第二話『不完全密室』(後編)
★前編のあらすじ★
瀬戸内の、海岸沿いの丘に建つ「聖ミシェール女学園」。
俗に「お嬢様学校」とも称される、古い伝統を刻んだその学校で、中等部一年の少女・咲山巴は、「探偵舎」と呼ばれる奇妙な部へ呼び出され、先輩たちから、半世紀以上も前にここで起きた『密室・首切り事件』の話を聞かされる。
異常な状況の詳細を一通り聞き、巴は静かにこういった。
「その密室状況は不完全ですね。えーと、それ、殺人事件じゃないです」
★
潜るように、
沈むように。
そこにある何かに、私は手をのばす。
目を閉じて、その闇の奥に。
暗黒、光を通さないその深淵。
過去は何も語らない。
語るための口と、声をもたない。
それでも、その闇の彼方、
起きた「事実」たちは、声のない声を刻み
ものいわぬ事象が雄弁に物語る。
のばす手が、指先が、闇の中の何かに触れる。
そんな感覚。
ぱちりと私は目を開く。
「あの、死体損壊って……どの程度の罪でしたっけ?」
不意の私のその質問に、弓塚先輩は少し驚きながら、
「……第百九十条ね。懲役三年以下だけど」
「じゃ、それです。それだったら執行猶予もつくでしょうね」
「なっ、なっなっなっ、なんでっ!?」
かなりとっちらかった様子で、隣の赫田先輩が慌てている。
へぇ、こんな表情もこの人はするんだ?
「ちょ、あのッ!? 巴さん! アナタ、もしかして……『知ってた』のッ?」
「へ?」
「そうじゃないと説明がつきませんわ!」
「そんなペテンはしませんよ」
ぴしゃりといってのけると、そのまま何かいいたげにぁぅぁぅと口を動かしたまま赫田先輩は黙った。
「私が『知っている』事があるとするなら、その事件を『知らない』って事だけですけども、実はそれ、とても重要なヒントだと思います」
つまり──
「これは『少女の自殺事件』と『死体損壊&遺棄事件』ですね」
だって、「この想定」でなら、それ以外の解答は考えにくいもの。
ハウだけを独立なんて出来ない。フーとホワイ、誰が、何故。
それさえ考えれば、自ずと示される道筋は見えてくる。
「殺人じゃないって、どうしていい切れるのかしら?」
「話すには順番が必要です。順番は大切です。えーっと……」
落ち着いて。冷静に。頭の中を整理する。目的地までの地図を描く。指針はある。
それはとても、不確かで、細い物だけど、たぶん、それで間違いない。
そこに向かって迷わずに進んで行ける。
「スタート地点が同じでも、向いた方向を間違えば、とんでもない場所にまで行っちゃうものね。でも、誤誘導の『ひっかけ』は入れていないわよ?」
「ええ、出来事はまず事実……なんでしょうね。場所以外は」
「まあ? わかっちゃった?」
「だって、建て替えでもしない限り、そんな部屋を女生徒が部室として使い続けるなんて、どれだけ緘口令を敷こうとあり得ません。修繕や改築はしていると思いますけど、これだけ年季の入った建物だから、まず当時のままですよね、ここって」
出だしでつまづけば、きっと正解からはどんどん遠ざかり、アサッテの方まで転がってしまうだろう。「嘘」というより「事実の隠蔽」というのが正しいか。『場所は……そうね、この部屋と考えてもらって良いわ』この最初の一言に引っ掛かった。
引っ掛かるからには、そこにヒントがある。本格の「探偵」の名を掲げる部の、部長と称する彼女が「フェアでないわけがない」のだから。(あっ、それは赫田先輩もか)
少なくとも弓塚先輩は、一度も「この部屋で起きた事件」だと、断言はしていない。
柔和な態度でのらりくらりしているけど、彼女は言葉をすごく慎重に選んで語っている事がわかる。
私の「嘘ですよね?」の質問にもハッキリ答えなかったのは、一部に嘘があり一部に事実があるから。
