第四話『足りないもの』(後編)

★前編のあらすじ★

 瀬戸内を一望する風光明媚な地に建つお嬢様学校「聖ミシェール女学園」。

 そこに通う一年生・咲山巴は、持ち前の推理力の高さから『探偵舎』と呼ばれる奇妙な部に引き込まれ、ハイテク捜査を得意とする、変わり者の先輩・カレンとともに、職員室で発生した盗難未遂事件の調査に駆り出された。

 急に『探偵役』を命じられて困惑する巴。正直、推理なんて、したくはない。

 そこに、突如「犯人」を名乗る生徒が名乗りをあげ……?



         ★


「私は……直視、できなかったんです。過去に……」


 ……ダメだ。足が止まる。思い出したくない。思い返すことにすら、心がこわばって、拒絶する。

 やっぱり、私は……どうにも弱虫だ。


「何があったか知らなけど、結局それは『巴のケース』だよ。今回の事件とは、ゼンゼン別のお話」


「単純に、精神的外傷トラウマってことなんでしょうね。でも、それは私が思考停止するに十分な理由ですし。PTSDに対して、立ち向かえ、なんて古くさい精神論を持ち出すのが、どれだけ無益かはカレンさんだって、おわかりだと思います」

「うん。でも、そこでへこたれて、しょげて、しぼんで、それでオシマイって子じゃないだろう、巴は。そんなタマじゃないよ」

「そんなタマなんです。お言葉ですが、カレンさんに、私の何がわかると……おっしゃるのでしょうか。今朝、さっき出会ったばかりで、私はまだ、何も……」

「録音は何度も聴き返したし、巴のデータも観て、面白そうな子で、興味も出たよ。私はデータでしかまだ、巴のことは知らない。だから、これからりたいんだ」

「つまらない子ですよ。興味なんてもつだけ無駄です。それに……この事件、たかが窓ガラスと磁性体を塗布した強化ガラス、ガラス二枚じゃないですか。適当に誰かが弁償して終わりですよ。それで良いじゃないですか。こんなの……」

「微弱であれ、損害が出てる事件なんだよ。うっかりミスや事故なら、それもいい。でも、それを隠蔽工作しようとした『誰か』の、不正の意志が介在する『事件』なんだ。見逃していいようなことじゃない。それに、今は雲行きも変わった」


 ……そう。

 一体、誰が、何のつもりで、「犯人」の名乗りを?


 状況が掴めない限り、何ともいえないけど。

 仮に本当に犯人なら、可哀想だけど、何らかの処罰もされるのだろう。それが自業自得なら、仕方のないことだと思う。

 でも、もしそうでないなら、無実の人間が犯人になる。「濡れ衣をきせられる」ようなことなら、弁護のために、抗弁のために、そりゃあ幾らだって力になってあげたい、とは思う。

 でも、自分から「犯人」だと名乗っては、どうなんだろうか。本人からの申告は、無実の証拠を提示するより遥かに簡単で、しかも審議すらされず受理されかねない。

 わざわざ自分から、を着て「処罰されたい」のだろうか。考えられない。


 私は、そんな生徒の進退問題に、その人の人生に、既に否応なく関わってしまっている。

 ……それだけでもう、あまり良い気はしない。


「……だいたい、遊び半分、面白半分に誰かの人生に介入してどうするんですか。だいたいカレンさんだって……」

「私は、直視したさ。私は……知りたかったんだ。自分が今、ここに居ることを、肯定したかった。だから、色々と調べて、色々と知らないで良いような余計なアレコレまで知った。あまり良い結果じゃなくってもね。でも、それで納得できた。納得がいったから、この学校で一人、寮生として暮らして行くのにも納得できたんだ」

「それは……」


 何かをいいかけて、また私は言葉を呑む。

 そこには踏み込めない気がした。


「とにかくさ。巴は、犯人暴きはしたくないんだ?」

「……動機はわかりませんけど、コレって、深く考えての犯行じゃないですし」

「だね。だいたい、外側からガラスを割って、外部侵入の痕跡を『作った』として、土も足跡も窓枠のに一切ないんだよ。ようは、機材破壊も部屋荒らしも入り口から入って行動してる。窓を割ったのは工作だな」


 何より、『が、ご丁寧に内側にあるんだもの……。


「それに、窓がフェイクだと……」


 職員に犯人の可能性が高い、って話になる。

 何故なら、この犯行には「カギが必須」だから。

 職員であるなら、それこそカギの管理なんて厳密性を求める意味すらない。幾らだって、どの時間帯だって、誤魔化すタイミングも、職員同士の間でなぁなぁで手にできる機会だってあっただろうし。


