第二話『不完全密室』(前編)
「じ――――っ」
マロンブラウンの巻毛をした、整った顔の美少女が、そういって顔を私に近づける。
って、近い近い近い!
同性でもさすがにドキドキする。
「……あの。口でジ~っていいながら
おずおずと、私も精一杯の抵抗を口にする。こういった、ふざけた感じの愛嬌の見せ方、案外子供っぽい所ある人なんだな、とは思う。
「睨んではいないわよ。後輩を
「そ、そうですか……」
「じーーーーーーーーーーーーーーーーっ」
ぅぅぅ……。
第二話『不完全密室』(前編)
(初稿・2003.12.01)
(ノベル版改稿・2019.11.17)
……どうしよう。
どうして、こんな事に。
そして何なの、ここ。
ちょこんとパイプ椅子に座ったまま、私はもう一度、ぐるぅっと周囲を見回してみる。
たとえばそれは、磨きこまれた複雑な形のオケージョナル・テーブル、
たとえばそれは、天然石の天板と
たとえばそれは、真鍮の朝顔のような拡声器が乗った、電蓄風アナログプレイヤー、
たとえば書斎机の上の、数々の小道具。
何から何まで現実ばなれした、この奇妙な小部屋。ぐるり私を囲むのは、アンティークと、ヌーヴォーと、そして本、本、本。
天井まで届く大きな書架が、左右の壁を覆っている。不思議と、圧迫感はないけれど。
「……えーっと、ですねぇ」
どうしよう。
カッチカッチと柱時計の音が刻まれる。
どれだけ黙っていたのだろう。
赫田先輩は、じっと私の瞳をのぞきこむ。
……ダメだ、言葉が続かない。
外からこの庵を観た時には、そりゃあ確かに「趣味的だなぁ」って思ったけど、中はそれ以上じゃないのよ、これ。
何なの、これ。
目に映る一つ残らず全部すべて何もかも、私の日常からは
ファンタジーの中にまぎれ込んでしまったような、そんな気分がずうっと続いている。
目の前には、同じく現実離れした、まるでお人形さんのような女の子が、ちょっと意地悪そうな笑みでニヤニヤと。
「えーっと、の続きは何かしら? いいたい事があるの? 訊きたい事があるの?」
彼女――赫田ちさと先輩は、二つ年上の中三だから、半年前まで小学生だった私より、遥かに女性的な体型ではあるけれど、小柄で、ほっそりした肢体で、あどけなさの残るその容姿は、同性でコドモの私の目から観ても、何とも可憐な美少女に見える。
普通、私くらいの年齢だと、ちょっとでも年上だともう、それだけで大人びて見えるものなのに。
……何というか、世の中って不公平なんだなあ、色々と。
「ええっと。その両方ですけど、でもよくよく考えたら何かいいたい訳でもないし、何か訊きたい訳でもないので、その……」
さっさと帰らせて下さい、と一年坊が上級生に伝える術はあるのだろうか。いや、ない。
困る。
「そういう事をハッキリいえちゃう子って素敵よ、うふふ」
可憐な先輩はカツカツカツっと、ふたたび音をたてて私の周りを歩く。器用な足だ。
赫田先輩が振った「連続殺人」がどうのこうのの話を
「ふむ。やはりというか何というか。どうやら思った以上にアナタはできる子のようね」
「……できるって、何がですか?」
「ふふ……『対話可能か否か』よりも、更に一歩突き抜けて、突き破って、突き進んでいるって事かしら。そうねェ……うまく育てればゆくゆくは私のサポートくらいにはなれるかもしれない器だわ!」
「いや、ワトソン君は勘弁して下さい」
あと、勝手に育てないで下さい。
「そうそう、今あなたがしれっと誤魔化した連続殺人がどうのこうの話……」
ぎくり。
「確かにアレって『社会派』だわ。そうは面白くなりようがない設題よね? ミステリーよりサイコサスペンス、さもなくば悪趣味を
大げさな仕草でピンと指を一本たて、彼女はまっすぐ腕を私の方へと伸ばす。
「社会派」とは、文字通り社会的なテーマや時事性の高い出来事を扱った、批判性やメッセージ色の強い作品の事だけど、確かこれもそもそもが「ミステリー」の一形態として始まり、広まった物だったと思う。彼女の指す「社会派」とは、まさにその「社会派ミステリー」の事だろう。
人気作家・松本清張の功績によって、一九六〇年代に大ブームを巻き起こし、それまで私小説中心だった文学賞も次々と「社会派」が受賞し、娯楽小説と文學の間の「中間小説」と呼ばれていたそれら社会派ミステリーは、ついには日本文学の主流に収まってしまったのだから、すごい話だと思う。
私の生きる時代とはまったく違う世界を描いた清張さんの一連の作品は、今読んでも十分面白いし(子供のくせに何て本読んでるんだ、っていわれそうだけど)、そう悪い物でもないのだけれど、かつては「本格ミステリー」好きから蛇蝎の如く忌み嫌われていたらしい。
まあ、無理もないか。
本屋さんの棚から、名探偵が活躍する昔ながらの推理小説が片隅に追いやられるほど、当時はこのジャンルが大人気で、やがて推理もへったくれもない社会批判や歴史的陰謀を扱っただけの追従作家もどんどん出て来て、「社会派」は既にミステリーを指す言葉でも何でもなくなり、その時期に本格推理物の新作が低迷していた事もあってか、七〇年代から八〇年代にかけては「社会派」はミステリー・マニアにとって忌むべき象徴の単語だった、とも聞く。
そういった状況も、昭和末に島田、綾辻から始まった新本格(厳密には新々本格? マニアじゃないからそこまで詳しくはわからないや)の躍進に、前世紀末からは社会派でも東野圭吾や宮部みゆきの活躍で、すっかり変わったと思っていたけれど。
今でもやっぱり、「社会派」を毛嫌いしているミスオタも、いるにはいるのだなあ。
……と、脱線が過ぎたか。
子供のくせにこんな無駄な事ばかり知っているのは、私が読書くらいしか趣味のない「本の虫」だったから。
だからジャンルなんていちいち気にしないで何でも読んでいたし、そういった派閥闘争話なんて気にも留めない事だったけど。
そんな私には、この部屋の大きな書架にある本たちの事も、とても気になる。
ぐるっとまわりを見回した後、先輩のピンと伸ばした指の先をじっとみつめながら、私は少し観念して、口をひらく。
「あの、すみません。社会派云々は、脇に置かせていただいてですね。こと問題が『美しい』かどうかとか。そういった審美のお話では、私ごとき若輩者では何とも判断のしようが……」
「じゃあ、あなたが誤魔化した理由は美意識の問題ではないのね?」
きっちりバレてるじゃないの、誤魔化した事!
