第五話『le Duo du Regret』(前編)
「……まあ、事件なんて、ない方が良いんですよね、ホントは」
退屈だけど。
「そうね」
「そうね」
揃った声で、双子の先輩は私の左右で微笑んだ。
会うのはこれで二度目だけど、いつ見ても可愛らしい笑顔の人たちだと思う。
「むしろ事件にしないため、だものね」
それ以前に、正直これって、「事件じゃない」と思う。
徒労に終わりそうな、そんな予感――。
第五話『le Duo du Regret』
(初稿:2004.03.16)
探偵舎のすぐお隣、クラブハウス棟を挟んだ向こう側が、私にとっては未知の領域の、高等部の敷地。ちょっと緊張する。
お人形さんみたいな感じの女の子たちだけど、やる時はやるタイプの人なのだろう。
「すごいなぁ。巴さん、チェス得意なの?」
「すごいなぁ。巴さん、チェス得意なの?」
いや左右から同時にいわれても。どっちを向いて話して良いやら。
二人は、顔どころか喋り方や性格までも殆ど同じなんだから(っていうか、出会って日も浅い私には、見分けが本当につかない)、結構困る。
「え? いや、ゼンゼン知りません。将棋だけなら、ちょっと……」
知らないでも、駒の動作がまったく別物ではあっても、タクティカル面での思考の基本は同質なのだから、ある程度は応用できる。
確か余技で羽生名人は国内最強の称号を、短期間で獲っていたと思うし。
(もっとも、羽生名人曰く、チェスと将棋は「当初似ていると思っていたが、全然違う」だけれども)
「確か、どちらもインド発祥のゲームが元になった物ですよね。部長の側のラインにルークがなかったし、成り方の差と、ポーンの変則動作さえ気をつければ、同じ考え方でイケるんじゃないかって……あとは『取り捨て』と同じで」
「ああ、ゴメン、私ルールわかんない」
「ああ、ゴメン、私ルールわかんない」
ちょっと苦笑しながら大子さん(たぶん)は手を振る。左手首の長めの3重巻きのロザリオが、チャラっと鳴った。
反対側でもチャリっと音がする。福子さんも同じ動きをしてたと思う。
「でも、将棋の場合、取ったコマを自軍で自由に使えるのって、根底からゲームの考え方が違って来ない?」
「古来の中将棋とか、取ったコマを使わない将棋もあるんです。それが『取り捨て』で。その応用で考えてみたんです」
「巴さん、博識だね」
余計な本ばっかり読んで得た、大して自慢にもならない雑学なので、褒めらてもちょっと、恥ずかしい。
「あとはまあ、将棋は9×9だけどチェスは8×8だから、実はこれが、駒のアルゴリズムの差以上に、意外と効いてきますね」
「そうか、斜め動作とか多いから、行動の幅も違うわね」
飲み込みと頭の回転も早い人だ。
「でも、ちょっとイジワルだなぁ、さっきのって。部長が可哀想だわ」
クスクスっと、両サイドから笑い声が漏れた。
「イジワルさなら部長の圧勝じゃないですか。ていうか、イジワルが服を着て巻き毛になって歩いてるような存在じゃないですか」
「そうねえ。でも、ちさとさんはああ見えて、意外と、結構、良い人よ?」
「……あの人、枕詞に必ず『ああ見えて』がついちゃうんですね」
うーむ。
いや、面白い人だとは思うけど。
騒がしい人でもあるけれど。
宝堂姉妹を前にして、「双子といえば入れ替わりトリック!」とかムチャなこと平気でいってるし(いや、入れ替わったとしても、ゼンゼンわかんないですし)。
そもそも名前で呼ばずに「大福姉妹」なんてまとめて呼んじゃうのは、そうとう失礼だと思う(区別つかないけど)。
中等部部員のもう一人、確か花子さんって人(まだ一度も会ったことないけど)が居ないのに、勝手に会議を始めようとするし。
さっきだって、ゴミ箱の中から弓塚先輩が捨てた物らしき紙切れを、わざわざ引っ張り出して大騒ぎをしていたし(どーなの、それって)。
とにかく、何から何までムチャクチャな人だ。
今日は、テストの最終日。