「生徒が犯人ってケースも、実際にはちょっと厳しいだろうね」

「あくまで『可能性の高さ』だけですが、それでも圧倒的に教師が有利で、それ以外の人だと極端に難度が高くなるんです。だからこの工作は『失敗』です。気になるのは、『何故、そんなことをしたのか?』の一点だけで」

「動機、理由を外して考えると、例えば目的のないイタズラなら、単純に『犯行可能』を教師全員にも寮生の数百人にも警備員の人も、もしくはその警備員の人との共犯なら外部の侵入者だって、幾らでも想定できるしね。楽な考え方かも知れないけど、それじゃやっぱ、ナンセンス過ぎるか」


 理由を考えないで良いなら、一人しかいないけど。

 私は既に、ある程度は筋道がついた。

 ただ、その可能性を絞り込むのに、中心となるピースが足りない。

 心の中までは、覗けないから。


「……仮に、先生の中に犯人がいたとしますよね?」

「巴もそう思う?」

「いたとして、じゃあ、その先生が『ハードディスクを壊した理由』って、何だと思いますか?」

「ん。ハードディスクを壊すための犯行、ってコト?」


 カレンさんも、さすがにいぶかしむ顔で考え込む。……普通は、そうですよねぇ。でも。


「それ以外、ないじゃないですか」

「ん~、ワカンナィなぁ。そんな物、都合の悪いデータが入ってるなら、さくっと削除しちまえばイイじゃん?」

「じゃあ、例えば、削除するわけにいかないデータだったら?」

「既に完成したテスト問題だけじゃん。そんなの消して、誰に、何のメリットが?」

「それが、わからないんですよ」

「う~ん……」


 パソコンのことは、私ではよくわからない。カレンさんなら、何かわかるかも知れない。


「普通に考えたら、ウッカリ削除しました、っていえば、都合の悪いデータなんて幾らでも消せると思うけどなぁ……」

「消したら、復活はできないんですか?」

「ん、どうだろう。職員は各々、端末で作業して、できたデータなんかはサーバーに入れておけば、直接そこから削除しない限りは、ローカルで削除したって幾らでも復旧できると思うけど。まだサーバーにアップする前に壊されたなら、まあ、それっきりってコトかな」

「えーと、そのパソコン、誰でも操作できるんです?」

「うん。あくまで職員室内のみで有線のLAN組んで、外界から切り離してあるから、共有性や異動も考えて、各端末は職員室のマシンで普通に操作する分には面倒なパスとかは入れてない。どうせ私用にゃ使えないし、プライベートなデータを入れる阿呆もいないだろうしね。定期的にチェックもしてるし。ま、エロサイト見たりネットで遊んだりなんて職員はいないでしょ、この学校には」

「まあ、それはそうだと思いますけど……」


 いちおう私のパソコン知識でも、話の内容はわからなくもない。カレンさんも、それなりに簡単な言葉で説明してくれているのだろう。


「まー、あとは大学とかヨソの教育機関に繋げる必要もあるから、外部接続もできなくもないけど、そこはわりと高度な認証かけてるし、そうそう外から接触操作はできないと思うよ」

「……つまり、職員室に入って、直接端末を操作するだけなら誰でもいじれる、ってコトですよね? 教師じゃなくても」

「ん。まあ、そうなるかなぁ。たとえそれが侵入して来た泥棒さんだったとしても。まあ、そんなの居ないとは思うけど」


 うん。まあ外部から侵入した犯人なんて、いるわけもない。


「……えと。削除したデータって、完全に消せるんですか?」

「ん? 場合にもよるけど、リカバリ……復旧って手があるかな。起動ドライブじゃないなら、消した後に余計な操作しなきゃ、ファイル名さえわかれば、書き換えてすぐ戻せるよ。前にソレ、ここでやったことあるし。ん、待てよ、外付けローカルにしたハードディスクは設定次第か、ん~……」

