第一話 『ホワイダニット』(後編)

★前編のあらすじ★


 瀬戸内を一望する風光明媚な地に建つお嬢様学校「聖ミシェール女学園」。

 そこに通う一年生・咲山巴は、『探偵舎』と呼ばれる奇妙なクラブハウスへ、見知らぬ先輩から呼び出される。

『探偵舎』中等部代表と称する不思議な美少女・赫田ちさとは、初対面で、すらすらと巴の行動をいい当てるが……。


         ★


 ここに来た時の私は、汗もかいていないし息も乱れていなかった。

 私がのんびり来た事も、注意力があればわかる事かも知れない。

 心理的な部分はそこら辺から「推理」したのだろうか? いや……。


「ちょっと待って下さい、えーっと……ソレって『調査』の結果なんでしょうか?」


 ふむ、と片眉を上げながら赫田先輩は私の言葉に受け立つ。


「調査……ね? 咲山さんは何故、そう思ったのかしら?」

「だって、私がお弁当って事を『知って』いるワケですよね?」


 お弁当か学食か購買部のパンか、ここは単純に三択。どれか一つを最初から確定的に口にするには、推測のヒントが無さすぎる。


「飲み物だって当番が牛乳とお茶を運んで来るから、私が牛乳を選択してるのは『知ってないと』判らない事じゃないですか?」


 探偵っていうとやっぱり『推理』じゃなくて『調査』、事件の解決じゃなく興信所ってイメージだもの。そう考えた方が道理が通る。


「そうね、口の上にヒゲでもつけてなければよね」


 また口をおさえかけた。


「だから、牛乳ヒゲはありませんわよ?」


 悪戯っぽく彼女はクスクスと笑い、そのままツカツカと私の傍まで歩み寄った。

 何とはなしにピンと来る。

 そう、こういった「行動あて」は、ホームズがワトソン君をからかう、探偵の推理力を読者に示す「つかみ」の王道パターン。

 だからといって、急にワトソン役を振られるのはさすがにちょっと心外でもある。だって、ワトソンって……


「まあ確かに、牛乳ヒゲとか牛乳しみとか、痕跡があればそこから原因を探るのは『推理』ね。逆にあなたが牛乳を選択していた事を事前に知っていればそれは『調査結果』ですけど」

「……違うんですか?」

「私があなたの『調査』で得た事は、あなたが中学から入試で当学園に入学して来た事、H市内から片道一時間強かけて通学している事、部活には何も所属していない事、それくらいかしらね。

あなたが何か部活をしていたなら、上級生に頼んで連絡をつけられたんだけど、何もないから文芸部の仁科さんに今朝電話して頼んだの。あなたのクラスって、文芸部の子いないんですもの」


 文芸部別館って事は、文芸部員の連絡先リストをこの人が持っているのはわかる。


「えーと……」


 呼吸を整え、混乱した頭を何とか整理する。

 一年校舎は購買部から離れている為、四時限中に業者の人が給湯室まで牛乳を運び、当番がお茶と牛乳を持ってくるシステムになっている。

 牛乳にするかお茶にするかはその日の気分次第なので、直前に牛乳券を渡した当番の人か、その時教室にいた人じゃないと私が牛乳を頼んだ事なんてわかるわけがない。


「学食かパンかお弁当か。ここは消去法でわかるわよね? 学食ならば、食べて来たにしては早過ぎる。食事抜きで来たにしては遅すぎる。パンでも然り、購買部に寄って買うだけ買って来たのならわからなくもないけど、そもそもアナタ手ぶらだし。そしてお弁当なら、5~6分で全部たいらげちゃうほどあなたが早食いの得意な人には見えないわ」


 背後から覗き込むように、その人形のように澄ました顔が私に近づく。ちょっとドキドキする。微かに漂うのは香水だろうか、ポプリか何かだろうか。ヨーグルトの匂いも少しだけする。

 ……いわれてみれば確かに。冷静に考えれば推測のヒントは、そこまで無いわけじゃない。だけど……。


「つまり、私が呼び出しを忘れてお弁当を少しだけ食べて、という想定が一番しっくり来る……という事でしょうか?」


 いや、それは事実なんだけど。

 でも、やっぱりどうしても腑に落ちない。


「……食べずに、誰かと雑談でもして時間を潰していたって可能性はナシですか? それこそ、ここに来る途中で図書館に寄ったとか……」


 恐る恐る訊き返す。自分でも緊張し切った声なのがわかる。そう、三択だけじゃない。四択目もある。「何も食べずに来た」上での、個人的な時間調整……。ちょっと強引な気もするけど、人の行動にはそういった気まぐれ要素もあるのだから。


「例えばね。あなたが何を食べたのか、匂いだけで判断できるほど犬並みの嗅覚はないけれど、これだけは『わかる』事だってあるの」


 さあ、わかる? そんな表情で彼女はにやにや笑う。

 試されているのだろうか。

 からかわれているのだろうか。

 そして、私は何でこんなに必死に反論しようとしているんだろうか。

 だいたい、こんなのは『推理』っていうより『クイズ』か『パズル』じゃない?