「……えーっと。あの。正直、あまり気分の良い話ではありませんので」
「母校で起きた事件ですものね」
そう。
それは結構有名な事件で、もう三年は前の話になる。
この地方全体で起きた、広域連続猟奇殺人事件。
私の通う小学校(!)でも、シリアル・キリングによる被害者の遺体が発見された。あの時の事はもう、本当に思い出したくもない。
……でも、私が
「……先輩が私の出身校まで調査しているのなら、その話題にふれる事も理解は出来ますけど、ただの小学生女児に『怖かった』とか『キモチ悪かった』以外、何のコメントのしようもない話ですし、いくら母校で事件が起きたからといって、新聞に載っている以上の事は知りようもありませんし、できれば……その、忘れたい話で……」
「あら、そうなの? それだけ? 本当に?」
「はい」
ふむ、と先輩はため息一つ。
ややつまらなそうな顔の赫田先輩には、それ以上詮索する様子は見えてこない。
うん。
極めて「自然な振る舞い」が出来たと思う。
どこもおかしくない。
嫌がって、顔をしかめて、その話はしたくない、という感じ。
態度として極めてまっとうで、中一の小娘らしい反応で、何より理にかなっている。
やるじゃないの、私。
あの事件はとうに終わったのだから。
何人もが殺されて
関わる幾人もが巻き込まれ
そして犯人も、
身元不明のまま死んでしまった。
裁く事も償う事もできない。
忘れる事も許す事もできない。
そんな、何から何まで酷い事件。
――不明だって?
――本当にそうかい?
誰かが、何かが、そう私の頭の中で語りかける。
誰か――だって? わかってるクセに……。
そうだよ。
少なくとも私には、それが何者かはわからないし、知らない。知りたくもない。
第一、あの事件は私の事件じゃないから。
――でもきみは、開けないで良い扉を開けてしまった。知らないで良い真相を知ってしまった。行かないで良い所まで行ってしまったなら、やらないで良い事までやっちまおうぜ。それが毒皿ってモンさ。
無茶いわないでよ。
私はあなたとは違うし、あなたのような才能はないんだから。私はただの、夢想癖のある女の子。知ってるでしょ?
――でもきみは、ぼくの知る限りホンモノの、この世で唯一の――
「どうしたの? 青い顔して。そんなに思い出したくない事だったのかしら。ゴメンなさいね」
「あ、いえ……」
ハッと、引き戻される。
またどこかに潜ってしまっていた。
いけないいけない。頭の中にこびりついた『あの子』の声を慌てて振り払う。
ダメだなぁ、この癖は。
ただ一点気になるのは……先輩の「間違いなく、何か知っているわね?」という根拠。
「何かご存じかしら?」じゃない。知っている事を前提にしている、という点。
ここが、少しだけ腑に落ちない。まさかこちらから訊き返すわけにもいかないし、それじゃヤブヘビだもの。
切ったカードと見せている札が、まだまだ未知数過ぎる。私はここで、何か、もしやヘマを打ってやしないだろうか。
私にはまだ、この先輩の底が見えない。
「まあ、あなたが例の事件に興味を示さないのも、わからなくはないわ。私だって、本来それほどの興味はないんだもの。あの事件に関わった誰かの、別の接点を捜していただけだから」
漠然とし過ぎなキーワードだけど、そっちの方が私にとってはただ事じゃない話。とにかく、極力、不機嫌な顔を崩さないで、他の感情を表に出さないように努力する。
そんな私の顔を見て、赫田先輩はクスっと笑い、整った顔を私に近づける。
「まぁ、良いって事さ。そんなしかめっ面は君に似合わないよ。因果だのモンドだのは、犬とサブカルに喰わせちまえば良い。僕らは『哀れなサイコパスどもの、幼児期の虐待やトラウマの結果としての異常行動』だの何だのに、何の興味もないのだからね」
「僕ら、ってなんで含めてるんですか」
あと、何でお嬢様口調の筈が一人称「僕」になって、どこかの何かの探偵様のような口調になってるんですか。
どうなの、この人。
ポンっと片手を私の頭にのせ、くしゃっと撫でる。バカにされているのか、可愛がられているのか、いずれにせよ、何だかむしょうに恥ずかしい気持ちになる。
「僕らが目指し、心惹かれ、胸ときめかせるのはそんな下卑た物じゃないんだ。深淵にして膨大なる巨壁が如き謎に挑み、不可能を可能に、不可解を解に。知で乗りこなす論理のアクロバット、神なる視点の
パズラー、ねえ……。
部室の扉には内側にも、当学園の校章──十字を模った剣に棘が絡み、薔薇の花の蕾が装飾されたミカエルのシンボルが。
そしてその下には装飾文字が刻印されている。
『探偵舎』
―St:Michael―
L'ecole de filles
*Puzzler's CLUB*
どうしてフランス語でEnigmeにしないで、英語とのちゃんぽん表記なんだろうって思ったら、そういう事ね。
クロスワードやお絵かきロジックの「パズル」じゃなくて、彼女の指すそれは、「本格推理小説」の海外での呼び名の事ね。