「……そうですか」


 専門用語はよくわからないけど、なんとなくは理解できた。


「で、いつまでグズって、ここで立ち話してるんだ?」

「……急がないとですね、すみません」



          ★



「失礼しまーす……」


 ガラっと扉を開けて、職員室の中を見渡す。見覚えがある生徒が、そこに立っていた。ここに来る途中ですれ違った子だ。

 確か、隣のクラスの仁科さんと立ち話をしていたから、一緒に挨拶をした記憶がある。何かが、ちょっと頭に引っかかった。


「……あのぅ、一年萩組、岸早苗……です。ごめんなさい、私が……犯人です」


 か細い声だ。

 私よりもちょっと小柄で、頼りない雰囲気を持つ、弱々しい子だ。

 周囲の教師一同、当然のように困惑している。


「いや、あの……君ね、わかっているのかね? 自分が何をしたのか」

「はい……」

「どうしてこんなことを……?」

「……私、数学の成績が悪かったので……」


 いや、そんなバカな理由はないって。

 問題を盗み出すならともかく、データを壊してもテストはなくならないし。


「あの、岸さん……どうしてそんなウソをいうんですか?」


 たまらず、声を出す。


「嘘?」

「あなたに、こんなことできるワケがないじゃないですか」

「因禍為福、成敗之転、譬若糾縄。自らが招いた物だもの」

「いや、禍福得喪じゃないよこれは」

「何語?」


 今度はカレンさんがキョトンとしていた。


「では、私が犯人じゃないって証拠は……出せますか?」

「出せないけど……」


 困った。


「犯人じゃないなら、事件をいつ知ったんだろ。あ、この子、さっきすれ違った子じゃん? じゃあ、気づいてておかしくは……」

「おかしくはないですけど、通路側じゃ、職員室にでも入らないと、こんな事件が起きてたなんて、わからないですって。私だって、実際にここに来るまでは、どこでどんな事件が起きていたのか、ゼンゼン気づかなかったんですから。割れた窓は校庭側からじゃないと見えないですし」

「それもそうか。ん~、ホントに犯人なら、知っててもおかしくはないかも知れないけど、その可能性は……んー」


 またパソコンを取り出して、カレンさんはカチャカチャっとキーを叩く。


「いやあの、ソレ悪趣味ですって! ていうか、個人情報保護の観点からもよくないですって! プライバシーの侵害ですって!」


 ……とはいえ、なんでなんだろう?

 頭が、さすがに混乱する。

 岸さんが犯人だなんて、ゼッタイにありえないんだから。

 チラリと、私は『』の方へ視線を向ける。

 私が視線を送るより先に、既にその人は立ち上がっていた。


「茶番もいい所だ。あのな、岸。君が犯人なわけはないだろう?」


 そりゃそうだ。


「壊したのは、私だよ」


 あー。


「えぇっ?」


 教職員一同、視線を山形先生に向けた。

 いっちゃったか……。


 犯人を名乗る人間が二人も現れ、職員室は騒然としていた。

 後ろからカレンさんが私を突付く。


「事件にならないとか、考えるまでもないとか、もしかして巴、最初っからコレ、計算していってたんだ?」

「計算でこんなのわからないですよ! エスパーじゃないんだから!」


 こんな事態になるなんて、考えもしなかった。そうなるように仕掛けた「」がいるならともかく。


「あ、そうか」

「何が? えーと、岸早苗、一年萩組……確かに数学が悪いな。入学して以来、常に『最下位』だよ、この子」

「最下位……」

「他はけっこー良いんだけどね、けっこーっていうか、一位か。国語とか社会だと巴より上だし、ワケわかんない子だなぁ」


 いや、アナタがソレをいっても、その。


「岸君は関係ない。私が壊したんだ。ちょっとその……いい出し辛かっただけだ、すまない。後で弁償しようと思ったんだがね、こうも、コトが大げさになるとな、うん」


 初老の先生は、そういって頭を下げる。

 ……困った。


「ハードディスクをうっかり壊して、うっかり窓ガラスも?」


 少し険のある言葉でカレンさんが詰問する。


「……ああ、うっかりな」

「うっかりクロステープを窓に貼って、うっかり割ったんですか。机の高さって1メートルもありませんけど、このハードディスク、力いっぱいうっかり床に叩き付けたように壊れてますよ?」

「ああ。いいだろう、犯人は私だ」


 投げやりな口調の山形先生は、ややふてぶてしいように思えた。


「それを証明する証拠だってないじゃないですか?」


 困った。

 犯人探しなんて、趣味じゃないのに。


「で、どっちなの?」


 カレンさんが小さな声で私にささやく。

 どうしよう。何故、何のために?


「……困ったことをしてくれましたね」


 シスターがため息混じりに、山形先生と岸さんを交互に見ている。

 私立とはいえ義務教育だから、停学なんて処分はさすがにないけど、これで岸さんが犯人ってことになっちゃうと、何らかの処罰は確実に下されるだろう。

 山形先生だってそうだ。これは、事故やウッカリで誤魔化せるような話じゃない。普通で文書注意、ヘタすると懲戒免職ものだ。

 かといって、二人とも無実です、って話には出来ない。


「で、どっちなの?」


 今度は、小さな声じゃない。大きな声でカレンさんは私にそういった。

 一斉に視線が私に注ぐ。

 困る。

 二人とも、この行動は悪意からじゃないと思うし。何たって、他人に罪をきせるのではなく、自分から被ろうとしているのだから。

 たしかに、ほめられたことじゃないし、乱暴だけど、でも。


「……あの。山形先生が犯人で良いと思います」


 静まった職員室の中で、私の宣言だけが響いた。


 岸さんは、山形先生をかばっているだけだ。

 そして、彼女は山形先生が何故、そんなことをしたのかを知っている。

 共犯……いや、違う。

 どこで知った?

