第十話・閻獄峡ノ序『白蝋地獄』(後編)

★前編のあらすじ★


 昭和二十九年、冬の初頭。

 瀬戸内に建つミッション系女子校「聖ミシェール女学園」中等部に通う、少女探偵・真冬と、H県警捜査一課の若き刑事、弓塚は、屍蝋化した全裸美女の謎を追って、隣県O県奥地まで行き、無事その怪事件を解決(?)した。

 しかしながら、弓塚にはいまだに事件の全容を、さっぱり理解できないままでいた。

 記憶にもやがかかったかのように、出来事も断片的にしか思い出せない。

 ──一体全体、何がどうなっていたんだ?

 立ち寄った温泉宿で、弓塚は真冬から事情を訊こうと試みるが……?







          *





『弓塚巡査部長。お手柄じゃったなあ!』


 O県警の警部の大声が電話から響き続ける。


「いえ、滅相もありません」


 どう考えてもそれは、自分の手柄ではない。ましてや、事件の全容すらも理解していない。本気で狐につままれたような気分だ。

 くだんの窃盗団……屍蝋事件を追っていた弓塚たちに、妨害をしかけてきた連中が、そんな相手だったとは。

 行く先々で邪魔をして来たその男達は、「犯人」の男の潜伏先の洞窟で、弓塚と派手な大立ち回りの末に、公務執行妨害、ならびに傷害未遂の現行犯としてお縄につけ、O県警に預けた相手だ。

 正式に逮捕状をとり、O県警で窃盗犯として再逮捕となったらしい。

 やたら手柄に固執する弓塚の上司なら、それこそ『とんびに油揚げだ!』とどやしつけて来そうな話だか、今回のこれは、もとより自分の手柄でもなし。逆にこれでO県警側に花も持たせられたと、少しホッとする。

 弓塚には、出世欲も功名心もまったくない。

 そもそも、誰かと競ったり争ったりも性に合わないのだ。

 真冬は、旅館の主人に案内され、既に一階の奥の部屋へと消えていた。

 声だけはハイッ、ハイッと威勢よく、うわの空で電話にうけこたえ、「また連絡します」とここの住所と番号を伝え、受話器を置いた。H県警にはO県警から連絡もしてくれるだろう。気付けば二十分近くは話していたようだ。


「しかし……」


 頬をつねる。


 痛い。


 無我夢中で駆け回っている時には、真冬に従い、彼女の安全を守ることで手一杯だった。

 事件が終わってみれば、何につけ謎だらけだ。

 果たしてこんな物、どこをどうやって、どう報告書を書けばいいのだろうか。

 兎に角、真冬から話を訊かなければ……。



 板の間にあがり、奥へ進もうとした時、黒いコートの男がギシギシと階段を降りて来た。襟を立て、ハンチングを目深にかぶり、これも真横にいる弓塚からは、顔がよくわからない。


 ──正体隠しはここの流行りか?


 外股におかしな歩き方で去る男と入れ違いに、雪をはたきながら、さっきの喜一とかいう男が鍵を片手に戻って来る。

 コートの男に会釈し、喜一は弓塚に近づいた。


「お客さんのジープ、車庫に入れておきましたから」

「ありがとう。ええっと今のは?」

「ああ、湯治に来てる克太郎さんです。ここのご主人が昔世話になった先生のトコの、親戚筋の書生さんらしいんですけどね」


 客分だが赤の他人という話だ。

 気にはなるが、屍蝋事件とは関係ない。

 それに、すでに事件は解決してしまった(らしい)のだから。

 フロントへ戻る主人と入れ違いに会釈して、和風の廊下を進む。


「真冬くん、おまたせ」

「遅いですよぉ。山菜おこわのおむすび、一個食べちゃいましたよ聖一ニイサン」

「いや、そのニイサンはやめてくれないか」


 掘りごたつの上にはコンロ、そして土鍋がある。止めた火を再び点けて、ザルにのったうどんを投じた。


「ああ、こりゃ待たせて本当に悪い」

「わるいー」


 子供の声が聞こえた。

 ぴょこんと反対側の掘りごたつから、おかっぱの小さな女の子が顔をのぞかせた。


「うわっ、座敷わらし?」

「あはは、この旅館の子ですよ。ニイサン遅いから美佐ちゃんと遊んでたんだ」

「いらっしゃいまーせー」


 まだ三、四歳くらいだろうか。赤の袢纏にもんぺ風の下ばきの、頬の赤い子供が、真冬とじゃれるように遊んでいる。

 子供の相手は子供に限るか。ストーブの火でそこそこ温まってはいたが、まだ芯から体は冷えている。弓塚は、煮えないうちから鍋のうどんをよそって、まずは腹ごしらえに専念することに決めた。