 ならば『解法』もあって『設題者』がいて……。


 設題者?

 ああ、そうか。

 ……冷静に。

 そう、考えればそれは何てコトない筈。


 事前調査って点で考えるなら、そういえば私が「お弁当」で「お茶か牛乳」どちらかって事までしか、どう頑張って調べたってわからない筈。

 かといって、昨日今日で殆ど面識のない仁科さんに事前に訊いても、私の普段の生活パターンを詳しく知っているとは思えない。

 なら?

 そう、「それ」以外に答えはあり得ない。

 消去法で考えればそれが一番整合性がつく。

 じゃあ?


 ……「目的」は、何なんだろう?


 この人のいってる事には「嘘」がある。それはわかる。


 では「何で嘘をいってるんだろう?」……?


 「わかる?」という問いなら、わかる。

「結果」から「答え」を創るなら、彼女の「いいそうな事」はわかる。

 とりあえず今は、彼女の「推理」の結果でも聞いてみるか……。


「あなたはあなたが思ってる以上にこの学園に馴染める、折り目正しき『お嬢様』よね。身嗜みだしなみも心得てて清潔で──」


 スカーフ留めに手が伸びる。歪みを強制するようにくいっと直された。


「食後は必ず歯も磨く」

「あッ」


 成る程、歯磨きのミントの匂い。それなら流石に誤魔化しは効かない。「食後」で、しかも短い時間となると選択肢は当然狭められているワケだ。

 ──推理、か。なるほど。


「今の『あッ』って驚き方は良かったわ。飲み込みも早いし、アナタ良い子ね。探偵にはそういったワトソン役ってとても大切なのよ」


 ……私ゃ「」ですか。


「今みたいに、日常の些細な事ですら『推理』のネタなんて幾らでも転がっているものなのよ。どう? 面白いでしょ」

「うーん……」


 確かに、この人の頭の回転は早い。観察力も注意力も知識も調査力も──でも、それが何か、チクチクっと心に引っかかった。


「……図書館での私の考えは……あれは私個人の頭の中の事ですよね?」

「見えてたわけじゃないものね」

「それは推理じゃなくて憶測ですね」


 精一杯、なんとかいい返そうとしている自分にちょっと驚いた。

 私は何を意地になってるんだろう?


「推理とは推察し、理に適う道程を解き『真実』を暴く事。断片だけでお粗末な『想像』を働かせ、ありもしない『妄想』を『憶測』し、結果とするような事は探偵のする事じゃないのね。しかし大切なのは『真実』──人の心に土足で踏み込む事もいとわない。知的にして残忍な活動なのね、それは」


 顔が近づく。


「憶測も予断も過程の仮定としては有効ね。それは『結果』じゃなく『手段』。心を見透かされて嬉しい人なんてそうそういないけど、考えてる事なんてあてずっぽうでも理に沿えばそれなりに当たるもの。人間は一度に色々な事を考えるから、何か一つだけってコトもないもの。視界に図書館が入れば借りようかどうしようかぐらいは思い当たる。それにあなたは読書キライじゃないでしょ?」

「なんで……」


 呑まれちゃダメだ──


「……ハッタリでも数うてば当たる、って事ですか? 正解を掴む為のヒントとして」

「探偵小説って単語に対して『推理小説』とか『ミステリー』って即答できる人が、読書嫌いなわけないじゃない?」

「それは……推理っていうか、プロファイリングですね」


 自分でドキリとした。何をいっているんだろ? 私は……。


「プロファイリングっていうならもっと色々いえるわよ? あなたは頭が良いけど内向的で、他人と接するのは苦手。自分を理解して欲しいけどそう簡単にはいかないから、じゃあ最初からどうでもいいような相手には自分を理解されないでいい。極端に自分を出さない、消極的で最低限の言葉で会話し、個性を抑えようとしている」

「…………」

「でも、それはあなたの『本性』じゃないわよね?」


 呑まれちゃダメだ──

 まるでサイコサスペンス映画のワン・シーンのように、異常な空間で常人離れした相手との密室での1対1──それだけで、もう心が折れそうになって来る。


 ――これは、デジャヴ? 違う。

 しかし、ここに居るのはホプキンスでもデニーロでもない。只の十四、五歳の女の子じゃないか。私とそう大差ない。


 何か、とても悔しい気がした。

 この、不思議な先輩に対しての感情。何なんだろう?