 どうやって?

 今確かなことは、彼女の告白が「嘘」だって事実のみ。


「十中八九、岸さんの自白は狂言ですね」

「何故?」


 教師一同、不思議そうな顔でこちらに視線が集中する。

 うぅっ……やりにくい。


「……この事件、生徒が犯人の可能性は少ないです。確かに窓は割られていたけど……」

「侵入の形跡はない、か。上履きとか脱いで入ったって可能性も、考えられなくもないが」

「靴じゃない足跡だって残りますよね。それを、カレンさんが見逃すわけはないじゃないですか」


 そう。「曖昧な可能性」なんて、カレンさんがいれば、物証で全て潰しちゃえるんだ。

 良くも悪くも。


「まあ、確かに。でも岸君の体重なら、バレェシューズみたいな靴でも用意すれば痕跡をほぼ残さないで侵入できないこともないんじゃ……」

「彼女の身長だと、脚立きゃたつか何かを外に置かないと無理だと思います。屋外で痕でもあるか調べて来ますか? その痕跡を消そうにも、均した跡だって残りますし」

「……そうだな、総合するとナンセンスだ。ゼロじゃなくても、可能性はないと同じか」

「そして、破片の状態からすると、これは先に『ハードディスクを壊して』から、窓を割ってます。生徒が鍵をどうにかして手に入れて、職員室に入ったとして、どうしてわざわざ窓ガラスを壊す工作をする必要があるんですか?」

「それは……」

「ガラスが割れていなければ、鍵を普通に手に出来る職員だけ疑われていた筈です」


 同時に、工作が稚拙なせいで、犯人は鍵を手に出来る人に限定されたけど……。

 つまりはハナっからこの工作には意味がない、失敗だと思う。


「更には職員室の内部にも詳しい犯人です。外部の物盗りならもっと荒らしてるか、最初っから職員室を狙わないかのどちらかです。第一、空の貴重品入れの『只のロッカー』なんて、触ろうとも思いませんよ」

「ふむ。咲山のいってる話も、推論だけだね。だいたい、可能性が『少ない』というだけで、『ない』わけじゃないんだろう?」

「はい。ですけど、標的がハードディスクの『破壊』に限定された時点で、盗難の可能性もないです。そして、こんなのは嫌がらせやイタズラしか普通は考えられないです。じゃあ、そうでないなら?」

「ないなら、って。わからないわよ、そんなの……」


 教職員一同も小首をかしげる。まあ、それもそうだろう。


「わからないけど、一つだけ確かなのは……『『壊す』意味は山形先生にしかないんです。嫌がらせやイタズラなら、もっと幾らだって悪質なこともできますよ。そしてテスト問題が標的なら、バックアップが他にあるかも、って考えますよ、『』なら」

「そのハードディスクにデータがあることは知られているけど……ああ、バックアップの有無まではわかんないか。共有部以外を本人以外がいちいち覗かないな」

「山形先生以外で、そしてテスト問題が目的なら、サーバーマシン本体ごと壊してますよ」


 フォーマットや削除じゃ、駄目だ。

 職員か、出入りの生徒に犯人が限定される。だいたい「忍び込んだ正体不明の賊が、ハードディスクをフォーマットして逃げた」なんてバカな話は、成り立たない。

 そして、盗まれたことにするのなら、どこかに隠さなくちゃいけない。隠し場所が思いつかなかった? いや、そうじゃない。限られた時間内で、動ける範囲の限定された者には、「壊す」ことこそが一番手っ取り早い手段だったんだ。

 何故テスト問題なのか? そこが、まだわからないけど。


「ついでに、今使ってる真っ最中の備品が皆の前で壊れているなら、『仕方ない』っていいながら、ポケットマネーで新品の一つでも買って来られますよ。目的が破壊なら、盗難に見せかけるより、後始末もつけ易いです」

「んー、ちょっと待ってよ、そもそも、なんで壊さなきゃ……」


 いいかけたカレンさんを、山形先生が制した。


「今日は早朝に登校して、宿直担当者がトイレに行っていた間に鍵を持って、職員室に来てね……咲山君は考えすぎだよ。ハードディスクを、こう……壊してしまってね。大人げない話だが、この歳で叱られるのも嫌で、宿直室まで鍵を戻して。とにかく、申し訳ない。不自然に壊れては何なので、ボールでもぶつかったことにしようと、窓をね」


 それも、嘘だ。だいたい叱られるのが嫌で、と言いながら余計に器物を壊すなんてどうかしてる話。

 でも、嘘だと喝破できる程の証拠も論証もない。核となる何かが足りないから、私の「推論」はどれも決定打がない。「確率が高い」ってだけの話で。


「大人げないにも程がありますよ、山形先生……」


 学年主任の呆れた声が大きく響いた。


「すまない。しかし、ボールだと運動部の子に累が及ぶと思ってね……物盗りの仕業に見せた方が良いかな、と……すまない、軽率だった」


 ……これは、本当かも知れない。

 学園のセキュリテイに関して、あまり心得ていなかったのかも知れない。

 最初っから手を滑らせて壊した、って話にしておけば、こんなことには……。

 いや、それだって誤魔化しだけど。

 とにかく……このままだと、先生に処罰が下されるのは確実だ。

 どうしよう。

 私は、どうすれば……?