もちろん、本来、人の語り口なんて結構あいまいな物で、それを根拠にしての考察なんて成り立つわけがないけれど。
でも、この場合「語り手の信頼性」に関してなら、それは確たる物として成立する。
……そんな彼女の言動から、まずこの事件が実際に、現実に、「起こった事」だとも推察できる。
そして、場所、位置。そこを見誤れば、これは「解けない謎」になる。
「噂を消す為には建物じたい消す事が大事だと思います。地理的にもここは校舎から徒歩で十分強、職員室に人を呼び往復するには離れすぎです。
あと――これはロマンチックな想像ですが、ただの妄想に過ぎない事かも知れませんが、死ぬと決めたその時に、最後に見た景色があの窓だなんて、寂し過ぎます」
閉じたカーテンの向こう、蔦模様の鉛線で装飾された窓を指差す。
……私の中の『性癖』が、また動き出している。……入り込む。
五〇年以上前の過去に。過去の、名も知らない女の子の中に……。
潜るように、
沈むように。
手を伸ばせば届く所に、彼女はいる。
その手の先、闇の先。
触れた指先が、輪郭をなぞる。
顔のない眼が私をみつめる。
首から上のない彼女が、何かを私に語りかける。口もない、声もない、伝わりっこない何かを、私に語りかける。
濃緑のヴェルヴェットのカーテンが閉まった、アーチ型の窓は、向かいの部室棟と、小径の木々が見える筈。
当時はどうだったろうか。部室棟はないとして、手入れされた庭園や木立は見えたかもしれない。でも、陽が落ちればここは闇。街灯の一つもあるでなし、校内の敷地なのだから。
「きっと、丘の側にここと同じ造りの洋館があったんでしょうね、昔は。そこの窓はこんな飾り窓じゃなく、瀬戸内の海でも一望できた物かも知れない。月が映えて、降るような星の広がる夜空に、波頭の輝き――そんな場所だったら良いな、うん」
「……想像はロマンチック過ぎるけど。その通りね。場所はここではなくて、既に潰されて日時計になっている花壇の所なの。小さな慰霊碑が隠すように安置されているわ。丘側の、職員室からもそう遠くない位置ね」
「……焼却炉にも近いでしょうね……。恐らく距離問題以外は推理に支障をきたさない、構造もここと同じだったんですね? 隣の道具室との位置関係も含めて」
ダイオキシンやら環境ホルモン等の問題で、近年の法規制によって今では全廃されたけど、昔はどこの学校施設にも焼却炉は存在した。
とりわけ、プリント類や裁断した紙くずの多く出る職員室からは、そう遠くない所にあると思う。
「大正の末期にチェコ人の建築家さんが、同じ構造の廬を三つ建てて、そのうちの一つがここ。現場は、既に潰されてしまった二つのうちの一つなの」
「ヨーロピアンだなぁって思ったら、やはり外国の方の設計なんですね」
見上げ、そして眺める。ここは天井が高い。そのせいで、書架に囲まれていても開放感があるんだ。
カーブを描く梁、隅々まで装飾が拘っている。その、昭和二十九年の女の子も、きっとこうして椅子の上で、こことは違う、ここと同じ構造の天井を見上げていたのかも知れない。
何を想ったのだろう。
どう想ったのだろう。
溜め息の漏れるほど綺麗な建物で、どっしりとして、どこか可愛くて、ここではないどこか、見知らぬ外国に旅をしたような気分になる、不思議な洋風の小部屋。
そしてそこを
それを思うと、心が
「全てを『事実』と仮定する事で、情報に過不足ない物として話をします。……話を創ります。 その『設定』で『出来事』を考えます。過ぎた妄想かも知れません、でも、たとえ作り話であったとしても、現実的な筋道で組み立てた『お話』とするならその考え方でOKの筈です。思考実験……ですね、はい」
現実的……つまり、それはとても冷たく、夢が無く、そしてくだらない出来事であるのなら、の話。