 好意なんだろうか? 嫌悪なんだろうか?

 ただ、この人に自分が見透かされるのも、この人に軽く扱われるのも、なんだかとても悔しい感じがする。

 気のない返事でやり過ごす事も、柳に風と割り切る事も、なんとなく自分には出来ない。


 ……そんなに何故、必死にならなきゃいけないんだろう?


 私の中の何かが。もう二度と、と抵抗している。もう、したくないから。


 何かのスイッチが自分の中でパチンと入るような感覚がした。


「なーんて、ね。今、あなた感心したでしょ?」

「……はい?」


 ニヤリと笑って赫田先輩は机の上のインターホンを手に取った。


「教室でのあなたの行動はね、ワケ」

「…………」


 ほら、


「あなたを送り出した後に職員室の内線で連絡してきたから、教室でのあなたの様子も訊いておいたの。そう、答えは『』ワケ」

「……じゃあ、今の推理っていうのは、インチキですか」

「いえいえいえ」


 にやにやと笑いながら、先輩はインターホンを置く。


「パズルは解くより創る方が難しい物なのヨ。先にある答を元に、そこから推理を組み立てるの結構大変なーのヨ。わかる?」

「……でしょうね。不可能な点があります。わずかな間に『過程』をひねり出した観察力には脱帽しますけど」

「えッ?」


 今の先輩の『えッ』は中々いい驚き方だ。


「そりゃそうですよ。『直前に牛乳券を渡した当番の人か、その時教室にいた人じゃないと私が牛乳を頼んだ事なんてわかるわけがない』から。消去法で考えれば答えはとっくに出ていました」

「ンむむむむっ……、そこは誤魔化せると思ったんだけどなァ~」

「そこまで『推理』でわかるワケないです。情報もなく知っていたならエスパーですよ。本当に牛乳ヒゲでもあれば良かったんですけど」

「それじゃ推理じゃなくてコントじゃない」


 そりゃそうだけど。


「んー……何かいいたそうな顔ね? 上級生相手だからって遠慮しなくて良いわよ?」


 そんな事いわれても、半年前まで小学生だった私が2コ上の先輩相手に遠慮ナシな口をきけるわけがないでしょうに。


「……ええっと。もし私が先輩なら──『急いで飲み物を飲んで』にするか、飲み物のくだりはなかった事にして『ニセ推理』を展開しますね」

「それじゃハッタリにならないじゃない」


 やっぱりハッタリじゃないか。


「そして、何故、そこに『これは推理ではない』ってミスリードを先輩が入れているのかを考えていました。私を試しているのか、探っているのか──」


 それとも粗忽そこつ者のうっかりミスか、は、口にはしなかった。


「ふふふふふ……」


 作り物のような整った顔に浮かぶ笑顔は、いままでの笑みとは違っていた。

 とても楽しそう。この顔が──この先輩の本性なのだろう。


「Why done it?(理由探し)ね。いいね、アナタとってもかしこいわ。この部には欲しい人材ね、いいえ、まさに入部すべきだわ! いかがかしら?」

「お断りします」

「つれないなァ~」


 赫田先輩の態度や言葉づかいが軟化している。最初の凛とした声の響きは、既に甘えるような子供っぽさに変貌していた。

 たぶん、こっちの方がこの人の「素」なのかも。


「アナタが対話可能な人かどうか、それを知るのに一番てっとり早いと思ったの。この部の性質を説明するのにもね。気のない返事しかしない主体性のない人だったら会話にすらならないわ」


 うっ……。


「……すみません」

「そんなペルソナなんて外した方がいいわね。ワカリ易くいうなら『かぶった猫を脱ぐ』べきね」

「先輩もですね」


 赫田先輩はその言葉に、愉快そうにニヤリと笑う。

 たぶん今──お互いに「本性」がむき出しになっているのだろう。「本性」──って、意外と物怖じしない自分に驚きながら。


「で、ね。咲山さん。本題に入るわ」

「はい?」

「数年前にH市内で起きた連続殺人事件……」


 瞬間、私は固まった。


「まあ、確かもう解決した事件ではあるけれど、あの事件の事……」


 何故?