「それで、警察の方は何とおっしゃって?」

「うん、例の犯人……君の云うところの『仏師』か、アイツは黙秘したままだって。かなり思い詰めてた感じしたけどなぁ。それより……ホラあの、車で幅寄せして来たり、廃村で襲い掛かってきた二人組がいただろう。連中、どうやら窃盗団の一員だったそうだよ。仏像や美術品を海外に横流しするような……君、そのことも知ってたの?」

「へえ、そいつは初耳だ。すごいですね、棚からボタ餅の大手柄じゃないですか」


 つまり、連中の存在は真冬の推理外って話だ。


「そうなると……あァ、なるほどね。御本尊さんはとうに叩き売られてたって訳なんだ。だから……のかなァ」

「食事がまずくなる話は勘弁してくれないか」

「こちらが調べるってことは、云い換えれば向こうにも『誰かが近づいて来ている』って知らせることでもあるんです。証拠を消して高飛びも考えられたんですけどね、一朝一夕で消し去れるようなモンじゃないだろうし、時間勝負と思っていたんです」

「う~ん、そこはイマイチわからないな」

「それに、調べているコトを調べられてる相手にわかると云うコトは、調べられている相手が調べている相手をわかっているという尻尾を見せる可能性だってあるんです」

「いやソレ、すごくややこしい」

「雲を掴むような話の時はですね、まず動くに限るんですよ」


 じゃあ、まんざら真冬にしてみても、ちゃんとわかってて行動していたわけでもないのか。

 神業じみた推理のようにみえて、案外、偶然に助けられていたのだろう。


 ……なら、あの連中は何だったんだ?

 屍蝋作りの廃村には、売り払えるような古美術品なんて見当たらなかった。

 となると──。


「もしかすると、売るつもりで彼女の死体をかっぱらおう……とか?」


 偶然にそんな窃盗団と関わるわけがない。めぼしい物がない村なのだから、盗む物といえばそれだけだろう。


「あんなの、売れるわけないじゃないですか」

「いや、でも……」


 不気味ではあるが、あの美貌……完全な姿の裸体女性の屍蝋なら、マニアでもいるんじゃないだろうか?


「珍品奇品のコレクターはいるかもしれませんが、二束三文ですよ。そんな危なっかしい橋を渡る金持ちはいませんって。どっちにしたって、大昔の木乃伊ミイラならまだしも、近代のご遺体なんて骨格標本とかの教材以外に、売れやしません。あれを欲しがるのは、学者先生くらいでしょう」


 なるほど。


「そもそも売れるものを全て売り払った後だから、何もなかったんですよ、あそこには。何もないのにご遺体だけはあった、つまり、売り物じゃなかったってことです。じゃあ何かって云うと……普通に考えたら彼らも同じ集落の、今じゃ『コミューン』って云うんですかね、そこの人だったんでしょう。ある意味、共犯でもあるかなァ」

「自分たちの信仰対象の御本尊を売っぱらっちまうようなのがか?」

「売れるものなら売りますよ。モノなんて代わりは幾らだってききます。だから、売れない物を代わりに置いて拝めばいいんだ」

「……なんだかなぁ」


 弓塚には、理解がし難い考えだ。


「モノに対する考えは人それぞれです。ましてや、何度か迫害、破壊を受けて来たんでしょう。結果として、モノとして無価値で、ろくすっぽ埋める場所もない土地で腐敗もさせず、尚かつ供養にもなって、そして有り難いモノを御本尊にする方法を択って、作り上げたのがあの屍蝋の『』でしょう」


 コトリと弓塚は箸を置いた。


 思い出した。


 何故にこうも、記憶が曖昧になっているのか。


 何故、順序通りに出来事を思い出せなかったのか。


 背中にぞくりと悪寒が走った。


 夢か、うつつか、幻か。


 見たものをまるで信じられない。

 狐にでもつままれたような感覚──そりゃあ、そうだ。

 眼下に広がった、幾つもの破壊された人体。

 真っ白い肌の、バラバラの手、足、胴、首。骨。

 蛆虫のように転がった、何百本もの人間の指。

 幾多も重なる脚、うず高く積まれた頭、頭、頭。


 ──《》が現実の光景なのか?