「……その女の子は、 ここの生徒じゃなかったんでしょうね」
「ちょ……」
口を挟もうとした赫田先輩を、弓塚先輩は手で制した。
「……近くの町の、身寄りのない置屋の娘らしいわ」
置屋っていうのは遊郭で、普通は遊女を置く商売だと何かで読んだ記憶がある。
時代背景や土地柄を考えても、芸者、太夫で遊ぶような雅な場ではなさそうだ。呼び方はどうあれ、場末の安い娼窟みたいな物だったのだろう。
売春防止法が一九五八年だから、その頃はそういった商売もまだ野放しだったに違いない。まあ、現代でもまだあるみたいだけど。
「可哀想に。憧れていたんですね、きっと。この学校に。カトリックが自殺を禁じられている事も知らなかったんでしょうね。もっとも、生徒でもその辺ちゃんと判ってる人も、そんなには居ないと思うけど……」
赫田先輩は相変わらず口をパクパクさせている。整った顔の女の子がそんな風にしていると余計におかしく見えて仕方がなかった。
でも、あまり笑う気にはなれない。
これが「事実」だと想定するなら、この事件は重すぎる。
「死因は出血死の自殺でしょうか。手首か、喉かどっちかを切って。
首を切断されて持って行かれたって事は、外傷は喉なのかも知れない。いずれにせよ朝には殆どの血が流れ出ていて、死後硬直でカチンカチンになってたんでしょうね。
死亡時期にもよりますが、首や顎は一番最初に硬化する筈ですから、斧で薪割りのように切断するのには困らなかったかも知れません」
潜むように、
俯くように。
眼前に広がるその光景は、
血は、死は、肉は、屍は。
それは決して怖くはない。
ただ、酷くそれは悲しく思える。
「その第一発見者の先生は──『職員室にあった鍵を使って』部屋に入り……いや、鍵は開いていた可能性もあるかな。
いずれにせよ、開けるつもりで『鍵を持って』、彼女の出血死した遺体を発見した。そしてイの一番に考えた事が、どうやって彼女の死体を隠そうか、でしょう」
「密室じゃなかった、と? 巴ちゃんは、そう考えているのね?」
「机の中の鍵は、彼女が部屋に入る時に使った物でしょうね。その先生から、スペアを預かってて。
職員室に返すすべがなかったから、机に入れておいたんです、きっと。クローズド・ルームに鍵が二つ置いてあるなら、二人の人間が鍵で入った、入ろうとした、と考えれば自然です。
通常のカギは管理がしっかりしているから、鍵束からスペアの方を抜いて、彼女に渡していたんでしょうね、平素の逢引用に」
キーコピーが「できない」から、そんな技術も、頼めるアテも、何よりまっとうな所で合い鍵を注文しても、必ず足が付くから、できない。
そもそも、そこまでしてその合い鍵は必要な物じゃない。適当に誤魔化してカギを懐に入れられる立場にあったから、使った。
「いつでも自由に出入りできる部屋」こそが必要だったから。ただそれだけの事と考えた方が整合性が付く。
そもそも、それなりの警備が為された女子校内。施錠する意味、必要じたい薄い。
強いていうなら、不用意に生徒が中でイタズラや備品の持ち出し、不届きな行為をしない為……というのが、校内施設の使用時間以外を施錠によって隔絶する意味。
よっぽどの事がない限りはこの学校でそんな事は起きないだろう。 ……本来なら。
「じゃあ、何故鍵をその先生もわざわざ部屋の中に置いたの? その理由が欠落してるけど」
「彼女のポケットの中に、鍵が見あたらなかったからです。そもそも、机の中の鍵が見つからなければそれは密室にはならず賊の仕業に出来た筈でしたが、彼は気付かなかったんでしょうね。そして、ここが肝であり、問題点なんです」
ふぅ、と息を吐く。
動機がなければそんなおかしな事はしない。
どんな動機があれば一番整合性がつくか?
