第十一話・閻獄峡ノ破『紅き焔』(前編・その1)
Alle Sachen dort Müssen Brennen.
──全て 燃え尽きねばならない。
メラメラと、パキパキと、ゴウゴウと。
爆ぜる音、崩れる音。
誰かが、けたたましく叫んでいる。
男の怒鳴り声が。
怯える老人の声が。
若い娘のすすり泣く声が。
青年団の若者たちも声を荒げる。
視界を覆うように炎が
喧騒の中、ひときわ大きく叫ぶ声が。
まるで獣の咆哮のように。
そして、その外国の言葉を、村の誰一人として聞き取ることはできなかった。
Diese verfluchten Leute werden unglucklich!
(嗚呼……何てこった、忌々しい……呪われた村だ!)
Es ist das schlechteste Dorf!
(そう……ここは最悪の村だ!)
Verschwinde! Ich xxxx dich um!
(消え失せろ! このXXXXめ!!)
聖学少女探偵舎
第十一話
『閻獄峡ノ破──
(初稿:2004.10.01)
1.
夜の公園に、わたしは佇んでいる。
知らないことを「知ろう」とした。
見えないものを「見よう」とした。
いつだって、どんな時でもヒマさえあれば、わたしは頭の中でめいっぱい、ありとあらゆる可能性を「考え」続けた。
小さな破片を、断片を。
拾いあつめ、紡ぎあわせ、想像する。妄想する。夢想する――。
そこから何かに繋げて行くことが、発想の翼を広げることが、とてもとても楽しくて。
他に読む本も、見るテレビも、何もない時でも、ただそれだけをボンヤリと、頭の中でころがすことで、いくらでも楽しめてしまうのだから。
我ながら、何とも単純で、安上がりな「趣味」だと思う。
でも、それが――。
ガタン、ゴトン、小さな音が、遠くから聞こえる。
青白い街灯に照らされた、白いワンピースの女の子は、まるで妖精のようにおぼろな姿に見えた。子供の目からみてもわかるほど、圧倒的なまでの美少女。
白い肌に、淡いキャラメル色の髪が、蛍光灯に透けている。
左右に束ねた髪の房が夜風に揺れる。
目の前にいるわたしは、とてもじゃないけど、妖精のようには見えない、ドン臭くて野暮ったい格好の、ただの普通の女の子。
ガタン、ガタン。背後で路面電車の音が迫る。
夜の公園に、わたしたちは立っていた。
優美に微笑むあの子を前に、今にも泣き出しそうな顔でいた。
──哀しまないでいいのよ、巴さん。あなたは何もわるくない。
でも、わたしは……
知りたくもなかったことを。
知るべきではなかったことを。
哀しんでいるのだろうか。そう問われても、よくわからない。後悔は、している。
もう、
もう、何も考えたくはない。
知りたくもない。
――知ることは何も悪くない。あなたは何ひとつ間違っていない。だから、間違っているのはわたしのほう。それは火をみるよりもあきらかで、この世の何よりも確かなこと。知らなければよかった、なんて思わないで。
無理だよ。なら、どうすれば良いの? このまま黙って、知らん顔をして生きてゆくなんて、わたしにはできないよ。
──それはそうだよ、巴さんは
でも、まだ信じられない。あなたが……、
──明確な根拠もない、直感や情動に頼った「信じる・信じない」に何の意味もないよ。それを提示するに足りる保証もなしに、闇雲に何かや誰かを信じるのは、ただの狂信。
「信じる」「信じたい」「信頼」「信用」馬鹿のひとつ覚えみたいに連呼する「信じる」には、流行り歌の歌詞ほどに価値もない。
印象や偏見、経験則の予断や勘といった、くだらない
力なんてないよ。わたしには、何も……。
いつもの通り、あの子は「子供らしからぬ言葉」を
誰がどう見てたって、ここに居るのは「ちいさな女の子同士」だというのに、わたしたちはその存在からして
……だから、もういいよ、いわないで。なにも聞きたくない。どれだけあなたの言葉が正論でも、わたしにはもう、どうでもいい。
──それはただの思考停止。聞きたくなくても事実はかわらない。目を耳をいくら塞いだって、それであなたの都合の良い世界しか残らないわけでもないものね。
ほら。やっぱり、かなわない。
わたしの言葉では何ひとつ太刀打ちできない。
毅然としたあの子の前で、わたしは臆病で卑怯で、オドオドしたまま、こうしてもう、逃げることしか考えていない。正しくなんて、ないじゃない。
――胸を張って良いし、巴さんは何よりも強い武器を持っていて、それはわたしには
資格? 何の?