午前中の四時限で全てが終わり、一段落。このまま直帰するのも何なので、放課後のヒマを持て余していた部室の中で、平穏を破ったのが部長の大声だった。
「あ──っ! 失礼しちゃうわ、私たちにナイショで捨てるなんて!」
「いや、だからってゴミ箱から拾わないでも」
「お姉さまが私たちを信用しているかどうかの問題なのよ、これは! ……ふむ」
いつも思うけど、「お姉さま」とか平気で口にできるのは、どんな神経なんだろう。
丸めた紙を広げ、暫く目を通していた部長は、紙を再びゴミ箱に捨てようとした。
「いや、だからホラ。勝手に拾い上げて大騒ぎしたんなら、私らにもちゃーんと見せなってば」
すかさずカレンさんは手を伸ばした。
「確かに、とるに足らないわ。お姉さまが捨てるのもわかるけど……じゃあ一言、私たちにも何かおっしゃって下されば良いのに……」
あの、部長も一言なにもおっしゃらずに今、捨てようとしましたよね? 渋々渡された紙切れに、カレンさんも目を通す。
「ふーむ……ナルホドなぁ。こりゃ、クダラナイわ。その上、事件ですらないよね」
紙を畳んで、紙飛行機のようにそれを姉妹にヒョイと投げ渡す。
「ま、一応目ェ通しといて」
「う~ん……」
「う~ん……」
同じ顔の双子が頬を合わせるように紙を覗き込み、同じ顔が同じように眉間にシワをよせて変化する。何だか、ちょっと面白可愛い。
「そうですねぇ。香織さんが捨てた理由、わかりますけど……」
「でしょ?」
「カレンも、ちさとさんも、この調査はしないのね?」
「するまでもないわ」
「同じくー」
私の頭ごなしに、先輩たちが会話を続け、無関心そうな部長とカレンさんの前に、双子はお互いの方向に小首を傾げる。
「う~ん……」
「う~ん……」
宝堂姉妹が何か、考え込んでいる。一体、何が書かれているんだろう?
「巴さんには、ちゃんと説明しないとね」
「はい?」
私は、読みかけてた仏具図鑑を棚に戻して、双子の姉妹から最後に回されて来た紙を受け取った。
何かの「依頼書」のようだ。
高等部で、今日の午前──三時限目と四時限目の間に、先生の一人が倒れて、病院に運ばれたらしい。
救急車の音もしなかったし、そもそも高等部の出来事じゃ、私たち中等部の生徒には、気付きようがない話。
先生は、どうやら足をすべらせて、高等部職員室から駐車場へ向かう間の、石畳の所で転んで、頭を打ったらしい。
でも、この依頼書では、それが『ある生徒』によって行われた「暴行事件」ではないか? と書かれている。具体名は挙げられていない。
前日からその教師と口論をしていた生徒がいて、その生徒は今日も二時限目には早引け(あれ、確か高等部もテスト期間は中等部と一緒じゃ……!?)したらしい。
紙には、依頼者の名前は書かれていない。匿名の投稿ということなのだろうか。
目安箱じゃあるまいし……。
「……ん~」
ちょっと首をヒネる。
事故か、事件か。
これだけでは、正直、何ともいえない。
「巴さん。そこで怪しまれてるのって、どなただと思う?」
不意に、部長がそう話しかける。
「さあ?」
「私たちの先輩。探偵舎の高等部部員。
「も、問題児……?」
お嬢様学校なのに?
確かに、テスト中に早引けなんて、フツーは考えられないけど。
……まあ、だからこそ具体名を挙げなくても『誰』なのかわかるのか。
「だから、ちさとさんってば! そこで『問題児』なんて変な先入観を……」
双子が即時、フォローに入った。
「問題のある人なんだから、それを問題児っていったって何の問題もないでしょう? むしろ、あの人から問題点をとっぱらったら何も残らないぐらい、何から何まで問題のカタマリじゃないの。……まあ、確かに知弥子さんは、怪しまれたりうとまれたりするに充分な素養をもつ人だけど。だからといって、あの人がそんな浅墓な暴行なんてしないわ」
「だよねえ。まあ、何かやるとしたら、正面から教師殴っちゃうタイプだわ。あはは」
とんでもないコトをいいながら、いつも通りの表情でカレンさんは再び駒を一つ動かす。
……教師を、殴る?