 地獄だ。


 立ち上る黒煙、屍脂の匂い。


 どろどろと溶け落ちる、人の形をした


 すべては、燃え落ちる。


 そこに立ちこめたものは、火葬場の匂い、人体の焦げるおぞましい悪臭。

 後に残ったもののは、骨と、灰――あの悪夢のような光景は、もはやこの世のどこにも残ってはいない。

 それでも、その悪夢は。まるで地獄の底を垣間見たようなあの光景は、弓塚の脳裏の奥に刻み込まれていた。


 あんな地獄を目の当たりにして、この少女はケロリとしたまま、傍らの幼女と楽しそうに戯れている。何て女の子だ。


「ニイサン、顔色わるいですよ? 風邪でもひきました?」

「ニイサンはやめてくれって……」

「じゃ、お兄ちゃん」

「……いいよもう、何でも」


 真冬が何と云おうと、あんなのが『』なものであるわけがない。邪教だ。

 淫祠邪教の代名詞、真言立川流といえば教義が「性交」で、ドクロに男女のまぐわった体液をかけて黄泉返らせる呪術で知られ、天台宗の玄旨帰命壇も同じく煩悩、性交の摩多羅神を祀った「邪教」だ。鎌倉時代に日本中を席捲し、南北朝時代に取り締まられ、江戸の頃には滅亡した。

 恥ずかしながら真冬のいう通り、これらは弓塚もカストリ雑誌で得た知識だ。

 偏見と云われようとも、歓喜天といえば、弓塚にはやっぱりそれら邪教と同じくセックス信仰にしか思えない。

 ましてや、あれは死体を……まだ立川流や摩多羅神の方がマシなんじゃないのか。


 すっかり温まったはずなのに、体の芯から冷えるような感覚がした。


「大丈夫です?」

「……なぜ……君は……大丈夫なんだ?」

「はい?」

「あんなに、あんなに死体が……」

「ああ、あたしは爺様のお寺さんに疎開してましたから。ご遺体なら馴れてます」

「……馴れるものなのか?」

「馴れなきゃ、しょうがないこともあります。原爆の落ちた処に、爺様と一緒に叔父の様子を見に行ったんですよ。あたしがまだ美佐ちゃんくらいの頃かな」


 言葉に、つまる。


「落ちて二週間くらいした後なんですけどね、それでも酷いもんだった。あれと比べりゃ、どうってことないですよ」


 ふつうの顔で、鍋の肉団子を真冬はぱくぱくと口に運んだ。


 戦争の頃は京都に疎開していた弓塚が地元に戻って来た時、そこにはバラックの立ち並ぶ荒野だけがあった。凄惨な死体は見ていない。両親は死んだと聞かされた。

 その後、歳の離れた兄が、なんとか学費を出してくれて、大学まで進んだ。

「勉強して、公務員にでもなれ。あれが一番、食いっぱぐれないぞ」

 そう云われて、警察官になった自分も自分だが。

 この目の前の少女は、きっと自分よりはるかに凄惨なモノをその目に刻んで来たのだろう。

 倍ちかく生きていても、人生経験ではもしかすると劣っているのかもしれない……そんなことを弓塚は想った。


「その、犯人──いや仏師さんか。彼は……あの女の人を、愛してたんでしょうね」

「えッ?」


 急な一言で、素っ頓狂な反応をしてしまった。

 愛している相手を、屍蝋に加工……?

 猟奇的すぎる。江戸川乱歩か何の世界じゃないか、そんなのは。


「いや、幾ら何でもね、その。じゃ、じゃあ……なんで死体を捨てるようなことを?」

「仕事として淡々とこなせるコトと、そうでないコトの差ってありますよ。例えば弓塚さんが検死医だとして、みしらぬホトケさまを前にメスを渡されて『斬れ』と云われたら、どうしますか?」

「まあ、そりゃあ切るだろうね」

「親兄弟のご遺体なら?」

「難しいこと訊くね。仕事への取り組み方次第かな」

「あたしなら?」

「……バカなこと云うんじゃないよ」

「まァ、職業意識や使命感ですね、結局は。でも、それを超えてできないコトだってありますよ」

「死体を加工するようなバチ当たりなことをしておいて、それでもできないことって、何なんだい?」

「禁忌、タブーは環境によります。見る者が見れば、遺体を木箱に詰めて、釘でフタまでして、高火力のバーナーで焼いて灰にするだなんて、何て野蛮な! って場合もありますよ」


 う~ん……。


「見たとおり、あそこは代々、屍蝋化して葬っていたんでしょう。岩山に近いから、埋めてもうまく腐らない土壌だったせいもあるだろうし、伝染病防止の目的だったのかもしれません。あと、近くの園桐……でしたっけ? そこの集落とも断絶してるって訊きますからね」

「園桐ねぇ……」

「何らかの、大昔のイザコザから、忌み嫌われて追われたのか、出て行ったのかまではわかりませんけど、そんな経緯もあってか、彼らは隠れる必要もあったのかも知れませんねェ」