――そうね、たとえば――「
馬鹿なこといわないで。探偵だの、正義だの、あの子じゃあるまいし。
それに、わたしはあなたに勝るものなんて何も無いんだよ? 愚図で、無知蒙昧で、あなたの前じゃ、引き立て役にすらなれないよ。
――知識の面に於いて、あなたがわたしに劣るわけはないでしょう? 発想や閃きの
ただのこどもの
……買いかぶりだよ。何から何まで。
現にこうして、言いくるめられてる最中だし。
――これを「言いくるめ」と認識する時点であなたは既に只者じゃないの。だからわたしは幾らでもあなたに対してアクセルを踏み込める。楽しいね、これは素敵にステキなこと。
まるでダンスでも踊るように、わたしはあなたと言葉を交わせる。まるで拳を打ち込むように、あなたは言葉で殴り合える。
ようこそ――あなたは
冗談はやめて。わたしにそんなことできるわけないじゃない。
わたしは何をやったってあなたにはかなわないし、あなたには勝てないし、あなたを追い抜くことも出し抜くこともできない。追い抜きたいとも勝ちたいとも思わないけど。
――それがどこまで本心かは
あなたはあなたの持つフェアネスとウィズダム、永く脳内で反復し、くすぶり続けたその熱量を、業火の如き武器に変え、かつてあの人を
殺した……?
な、何のこと
――あれだけの怪物を、何
……ま、待って?
知らない。わたしにそんなこと、できるわけないじゃない。
――自覚がないのは素晴らしいことだよ。悩まないで済む。
ま、待って! 違う、わたしは何も……!
――取り繕わなくてもいいし、そこはわたしも同じ。
あなたはそのまま超然としていればいい。後悔なんてしなくていい。その能力を誇るといい。あなたはあなたのもつ残虐な牙を、剣を、鎚を、思う存分
そうやって、立ち向かう
犯人と。
そう、確かにあなたの思う通り。
あなたの推理する通り。
……やめて!!
──ガタン、大きく車輪の音がした。
びくりと肩をふるわせて、私は両目を開く。
「おはよう、巴さん」
「あわっ、エッ? お、おはようございます」
何が何だかわからないまま返事をする。胸がばくばくと高鳴っている。額に、汗をかいているのが自分でもわかる。
宝堂姉妹が、手で口元を隠してクスクス小さく笑っているのが目に入った。
起きあがった瞬間に気がついた。
いつのまにか、私は部長の膝を枕にして寝てしまっていたようだ。
かーっと赤面しながら頭を上げた。
……夢かぁ。
……夢を見ていた? 夢じゃないかも。どうなんだろう?
……そう、また、思い出していたんだ。
思い出す? 事実なのか、頭の中で勝手に作ったデタラメなのか、それすらも
……うん。対峙なんてしてないし、できるわけもないじゃない。なのに、何なんだろう。
あの頃のことは、もうすべて忘れ去ってしまいたいのに。
うん、目が覚めたとたん、ほとんど頭の中から消えてしまった。
変な汗もただの寝汗。
怯えてるわけじゃない。
大丈夫。
だから、心配ない。どうせ、幻。
いつのまにか、私はもう――あの頃のことを
これは、良いことだと思う。たぶん。
「……ぁ、えーと……今何時でしょう?」
「まだ出発したばっかりよ」
部長が指さす車窓には、なまこ壁風にあしらった駅のホームが見える。
ぼんやりと眼に飛び込むのは、普段見なれない、いや、つい最近に一度見たばかりの……、
っていうか、違う意味で思いだしたくもないような光景に遭遇したばかりなような気も……、
あぁ、
出発したばかりといっても、私は先輩たちより長く電車に乗っているから、時間の感覚が少し狂っているかも。まだ頭がボーっとしているのが、自分でもわかる。
地図を片手のカレンさんが口を開く。
「そういえばこの辺りだっけ、
「もうすこし北西の方よ。それにしても、ふざけてますわね。せめて車窓から倉なり屋敷なり、何でしたら美観地区でも眺められれば良いのに、何かしらこの、ペンキで蔵っぽくペイントって!」
さすがに部長も、こういった点は詳しいみたい。とはいえ、本当に一言多い性格だと思う。
「いやまあ、駅の装飾ごときにそんな文句をつけられましてもですね、」
「巴さんも寝起きでイキナリ私に突っ込むだなんて、ずいぶんと器用じゃありません? むしろ、ここはまだ私があなたに突っ込むべきフェイズだったのじゃないかしら?」
「すみません……」
あぁ、一言多い性格って意味じゃ、私もそうかも。ベクトルは逆だけど。
「ですから、そう気安く謝らないでよろしいの! 人間が安っぽくなるわよ!」