女子高生が? お嬢様学校の?
想像つかない。どんな人なんだ……?
「そうね。それか、やるとしたらもっと回りくどくてわかり難くてタチが悪くて手に負えない、人を人とも思わないような、本当に悪どい、精神的かつ肉体的な両面責めの暴行よね」
「いや、あの、どんな暴行なんですか、それ。っていうか、暴行なんて、そんな……」
「ほーらぁ。だから、カレンも、部長も、おかしな話ばかり巴さんに吹き込んじゃ、ダメですよぉ」
困り顔の双子は再びフォローに入る。
「知弥子さんは、確かに乱暴な所もあるし、自分勝手だし、人のいうコトぜんぜん聞かないし、一匹狼な人だけど。でも、もっとこう……」
「もっと、何が?」
部長も駒を一つ動かした。
「……えーとー」
「……う~んと」
「ホラ、良いトコ全然思いつかないじゃない。だいたい一匹狼っていうより、狂犬に近いわ」
ど、どんな人なんだ……!?
「また、そんなヒドいことを……でも知弥子さん、変人だけど正義感はありますよ」
「ええ、確かにそうね。そうでなきゃ、香織お姉さまと友達付き合いなんてできっこないわ。私が知弥子さんを信用できるとしたら、その一点ね」
「はは、一点だけか」
カレンさんは、チェス盤を眺めながら、さも面白そうに茶々を入れるだけだ。
「……だから、香織さんは、私たちに余計な心配をさせないよう、一人で解決しようとしてその依頼書を捨てたんでしょうね」
紙に視線を落としながら、大子さん(たぶん)がつぶやく。
「つまり、後輩の私たちが、信用されてないワケではない、といいたいのね?」
「香織さんの考え方なら、きっとそうです」
「ん~、まあ、確かにそうでしょうけど……それでも通すべきスジというものがあるでしょう? 中等部の私達を完全に無視しているわ」
「はは、ちさちゃんだって下級生の私ら無視したじゃん」
先輩たちのやりとりを前に、どうして良いものやら、私は手の上で紙を持て余していた。
確かに、私じゃ、高等部の先輩たちのことはわからない。弓塚先輩にも一度会ったきりだし。
知弥子さんって人のことになると、もうサッパリ。話だけ聞いてると、何だか、とんでもない人のように思えるけど……。
「じゃあ、コレ、私たちで調べます」
「じゃあ、コレ、私たちで調べます」
えっ?
凛とした、揃ったステレオの声が左右から聞こえた。
「ええ、ご勝手にどうぞ。まあ何かあったら連絡してね。協力ぐらいはしてさしあげますわ」
「だねえ。大福姉妹なら現場の把握には最適だし。う~ん……」
双子の先輩は立ち上がり、ドアへと近づいて行く。部長もカレンさんも相変わらずチェス盤を睨んでいるだけで、ピクリとも動こうとしない。
「あの、待って下さい。私も、何か手伝えるコトがあるなら」
あわてて、姉妹の背中に近づいた。
各々自分勝手にやっている部なんだろうけど、一番下っぱの私が、何もせずに見ているわけにもいかないじゃないですか。
「あら、巴さんも来てくれるの? 嬉しいわ」
朗らかな笑顔が二つ。パっと花開くように私に向けられる。
「良い退屈しのぎが出来て良かったわね、巴さん」
部長の余計な一言が背中から聞こえた。
やっぱりイジワルだ、この人。
「……別に退屈をもてあまして、本を読んでたわけでもないんですけど」
……いや、少しは持て余してましたけど。
「私は退屈だから、遥かに格下のカレンと、ハンデつきのチェスをしているの」
……そんな風にも見えないんだけどなぁ。
良い勝負っていうか、どっちも拙攻が目につくというか。
「あら、巴さん、不服そうなお顔ね。何かおっしゃりたいことでも、あるのかしら?」
「ありますけど、それって先輩たちの前では、口が裂けてもいえません、はい」
「あらあら? そういったことならますます、訊いてみたいわね。構いませんわ。さあ、吐き出しなさい?」
「無理ですし、ダメです。これは人として一番やってはいけないことですから」
「あらまぁ、そうなったら何が何でも訊きたいわね! いいわ、部長命令よ! ゼッタイに怒らないから、今すぐこの場でハッキリ、いいなさい!」
「はい。ええと、カレンさん。たぶんc6のビショップでチェックです。では」
「お!?」
「っギャーっ!」
部長の悲鳴がやまない内に一礼し、扉を閉め、私は双子の間にサンドイッチにされるように廊下を歩いた。
……と、そんなわけで、調査を開始したのは良いけれど。
双子の姉妹は高等部の職員室で、あれこれと聞き込み、テキパキと幾つかのカギなんかも借り出して、私は何もすることがない。
何たって、物怖じもせず高等部の教師とほがらかに挨拶して、会話して、可愛らしく会釈して、臆することなく高校生のごったがえす校舎の中を、ひらり華麗に舞うような軽やかな足取りで進んで。
何なの。マネできませんってば、こんな無敵な人たちの行動なんて!