「あの。だから『僕ら』って。ら、と複数形で含められましてもですね、」
「不服かな?」
「ええと。失礼を承知でいわせてもらえば、めちゃめちゃ不満です」
「ははは。君は存外に物怖じしない子だな。良いね、まあ掛け
「最初っから座ってますけど」
「例へば、巴さんが先ほど自分で鍵をかけたから、今のこの部屋は『密室』って訳だ。ここの話の内容は誰にも聴かれないし邪魔もされない。先輩相手でも幾らだって失礼な口を叩いたって問題ないし、僕だっていちいち気にしないさ。さァ、安心し給え」
「密室談義、ってコトですか。ですが……」
赫田先輩はおかしな口調に変わったまま、私へもさっきまでの他人行儀さから一気にくだけた感じに(やや馴れ馴れしく)。
うぅ~ん……何ていうか……どう対応して良いのか、サッパリわかんない。
あきらかに何か昔の「探偵もの」を演じているような……やっぱりここって「探偵ごっこ部」なのかなぁ?
「どうかな? そうだね、ちょっと考えてみようか。思考実験だよ。たとえば――今ここで何か事件が起きたとしよう。すると真っ先に疑われるのは君だね」
「事件って……」
「んー、たとえば、私がここで死ぬとか」
「すぐ人を呼びますね。『大変です! 赫田先輩が死にました!』って」
「いや、突然死じゃなくて変死」
「すぐ人を呼びますね。『大変です! 赫田先輩が突然変死しました!』って」
「いや繰り返しギャグにしないでも。じゃあたとえば、自殺に見えないような不自然な死に方を私がしたなら?」
「どんな奇妙な死に方をしたとしても自殺は自殺です」
「どう見ても自殺に見えない死に方でも?」
「五体バラバラだろうが巨大金庫で圧死だろうが、ヒゲを半分そった所で拳銃自殺だろうが、ここで一部始終を私が見ていたなら説明はつけられます。それを正直にいうだけです」
「ヒゲはない、ヒゲは」
「それぐらいあり得ないとしても、です。そもそも中に二人いて一人が被害者なら密室は成立しません。生き残ったもう一人が、無実を完全に証明できる証拠・根拠がない限りは。まあ、ある方が逆に不自然ですけども」
「そうだね、もしくはその生き残ったもう一人が、語り手か探偵じゃない限りは、無実の証明も難しい話だろう」
「そして私はそのどちらもお断りです」
……まあ、語り手や探偵が犯人の反則小説もあるけど。
「面白くないなァ、そんな答えじゃ」
「面白いかどうかなんて関係ないです」
正直、めんどう事に関わりたくない。
だいたいわかった。
この思考実験、何かここで怪事件が発生したなら、君ならどう対処する? ――そういった前フリなのだ、これは。つまり、彼女扮する名探偵の、第2ラウンドに持ち込むつもりに違いない。
そうはさせるものですか。
屁理屈を並べて、すべてつっぱねてしまえば良い。そうすれば、すぐにでもこの先輩との面談は終わるし、私もとっとと教室に戻って、食べかけのお弁当の続きをサッサと始末しないといけないのだから。
とっととサッサと。
イヤな子になってやろう、うん。
「あと、先輩は一人称が『僕』なのか『私』なのかハッキリして下さい」
「むぐぐっ、……じゃあ仮に。君がこの部屋に入って来た時点で既に私が死んでいたとするなら?」
「すぐに人を呼びに行きますね」
「いや、そりゃそーだけどォ。もっと話を膨らませようよぉ!」
少し考えてみる。
……ん~、
「密室になりません」
「アラ?」
「だって、先輩に『そこのボタンを押して』っていわれなきゃ鍵なんてかけませんし。私がこの部屋に入れるならそもそも前提として鍵は開いている事になります。初めてこの部屋に入って、先輩が死んでいるのを確認して、カギをかけて、開けて、人を呼びに行くような意味不明な行動をとる理由が私にはありません」
もう、これは完全に屁理屈だってわかっているけどね。
ようは、先輩が私に振ろうとしたのは、変死体の第一発見者ならどう行動する? っていうアレなのだろう。
そうはいくものか。
設問にこうも不手際があるのだから、話が続けられるわけがないでしょうに。
……う~ん、この先輩、ひょっとしてちょっと抜けているのか、それともワザとなのか……まだ全然わかんない。
「ツれないなァ~。可愛くないなァ」
「先輩ほど可愛らしく生まれていません。そもそも密室状況になり得る要素としては、発見者が既に密室である事を外側から確認する前提がなければ駄目です」
そう。
密室状況という物は、そこに至るまでの設定や構成がめんどうなのだ。
状況設定が不完全では、密室は成立しない。
完全ではそもそも密室で事件は起こせない。
そもそも密室で事件なんて起きるわけがないのだから、当然といえば当然。
いってみれば、それは「密室物」の持つ命題。
「何もそうツンケンしなくても……う~ん、まあ、それもそうだわね。私とした事が、前振りとしては幾ら何でも考えなさ過ぎたかしら。ハハ、失敗失敗。それじゃあ、え~っと……こんな状況はいかがかしら?」
先輩は指二本で眉間をトントンと叩いて何か考え込むポーズをとる。
ていうか、本ッ当ーに考えナシだったのか、この人!