それを考えるならそれしかない。
「ある筈の鍵がなかった。彼女が鍵を持っていたら『賊の仕業』には出来ない。しかし既に鍵はない。
……たまたま前日夕刻に貸し出し記録が残っていたのは、彼の不運でしょう。
それに気付いていたなら、もっと別の言い訳も考えられた筈です。結果、『夜間から早朝にかけて女子校の塀を越え侵入し、職員室に忍び込み、何故か庵の鍵いっこだけ盗んで凶行に及ぶ賊』という意味不明な状況を作り出してしまった。
でも、その犯行当時はそこまで考えは及んでいない筈です。
部屋をしらみ潰しに探す時間の余裕もないし、何より──彼にとってそれは最優先すべき問題点でもなかったんです。
目の前の血まみれ死体、そこで思考が停止し、二つの事しか考えられない。
彼女の身元を隠す事。自分が鍵を使って最初に現場に入った『不自然な第一発見者』である事実を隠す事。この2点です。
だから──
鍵は『見つけられなかった』んでしょう。それが出来てたら首と一緒に持ち去ってますよ。鍵が一つしか部屋になければこれは不可能犯罪にはならないんですから、『うっかり密室』といって良いです」
「うっかりって……」
ちょっと戸惑うような顔を弓塚先輩が見せる。これは正誤の問題ではなく、私の言葉の選び方がおかしかったせいかも。
「あと鍵は持っていちゃダメだし、朝職員室にあった事にしちゃダメなんです。朝イチにその部屋に行く理由が消えます。
捨てるならどこに捨てたって良い。でも、職員室から現場までの往路で発見できるような所にあっちゃダメだから『そこでも良い』と安易に考えたのかも知れません。
奇怪な状況になっても、少なくとも自分への疑いは消えます」
……鍵は『焼却できない』もの。
「身元を隠す事が、そんなに重要だったんだ?」
「彼女が何者であるかが知れたら、一発で自分に累が及ぶ間柄にあったんでしょうね。
立場的にも、職員室の合鍵を持っているならおそらくは学年主任だったかも知れません。しかし、人一人の体をこの世から消し去るなんて、すぐには出来ない。
人もそろそろ集まってくる。流れ出た血はぬぐって誤魔化せる量でもない。じゃあ、身元の証を立てる物があるかどうかポケットを探り、次に──」
彼女の首を、手斧で叩き落とした。
「首一つなら風呂敷にでも包んで運べる。彼は慌てながら、首を手に、職員室へ戻ったんでしょうね。道中、職員なら隠す場所の心当たりなんて幾らでもあっただろうし。
この場合、彼にとって一番重要なのは『誰の死体なのかがバレない事』だった筈です。
次に大事なのは、自分が『第一発見者にならない事』です。だから咄嗟に鍵がかかっていたと嘘を吐くしかなかった。不可能犯罪の状況になる事なんて二の次だった。そこまで頭が回らなかったんでしょう」
「つまり、鍵のあいた部屋を『鍵がかかっている』といい張って、他の先生を連れてきたわけね?」
「だから、他の先生が本当かどうか確認する為にドアをガチャガチャやってしまうとそれは失敗になります。
事前に鍵を内側から分解して──時間差でカンヌキがかかるように仕掛けたとかの、つまらない時限トリックがあったのかもしれませんが……そこばっかりは仕組みが実際、目の前にないと何ともいえません。
鍵は開いたまま、演技力ひとつで誤魔化した可能性の方が高いです。『カギがかかってる』といって引き返して来た先生の前で、わざわざドアノブをガチャガチャやる人が居る可能性はかなり低いですし。
ただ一ついえる事は、ドアを鍵ごとハンマーや斧で叩き壊された事で、細工は有ろうとなかろうと、証拠隠滅される筈です」