「ホント後輩が入ってくれて、嬉しいな」
「ホント後輩が入ってくれて、嬉しいな」
「いやぁ……全然やくに立たなくって……」
「これからに期待してるから」
「あと、黒髪仲間も増えてホッとする」
いや、赤毛のカレンさんや栗毛の部長と比べれば黒髪だけど、宝堂姉妹のセミロングの髪も、色素は薄い方だし。
色白で、華奢で。年上なのに身長だって私と大差ない。それでいて、幼児体型の私とは思いっきりスタイルも違うのは、頭の大きさや脚の長さが露骨に違うせいかもしれない。
しかもそれで双子って。
「時計は合ってるわね、じゃあ、大子姉様、私は最短コースで現場に行きます」
「わかったわ、福子さん。じゃあ私は職員室から普通に徒歩ね」
チャリっと、左手のロザリオのクロスを上向けにしながら、大子さんは微笑んで手を振る。
お揃いのロザリオは、磨かれた平らな木の実の三重巻き。百個くらいの珠で出来て、年季の入った光沢を放っている。いわゆる二環、十連。
ゴスロリの人とかだと、十五連のロザリオも平気で下げてるから、そこまで珍しい物じゃないにせよ……。四つのストラップが下がり、そこにクロームの小さな十字架が下げられている。
「とりあえず、あの手紙だけじゃわからなかった細部のあらましは聴けたわね」
「ええ……でも、ますますこれって、事件じゃなさそうなんですけど」
ケガをした高等部の戸田先生は、命に別状はないものの、前後の記憶は飛んでいるらしい。頭を打っただけに、まだ安心はできないけど。
わかっているのは、三時限目と四時限目の間の休憩時間に、体調不良の早引け届けを出して、駐車場へ向かったこと。
休憩が終わって、四時限目のテスト開始時に、事件(?)は起きた。戸田先生の悲鳴を聞きつけて、窓際にいた清掃係の人が気付いたらしい。
他にも守衛さんや、控えていた職員の人など。
教室の窓に面した側じゃないので、生徒で気付いていた人は、殆どいなかったらしい。
テスト中だけに、救急車には校内に入る際にサイレンを鳴らさないよう、お願いしたそうだ。学校の広い敷地の周りには、どうせ信号なんて殆どないし、渋滞だってその時間帯にはまず考えられないのだから、まあ問題もないはず。
「巴さんは、どう思う?」
「ええっと。現場を見ないことには……」
キョロキョロ周囲を見渡す。
同じ学校内なのに、見える景色はさすがに中等部とゼンゼン違う。
校舎だって、やや大きい。
一番正面の古い校舎は、薄紫のレンガでできていて、かなり目をひく。和風の瓦屋根に、欧州風の繊細な洋風建築。いちいち大げさな建物揃いの学校だけど、どうしても、圧倒されてしまう。
「巴さん、落ち着こうよ」
「は、ハイっ!」
つい、声が裏返った。
先輩は笑いをこらえた顔をしてる。顔が真っ赤になりそう。
スカートのポケットの中に、いつも潜ませている一連十珠の小さなロザリオを、マネをするわけじゃないけども、私も握った。
入学の際に、必要(?)と聞かされて買った、薔薇の名前を冠した小さな手首用の珠環を手で転がしていると、少し気分が落ち着く。指で摺り、時々は適当な何かを数える時にもカウンタとして使っている。けっこうバチ当たりだ。
一瞬立ち止まり、大子先輩は御堂の後ろにある聖母像に手を合わせていた。ちょっと毒々しい赤ラインの黒セーラーが、まるで聖女のように清楚に見えるから、不思議だ。
改めてここが神聖な場所であると感じさせられる。
──ああイエズスよ、我等の罪を赦し給え。我等を地獄の火より守り給え。また全ての霊魂、殊に主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え。
マネするように私も合掌する。よっし、お祈りしたからバチ当たりでもいいや!