 この、園桐っていう所もまた、よくわからない。

 真冬と調べていた時、この一帯だけ一切仏閣寺院も神社もまったく無い、ろくすっぽな記録すら残されていない、どうにも奇妙な土地だった。


「兎に角、そう歴史が古いモンじゃないでしょうけども、それでも百年以上はそのやり方で繰り返して来たんだと思うなァ」

「つまり、君が『これは歴史を積んでいます、少なくとも江戸の頃からの』って云ってたのは、経文の文字だけじゃなく……」

「一朝一夕であそこまで完全な屍蝋は作れません、やり馴れてますって。何か独特の秘術でもあったのかも知れませんね。皮下脂肪の関係から、女性や太った人じゃないと、うまく屍蝋にはなれないんですけどね。あすこには、老若男女ありました」


 そんなじっくり観察はしていない。


「代々そうやって加工して来た家系なんでしょうかね。もちろん、他のホトケさんと彼女とでは大きな違いがありました。単に弔うだけでなく、本尊として足りる丁寧さ、ポーズつけ、呪的紋様、……他にも装飾とかあるのかな。あったんだろうなァ、予定には」

「装飾って、他の死体には……」

「あっても、売っ払っちゃってますよきっと。だから砕いた。石膏像なみに脆いんです、固くなった屍蝋は」


 だめだ、どんどん飯が食えなくなる。


「……君は、信心深いんだか、無宗教なんだか、僕にはよくわからないよ」

「どうしてです?」

「なんで、あんな状況を見て、そんな平然としていられるんだ……」

「弓塚さんは、信仰心はありますか?」


 それを云われても困る。誰かが死ぬか、何周忌かの集まりでもない限り、お寺に足を運ぶことなど、そうそうはない。弓塚の独身寮にも、両親の位牌と遺影を飾った小さな仏壇はあるが、ちゃんと読経をしたこともない。


「あたしは、カトリックの学校に通ってても、正直イエス様ってのはニガテで、よくわかんないんだ」

「君に苦手なものがあるのかい?」


 少しビックリする。


「カタカナの名前ばっかりでおぼえにくいんですよ。神学の授業も週一であるけど、学術的興味はあっても、あまりピンとは来ないなァ。文化圏が違うせいかな。でも、聖書にはいい言葉もありますよ」


 コホン、と咳払いし、真冬は立ち上がる。


「結婚式なんかによく使われる定番なんですが、コリント人への第一の手紙っての、あたしはアレ、好きだなぁ」


 すっと息を吸い、少女は小節を口ずさむ。


 ──たとい私が人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、私は喧しい鐘や鐃鉢と同じである。


 ──たといまた、私に予言する力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、私は無に等しい。


 ──たといまた、私が自分の全財産を人に施しても、また、自分の体を焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。


 凛とした声で、真冬は朗々と暗誦する。

 歌のように、かろやかに、澄んだ声が響き渡る。


 ──愛は寛容であり、愛は情け深い。また、妬むことをしない。


 愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない。

 自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。

 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。


 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、予言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう──。


「あたしに云わせりゃ、煩悩も含めて愛ですけどね。恨みつらみ妬み嫉み僻み全て、妄執も欺瞞もそれなくして人はない。高潔さ、純粋さを幾ら理想に掲げて望もうと、そうはならないだらしなさ、それが人ってものだと思います」

「中学生にしちゃあ、達観し過ぎてるなぁ。君は」

「でも、理想はまやかしでも幻でもありませんからね。目標は高く掲げたって悪い事ァないだろう、って。例えば何につけ、上手くいけないからっていちいち世をスネて生きるようなのは、あたしは感心しないな。だから高い理想を、唾棄すべきモノだなんて思わない。これはこれでイイんですよ、うん」


 前向きなのか、どうなのか。不思議な娘だ。


「それでね、このコリント人への第一の手紙、面白い〆方をするんだ」


 いつまでも存続するものは、信仰と、希望と、愛と、この三つである。


 このうちで もっとも大いなるものは、


 ──愛である。


「信仰よりも愛だって、キッパリいい切っちゃってんだ。面白いよ」


 ロザリオの先のクロスを握り、少女は十字を切る。


「愛は、信心に勝るんだ」


 ため息をつくように、真冬は天井を見上げた。


「聖天さまの信仰よりもね、あの犯人さんは上回っちゃったんだ、だから、耐えられなくなっちまった。遺言は果たしたけど、それを留めるわけにはいかない。そうして彼女を棄てようとしたんだろなァ。野山にでも還し、自然に分解されるように……」

「なんで、わざわざそんな……」


 好きな女を加工するようなコトを平気でやっておいて、何が「できない」と云うのだ?