「肝心のトリック、ギミック部分がブラックボックスって事ね、その推理だと」
「でも、それ以外に『他人を証人として連れて来てからドアを壊す理由』がないです」
そう、それなんだ、一番ヘンなのは。
「血とか流れてるのを見たなら、一人ででもドアを破ってから状況を確認し、それから人を呼びますよ。
手斧とかハンマーは隣の部屋にあったわけですよね? そこの部屋の鍵ならある筈なのに。……たぶん、首の切断に使ったのもソレでしょうけど。
たぶんその娘から『鍵をお返しします』とかいわれて、呼び出されてたんだと思う。彼女は──」
……胸になにか、グっとこみあげてくる。
「最初に、彼に発見して欲しかったんでしょうね」
絶望の末の諦観なのか。自殺未遂で、彼に介抱して欲しかっただけかも知れないし、恨みなのかも知れない。あてこすりだったのかも知れない。わからない。
まだまだ子どもの私には、男女の間の事なんて、まるでわからない。そこばっかりは、想像が及ばない。想像もしなくない。
でも、まだまだ子どもの私とその女の子は、きっと大差ない年齢の筈なんだ……。
「二人の間柄がどんな物だったのかは想像するよりないです。でも、その先生は──」
ダメだ、息が。
「保身の為に、斧で──」
入り込みすぎた。心が重くなる。
首を刈り落さないといけないような、明確な特徴でもあったならまだしも。
……こんな、現実かどうかも判らない話を。断片情報だけで勝手に脳内で組み立てた、論証の根拠たりうる物も何もない話に。でも。
その女の子の心境を、どうしても考えてしまう。
「死ねば人は、ただの肉塊だものね」
弓塚先輩は無感情にあっさりといい放つ。
優しそうな美人さんのキャラからは想像できないような、冷たい、そして力強い言葉で、少しだけ驚く。
戦争が終わって十年も経っていないなら、死体だって当時の人たちは見慣れていたのだろう。年齢によってはその先生も、激戦地に行ってたかもしれない。近くのH市では何万人となく死んでいる。死体に接した時の感情は、今の時代とは違うのかもしれない。でも──
「保身の為に、場当たりな嘘を嘘で塗布して……鬼畜生ですね」
「同じ事をいったそうよ」
「は?」
「解決した子。ここの、初代部長。現場に到着して、二、三話を聞いて、即時解決したそうよ。彼女は──その先生を、その場で一発殴ったの」
うわ。
「法の裁きがどれだけ軽くても、彼女を殺したのはアンタに他ならないんだ、って大変な剣幕でね。すごいでしょ」
「……すごい、人、なんですね……」
ただただ感心した。
女学生で、教師を殴るだなんて、私には考えられない。
……現実、なのか。
その話は。
「そうね。凄いわ、あなたも。事件解決にかかった時間、ほんの十数秒だもの。これは最短記録かも知れないわね」
「初代部長の方が凄いと思いますよ!」
「彼女は現場を知ってるから、鍵や扉の状態とか、校内の土地勘とか色々わかっているもの。完全な安楽椅子探偵で解決したのはあなたぐらいよ。私だってその話を初めて聞いた時は、もっと、かなりは考え込んだわ」
「でもヒントが大きかったですし……弓塚先輩、先輩は思ったとおり、フェアな人ですね」
「あら、何故?」
「だって一度も『密室殺人』なんていってませんでした」
「ああ」
ふふっと苦笑を漏らす弓塚先輩にかぶさるように、赫田先輩がやっと口をひらいた。
「ほら! ほらほらほら! ねッ!? 大したモンでしょ、この娘の注意力! 是非にでもウチに欲しい人材だわ!」
「そうね」
いえいえいえ……。いや、さり気なくまた勧誘しないで下さいよ!