「今の十秒はノーカウントね」
再び歩き出す大子さんにひっついて、私も歩き出す。
「とにかく、おかしな噂が広まる前に、火消しはしないとダメだと思うの」
「う~ん……」
ちょっと考え込む。私には、それは正直、そう必要なこととは思えない。
「どうかな、この事件。難しい?」
「いえ、まだ何も。でも……」
そこで言葉をつまらせる。
正直、私はこの事件のことがあまり『気にならない』んだ。
むしろ、興味はこの双子の姉妹の方にある。ちゃんと話をするのも、これがほとんど初めてだし、ちょっとドキドキもする。
「でも?」
「いや、何でも……」
すぐコトバを飲み込むクセがある。そうカレンさんに指摘されたのを思い出した。
変えようと思っても、そうそう人は変わるものじゃないよね。
特に大子先輩みたいに出来た人のそばにいると、余計に自分のダメな所が際立つような気もしてくる。
「何か難しいことでも考えてるんだ?」
「そんなことないですよ。私なんて……」
うん。かなり、ダメだ。
「巴さんは……そうね、とっても優等生な感じ。毅然として、真面目で、ハキハキして、快活で」
「いや、そんなことないですって」
「そうね」
うわ、アッサリ。
……虚礼もない。すごく正直な人だ。
「あなたから観て、私たち姉妹は、どんな風に見えるかしら?」
「ええっと……優しくてほがらかで……良い先輩だな、って」
「美人で可愛くって、お嬢様らしい?」
「自分でいえちゃいますか!」
「うん。そんな風に見て貰えるよう、努力してるもの。だから、巴さんもきっと、そうなんだって思う」
「でも、うわべだけとりつくろっても……。私はボロが出まくりです。優等生を装いたくても、どうしても、とっちらかっちゃう。その点、先輩たちは本当にお嬢様って感じがします」
「ちさとさんくらいワガママに自分を出してる方が、お嬢様としては本物よ」
うーむ。
「私の家は……古い家で、作法には厳しい両親だけど、古い考え方に固執しない人だし。爵位のつくような大げさな家柄でもなければお金持ちでもないわ。この学校だって、『家に近い』って理由だけで、初等部の頃から通ってるの。おかしいでしょ?」
いや、ソレ充分お嬢様なんじゃないでしょうか。
「巴さんが、そんなにいっぱいいっぱいになるのは、自分で自分が優秀な子だってわかってるせいだと思う」
「え?」
「何でも上手くできて、上手くいえる、ちゃんとそのことを自覚してる。だから、間違った行動や間違った発言をしないよう、すごく慎重になってるタイプかな? 何か昔、大きな失敗でもあったのかしら? 『慎重さ』が『臆病』になっちゃってる、そんな印象があるなァ」
「それは……」
意識したことはなかったけど、それはきっと正解だ。
「無理とか場違いなんて、誰だってきっと、思ってるかな。私だってそう」
「いや、そんな。宝堂先輩って、この学校にすごく似合ってて、自然じゃないですか」
「そうでもないよ。巴さんなら……もう気付いてるよね? ホラ、私すごくバチあたりだ」
「バチあたりはお互い様ですし」
先輩は、チャリっと、左手をあげる。
「これも、発祥はインドだよね。元はヒンドゥー教かな?」
「ですね。同じく西洋にも東洋にも伝わって」
マリア様に祈りを捧げる、薔薇の花冠。ロマンチックな言葉だけど、インドからローマに伝わった時、
現場の近くに着くと、石畳の真ん中で、福子さんが手を振っていた。
周囲はひらけていて、見通しも良い。ここから四〇~五〇m進んで横に折れた所に、駐車場がある。
石畳は、碁盤の目のように四角く、段差は殆どない。足を滑らせるほどつるつるでもないし、濡れてもいない。
真ん中で手を振る福子さんの姿は、一つだけ取り残されたクイーンの駒みたいにも見えた。あの位置が先生の倒れた場所だろう。
近づき、二人の姉妹は軽く手をタッチし、何か囁きあうようにして、手と手を取って、ぐるんと一回転。
「ショートカットで三〇秒ほどね」
「あ、十秒引いてね、お祈りしてたの」
「小走りなら、一分くらいは稼げるのかな?」
「ちょっと距離を見てきますね、大子姉様」
福子さんは、またタタタっと小走りに去ってゆく。
……あれ? 今、姉妹が入れ替わったみたいな……?