「また思考実験ですか?」
「まあそんな感じ、ああ待って、状況を整理してるから。え~と……」
「ちさちゃん、あーけーてー」
ドンドンっと、扉を叩く音がした。
「あッ、お姉さま。はい、今すぐー」
はぃ?
え、何?
今このひと、何ていったの?
お姉さま、だぁ?
一瞬思考が停止して、お地蔵さんのように固まった私をよそに、そそくさと赫田先輩は扉を開けた。
「どうなさいましたの? 今日はてっきり部活の方にはいらっしゃらないかと」
「ふー。購買部でね、色々パンを買って来たわよ、どうせまたヨーグルトとか野菜ジュースだけで済ます気でしょ」
一七〇は余裕である長身の、私たちと同じく赤ラインの黒セーラーに身を包んだ、長い黒髪で柔和な表情の綺麗な女の人が、紙袋を抱えて現れた。
三年の赫田先輩がそんな風にいうからには高等部の先輩なのだろう。
半年前まで小学生だった私には、高校生なんてもう、オトナもオトナ。何をどう話していいのかすら判らない。
っていうか、実の姉妹というにはあまりにも似ていない。ようは「お姉さま」というのは年上の先輩に対しての表現なのだろうけど。
……何やら、頭痛がして来た。
いや、ね。いないって。そんな事いう人!
ふつーは!
「あの、それはその……」
「いわなきゃちさちゃん、しないで良いダイエットずーっとするんだもの。ダメよー、ちゃんと食べなきゃ」
「お姉さまは私に対して過保護すぎますの! 油断するとすぐお菓子とか差し出すじゃないですか!」
冗談で茶化してそんな言葉を使っているならまだわかるけど、声の調子や会話の流れからしても、あきらかに自然体で「お姉さま」使ってるし。この人。
いくらお嬢様学校とはいえ、それはないでしょう。ふつーは。
……いや、赫田先輩が既にふつーじゃない事は痛感しておりますけども。
「あら、この子は?」
「あッ、この子は一年生の咲山巴さんといって、……えーと新入部員候補生ですの」
「いえッ、違いますッ!」
矛先がこちらに向いてきた。ここだけは即座に否定せねば。ショート寸前の思考回路でかろうじて反応する。
「まーた無理に引っ張って来たんでしょ、悪い子ねぇ。はい、ペッパーピクルスのサンド」
長身の先輩は強引にパンの一つを赫田先輩に渡し、もう一つの包みをポンと私に手渡す。
「咲山さん、……巴ちゃん、って呼んでよろしいかしら? 私はここの部長の――高等部の方のね、高等部二年、
「は、はいッ」
「高等部の方は、ただでさえ三人しかいないのに集まりが悪いから、ここは殆どちさちゃんたち中等部の遊び場になってるの。中等部には、まだアクティブな子も多いから。あなたは入部希望じゃないんだ? じゃあ、何かの依頼かしら?」
「えーと……」
依頼って、何の?
「ふふ。大丈夫、とって食べたりはしないし、こう見えてもちさちゃんは本当は心の優しい子なの。よかったら、いつでも遊びにいらっしゃいね。ホラ、ちさちゃんも強引な勧誘はしないの!」
「ひどいわ、お姉さま。『こう見えても』って、まるで私が優しい子には見えないみたいじゃありませんの! それに私は強引に誘ってなんかいません! そうよね? 巴さん」
突っ込む勇気はないので、無言でうつむいたまま手をグーにして耐える。
「だいたい、労働力が入り用な際に適当な下級生を徴集する事はあれど、部員には有能な者しか勧誘なんてしませんわ!」
「ほらー、そういったワガママで血も涙もない事を、すぐ平気で口にするんだから。困るわよねえ?」
あの、私に振られても相槌一つ打ち返せませんけど。
ていうかホント、コロっと態度もキャラも変えられるんだなぁ、赫田先輩って。すごい。
そして、今のちょっとしたやりとりだけで、わかる事が一つある。
高等部の部長である弓塚先輩が、私の事を何も「聞いていない」のか。
とすると、ここに呼び出したのは赫田先輩の独断、って事だろう。
赫田先輩が、何を契機に私に目をつけたのかはわからない。
何かを耳にしたなら、誰かに何かを吹き込まれたとするなら、その「何か」や「誰か」は部外のものかも知れない。もしくは、中等部と高等部とで連携が取れていないのか。
「さっき、何か密室がどうのこうのって聞こえたけど、ナニ? ちさちゃん、この子にあの話してたの?」
「いえ、それはこれから……」
「これから?」
怪訝な顔をする私に、ニッコリと弓塚先輩は微笑みかけた。
「そうなんだ。つまり、ちさちゃん的にはこの子はOKなのね」
「そうです」
いや、何の話ですか!