 ふっと、真冬の言葉を思い出した。

 見る者が見れば、遺体を木箱に詰めてバーナーで焼いて灰にするのも、野蛮なのだろう。

 彼の環境では、彼の倫理観では、屍蝋を作ることは「普通」なのか。

 遺影を飾るように、位牌を飾るように、屍を飾っていられたのだろう。


 しかし。


「……あれだけ綺麗に、生前の彼女の姿をとどめた屍蝋を作っておいて」

「だからですよ。わかりませんか?」

「わからない」

「おかしいなぁ。色恋沙汰なんて、あたしは小説でしか知らないのに。弓塚さんの方がわかりそうなモンだけどなぁ」


 そんなこと小娘に云われても。


「もしもあなたの愛した女性が、永遠にその姿を変えることなく──『』留めるのを、耐えられますか?」

「……あ」


 瞬時──、あの男の気持ちが理解できた。


「だから……か、捨てた……のは……」

「躯なんてどうってこともないのに、それでも、彼にとっちゃ『』が──『地獄』だったんでしょう」


 弓塚は、自分の中のモラルやら何やらが、急激に疑わしく思えた。


 屍もモノとなり、死者は「解(ほど)け」てホトケとなる。


 あの地獄のような光景が、急に──酷く、哀れな物に思えた。


 恐怖心はもう、ない。


 あの泥棒の連中と彼との間に、どんな確執があったのか。どんなやり取りや闘いの末に、県境を越えて彼女の亡骸を捨てたのか。それは事故なのか、故意なのか。そんなことは、いずれ取り調べればわかる話かもしれない。

 アイデンティティの喪失からか。屍蝋をばきばきヘシ折りながら暴れ、弓塚と取っ組みあったあの暴漢たちの前で、男は静かに火を放ち、事件も、異形の信仰も、その全ては写真一つ残さないまま闇に帰し、遺骸は煙となって天に還った。


 彼はともかく、泥棒たちの方なら痛めつければ口を割りそうだ。この夏、国会での乱闘の末に施行された新警察法で、各地の警察も色々と様変わりをせざるをえなくなっても、それでも特高くずれの荒っぽい警官だって、まだどこの署にもいるのだから。

 しかし、わかることかも知れなくても、そんな関心は、既に弓塚にはなかった。


 ただ、何やら無性に、あの無口な男が哀れに思えた。


「両思いとは違ったんだろうな。偏愛は、愛って云って良いものじゃないかもしれない」


 ため息まじりに、再び弓塚は食事に箸をつける。


「あたしにはわかりませんよ」

「そのうちわかるようになるさ」


 トトトっと足音が聞こえた。


「ええっと、弓塚刑事様! あの、H県警からお電話がお入りになっております!」


 さっきと態度がやけに変わった旅館の主が、背筋を伸ばして伝言を伝えに来た。電話のせいで何者かを知ったのだろう。


「検死報告とか、済んだのかな?」

「いや、たぶん僕への小言だと思うよ……」


 足取りも重く、ロビーへと進む。真冬も、美佐も後をついてきた。


「これ、美佐、お客さんに迷惑かけちゃいけんよ!」

「いいですよ、お構いなく」

「おかまいなーくー!」


 幼児は無駄に元気だ。


「はい、もしもし弓塚で……」

『報告ぐらい入れろバカ!』


 いきなりか。


『まあ良い。手柄渡したっつっても、どうせO県で捕まってんだから出る幕もねぇ。事件もまあ、あらかたわかった。こりゃあしかし……何て報告したら良いんだ?』

「死体遺棄……損壊って云うには綺麗にこう、地元流の葬り方ですしねえ」

『行政に届け出てないのに勝手に死体をいじくるのは損壊だよ。なんでこう、お前の持ってくる事件はこんなのばっかりなんだ?』


 そんなこと云われても。


『おおかた、またあの子と一緒なんだろ。いいか相手は子供だぞ。節操をもてよ節操を』

「いや、なんでそんなこと云われなきゃいけないんですか!」


 上司とはいえ、さすがにこれには口ごたえをした。

 隣では真冬たちがニヤニヤしている。向こう側の声こそ聞こえていないが、きっと弓塚の態度が面白かったのだろう。


『まァ、女の身元も割れたしな。出身の村がわかったお陰だが。最初っから日本人なのはわかっちゃいたが……』

「まあ、そこは僕だって一目でわかりましたけど」


 そういえば真冬も「最初は大陸の人かと思いましたけど――」と、写真を一目みてから即、日本人だと見抜いていたか。よくよく考えれば、全裸女性では亜細亜のどこの国籍かなんてわかりようもない筈なのに。