何事もなかったように左手のクロスを翻しながら、大子さん(?)は話を続ける。
「いずれにせよ、届けを出してここに来る迄で五分くらいだから、その間に待ち伏せた人なんて居ないでしょうね、時間も時間だし」
それに、届けを出すまで、先生が早引けすることは誰も知らなかった筈だし。
「さて、どうだろう」
う~ん……。
「何かの痕跡を探すならともかく、何もないことの証明は何もないだけに難しいですよ」
つまりソレって「悪魔の証明」じゃないですか?
「なら、誰かの手によって何かしたワケじゃないことも、証明できる筈よ?」
「事件がないことが事件、か。難しいなァ」
視界にあるのは南校舎と北校舎、奥の雑木林。
近くにあるのは寄贈の奇岩と、背の低い植え込み、木のベンチ。
うららかな太陽が差し込む、とってものどかな場所。
「事前に知っていた物でもなし、そうなると一緒に行動をしたか、一分そこそこのうちに先回りをして、待ち受けた、って話になるわよね、これがもし、『事件』なら」
胸ポケットから取り出した手帳のページを、分度器つき物差しでピリピリっと破りながら、大子さんは畳みはじめる。
「う~ん……」
ちょっと、それって現実的ではないかも。
「だとすると、ほとんど計画性のない、突発的な犯行になりますけど……コレ、犯行なんて無理ですよ」
「無理?」
「清掃の人、悲鳴を聞いてすぐに、倒れた戸田先生を確認したんですよね?」
「ああ、そうね。これだけ見晴らしが良いなら、窓から眺めたらすぐ倒れた先生が目に入るわよね。ホラ」
北側の校舎の窓から福子さんが手を振っている。ここからなら、丸見えだ。
なら、逃げた人影があるなら、あそこから見逃すこともなさそうだ。
近くにあるのも、五~六〇センチもない奇岩、白木の隙間だらけのベンチ、低くまばらな椿垣。こんなのじゃ、隠れられない。
「距離的に見て、接近して突き飛ばしたり、後ろから殴り倒したなら、逃げるのに十数秒はかかりますね」
「そうねえ。倒れて、しばらくしてから悲鳴をあげるなんて考えにくいし」
大子さんは手を伸ばし、片目をとじて、分度器に目をやった。
「仰角4.3度、距離は……福子さんの位置からすると、きっちり五十四メートル三〇センチ。この傾斜はおよそ三十五メートル地点でプラス三度ハングして、校舎付近五メートルでほぼ水平、誤差二度前後で、コンクリートの工事がされてるわね」
「うわぁ!」
「より正確な状況なら、福子さんが戻って来たら、お互いの目に耳にした情報をすり合わせて、誤差ゼロに近い物まで得られるわ」
……分度器と、ノートの切れっ端だけで?