「そう、それで、どうして最初っから、被害者がここの生徒じゃないって解ったのかしら? 『制服を着た女性』っていうお姉様のいい回しから?」
「……それもありますけど、出席番号で管理されている生徒の首を切っても、そんなのは朝礼までに一発で判るじゃないですか。『身元隠し』の想定では、手間やリスクに対して『誤魔化せる時間』というリターンが、あまりに短すぎます」
「単に、若い女の首を切りたいだけの変質者の犯行って可能性だって、あるわよ?」
「確かにそうですが……それは考え難いです。警備のしっかりした、私立の女子校内への侵入というリスク、発見現場の地理的な異様さ、そもそもそこに被害者が場所時間帯とも、居る事じたいおかしいですし、わざわざ連れ込むにしろ呼び出すにしろ、死体で運び込むにしても、発見タイミングにしても、猟奇的欲求で犯行を行った変質者を想定するには、あまりにも無理すぎます」
むしろ、その真逆を考えたからこそ、すぐに全容が想定できた。
「それに、生徒手帳や名札がないのも、身元隠しにしては中途半端じゃないですか。座って硬直してたから、制服はもう脱がせられなかったとしても、それなら衣類ごとはぎ取って、丸裸にしますよ」
「うわ、えげつないわァ」
「だって、どこかに名前でも刺繍されている可能性だってあるんですから。つまり、最初っからそれらを『持っていなかった』んです、その娘は。そして犯人は、持っていない事を知っていた。首さえ落とせば身の証しが一切なくなるような娘……だったんだろうな、って」
「ふぅむ、なる程ねェ」
赫田先輩が、ややオーバーに感嘆の声を漏らす。……やっぱり演劇部向けの人かも。
「……木の葉を隠すは森の中、女の子なら制服を着て学園に紛れ込んでいれば、遠目には幾らでも誤魔化せます、でも、それは『生きている間』だけです。逢引に学校を使っていたんでしょうね」
「ロリコンだったのかも知れませんわね」
「たとえば、……イヤな想像だけど、生徒に手を出したくて出したくて仕方がなかったのかも知れません。その度胸がないから、置屋の娘に制服を着せていたのかも。どっちにしろロクな奴じゃないでしょう」
「まあ、そのロクでもない教師は資産家の娘との婚約も破談になったそうだしね。あなたもその時代にそこに居たら、殴ってた?」
「……わかりません」
頭にはくるだろうけど、でも、そこまでの度胸が自分にあるとは思えない。そもそも、私には暴力性とかカケラもないのだし。
「一番のヒントは──それが『事実』だと考えた場合です。もしそれが殺人なら、『大事件』にならないわけがないです。
事件性が低く、緘口令が即、施けるようなケースとなると『殺人』は真っ先に外せます。どれだけの有力者が、当時この学園のバックにいたとしてもそれは避けられません。『自殺と死体損壊』なら、どんなに無茶な状況だろうとも、法的にも報道も最小限に抑える事ができます。
そして事件の解決後も、校内で大きな噂になる前に済ませて、沈静化させたんでしょうね……きっとその初代部長のお陰でしょう」
「そうね。この話は当学園でも、殆ど『学校の怪談』にならずに済んだの。ただ、代々この部内には伝わったけれどもね。勿論、初代部長の卒業後から、だけど」
「はあ……え、あの。私部外者なんですけど……良いんですか? この話を私にし……」
弓塚先輩はにやにや笑っている。
ヤバい。
いや、入部するか否かの最終的な決定権は、私にある……、筈。
あくまで、私が頑として自分を保っていれば良い話。うん。
「ちなみにね、その初代部長って……私のお婆ちゃんなの」
「は?」
「他にも、面白い話ならいっぱいあるわよ? 聞きたくない?」
「いえ、別に……」
「ホント?」
「えぇ~っと……」
どうしよう。
聖母様のような微笑を、弓塚先輩は私に向ける。
私は、確かにこの胸の奥底から、脳裏のあっち側から、好奇心や興味がムクムクとわき上がって来ているのを、何とか必死で抑さえつけるのに必死だった。
To Be Continued
★
EXTRA EPISODE 02
少女探偵・絹谷真冬は、その哀れな娘の菩提を弔う者がいない為に、曽祖父が住職を勤める寺に収める支度を整えた。
身元の証となる物もなく、引き受ける者もいない。戦災は、娘の何もかもを奪ったのであろう。