 とはいえ、発見現場は神戸からも九州からも少し遠いし、土地柄的にもまず、外国人の可能性は無いだろう……という、経験則というか憶測で、弓塚は最初から日本人女性だと直感的に判断していた。


『一目で、何がどうわかったって?』

「あ。いや、その……ああ、そうですね、こう、遺体には、水着で泳ぐような習慣、アメリカナイズされたような……」

『いやそこじゃなくてな。節穴か、お前の目は。何年警察官やってんだ?』


 ええっと。


「何でしょう、盲腸痕でもありましたか?」

『いや、ない。綺麗なもんだな、妊娠経験もないし、生娘かも知れんな。まだ十七ぐらいだぞ、いい体してやがって』


 とてもそんな風には見えなかった。


「ん……他に何か痕跡って、ああ、腕? ……予防接種痕か何かですか」


 いわれて、今更気がついた。あの、……おいおい、本当に節穴じゃないか、僕の目は……。

 そう、三年ほど前に強制接種になったものの、それ以前からもBCGは各自治体で半分強制のように打たれていた筈だ。

(※この時代、3×3の9つの針のスタンプではなく、皮下注射です)


『まあ、そんな所だな。お前、そんなことも初見で見落としてたのか?』

「……スミマセン」


 いやもう、ここは本当に面目ない。


『まあ兎に角な、あんなもん先進国でしか打たないんだよ』

「アメリカじゃ打たないって聞きますよ」

『アメリカ人に見えたか?』

「……スミマセン」

『ま、兎に角、二年ほど前はまだ高校生だったらしいんだが、両親もいなくてな。辞めてエンピツ工場か何かに働きに出て、この初夏くらいから行方不明だ』

「行方不明……」

『集団検診で癌だってわかってから、ぷっつりな』


 幽霊のように、天女のように、物の怪のように、菩薩のように、幽玄の存在だった艶かしい女性の屍蝋が、自分の中でどんどん、普通の、血肉の通った「少女」の姿に変貌して行くのを弓塚は感じた。

 ご神体でも、十一面観音でもない。

 ただの普通の少女。


「付き合ってたような男性は?」

『特にいないようだ。文通ぐらいはしてたらしいが浮いた噂も一切なく、慎ましやかな暮らしだったと』


 象面の荒神の破壊の力を抑え、暴れぬように抱きかかえ、慈しみ、足の指先でぎゅっと相手の爪先を踏む、六処の抱擁。そんな慈愛の神に、余命幾許もないと知った彼女は、なりたかったのだろうか。


「解決できない事象はありません」


 横から、ポツリと真冬が口にした。


「不思議も、怪異も、全ては日常と地続きで、必ず帰結するものなんです。あたしにはもう、この事件を解(ほぐ)すことは何もありません。弓塚さんは?」

「……ああ、そうだな」


 猟奇にまみれた不気味な事件は、少なくとも弓塚の中で、すべて氷解した。

 残るは、哀れな者たちへの事後処理だけだろう。


「じゃ、スキーでもしましょうか? あたしは月曜の朝までに帰れりゃ良いんだし」

「それに付き合わされるのは……勘弁してくれよォ」


 と、勢いよく誰かが転がり込んで来た。


 まだ小学生ぐらいの少年だ。


「たっ、大変じゃ、大杉さん! お嬢さまがどこにもおらんようになって……!」

「なんじゃ力坊。そげに雪まみれになって」

「あぁー、りきにぃちゃぁん」


 美佐は嬉しそうに少年に近づく。


「今は美佐っちょを構ってやれん、あとじゃ」


 弓塚と真冬は、しばし呆然としていた。

 少年は──栗色の髪と淡い瞳を持ち、あきらかに白人だった。


「園桐の村ン中、よう探したか?」

「あげな狭い村ン中、探すまでもないわ。だいたいあばら家以外に人のおらん家はないし。あっこに隠れるようなら、凍死してもおかしゅうないじゃろ。こっちおらんのか?」

「ええっと、お嬢さまって……?」

「ヤハタさんとこのお嬢さまじゃ。このへん一番のでかい家じゃ」


 見渡す限り山と雪原で、ここに来るまでに村なんてどこにも見えなかったし、そもそも、こんな大きな旅館の中でそんなことを云われても、ピンと来ない。

 はて、まばらな民家ならポツリポツリと見かけたものの……と弓塚も考え込む。


「たっ、たいへんだあ!」


 綿の入った、もっさりしたスキー服の若者二人組が、息を切らしながら現れる。


「なんじゃ、こんどは! 今日はどうなっとんなぁ?」

「しっ、しっ、しっ……」

「小便か?」

「違うっ! し、死体っ!」


 真冬と弓塚は目を見合わせた。


「心中……男女が、祠ん中で、死んどるっ!」

「女って! そ、それ、お嬢様か!?」


 スキー服の男たちに、少年が食らいついた。


「知らんわ。何じゃそら」


 舌打ちして少年は走り去る。


「あ、待てやぁ坊! お客さん、すんません、ちょっと行ってきま……ああ、そうじゃ刑事さんじゃったな、一緒に来てくれんか」

「え? えええっとぉ!?」


 ちょっと待て、何がどうなっているんだ?