「ほーっほっほっほっほっほ」


 高笑いが聞こえた。


 その場の全員が、一斉に声のする方を振り返る。

 ……いや、わかっていたけど。

 なにやってんだか。


「そろそろ来ると思ってましたよ……」


 呆れたように、私も声を絞り出す。


「名探偵、皆を集めて『さて』といい。話は全て聞かせてもらったわ」


 マントのように黒のカレッジコートをひらりとなびかせ、高笑いの赫田部長が勢い良く扉を開けた。


「静かに開けて下さい」

「まったくだ」

「ッキャー! 何よもっといいようあるでしょ!?」


 おそらくは、彼女が『』を持っている筈だ。


「……岸さんをけしかけたの、部長ですね?」

「あら、わかっちゃった?」

「その『伝達手段』が、判らなかったんですよ。一体、どうやって……」

「あー、捜査状況は私が逐一連絡してた」


 カレンさんは、ひょいっとパソコンを取り出した。


「そそ。状況はメールで」


 部長はひょいっとケータイを取り出した。


「わー! ソレ、校則違反ー!」

「まだ授業は始まっていないじゃない、バカいっちゃいけないわ」


 また同じ手かよ! ヤラレタ!


「今度のテストの結果如何で、早苗さんの進退問題になるってこと、それを山形先生は知ってしまったワケね」


 あっさりと。


 いともアッサリ、私の『知らない』情報からの『結果』を、部長は口にした。

 探偵小説なら、ソレは大反則だ。


「そっか、岸さんの成績……」


 一日あれば作り直せる──そうか。そのために「出来あがったテスト問題を破棄」するのが目的で……でも、乱暴すぎない?


「でもさ、ちさちゃん。早苗さん、国語や英語では首位だよ?」

「古文や漢文だってわかる子ですよ。中一でこんな子、いないと思います」

「いや巴、あんたも充分おかしいって!」


 おかしいっていわれても。


「でも、学業はまんべんなく良い点を取らないと駄目、ってことになっちゃいますから。数学の平均値を彼女一人で相当落とすことにもなります。これが公立の中学ならともかく……」


「私立だからなァ。成績で退学させることはなくても、『ウチの学校では生徒さんがついていけませんので……』と、両親に自主退学を勧告するってのは、あるか」

「だから、ソレって事実上の退学通知じゃないですか」

「……ヤだな」


 カレンさんは眉をひそめた。

 その気持ちは、すごくわかる。


「……私もヤですけど、でも、そうする形にここの学校では……」

「そうするのがイヤだから、こーなったんだろう?」


 ……そうだ。

 山形先生って、ヤな人だと思ったけど、でも、やっぱり『良い人』なんだ。

 他の分野で優秀な子が、自分の担当教科で何をやってもダメでダメで、このままじゃ退学もやむなし、ってのを、そのまま見て見ぬフリができなかったんだ。

 何年も教師をやっているオトナなのに。

 岸さんは、私が思うに、たぶん……LD、学習障害児だ。

 もちろん、そんなことを本人の前で口には出来ない。


「……ああ、そうか。数値認識と計算機能の障害ってヤツか」

「って、あー! なんでカレンさん、そんなこと、思いっきり口にするかなァ……」


 配慮が足りないにも程が有る。


「ん~、まだ未知の分野だから何とも断言できないけど、それって、数字の認識に齟齬があるだけでしょ?」

「確かに、岸さんは数学以外は優秀ですけど……」


 口ごもる私につけくわえるように赫田部長が口を開く。


「言語野とか文章理解の脳機能って、計算と同じく左脳ですわよね。文系理系といった分け方は、あくまで受験カリキュラム上のスケジュール都合で、文章能力のある人には計算能力だってありますもの。だから、早苗さんに計算ができないワケはありませんわ」

「つまり……」


 山形先生は、暗い顔をした。


「私の教え方が、良くなかった、ってことだな」

「いえ、一概にそうとは。例えば9と6の区別ができないとか、数列が認識できないとか、何百人かに一人の割合で居るはずです。普通は──そういった認識障害を持つ子は、受験のシステムで『成績の悪い子』として弾かれてしまいますけど……」