昭和二十九年の、秋の事である。
群青の海から冷たい潮風が吹く中、細く赤い三本のラインと赤いタイのセーラー服の少女は、黒塗りの車から降りる。
県警本部の鑑識を終えた無縁仏の骨壷は、簡素な位牌と共に、真冬の腕の中にある。
置屋の娘は幼少の頃に、K市の空襲で両親もなくし、家財の一切もなくし、遠縁の親戚と称する者に手を引かれ、気付けばその娼館に売られていた。
その自称親戚の者もまた、今となっては
夏の新警察法により、国家地方警察H県本部改め、H県警本部の若い刑事・弓塚聖一もまた、真冬の後をとぼとぼとついて歩く。
飄々とした若い刑事は、自分の年齢の半分ほどにも関わらず、目の前で瞬間的に事件を解決したその少女の弁舌に脱帽し、些かの謝意も含めて、今回の事件が大きく飛び火しない様に尽力した。
それでも彼女の口からは、感謝の言葉の一つも漏れては来ない。
弓塚の知る限り、真冬は常に「怒って」いた。
事件の性質から考えても、それは仕方がない事だろう。
「あんな事件が起こったってのに、まるで
女学校通いの潔癖な少女が、その事件を切っ掛けに、より一層男性嫌いになったとしても仕方がないだろう、と。そんな風にも思っていた。
とはいえ、それが自分にとばっちるのは幾ら何でも忍びない。
「死んで哀しむ者が一人もいないってのは、どうなんだろう。あたしは頭に来るばっかりで、哀しいとか憐れんだりとか、いまだに一切ありはしないんだ。出会った頃にはもうただの亡骸で、だから彼女はあたしの事なんて知りもしないし、あたしだって生前の彼女を知りもしない」
ふぅっと溜め息ひとつ、そして少女は海へと視線を流す。
「そんな意味じゃ、あたしだってそう、変わりはしないかも、って。あの因業爺ィや、淫行教師とさ。自分で自分がイヤになりますよ」
「いやいや、同じじゃないって。さすがに、それはさ。少なくとも、この……千鶴さんは、きっと君には感謝していると思うよ」
「
「いや、あの……」
では、わざわざ手間をかけて警察に申し出て、こうして弔いを何故に。
「死にたる人は生ける鼠に及かずとは云うものの、それでもこうして弔ってやらなくちゃ、人は人として立ち行かないってものでしょう。あたしは人である事を辞めたくはないし、弔う事は何より生者のためにあるんです」
「僕は……どうなんだろう。僕は、魂とか、あの世とか、あって欲しいとは思うよ」
「死者のうらみつらみだの呪いだの怨念だのもですか? あたしはゴメンですよ」
――いや、それは僕だって確かに嫌だけど。
「それに、もしそんなのがあっちゃ、きっと彼女は安らかにはあの世へは逝けませんよ。だから、ない方が良いンだ」
「彼女は……千鶴さんは、恨んで死んだんだと君は思うのかな?」
「そうじゃないから、腹立たしくって。弓塚さんは見て判りませんでした? 彼女はね、あんな馬鹿教師を、愛していたんです」
さざ波と、風の音だけが、丘の周囲を包んでいる。小高い斜面から、海岸沿いの菩提寺のある方へと二人は降りる。
「自分を特別な存在だと見てくれる、娼婦じゃなく少女として扱ってくれる。そんな勘違いをしていたんだ。彼女に貸し与えた制服にしても所詮、フェチとか何とか云うヤツですよ。家具もない黴臭い狭部屋に詰まれた太宰だ乱歩だも、奴のとうに読み飽きた古本で。でも彼女は、逢引用の鍵を二本貰ったのは、学校に行けなかった自分の望みを叶えてくれたとでも思ったンでしょうねェ、嗚呼、莫迦々々しい」
真冬はそう吐き捨てながら、三つ編みの髪をくしゃくしゃっと掻きあげる。勿論、ぴっしり結わえ密着した頭髪は、一糸たりとて乱れはしない。
「……でも判らないな、じゃあそれこそ、何故彼女は学校で自害を?」
「さァそればっかりは、あたしだって。人の心の内側なんて、推理でわかるような物でもありません。想像妄想で何でもピシャリと見透せるほど、神様みたいな脳味噌はないですよ。でも、それが何かを告白した、思いの丈を吐露した物があるなら、それで間違いはないのでしょう」
「そんな物、どこに……?」
「……遺書は、あたしが隠したさ」
「えッ!?」
目を剥く。幾ら何でもそれは、警察官の弓塚としては聞き捨てならない話ではないか。
というか、そもそもあの現場に「遺書」なんて、あったのか?