「ちさとはむしろ、謝り方を覚えた方が良いってば」
すかさず、花子さんが突っ込んでくれる。つくづく、三年生の花子さんが今回の旅に同行してくれて良かった……。私と二年生チームだけではこの先もきっと、部長の独演会に水を差すのは困難だろうから。
とにかく、いつまでもボンヤリとはしていられない。さっきまでの夢だか想い出だかの、
「もうちょっと行くとO市に着くわ、そこでローカル線に乗り換えね。更にその先でバスに乗り換えだから、まだ寝ててよろしいのよ?」
ニッコリ微笑んで膝をぽんぽんと叩く部長の前で赤面しつつ、頭をかきながら姿勢を直す。
「いやまあ、え~っと」
こういった、ある種の精神攻撃では部長に
「ああ、そうか探偵舎の部活か……」
「今更なにをおっしゃるの!」
まったくその通り。ちょっと自分のボケ具合に恥ずかしくなる。
そしてこのまま
「目的地って、位置的には
「ギリギリ備前って所かな? 横溝先生の疎開先って、たしか備中ですよね」
「そうね。備前備中備後とか美作とかの呼び名って、大化の改新から大宝律令にかけてですわよね。たしか備中の辺りは、江戸時代には六つか七つの藩で入り交じってて複雑ですけど。こういったことなら、巴さんが詳しいんじゃなくて?」
そして部長はまた私に話を振る。詳しい、ってほどじゃないとは思うけど、まあ社会科全般なら。
「あ、はい……。歴史や地理はそこそこ得意な方かも。古代から中世にかけては、出雲や大和に対抗し得る勢力が『吉備国』で……色々あって、分割されちゃったんですね」
この辺も話せば長くなるけど……まあ、今は良いか。ん~、いけない。まだ頭がシャッキリしない……。
「う~ん。もっと金田一の舞台に近い場所だと思ったんだけどなァ」
「カレンは、そういえば地理苦手じゃない。得意なら教えてさしあげなさい、巴さん」
……えぇと。
「八墓村のモデルはT県寄りの山奥で、三〇人殺しの津山にしても、地理的にもどちらも結構離れてて、元々取材目的で終戦直前に疎開した横溝先生ですが、そもそも乗り物嫌いで有名でしたから、地元に詳しい方からの伝聞と想像で構想したそうですよ。実際、瀬戸内の孤島に材を取ろうと考えながら、ついぞ海を渡らずじまいだったとも聞きます。平成の大合併で消滅しましたけど、疎開先は倉敷の上の方の吉備郡で、そっちの方が本陣殺人事件の舞台ですからむしろ……」
あ、喋りすぎか。私に振ったくせに、部長が目を丸くしている。
「なんでボーっとしながらそこまでスラスラペラペラ喋れちゃうのよ、巴さんったら!」
「スミマセン……」
「だから、そこは謝る所じゃないでしょ!」
ぼんやり頭で、先輩たちと交わす会話。
車窓に流れる、見慣れない景色。目的地まではまだ遠く、時の流れは思いのほか、ゆったりと過ぎる。
電車の中でわいわい喋る、そんなお行儀の悪いことは、普段の通学では絶対にしないのだけど、まるで貸し切りのように他のお客さんが誰もいない車中。これで娘っ子たちを黙らせるのは無理というもの。
通路を挟んで向こう側に二年生の三人、こちらには花子さんと部長の姿。馴染みの顔で、そして珍しく中等部の全員がここに揃っている。
部活の一環なので、全員がミシェールの真っ黒な制服のままだから、見慣れたものとはいえ、場所も変わればやはり、それは少し異様にも思えた。たった六人の娘っ子で作るこの威圧感は何なのだろう。
光沢のほとんどない、墨で染めたようなこの真っ黒の色味は、どうやって出しているのだろうか。
冬休みに入れば海外に行く予定の先輩もいるため、期末テスト後の試験休みを利用した、今回の「部活」になったのだけれど。
最初は文芸部顧問の山田先生もご一緒すると聞いていたのに、いざ合流してみれば中等部の生徒だけで一泊二日の強行旅行となっていて、正直ビックリしたけど(それもちょっと、どうなんだろう……)、これだけ長時間先輩たちと一緒にすごす機会なんて、そうあるものでもないのだから、まあ、これはこれで。
私はこの、
ちさと先輩も、カレン先輩も、大子福子先輩も。花子先輩に関しては、いまだにほとんど未知の人だし、親睦を深める……っていうのとは、ちょっと違うような気もするけど、ともあれ皆さん面白そうな人だから、面白いことにはなるだろう……という、ボンヤリした期待もある。
私は一番年下で、一番の下っ端だけど、この先輩たちから理不尽にコキ使われるようなこともないのだし。むしろ、びみょーに猫っ可愛がりされている所もあって、こそばゆい思いもある。