 フォローするように、私も割って入る。


「早苗さんは、他の点で優秀すぎたわけだ」

「……私、そんなに優秀じゃ……」


 怯えるような視線で、岸さんはちぢこまっている。

 さっきまでの、私を見ているようだ。

 正直、あまり良い気分はしない。

 本人を前にして「この人は障害を持っています」なんて告発するような真似は、どう考えても余計なお世話っていうか、非常識だ。


「……テスト問題、難しく作りすぎちゃったんですか?」

「今の岸君なら、ギリギリ大丈夫な位の問題にはしたつもりだった……。考えてみれば、それも不正行為みたいな物だな……」

「でも、それがダメだって、判ったんですね」

「……昨日の小テストでな」

「サヴァン症候群の天才児には、よくあることよ」

「それも一概にはいえませんけど。脳の仕組みなんて、まだ解明されてないんですから」

「あの……」


 岸さんは、また、ゆっくり口を開く。


「私のせい、なのは……確かです。どちらにせよ、私はこの学校に留まって良いような生徒じゃないんだし……そのせいで、先生が……」

「いや、いい。私のやったことだし私の責任だ」

「先生がそんなことしたのは、私のせいだもの」


 一見オドオドしているように見えて、岸さんはかなり根性の座った子だ。

 私にこんな勇気は──。


「だからって、こんなことをさァ……。私のせいですいや私のせいですいえいえ私のせいですって、お互いでいいあってたんじゃ、じゃあどっちの誰のせいなんだ、って話しでさァ!」

「……カレンさんのせいですよ」


 ぼそっと、耳元にささやいた。


「うわ、私ィ!?」

「だって、データを消しても、じゃないですか。先生がた全員、ご存知なんですよね?」


 こくりと一斉に頷いた。


「え? いや、確かにここのシステム構築したのも私だけどさぁ」

「中学生なのに!?」


 しかも、中二でしょ?


「中学生だけど。資格もってるしさ、テクニカルエンジニアとソフトウェア開発と」


 ……何なの、この人。


「校内のシステムがあんまりにもヘボいんで、ムカついて私が立て直したんだけど、あー……そうかぁ。ファイル操作で普通に削除しても復旧できる、故意におかしな上書きをすれば操作の形跡が残る。物理的に壊すのが一番てっとり早かった、ってワケだ、なるほどー」


 カレンさんは、ポンと手を叩く。


「だから、しないでいい破壊工作をしちゃったんですよ。ガラスだってそうです。『誰か』のせいにしたくないから、外部の盗難に見せようとしたんです」


 勿論『自分のせいにもしたくない』から、誤魔化しなんだけど、それは口にしなかった。

 こうなってくると職員一同、心情的に、責めるに責められないようで、みるみる困った表情になっている。なんだかんだいって、皆さん、良い先生ばかりなのだ、この学校は……。

 かといって、これを不問に処すわけにもいかないし。

 私だって、困っている。

 マイペースなカレンさんすら、眉間にシワをよせて、考え込んでいた。

 今、この場で困っていない者なんて、一人も──、


「ほほほほほ、まァそんな、どうだって良い話じゃないの?」


 一人いた。

 能天気な人が。


「そんなの、ガラスとハードディスクを先生が弁償すれば良いだけの話でしょう?」

「いや、あの、弁償すりゃ良いって話じゃ……」

「弁償すりゃ良いって話じゃありませんかしら、コレって! 世の中には、謝っても取り返しのつかないこと、償いようのないことはいくらでもあるでしょう?」

「ええ、まあ……」

「だからこそ、オカネで解決できる程度のことは、オカネで解決すればいいじゃない、当然でしょう? たかがガラス二枚。人の人生と天秤にかける意味なんて、おありかしら?」

「えーと……」


 まったく、正論だ。


「それにね、彼女をむざむざ退学なんてさせては、当校にとっても大きな損失ですわよ?」

「あっ、あのぅ……」


 困った顔を早苗さんが向けた。

 何の話だろう?


「ですから、先生。確かに点数に足りない教科はあるとしても、それに余る物が彼女にあるのも確かですの。足りない物があるのなら、補えば良いじゃない? 追試なり宿題を人の何倍か出せば良いだけのことですわよ」