「あのね、こんな話があるの。あ、これ私が話しちゃって良いのかしら?」
椅子に腰掛けた私をにんまりと見つめた後に、弓塚先輩はチラリと視線を赫田先輩に向ける。
「ああ、じゃあもうお姉さまからでよろしいですわ! 私から話したって又聞きの又聞きですもの、そう上手くは話せませんし、最初に私にあの話をして下さったのって、お姉さまじゃないですか」
「去年の事、まだ根に持ってるの?」
「カレンは、あの子ちょっとおかしいのよ!」
「ちょっとどころじゃないと思うなぁ」
何の話なのかさっぱりわからない、という顔の私に、いち早く弓塚先輩は察してくれたようだ。
「あら、ゴメンなさい、こっちの話。ささ、パンどうぞ。じゃあ、食べてる間にでも私から一つ、この部に伝わるお話でもしようかしら?」
「あッ、いただきます……」
慌ててお礼をいい、袋をあける。おなかは確かに減っているのだ。
とっとと教室に戻ってお弁当の残りをサッサと食べるつもりが、このままでは昼休憩一杯は時間がかかりそうだと腹をくくった。
「そうねえ……むかしむかし……といってもそう大昔の事じゃないし、最近というには昔すぎる、まあ私もあなたも、まだ生まれていない頃のお話ね。終戦から十年経っていない頃――そう、昭和二十九年の事」
その昔話は、時代どころか年号までハッキリしているのか。
「その年にね、この学園で『密室』の不可能犯罪が発生したの。場所は……そうね、この部屋と考えてもらって良いわ」
「へ?」
急に何をいいだすのだ、この人は。
え、何?
密室?
不可能犯罪?
え?
「当時の鍵は、金属の棒に凹凸の板がついている古風なアレね。ゲームのアイテムで出てくるアイコンのような」
「トムとジェリーに出てくるような、でも良いですわね。巴さんがゲームをやらない子だったら、そっちの方がわかりやすいかも」
いえまあ、どっちもわかりますけど。
いや、あの。
え、何?
何の話です?
この部屋で、何ですって?
「この扉みたいなワンタッチじゃなくて、施錠は表側からも内側からも鍵を回して行なう形式。扉の型は当時のままだけど──」
「あの、えーっと……」
あの。
いくら何でもその、イキナリ『密室』って。
『密室』って。そんな。
いや、まさか。
しかも、……現場はこの部屋ぁ!?
「ちょ、ちょっと待って下さいよぉ。扉とか鍵の形式とかの設定説明は、まあひとまず横に置かせて戴いてですね、その、あの……」
「なあに?」
「ソレって、嘘ですよね? 第一密室で事件なんて、あり得ないです。ソレって、新入生をからかうか試す為の、クイズかパズルだと考えて良いのでしょうか? ――そう、ええっと、それも思考実験……でしょうか?」
「どうかしらねぇ?」
ニコニコと弓塚先輩は、チキンサンドを片手に微笑んでいる。たっぷりの胡椒とレタスをバゲットで挟んだ購買部の人気メニューで、赫田先輩はというと、ピクルスサンドをどうしたものかと両手で持て余している。
「密室で事件はあり得ない、って、どういう事かしら?」
「……ええっと。まず、密室状況というのが……先ほども赫田先輩と話していましたが、物理的に外部からの侵入も内部からの脱出も不可能な状況……つまり『変化を与えられない状況』だからこそ、密室で、」
「そうね、そういった場所で、著しい変化、たとえば……盗難、消失、殺人等の、外因的な何かが『事件』として発生するケース、これが推理物の王道よね」
もちろん、犯罪に関わる「事件」だけが密室物とは限らないけど、まあ大多数がそう。
「ええ。ですから何かの『変化』が発生するなら、たとえば中にある物が重みや震動で崩れるとか、経時変化で風化や腐蝕や燃焼が起きるとかじゃない限り、『本当に閉鎖された空間内』では何も起こりっこないわけです」
物理的な干渉不能を証明し、事故のケースも検証済みで、それでも尚も何かが起きたのならば、それは奇跡か怪異現象だもの。
「そして今挙げたような、崩れるだの変質だののケースだと、ようは封印される前に仕込んだ物の、故意にせよ偶然にせよ、タイマー式で発現する『変化』なわけですよね」
ある種の「密室トリック」は過半数がそれに属する物で、時限式で死んでしまうとか、時限式で通行可な出入り口が塞がるとか、だいたいがその二つ。
「そして、時限装置に限らずそれらは『非密閉の証明』であり、『出入りの痕跡を消去した何者か』がいる証左か、最初から不可能状況の事件は起きていないかの二択しかなく、後者は事故、偶然。前者は結局は『痕跡探し』です。完全な密室であるならそもそも事件は起きませんから、密室でない物をどう密室にみせかけるか、が密室状況での事件の基本ですので、したがって――」
「だから、これはその話なの」
「……はぁ」
あッ、またいっちゃった!