「ほうじゃ、あげな心中ありゃあせんわ、刑事さん来てくれ!」


 スキー客も弓塚の袖をひっぱる。管轄外だと云って聞いてくれるような状態ではなさそうだ。


「心中じゃないって、一体?」

「カンヌキが中で掛かっててな、なんやおかしいけぇ、見てみたら……じゃ!」

「はっ、は……腹が、引き裂かれとったんじゃ、“”!」


 真冬の前で「」が、まさに今、始まろうとしていることを、既に弓塚には予感できていた。




           To Be Continued







         ★






 EXTRA EPISODE 10





 ──現代。



「ほんとウンザリだったわ、沖縄旅行は」

「は、はぁ……」

「巴さん、『ハァ』は禁止ね」

「うっ」

「あと『うっ』も禁止」

「んっぐ……」

「ほらもー。さっそくイジワルしてるー。ほんと、絵に描いたようなイジワルよね、ちさとは。あはは!」

「天使のような私を捕まえて何をおっしゃるのかしら花子ったら!」

「あ、えぇっと……」


 困る。


 学校からそう遠くない住宅地へと続く行き路。中一の私を挟んで、両脇には三年生の「部長同士」なんだから、正直その、ただでさえ背も肝っ玉もちっちゃい私は、どんどん縮みあがってしまう。


「ホラ、この子はこうやって、何かあるとすぐ言葉を呑み込んだり、気のない相槌でらそうとしたりするんだから、ピシっと教えてあげないとダメなの! 私のこれは『やさしみ』なのね。『イジワル』じゃないの!」

「はいはい」

「は、はい……私も、そう思います」


 うん。


 ちさとさんは、性格に多少問題はあるかもしれないけれど、たぶん今の指摘はイジワルでいったのではなく、本心からだと思う。

 そして、それは自分でも「直さなくっちゃ」といつも思ってる、私の「悪い癖」だった。


「遠慮がちなのが美徳とは限らないわ。巴さんはもっとズケズケ物をいいなさいな。探偵にはそれが一番必要なの」

「いえ、『主人公探偵』はちさとさんにお譲りしますから。私は引き立て役の語り手くらいで丁度良いですし」

「過ぎたる謙遜は嫌味にしかならないわ」

「ホラ、ちさとみたいに、ここまでズケズケいうのって考えものよねー?」


 だ、だから相槌打てませんって!