「先輩には配慮も遠慮もデリカシーも足りないですよ……」


 図抜けてムチャクチャな人だ。

 でも、それが今は救いになっていた。

 呆れた顔の一同の中で、ただ部長の笑い声だけが、しんとした職員室の中で、こだましていた。



          ★



 予鈴が鳴る前には、私たちはそれぞれの教室に向かう通路にいた。


「なんか、ウヤムヤに終わっちゃったね。不問ってことで。見事にちさちゃんの口車に乗っちゃったなぁ、先生たちも……」

「……もし警察を呼んでたら、先生、前科者になっちゃってましたね」


 いやまあ、被害届を取り下げるのは確実だから、ちょっと口頭で怒られて注意だけで終わる可能性の方が高いとはいえ……。とにかく私も、ちょっと考えが足りなかった。


「何故、私たちが呼ばれたかも、わかったでしょ?」

「はい……」


 先生の行動は、本当だったらもっと追求されなきゃいけない所だけど。

 でも、しなくて良い。私も、その辺一切をウヤムヤのままに誤魔化した。


「ウヤムヤじゃダメだったのよ」


 ぎくり。


「きっちりケリを着けないとね。荒療治だけどこれで良かったわ。妙なわだかまりや不安、罪悪感を残したって、良いコトなんて何もないわ」

「そ、そうなんですか……」

「ただ『』だけじゃなく『』すること、それが、『名探偵』のやることなのよ」

「解決、ですか……」

「そ。颯爽とね」


 解決──か。


 解きほぐし、決着をつけること。

 わだかまりも、妄執も、後悔も、何もかも。

 私が今回やったことは、推理小説の探偵なら、きっと失格だ。

 失格というなら、部長だってそうだ。伏せた情報を元に、勝手に被疑者になりうる相手に色々と吹き込み、犯人を半ば自白に追い込むマネをさせたのだから。

 でも、結果的にそれが、他の先生たちに対して今回の事件を丸く収めるのに一役買った。

 というか、それが目的だったんだ。


 なるほど。


 反則だけど、名探偵だ。


 ムチャだけど、でも、私は──。

 そんな部長のバカげた行動が、ちょっとカッコ良いって、思えた。


「そーゆーのがイヤなんだよ、私は」


 カレンさんは、頭をかきながら並んで歩く。

 内情や内面なんて考えるのが苦手なのは──他ならぬカレンさん自身が、誰かに対して『感情移入し易い』せいなのだろう。

 誰よりもきっと、早苗さんの気持ちは、カレンさんがいちばん判っている筈だ。

 何よりも「イヤだ」って気持ちに忠実に、行動を執った結果が、今の捜査スタイルなんだと思う。

 ――相手の心情とか、いちいち考えてちゃ何もできないよ――。だから、行動のため、前に進むため、カレンさんは、そういったことを考えるのを「やめた」んじゃないかな、って。

 その様子を見ながら、私は少し微笑みながら、共に探偵舎の先輩たちと、並んで歩いた。



           To Be Continued







         ★






 EXTRA EPISODE 04



「ぬるま湯みたいな学校だけど、見方を変えれば良い温室よ。逆境に耐える花もあるけど、早苗さんみたいな子は、この学園にいるべきなの」


 余計なお節介とはいわせないわ、といわんばかりに、部長は胸を張っている。


「でも、部長はどうして知ってたんです?」


 彼女の成績が原因で、山形先生があんなことをするなんて、事前に知る術なんて、一切ない筈。

 逐一のカレンさんからの報告を聞いて、そこから導き出される「結果」として、逆算的に眺めれば、確かにそこに収まるべくして収まる答ではあったけれど。

 でも、この二つの点に線を結びつけるなんて、全校生徒の成績とか、素行とか、内情とかを、きっちり全て把握でもしていない限り、まずあり得ない。

 そして、幾ら部長の顔が広くても、どれだけ人の名前や顔を覚えられたとしても、即座にこの結論を導きだすのは不可能だろう。

 そう、「ズル」をしていないのなら……これって超人的なことだ。


「だって、早苗さんに関しては、ずーっとマークしてたんだもの。そしてそれは私だけじゃなかったって話かしらね。ふふふ」

「あの、早苗さんって、もしかして……」

「ん、何か気づいちゃった?」

「あ、いえ……」


 聞かないでいいか。

 考えれば答は出そうだったけど、それは暴きたてないで良いことだ。忘れよう。


「巴、気になることがあるなら胸に仕舞わないで口にした方が良いぞ」

「いや、そんなことは……」

「ホラ、また」


 また、ぐーっとカレンさんは顔を近づける。


「……気に障ったら、御免なさい。あの、カレンさんのお爺さんって……」

「ああ……わかっちゃう?」


 そう返答されても、ちょっと答えられない。

 一瞬だけ困ったような顔を見せて、カレンさんの顔は、すぐにまた元通りのあっけらかんとした表情になる。


「うん。……うちの親父、私が時計とかバラして組み立て直してるの見て、血相変えてね。隔世遺伝か何かだって思ったんだろうな。ま、それもあながち間違っちゃいないだろうけど」