慌てて口をおさえる。
いや、その。だから密室で事件って?
そんなの王道も王道、トリックとか本ミスとかの最中心じゃないですか。
ないですって、ふつー。現実に。
「ねっ? お姉さま! スゴイでしょ、この子ったら!」
いや、すごくないですって。屁理屈を並べただけだし。
……いけない。さっきの赫田先輩とのやりとりのせいで、意固地なくらいの「屁理屈癖」が出てしまった……これは大失敗。
「そうね。巴ちゃんって、ちゃんと理路整然とした受け答えができる子なのね。偉いわ、私が中一の頃はぜんぜんそんな風にはできなかったもの」
弓塚先輩は嬉しそうに目を細める。あぁあぁやっば! 小理屈を並べて頑固で融通のきかない「イヤな子」を頑張ってたのに、これって逆に気に入られちゃったかも。
「あの。えっと、ですから、……状況的に事件が『起きっこない』のが密室で、」
「起きたから、難事件怪事件なのね」
むぐぐ。
……それもそうだけど。
ここは御託を並べてどうつっぱねたところで、それで事件が消えてなくなりはしないのだから、「起きた」事をちゃんと聞かないと前には進めないらしい。
……イヤだなぁ。
困ったなぁ。
また密室かぁ。
「続きを話しても良いかしら?」
「あ、どうぞ……」
観念して、椅子の上で背筋をのばし、姿勢をただしてその「密室もの」の話を聞く事にした。
……昭和二十九年に、ここで、って。
それ、軽く半世紀以上も前の話じゃないですか。
いくらここが古びて雰囲気のある建物とはいえ、はたしてそんな大昔から、今の室内と様子が同じなのだろうか。
「その当時、部屋の鍵はスペアを含めて二つしかなく、一つは管理用の鍵束に、もう一つが職員室の出入り口脇に、今と同じく先生がたに申請して貸し出される形式だったわけね」
扉脇のコルクボードに、各所の鍵が個別にブラさがっている職員室の様子を思い出した。
古い施設も多い校内、カードキーや各種ハイテク認証もあるにはあるけど、いまだにセキュリティは昔ながらのままの物も、幾つかは平然とまかり通っているらしい。
当時も、今とそう変わらない状態だったのだろうか。確か、それらの鍵のスペアをまとめた鍵束の輪も、同じ所にブラさがっていた筈。
とりあえず一本の鍵で全ての扉を開けられるような便利な物はそうそうないので、その複数のスペア鍵を幾つも束ねた物をマスターキー、と呼んで良いか。
「その日、朝一番に登校した先生が、
前日に生徒に貸し出した鍵はちゃんと夕刻に返却されている筈だし、その記録も帳面に残っていて、つまり無断で忍び込んで鍵を持っていった誰かがいる場合は、それ以降の時刻になるわね」
その茶房廬っていうのが、この建物の昔の呼び名なのね。本室、というのがこの部屋か。
「なくなっていたのは、鍵だけですか?」
「鍵だけ。泥棒なら鍵をただ持ち帰ったとは思えないから、物盗りでもあっては一大事だと、様子を見る為にその先生はマスターの鍵束を手に、茶房廬の入り口まで来たわけね」
「で、事件ですか」
普通、鍵がない状況で何か事件がおきたのなら、犯人はその鍵泥棒なのだろう。
しかし、それだったら「不可能犯罪」にはならないけど。
「そして到着したその先生は、様子がおかしい事に気付いたのね。何故なら、鍵はかかったままだけど、床には──
血が。部屋の中から大量の血が、廊下まで染み出していたの」
「えッ!?」
思わずガタっと椅子を鳴らして床を見る。
五十年以上も前の血痕なんて、さすがに残ってはいないだろうけど、気味が悪いのは仕方がない。
「え~っと、ソレって……殺人事件、ですか?」
聖母様のような笑みで、弓塚先輩はニコニコ微笑んでいただけだった。
「慌てて開けようとしたら、今度は鍵束にもこの部屋の鍵が見あたらない事に気付いて、つまり犯人はスペアごと、カギを盗んだ事になるわけね」
「……念入りですね」
「その先生は早速、職員室まで引き返して、人を何人か連れて戻ってきたの。
警察や病院にも一応電話の手配をするように頼んで。既に職員も数人、朝練の生徒も幾人か登校して、校内にいたわ。
そして、何人かの先生がたが鎚や手斧を隣の道具室から取り出してドアを壊し、中を見ると……」
すぅっと弓塚先輩は私の背後につき、両肩に手を乗せた。
「あなたの位置で、あなたの様に、椅子に腰かけた『死体』を発見したの。
この学校の制服を着た女性の死体。その死体には──首がなかったわ」
「!!??」
ゾクリと全身が逆毛たった。
ウッソぉ!?
「あ、あのあの、そそそれ、嘘!? ……ですよ、ね?」
驚いた拍子に強く握ったジャムパンから、にゅうっと赤い粘液がハミ出した。
安っぽいジャムと違い、丸ごとの苺をレモンと煮て作った本格的なジャムで、これも人気定番メニューの一つ。近くのベーカリーから手焼きのちゃんとしたパンを仕入れてくるため、我が校の購買部で不人気なのはせいぜいピクルスサンドぐらいなものである。
「どうでしょう?」
ニコニコ笑顔のままの先輩の顔が覗き込む。
この人、怖ぇー!!