「……あの。沖縄の修学旅行、何かあったんですか?」


 一瞬何か考えるような仕草で空を見上げ、そしてため息を吐いて、ちさんとさんは大げさに首を振る。


「ないわよ! ホテルで連続殺人とか、バスからクラスメイトの失踪事件とか、ゆいレールでの時刻表トリックとか、一切なーんにもなかったの!」


 単線一本道のモノレールでどうやって時刻表トリック起こせるんですか。確か沖縄の電車ってあれ一つしかない筈、と、のどかさんから聞いたことあるけど。


「ないなら良いじゃないのねぇ、別に。いちいち大袈裟なんだから。まー、だからこそ女優向けだと思うんだけどなァ」

「なんで私が女優なんてやらなきゃいけないのよ」

「だってホラ、演技力ならちさとが一番だし。高等部にあがったらサ、演劇部ひとすじにしない?」


 右隣で演劇部部長兼、探偵舎部員の花子さんが、私を挟んで左隣の部長に話しかける。

 名前が「鈴木花子」で金髪で、誰がどう見ても外国人で、全く血の方は生粋のフランス人なのに、国籍も生まれも育ちも日本という、変わった人だ。

 探偵活動にはまったく興味のない探偵舎員という点でも変わっているけど、部長同士のせいか、ちさとさんと対等に口喧嘩できる唯一の存在でもある。


「冗談じゃないわ、高等部ではやっと、香織お姉様と同じ部になれるんだもの!」


 探偵舎部長兼、演劇部部員のちさとさんは大袈裟な身振りで訴える。

 私も、部長は演劇部向けの人材だと思うんだけど……。


 学祭が終われば、あとはすぐに終業式兼聖誕祭。

 そうなれば、冬休み……そして探偵舎の「合宿」の名を借りた部活旅行(?)になる。


「ええと、大杉さんの家はこちらよね?」


 地図を広げながら、私たちはこれからお世話になる旅館の、大杉美佐さんの家へと進む。学校からそう遠くない筈だ。

 この前の事件で、美佐さんから謝礼として宿泊旅行の無償提供ということになり、今回はそのお礼と挨拶を兼ねて、という話だ。

 確かに、宝堂姉妹とカレンさんはともかく、部長たちと私はちゃんと挨拶もしていないのだから。


「まーしかし、ひなびた田舎の温泉ってのも結構面白そうよね」

「いや、でも中学生だけでソレはどうかなーって……」


 探偵舎に顧問はいないけど、やっぱりここは文芸部顧問の山田先生あたりにでも付き添って貰うのだろうか。

 だいたい、温泉というのが行楽とか慰安の目的で、というのならまだ話はわかるけど、どう考えたってちさとさんの目的は「」ではない、というのも厄介な点。

 そう、この人の頭の中には「推理」しかないのだから。


「温泉ってだけじゃないわよ、かつてそこでは凄惨な殺人事件が! それを颯爽と解決した、香織お姉様のお婆様である初代部長が、どんな解決をしたのか。それをとりあえず皆で考えるって趣向なのよ、どう?」

「どう、っていわれても。どーなの?」

「あ、やっぱりそーゆー趣旨なんですか?」


 つまり部長の思惑は、ある種のARG――代替現実ゲーム……いや、その大元となった「ミステリー・ツアー」のような感覚かな? 「行き先不明のツアー」の方じゃなく「謎解き型」、豪華客船とかホテルを貸し切って、「事件」のお芝居が展開し、それを参加者が推理する……という、アレ。


 とはいえ、「実際に起きた事件」なら、だいたい記録も残っているだろうし、推理もなにも、地元民ならポロっと犯人とか展開を口にしちゃいそうじゃないですか。

 いくら大昔とはいえ、「田舎でおきた大事件」なら、話にを付けながらでも、充分今でも伝承されていそうだし。


「ホラ、これが我が部に伝わる事件記録帖。ところがね、なーんにも詳しいコトを書いてないのよ」


 部長は、黒い革張りの板で閉じられ、横から見える紙がまっ茶色になった、年季の入ったファイルを手提げ袋から取り出す。


「中にあるのは新聞記事の切り抜きとか、簡単なメモとか、それだけなの。まあ、香織お姉様に伺えば色々話してくださるかも知れませんけど……」

「詳しく聞く前に、自力で推理してみよう、って話ですか」

「ホント幼稚だよねちさとは。ははっ」


 だ、だから。そこに同意を求められても、返答できませんですし!


「とにかくね、閉鎖的なO県山奥の閑村に土着的な伝説、美女の凄惨な見立て殺人! 都会からふらり現れた名探偵が解決する本格推理! どうよこれ! 横溝横溝!」

「いや、えーと。見立て殺人……ですか?」

「まあ、そこはどうだかまだわかりませんわね」

「っていうか、どういった事件なんですか?」

「知らないわよ」


 がくり。


「だ、だって、先にそれを知っちゃうと、面白くないでしょう!」

「アッハッハ。大変だねぇ、この部長と付き合ってくのって、巴ちゃん」


 ポンポンと花子さんが肩を叩く。

 いやその、だから、返答できませんですし!


「概要くらいはメモ見なさいよ」


 花子さんにせっつかれ、渋々部長は黄ばんだメモに目を通す。


「なになに……心中事件か? って報道の記事と……アベック殺人って記事が両方あるわね。被害者は湯治中の書生の明津克太郎って人と、地元の名家の……ん~、記事はまだ読まないほうがいいかしら。ええと、場所は園桐村……正式にはO県M町あざ園桐で、村じゃないみたい。別名、縁切り村? ナニそれ面白い!」

「いやソレ面白がっても……」

「わ、すごいわ! もう一つ、この村には別の俗称があるんですって!」

「何です?」


 にやりと笑い、部長はこう口にする。


「ふふふ……閻魔大王の閻に、獄門の獄と書いて、閻獄(えんごく)……いやな名前でしょ?」


 思わず、身震いした。

 何でよりによって、そんな、いかにもいかにもで、何か起きそーな、薄ッ気味の悪い別称が?


 いや~な予感がする。

 そもそも、部長のアイディアって、私|(たち)が初代部長と「」をするような話じゃないですか。

 どうしよう。

 私に、初代部長に迫るだけの推理なんて、はたして出来るのだろうか……?


           To Be Continued


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