して、俺だけでなく男子店員も二人ほど、一緒に駐車場まで先輩たちを運んでくれた。何度か「いやホント、すみません」「ホント、ごめんなさい!」ととにかく店員たちに頭を下げて(俺が!)、愛車の後部座席に押し込める。


 バタンと扉をしめ、ため息を吐いた。


 薄暗い、廃ガスがこもったコンクリ打ちっぱなしの駐車場の中、さて、俺はどうしようかと考える。


 ……どうする?


 どうするって、……なにを?

 このままハイ、着きましたと先輩たちを家に送り届けて、それでおしまい。ホントに、それで良いのか?

 ……ま、それしかないだろう。実際。

 俺に、何ができるって? 何かできるかって?

 そう。できるでもなし、どーにもなりゃしないって。

 警察にでも、このまま連れて行くってか?

 全く現実的じゃないな。無理。無意味。


「こいつら、酔っ払って犯罪の自白をしていました!」じゃ、話にならない。


 酒が醒めた後に「その証言は本当ですか?」と警察から訊かれても、そんなものは、シラをきるに決まっているだろう。そもそも伝聞証拠だけじゃ判断材料にならないってのは、え~っと何だっけ……? そう、刑事訴訟の大原則だ。

 それに、酔ってる間のこいつらの証言が事実かどうか確認できるほど、その内容をつまびやかに報告できるほど、俺がそれを憶えてもいない。憶える気もないが。

 こいつらが駄弁ってた話が、事実がどうか裏が取れるなら、そりゃあ確かに通報もできるかも知れないが。

 犯罪として告発するにはそれしかないとして、だ。……そんなコト、できるのか?

 そう。できっこない。無理。不可能。 考えるまでもない。

 不愉快すぎて、こいつらの話はほとんど耳の左から右へ抜けて行った。そんな俺に、ましてや酔っぱらいの一つで、警察に突き出せるわけもない。ムリだってば。

 そう、何もできやしない。できるわけがない。くだらない。

 見て見ぬフリして、聞かなかった事にして、知らない顔で送り届ける以外の選択なんて、最初っから俺にあるわけがないじゃないか。


 ああ、忌々しい。


 だいたい、今こうして冷静に思い返しても、果たしてこいつらのゲス話の数々が、事実かどうかもわかったもんじゃない。所詮、酔っ払いの妄言じゃないか。

 虚言癖と妄想癖のある、センスのカケラもないゲスいエロ話が好きなだけの、只の馬鹿かも知れないだろう。程度の差はあれ、そんな奴はどこにだっている。

 それによって俺が感じた「不快感」を、無理くり社会正義か何かにあてはめる方が、そもそもナンセンスだ。ネタに釣られてマジになる方が馬鹿を見るって話。

 ……じゃあもし、事実なら?

 ……さぁ?

 自分では、人並みに正義感はある方だと思ってる。けど、どうすれば良いのかが今ひとつわからない。

 そういった被害届が、ちゃんと出されているかどうかも知らない。

 ようは、今の俺には、ただただ不愉快で、気分が悪くて、できれば二度と一生、こんなヤツらと関わりたくないって思いしかない。

 ……そう。ただそれだけの話さ。

 その為にも──さっさと、とっとと、終わらせるのが一番ってコトだ。……ヤレヤレ。タダより高い物はないってな。勉強になったよ。あぁ、反省した!

 そりゃ、財布の中身は何ひとつ減っちゃいないが、プライドとか倫理観とか、正義感とか、そういった幾つもの大切な何かが、ごっそり奪われたような気分になる。

 結局、ホイホイついて行った俺がバカだったってだけさ。それだけのこと。


「はぁ……」


 大袈裟に、再び息を吐いて、背を丸める。


「う~ん、困ったよねぇ」


 俺のため息にあわせるように、背後から小さな声がした。

 女の子の声だ。

 振り返ると、先輩の置き忘れた手荷物を運んで来たウェイトレスが、一人そこに残っていた。



 第十三話『殺戮天使』


       (初稿:2004.11.29)

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