「……お爺さんって、そういったことも、やっていた人なんでしょうか?」

「だから、出稼ぎの資金援助だけでなく、テロリストとしてとっ捕まったんだろうな。それでうちの親父、里親を転々として過ごしたみたいだ」

「いや、あの。良いですよ。それ以上いわなくっても……」

「……凄いな巴、なんで判ったんだろ。心の中でも覗いた?」

「そんなこと、神ならぬ人に出来るわけないです」


 っていうか、そこまで家庭の事情なんて、わかるわけないじゃないですか。さすがに。

 ひとくちにアイルランドといっても、複雑に幾多の勢力や派閥が存在する。その中でも、明確に英国に対して「敵」と呼ぶような集団なんて、一部しかいない。

 たとえそれがアルゼンチン人でも、今ではそんなこと口にはしないだろう。

 ベルファスト合意に、武装放棄。

 そろそろ過去のものになりそうな闘争と対立だけど、まだまだ、根は深いのかもしれない。

 そして、グリーンカードを欲しがっている人なんて世界中に何万人もいるのに、いともあっさり日本籍に入って国を捨てるなんて、そうそうは出来ないし、しないだろう。


 カレンさんの父親には、アメリカが「母国」ではなかったのだろう。生まれ育った土地であっても、郷愁や慕景のある土地もなく、時には犯罪者の子として、時には英雄視もされて、そのどっちもが、捨てたい物だったのかも知れない。

 IRA暫定派に対してアイルランドでは、ごく当たり前の市民が支援し、献金し、生活に溶け込みながら、幾百年に渡る英国の支配に対して血みどろの抵抗を繰り返していた。カレンさんのお爺さんは、そこで爆弾も作っていたのだろうか。

 カレンさんのお爺さんが、闘士としてどれだけのことをして来たのかは知らない。

 カレンさんのお父さんは、その事実から逃げたかったのかも知れない。わからない。

 そして、生活様式も、思想も、国籍も、そんな物に囚われず、捨てることができても、捨てられない物だってある。幼い頃に記憶に刻まれた唄とか。信仰とか。


 バチカンの影響からも遠く離れた島国で、カトリックの寄宿学校に娘を通わせたのは、隔離とか更正の為だけじゃあない、とは思うけど。


「……カレンさんは、もっと母国語を好きになるべきですよ。余計なお世話かも知れないけど……」

「ははは、余計なお世話だなァ」


 またぐぐっと顔が近づく。ドキドキする。


「だって、早苗さんは、勉強したくても頭に入らない『体質』かも知れないけど……カレンさんは『しない』から不得意になったんじゃないかな、って思います」

「耳で聞き、口で喋る言葉なら、英語だって日本語だってどっちも得意だよ」

「読み書きは重要ですって」


 どんなに強いように見えても──カレンさんが自分の出生に、家系のことに、自ら探り出し、知った時、きっとそれはショックだったんだろう。

 少なからずそれが影響したとしても、不思議じゃない。


「あーダメだ、このメガネ、度が合わない」


 …………。


「うん。まあ、確かにさ。……対決したかったんだ、自分の中にある物と。ずっと逃げて、目をそらして、でも、それじゃダメだって思ったから……直視して。真相を知ること、そしてそれに耐えること、私にとってソレって、すごく重要な課題だったんだよ」

「じゃあ……」

「でもさ、ちっちゃい頃から逃げてたツケが来てね、やっぱ読み書き不得意なんだわ、コレが。アハハ。苦手だと好きになれないし、悪循環だワ」

「数学だってエンジニア試験だって、問題には難しい漢字いっぱいあるじゃないですか」

「その辺は好きだから覚えられるの。現金だよなァ、我ながら!」

「早苗さんにでも教えてもらえばいいじゃない」


 アッサリとまた、御無体なことを部長がいう。


「いや彼女、一年坊だってば」

「一年のレベルはとうに超えてるし。カレンの数学能力だってそうでしょ? で、カレンも数学を教えてあげれば良いのよ」

「いやニガテだって、教えるの」

「試験で赤点を取らない程度だけでいいのよ、一夜漬けで」

「それって、ゴマカシじゃんさ!」

「誤魔化しでいいのよ、別に」


 とりあえず、幾つか、幾つも、頭に引っかかっていた物が全て──。

 するりと、綺麗に解くほぐせた気がした。

 解決するのって、イイ気分かも知れない。


「で、今後の部活なんだけど……」

「うわ、もう私、部員確定なんですか!?」

「何をいまさら」

「まったくだ」


 ……ああぁあ……、どうしよう。


 でも、

 何だかソレも悪くはないかも、って。

 そんな気もした。


 まんまと、つるりと呑み込まれてしまったのかも知れない。

 私は──私の中に居座ってる物と、対峙して行けるのだろうか。

 私の中に足りない物──覚悟とか、決意とか。

 そんな物を、もしかすると、この部に居るのなら……。


         To Be Continued

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