そして今現在、私がここで理不尽に感じているのは……、この、一番年下で世間知らずの物知らずの小娘が、「安楽椅子探偵」として、妙にみんなから期待されている点。
こればっかりは、ねぇ……。
私の無駄な知識なんて、それこそ脳の
暦はすでに十二月に入り、車窓からの景色も、目のさめるような紅葉だけでなく、寒々とした裸樹や、こんもり積もった雪がちらほらと見えて来る。
ただ、正直な話――先輩たちへの興味はともかく、私はあまり今回の旅行に、乗り気ではなかったのだけど。
そもそも──。
「なんで私、探偵の部活なんてやってるんだろ」
寝ぼけ頭でぼーっと油断していたせいか、つい、ボソっとそれを口にしてしまった。
「あッ」
慌てて口を押さえる。
「まだ不満でしたのォ?」
部長が驚いた声をあげた。
「あ、不満っていうか……いや、ほとんど強制的にだったじゃないですかぁ。ウヤムヤっていうか……」
寝ぼけていたとはいえ、失言だった。
「つまり、イヤがるあなたに先輩の立場で無理矢理圧力をかけて、望んでもいない旅行に嫌々同行させた、と。巴さんはそうおっしゃりたいワケね?」
「え……あの、えと。そーゆー言葉のトゲトゲは、もう少し控えていただけたらありがたいんですけど、部長……。まあその……嫌とまではいいませんけど」
「けど?」
うぅぅ……、そこを詰め寄られても。
「ええっと……。そうですね、それこそ今回の場合は……たとえ半世紀以上前の事件でも、殺人事件に首を突っ込むのって、あまり良い気はしませんし」
ちょっと誤魔化すような切り返しだったけど、ここは、正直な気持ち。
だって、殺人事件なんだし。
人が人を殺すということ。その、顛末。
そこに踏み込むのは、正直、気が滅入る。
機械的に、無感情に、蚊でも潰すように人を殺せる人だっているかもしれない。それはそれで、とても恐ろしい。私はかつて、そんな「恐ろしい怪物」がいたことを、知っている。
でも、よっぽどじゃない限り、人が人を殺すに至るまでの感情の
情念とか、狂気とか、妄執とか、そんな大袈裟な言葉で飾りたてられる物でなくとも、たとえ一時の感情の
思考停止でも良いじゃない。
たとえ、それで事実が変わらなくとも。踏み込まなくて良い話なんてこの世には幾らだってある。はず。
それに、どれほどの烈火の如き怒り、怨みであれ、灼き尽くすが如き想いであれ、やがてはそれは、鎮火してしまうもので、きっと犯人は後悔もするだろう。
その「取り返しのつかなさ」に、どう向き合うのか。救われることはあるのか。許せるのか。それを考えるだけでも、気が滅入る。
「気にすることはないわ。そんなの、大昔の話じゃない。歴史の教科書に載ってるような話と大差ないわ」
部長はアッサリそういってのける。
……どういった神経なんだろう。先日、部長と花子さんと私とで美佐さんの家にお邪魔して、事件のことをうかがったばかりなのに。
部長にとって大昔でも、今現在もそれを「ひきずっている人」は確実にいる。それを
ちょっとこの神経は、すごい。
ちさと部長のことは、今ひとつ私も掴みきれていない。お調子もので、身勝手で、ついでに結構、かなり、相当、
ふっと、私が部長にこの部へ誘われた経緯を思い出した。
……部長は、私のことを、一体どこまで知っているのだろう?
――数年前にH市内で起きた
連続殺人事件……
あなたは、たぶん……
いえ、間違いなく……
……この人のことだから、ハッタリだったのかも知れない。適当だったのかも知れない。
でも、あれから私は「
どこまで踏み込んで良いのか、いまだに測りかねている。ヘタに突つけば、
う~ん……。
「まあ、それだけ年月も経っちゃさ、現実感は薄いよね」
カレンさんも横からそういって、蜜柑を一つ私に投げ渡す。
「でさ、ちさちゃん。その大昔の事件って、どういった事件でどんなあらましだっけ?」
「現地に着くまでナイショ……って、いいたい所ですけど、時間が詰まってますわね。行動をスムーズにしたいわ。最低限の事前説明は必要かしら。えーっと……」
メモ帳や資料を、部長はばさばさと広げた。
私は先日、美佐さんの家へ伺った時に、少しだけ聞いた。――少しだけど、とても「重大な話」を。
「いいかしら? では、これから事件の概要を話すわね?」
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