いや、原理的には、確かに不可能じゃないけど。
転々と駐車場入り口、南側校舎、雑木林と駆け抜けて、福子さんが再び小走りに戻って来た。
手をあわせ、そして、二人は私の方へ顔を向ける。
「ええ、正しくこの『現場』から北側校舎出入り口までは五十四メートルと三〇センチ三ミリ。西側の駐車場入り口までは直線距離で四十八メートル三十四センチ、南側校舎出入り口は六十二メートル十二センチね」
「西南の雑木林まで七十二メートル、どれも、走ってすぐに隠れられる距離じゃないわ」
「……すごい」
「こんなの、大した特技じゃないわよ」
「こんなの、大した特技じゃないわよ」
照れ笑いのような表情を同時にする。
「それに、距離、位置、個数、状況、それを『正確に』把握する……といっても、短期記憶だから、そうそう覚えてられる物じゃないの。カメラがあれば、ゼンゼン要らない物でしょ?」
いや、カメラだけじゃ無理なこと、色々わかりますって、それ!
「カレンが云うには、私たちは『手と指の数が多いからズルイ』ですって」
「そうか、数えられるケタ数が違いますね」
二〇ビット。四つの手で1048575まで、瞬時に数えられる。いかにも、カレンさんの考えそうなことだ。
「でも普通は、二進法で数えたりはしないじゃない?」
「いや私は……あ、何でもないです、ハイ」
あらためて、ざっと周囲を眺める。
「およそ五〇メートル四方、何もナシですね。こんな距離があっちゃ、何かを投げつけて倒すのも無理ですよ」
「バットかラケットでボールは? ゴルフクラブとか」
「ものすごいコントロールですね」
「うーん……」
「あれは、どうかしら? 校舎の屋上から何かを投げるとか。それだったら、校舎の中にいる職員のかたも、犯人の影は目に入らないんじゃないかしら」
「紙ヒコーキじゃないんですから。遠投で投げられる以上の飛距離は、結局は無理ですよ。カタパルトとか、スリング……パチンコのような物。そういった道具を使うならともかく」
「あ、じゃあきっと、それね!」
「……ないと思うなぁ」
軟球か消しゴムのような物を、タオルで包むようにして、腕でぐるんぐるん回してポーンと発射するとか、やればたぶん、それくらいの距離は飛ばせるとも思う。
でも、そんなのをそうそう頭に命中させられる? この距離で?
射出力の高いパチンコで鉄や石の小さな弾を撃つ方が、まだありえるけど、命中精度で考えるならこれも、とてもじゃないけど二〇メートル以上先の物に当てられそうにない。
あと、それだと凶器としての性能が高すぎて頭がえぐれかねない。つまり狙撃の証拠が明確に残ってしまう。
「コントロールに限らず、凶器になる物を五〇メートル横に撃ち出すには、それなりの勢いと速度が必要です。まして、四階建ての校舎の上からだと、自由落下の法則でしたっけ? 命中時にはかなりの速度と重量になりますよ。中一だからまだ習ってませんけど」
「中二でも習ってないわ。う~ん、そうか……あ、カタパルト!」
「何かあります?」
「ホラ、雨どいがあるじゃない!」
「ほえ?」
「時間の調整も、標的も、仕掛けで作れるかも。例えば、位置を指定して待ち合わせるとか。石畳の真ん中、西側から何枚目、北側から何枚目とか」
「あ、事前に弾道の軌道が解っていれば、できなくもないわね」
「……えーと」
以心伝心で姉妹の間には伝わってるみたいだ。
何を……?
少しだけ考え込む。仕掛け?
「……ああ、なるほど。私もわかりました。確かに、凶器も消せますね、その考え方だと。……場合によっては、知弥子さんとか、それ以外の生徒でも、教師でも、『そこに居ない人』の犯行の可能性だって、考えられるトリックかも」
つまり先生の早引けは突発的な物ではない、という想定か。
もしくは、前々からいつでもできるように仕掛けてあって、チャンスを狙っていた、とか?
「う~ん、それはそれで、ちょっと良くない考え方だわよね」
「いえ、大丈夫です。ソレ、バカバカし過ぎるし、不可能ですから!」
ニッコリ微笑みながら、私は否定した。
ガクリ、と肩を落とした姉妹は、苦笑いだけど、ちょっとホっとしたような表情でお互いを見合っていた。
(後編につづく)
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