 何故、この先輩が……?


「あなたは、たぶん……いや、間違いなく……」


 何故、知っている!?


「何か、知っているわね?」


 息を呑んだ。


 それは──私が忘れようとしていた事。

 記憶の奥底に封印しようとしていた事。

 誰も知らない、知られてもいない、

 そんな事が、何故──?


 ニヤリ、とその彫りの深い顔が笑う。

 お人形さんのような綺麗な顔立ちだけれど、何か肉食獣をも思わせる、華奢で小柄な『お嬢さま』なのに威圧感のある表情──

 イで始まる4文字といえば「イジワル」。それをフっと思い出した。


           To Be Continued


         ★


 EXTRA EPISODE 01


 何故?


 心を落ち着けて──

 冷静に。

 息を整えて。


 知っているわけがない。わかるわけがない。

 先輩の今の質問は、答えを期待しての物ではない筈。


 むしろ、ブラフとコールド・リーディング――「私の反応を見るための物」と考えるべき。

 柳に風で乗り切れる。キョトンとしていれば、そしらぬ顔でやり過ごせる。

 私の住所や出身校から判断しての「引っかけ」だろうと思う。彼女の探偵(?)としてのスタンスは、間違いなくだから。


 観察力、考察力。自信がないわけじゃない。

 私は私なりに冷静に、よくやったと思う。

 見なければいけないのは『トリック』ではなく『ロジック』。

 HowよりWhoよりWhy。

 Whydunit(動機の解明)こそ、この世の全て。

 何故なら、「ミステリー」なんて現実社会の中ではナンセンスだから。


「……あの、ホワイダニットって、ミステリーの中では後付けじゃないですか」

「ん?」


 おずおずと、私はそれを口にする。振った話を急に変えられたからか、赫田先輩には少しだけ戸惑った様子が見える。


「フーダニット(犯人捜し)、そしてハウダニット(手口探し)、この二つが先に確立しているから、ついでで後から出来たというか……そもそも、ミステリーの中では犯行の動機なんて、重要でも何でもないですけども」


 だからこそ、実際の犯罪捜査にはそれこそが一番重要にもなってくる。現実の犯罪には、駄洒落やとんちで人を殺したり、不可能状況をわざわざ作って捜査のかく乱を狙うような人はいないから。

 無動機殺人と呼ばれる物にだって、ついカッとしてやったとかムラムラきてやったとか、そういったつまんない「理由」は確実に存在する。


「動機だけとは限らないものね。何故それが起きたのか? の、広義な意味合いだから、とても曖昧な言葉かしら。ある意味、定義づけが不完全で、本格ミステリーの中では忌まれていた『社会派』的な領域じゃない?」

「私は本格とか興味ないですし……」

「私は本格の方が好きなのよ!」


 赫田先輩は、ちょっとふくれっ面をする。あまりに幼稚で可愛い反応なので、つい笑いそうになるのをグっとこらえる。

 なんてことのない一点の結果──

「インターホンで事前に訊く」っていう、とても「当たり前の状況」を隠して異常な状況を組み立てようとした赫田先輩の機転と演技力には脱帽はするけど、彼女の素養はどちらかというなら「演劇部向け」だと思う。あの足音を出したり消したりだって、もしかすると、クラシックバレエの心得があるのかも。(まあ、この辺は山岸凉子の漫画で得た知識しかないけれど)

 子供っぽくカタチから入るあたりも、やっぱり基本は「探偵ごっこ」な人なのだと思う。そうでなきゃ、あの機能性皆無の文机の小道具に、シャーロキアン憧れのソーダサイフォンとか、そもそも「行動あて」の前振りなんてやりはしない。


 おそらくは、彼女もそんな風に自分のの部分を隠して、色んなものを演じながら生きてきたのだろう。

 理由は知らない。

 そして、それは私とある意味とても近いのかも知れない。


 私は、私自身のその『性癖』を閉じ込める事で自分を保つ道を選んだから。

 状況を、断片を、全てをつなぎ合わせて組み立てる』から、尻尾を巻いて逃げ出すしかないほど恐ろしい世界に踏み込んでしまってからは。


 ……確かに、この人に対しての興味はある。

 大げさで、イジワルそうだけど、可憐で利発で愛嬌のあるこの先輩に。

 でも、別にそれはこのヘンテコな『部』への興味でもないのだ。


 さて──私は、一体どうしよう……?


 この多くの「何故?(Why)」と、

 どう折り合いを付けていこう?


 どう立ち向かって行こう?


           To Be Continued

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