第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その27)
EXTRA EPISODE 12
気絶した綺羅さんを先輩たちに預けて、私は毘沙門の塔に隣接した小屋に向かった。
中では力輝さんが、何か木を削る作業をしていた。
私には、まだ残ってる。
「あの、夜分おそく失礼します」
「……娘さんの声はよぉ響くけ、だいたいは聞こえたよ」
「じゃあ……私が何故ここに来たか、わかりますね?」
「わからん」
ぶっきらぼうな喋り方だ。
「いやぁ、気のせいかな。何も聞こえんかった。何も知らん。……何も喋らんから心配せんでえぇ」
「……いえ、綺羅さんのこと、力輝さんにお願いしたいんです」
「何故じゃ?」
「もしかすると彼女の本当の父親は……」
「ゆーたはずじゃ。まァ、もしお嬢様の瞳の色がワシと同じなら、さすがに伸夫も自分の娘にはせんかったろうな」
「……どちらなんでしょう?」
「どっちにしても最悪じゃわ。それを、お嬢様は知るべきじゃなかったんじゃ」
「実の娘かも知れなくても、お嬢様って呼ぶんですね」
「ワシはそれと知らずに、実の母親をずっと『お嬢様』と呼んで過ごしてきたけぇな。お嬢ちゃんのゆーた通りにな」
もう、さすがに隠し立てもしないんだ。
……楓さんは、どんな気持ちで彼を見ていたのだろうか。
楓さんの中で育まれた殺意の源は何だったのだろうか。
粂さんが孫の力輝さんに優しく接せなかったのは、娘を傷物にした独逸人の血が、あまりにも色濃く出ていたせいかも知れない。
「……まァな、実際、楓お嬢様とは違うわな。綺羅お嬢様にはな、タエさんの血だって流れよんのじゃ。タエさんは……本当に、優しい人じゃったよ。八幡の家を追い出されてからも、折りを見てワシを心配してくれての。同じ釜の飯を食った同士じゃし……いやソレをゆーたら八幡家の皆もそうか、ハッハッハ」
あなたも八幡家の……いえ、良いか。
「まァ、使用人同士、あんな事件がおきた後とはいえ、ワシら仲は良かったんじゃ。タエさんには、明美っちゅう娘も生まれた。父親はどこの誰かは知らんかったがな」
「その明美さんと……」
境遇がどんな物だったのか、八幡家の人たちとどんな関係でいたのかは、私にはわからない。わかっているのは力輝さんがその後に八幡の家を出たこと。明美さんの娘が何故か八幡家の娘として育てられていること。
「綺羅さんは……」
紅蓮の炎に包まれる中、累々と転がる八幡家の遺体、そして大量に発掘される何百年前の人骨。そんな奇奇怪怪な難事件を、探偵がさらりと解き、暴く結末を、本当に望んでいたのだろうか。
楓さんの事件に対する、「探偵」へのリベンジ……と考えるのも早急だけど。
意地っ張りでひねくれ者同士の好対照、部長が頑なに「ゲームマスター」でなく「プレイヤー」を望んだように、綺羅さんもまた、立ちたい位置は「出題者」だったのかも。
……だからこそ、
いずれにせよ、私たちがここに来たことこそが、確実にこの事件のトリガーだった。
「……茜奥様と明美さんで、同時期に子供が生まれて、片方は死産、片方は母親が死んだ。元より楓お嬢様と粂さんは親子じゃのに、似てもおらん。あの西洋人形のような姿は八幡の血じゃわ。ほいで伸夫はどっちも自分の子供と思ぉとったからな、何の迷いも無く綺羅お嬢様を育てたんじゃろ。養子とかじゃない、実子じゃ。戸籍上もな。茜奥様はソレをどう思っとってか知らんが」
なんでそんな……無茶なことを。隠すようなことをするんだろう。
こんな狭い村の中で、何を気にしていたのだろう。狭いからこそ? そんな家風だったから?
私には、わからない。理解できない。
「……綺羅さんを……これからの彼女を、見守って欲しいんです」
「ゆーてもな、そんなモン、ワシが守ってやれるわけもなかろう。むしろ、ワシが綺羅お嬢様に恨まれていてもおかしゅうない。支えにもなれん。ワシとて、あの子の背負わされたモンの『一因』に過ぎんわ」
それに、どっちに転んだところで充分濃い八幡の血じゃ、と力輝さんは笑った。
力ない笑いだ。
「なれますよ」
いや、なって欲しい。勝手な思いだけど。
私は、普段の綺羅さんと力輝さんが、どういった付き合い方や仲なのかも知らない。それでも、ほんの断片、綺羅さんが力輝さんに見せた顔、力輝さんが綺羅さんに接する態度に、優しみを感じられたから。
何より、綺羅さんは力輝さんを八幡家の者としての
……考えようによっては、綺羅さんは自分の父親が伸夫さんであると決めていたのかもしれない。いや、「確信」とは違う。
そう思いたかった。私が粂さんを、
そう思わなければやっていけない、もしそうでなければ
そして、粂さんも、恒夫さんだって、綺羅さんが力輝さんの子だと確信していた。そう
なら、伸夫さんは……? 本当にそれを、自分の子だと思っていたのだろうか?
――そうは思っていなかったけど、楓さんの血を引く子として預かりたかった……?
……わからない。
本当の所は、私には何も、わからない。
でも、一度でも彼女は、「肉親」に対して殺意を向けた。その事実は消えない。
もしそれが成功していたなら、生涯後悔し、苦悩したかもしれない。では、失敗した今、彼女はどうするだろう?
失敗したことに後悔する? 苦悩する? また同じことを繰り返す?
それは、たぶん……ないと思う。
「なれるかゆーても、……どうかな」
「あなたにいつも、綺羅さんは会いに来てたんでしょう?」
「楓お嬢様にかもな。会ったことはのうても、綺羅お嬢様はいつも楓さまのことを熱心に気にかけて、手も合わせよった」
……綺羅さんだって、信仰はないのに。
「このお堂の修復や、あの慰霊碑を建てたのも、力輝さんなんですよね」
「出自はどうあれ、だからこそ供養に使うてやらにゃな。神仏がどう生きるかは、それを拝む者次第じゃろう」
そう自分にいい聞かせるようにつぶやいて、偽りの毘沙門像──偽りのミカエル像の方を向いて、力輝さんは念仏を唱えた。
それ、何の宗教なんですか、メチャクチャですよ、とは突っ込めない。
宗教的に無知でも、デタラメでも、冥福を祈る彼の気持ちは本物だから。
私も、無信仰だとはいったけど、神様にも祈る。仏様にも。何だかわからない何かの力にさえも。
見えざる未来に、決定されない先に対して、何かの超自然的な力には、どうしても
目を閉じて、私もそっとロザリオを握った。
死者に安らかな眠りがあらんことを。
綺羅さんの未来に。
そして、
To Be Continued
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