首なし死体って。
幾ら何でも、首なし死体って。
密室の上に猟奇犯罪じゃないですか。
「そして、なくなった鍵は机の上に置いてあったの。窓はねじ回し式の鍵が三っつ、しっかり内側から閉められてて、換気孔にも目の細かい金網がはってあって……」
指さす先を見ると、天井の近くに小さな四角い穴が窓側両隅にある。金網が内側からボルトで留められていて、紐とピンを使って鍵をどうこうするトリックは使えないって事だ。
「ええっと……普通に考えたら、紛失した鍵束の方のカギを、持って行った誰かが怪しい事になりますよね?」
カギは二つ。一つが密室の中から出てきたからには、もう一つで閉めて出て行った、と考えるしかない。
不気味な事件ではあっても、それでとりあえず「謎」はなくなる。筈。
「そのカギも、見つかったの。部屋の机の中からね」
「あ~」
なんだ、そりゃぁ?
話が出来すぎている。
「首がない、って……」
「切断されてたのね」
「……なんでです? 首が切断なんて……そんな猟奇的な殺され方なんて意味がないです。見せしめや怨恨、変質者の犯行ってのじゃないなら、可能性は……」
身元隠しか。
「そうね。何しろ死んでいたのが『誰』なのか判らなかったもの。名札も生徒手帳も何も持ってなくって」
「何も? う~ん……あの、ちょっと良いですか?」
「何かしら?」
「ソレ、被害者が誰かとか犯人が誰かとか、動機は何かとか、そういった要素を一切抜いた『トリック当て』なんでしょうか? ハウダニット……『手口探し』ってヤツ」
「あなたはこの事件をクイズかパズルだと思ったのかしら?」
「ここ、パズラーズクラブって書いてますし」
「『PUZZLER』は『推理小説』の、とりわけ本格推理と呼ばれるジャンルの英語訳だったかしら」
「そうなんですか」
知ってます、とはいわない方が良さそうだ。
やっぱり、余計な事は口にしないで、知らぬ存ぜぬでいるべきなのだろう。
確か、日本で「社会派ミステリー」が台頭するように、あちらではハードボイルドやスパイ物等の犯罪小説の趨勢に押されて、トリック重視の推理小説を指す言葉が必要になった頃から顕著になった表現、だったと思う。この辺は詳しくないから自信はないけど。
「他にもクラシカル・フーダニットって言葉もあるけど、推理物が犯人捜しだけとは限らないから、私もミステリー作家の都筑道夫さんの仰るとおり、『パズラー』って表現の方がしっくり来ると思うわね。さて、あなたはこの事件をどう考えてみる?」
弓塚先輩はチラリと時計を見た。
「えーと……」
どきどき脈打ったままの心臓に、そっと手をあてる。
落ち着いて。
冷静に。
状況の異常さ。
情報の少なさ。
いい換えれば、この段階で私に「どう考えてみる?」って振る限りは、それだけで一先ずの段階でのヒントは『出揃っている』ってコト。
となると、
「そういった不可解な状況だと、普通は第一発見者を疑うべきですね」
「ところが死体の第一発見者は複数人いるわけね。証言もとれているし」
「死体の身元は? それと、最後に鍵を借りた生徒は……」
「身元は、さしあたって『その時点では』不明、この学校の制服を着た十代の女性ってだけしか、わからない。前日、最後に鍵を借りた生徒は事件の発覚直後、確認の電話を入れたら自宅で寝ていたわ。鍵を返した時にもその様子を職員室で見ている先生がたが数名」
その時代、その当時に、キーコピーなんて簡単にできる物でもなし、もしそれが行われたなら、前日じゃきかない計画犯罪だろうから、その生徒はまず何の関係もないだろう。
……キーコピー、たとえば鋳掛屋とか鋳造業者が犯行に関わっていて、事前に生徒か職員を利用して鍵を持ち出させ、合い鍵をコッソリ作っていた……という考え方なら、まあ現実的かもしれない。
いや、密室物としては面白くも何ともない話だけど。
実際に、警察が事件の捜査に乗り出すなら、まずイの一番にこのセンで動くだろう。
ただ、それができるなら何故わざわざこの部室なのだろうか?
当時、ここが実際どんな使われ方をされていた部屋かはわからないけれど、金目の物を置いていたようにも思えないし、試験の答案が置いてあるようでもなし、女子が着替える場所でもなさそうだし、そもそも女子校内に第三者が侵入する事じたい、当時だって困難だったろう。
戦前までは、ここは全寮制の女学校だったとも聞いている。
逆に考えれば、キーコピーが「できない」からこそ、スペアキーの存在がおかしな状態になっていた可能性も推測できる。
少なくとも、犯人が他に合い鍵を作っていたのなら、わざわざ校内の鍵を二つとも部屋の中に入れて「不可能状況」にする意味がないのだもの。
「職員室の鍵じたいは、扱いはどうなっていたんですか?」
「当番制で各学年主任が持っていたそうね。それと学園長、理事長、守衛さんに……疑いだせば、キリがないわね」
「警察の調査の結果は?」
「それがね……警察が来る前に、その事件は解決しちゃったの」
「は?」
「それぐらい、これは簡単な事件だったのね。いえ、そう簡単でもなかったのかも知れないけど……解決しちゃった人がいるの」
いや、ちょっと待ってって。
何です、それ。
「その人は、今私が口にしたのと同じくらいのヒントを『耳で聞いて』、ただそれだけで、現場を見る前に解決しっちゃったのね」
「……安楽椅子探偵ですね」
「今のあなたもね」
「これはスチール椅子ですけど」
ふむ。
……現実離れしているけれど、つまりそれは、これが「解決できる事件」という事なのね? 今聞いただけのヒントで。
事実なのだろうか?