「哀しくって、憂いて、捨てられて、弄ばれて、そんな風に自殺したんなら最高にうまい嫌がらせだったかもしれません。でもね、そうじゃないンだ」
溜息まじりに真冬は、宙を見上げる。
「幸せだから、死んだのさ。
今が最高に幸せでもう後の未来なんて何も見えて来ない、考えたくもない。ありがとうと感謝の言葉を残してね。馬鹿な子ですよ。可哀想な子だ。そんな言葉、あんな奴に遺す事ぁないのにサ」
「じゃぁ……」
「彼だけに、知って欲しかったんです。彼だけに弔って欲しかった。どうせ生きてて迷惑になるなら、綺麗なうちに想い出残してスッパリ死んだ方が彼の為だ。そう考えたんだ。だったら場所ぐらい選べって話ですよ。
あの子は……あの道具室には自分と奴しか『来ない』と思ってたんだ。
……あすこが、二人だけの秘密の場所だ、と。何度か昼のうちに、顔を髪で半分隠して学園内を歩き回ったり、真昼間からあそこで背徳的な行いでもしていたんでしょう、はァ、クダラないねェ」
「えーと……」
道具室……?
「弓塚サンが云いたい事は善く判ります。けど、簡単な事ですよ。道具室で死んでたら、斧を『どこから取り出すんだ?』って事です」
面食らう。今、真冬が何を云っているのか、弓塚にはすぐには飲み込めなかった。
「茶房廬の本室の扉は開けっぱなのに、鍵は無い。なのに、上手い具合に彼女のポケットには道具室の鍵しか残っていなかった。彼女にもし、目がまともに見えたなら……きっと発見現場のように、窓の夜景でも眺めながら死んでいたかも知れませんね、全てをかなぐり捨てて。うん、そっちのが良いナ、そうしよう。
この話は弓塚サンとあたしだけの内緒だ、そうしよう。ロマンチックな子だったんだ、あんな窓もない埃臭い所で死を選んだのは、よっぽどの覚悟ですよ。人目につかないよう、ひっそりとね。血があんなに流れるなんて判りもしなかったんだな」
弓塚は何も云えなかった。恐らくこの少女は、自分も知らない事実を他にも多く「見つけて」いたに違いない。
その全てを白日の下に晒す事もないだろう、との意思も判る。
自殺現場の移動なんて、既にそれは犯罪行為として追求すべき問題じゃあない。
あの免職された教師は、現場を情交の痕から移し「しめしめ、一つだけでも上手く目を誤魔化せた」とでも思っているのだろうか。何故それを、彼女が黙っているのか。
──恐らく、
それは何かの意趣返しなのだろう。
千鶴の意図や意思を、あの教師に悟らせないまま、永遠に墓の中に持って行く為に。
真冬は、千鶴の『眼窩から発見した遺書』をくしゃっと握り、彼女の片目の『義眼』を海に投げ捨てた。
この後、この事件で出会った事を契機に、瀬戸内を股にかけて繰り広げられた幾多の怪事件難事件の数々を、聖ミシェール女学園探偵舎代表・絹谷真冬と、H県警の若い刑事・弓塚聖一とのコンビによって、快刀乱麻の活躍で解決する事になるものの、それはまた、別の話。
fin
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