作り話なのだろうか?
この先輩の表情からは、正直、どっちともつかない。
事件内容はまるで突飛だけど、状況設定にはリアリティがある。
これが作り話だと『仮定』するなら──
確かに、そんな猟奇犯罪が起きた薄ッ気味悪い部屋なんかで、落ち着いて女子たちが部活なんて出来るワケがない。話も出来すぎだし、どうにもホラとしか思えない。
そう考えると、逆毛立って泡だった肌も少しづつ落ち着いて来る。
でも、作り話じゃないとしたら?
その方が納得いく事もある……。
では、もしこれが事実だと『仮定』するなら──やっぱり避けられない事が二つある。
「ハウ」だけを独立して考えるなんて、やっぱり出来ない。トリックだけを独立するなんて、そんなムシの良い話なんてない。
トリックのためのトリック、ギミックのためのギミック。そんなの、事実だとするなら、現実の犯罪であり得るわけがない。
現実の犯罪は、もっと冷たく、夢が無く、そして、くだらないから。
一つ推察できる事は、実際に事件があったとしたなら、この部屋は「現場じゃない筈」だと思う。
この部屋が舞台として想定されたのは、目で見てすぐに状況が掴めて、色々とヒントになるからに違いない。
何故なら――それは、もう一つの大きなヒント、この人の――弓塚先輩の存在そのものにある。
ちらりと、長い黒髪の先輩を見あげる。
高校生で、背がすらりと高く、美人で、プロポーションも良くて、優しそうで、育ちも良さそうで、二、三言葉を交わしただけでも、その完璧超人っぷりがよくわかる。
「……道具室の方の鍵は、ちゃんと鍵束にあったんですね?」
「道具室からハンマーーや手斧を取り出せたってコトは、そのようね」
なら──。
「その密室状況は不完全ですね。えーと、それ、殺人事件じゃないです」
きっぱりいい切った私を前にして、赫田先輩は目を丸くして驚き、弓塚先輩はとても嬉しそうに微笑んでいた。
後編につづく
ーーー
CAFE BREAK
本作は、2010年に同人ソフト版として再編集する際に、連載時の原稿から大幅な加筆・訂正を行った物をベースとしています。
ですが、正直、この第二話は前半部の最初の方(弓塚部長登場前のパート)で大量加筆をしでかした為に、「本編より前フリの方が長い」という、若干バランスの悪い構成になっております(すみません)。
連載時には入れていなかった、巴主観の認識による(やや穿ったり間違ったりした)「社会派ミステリー」云々のまめ知識は、ストーリーの後々に必要になりそうなので早めに出しておきたかった点と、この作品自体が全体的に「ミステリー初心者」のローティーンからハイティーンの読者の皆さんを想定して書いた物(なんですよ、一応)である故に、ある種のミステリーマニアには常識的な事にまで、少しづつ噛み砕いて解説して行く物にしようといった狙いが当初からあり、連載本編では尺の問題から長い&クドいと思ってカットした物を、今回新たに書き直し復活させた物でもあります。(ちなみにこういった時代の変化による認識の変遷というのも、この作品が軽く十年以上経ったことによりまた変化してしまってるのも、まあご愛嬌)
連載を通じて、毎回――とまではいわないものの、わりと頻繁に「○○ミステリーとは」といったハウツー物っぽいミニ蘊蓄が語られる事が、ままありますので、そういう部分を納豆に入ってるカラシやタレみたいに「余計なお世話だ」と感じるタイプの方にとっては、まどろっこしい所もあると思いますが、まあそこはご容赦を。
(あとスーパーで売ってる刺身のパックに入ってるワザビやおろしショウガの類は本当に余計なお世話だと思いますね個人的には)
さて、今回のこの事件は、ここまでの、香織部長の述べた冒頭部、サワリのヒントだけで解決――いや、大まかな「推測」が可能な構成になっています。
大袈裟に大仰に「読者への挑戦!」といった中休みをする気は御座いませんが、比較的ストレートで「ひっかけ」の少ない、小手調べのような謎解きですので、皆さんも巴ちゃんと一緒に推理してみてはいかがでしょうか?
もしくは、「巴ちゃんがどのような推理をしたのか」を考えてみるも一興。
勿論、推理しながら読むのも、しないでただその奇想を、展開を、仕掛けたギミックがぱたぱたと繋がって行く様を、ドミノ倒しを眺めるかのように観客として楽しむのも、ミステリーの楽しみ方は人それぞれです。
私(作者)も、どちらかというとミステリーをいちいち「推理しながら」なんて面倒な読み方は普段一切しませんね!(笑)
それでは、後編をどうぞ。
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