聖学少女探偵舎 ~Web Novel Edition~
永河 光
第一部・咲山巴と先輩たち Misfortune that happens to girl one after another
第一話『ホワイダニット』(前編)
─PROLOGUE─
夢を見ていた。
夢じゃないかも。
夜の公園。LEDの蒼い灯火。
錆びた遊具、 遠くに路面電車の音。
うつむく、ちいさな女の子。
あれは――私。
ほほえむ、ちいさな女の子。
あれは――誰?
誰か――だって? わかってるクセに……。
紅く染まった、その手の先を。
赤く滴る、その指先を。
――まるで立場が逆じゃない? 泣きそうなのは、むしろ私の方なのに。
だって、私は……。
ごめんなさい、私、そんなつもりじゃ……。
――あなたは堂々としてて良いの。何のつもりであろうとも、事実は何も、かわらないから。
変わらない? 違うよ。一変してしまったじゃない、何もかも。
――まるで無残に、微塵に、今ここで私を叩きのめして擦り潰しているのは、あなたの方じゃない?
――私はまさに、あなたに完膚なきまでに打ちのめされて、瀕死で血まみれで、泣き出したくて仕方がないの。被害加害の観点で見るのなら、私のほうが泣かなきゃらならなくて、――いいえ、違うわね。加害者は間違いなく、私。そして正しいのは、あなた。
――あなたは、まさに正義。まるで奇跡のような女の子。だからあなたはその力を誇ると善い。こうして、こうやって、私を――討ち滅ぼすの。
……だから、それ以上は言わないで。
……あなたがそれを、認めないで。
聞きたくない。私は、もう、何も聞きたくない――!
――あなたはとても正しい女の子。あなたはとても賢い女の子。あなたはあなたの倫理と正義に照らし合わせて、然るべきことを遂行したに過ぎないから。
違う。
違う、そうじゃない。
私は慌てて逃げ出した。何もかもを放り出して。目を、耳を塞いで。知らない顔をして。
私は、ただの卑怯者で、だから――。
――だから、泣かないで。
あの子が私を抱きしめる。柔らかで、優しく。
血の匂いがした。
あの子が私の頬を撫でる。
濡れた指先で、私も血で、赤く染まる――
ガタン、路面電車の走る音。
びくん、私は体を震わせて、そして――。
んぁ――?
あ……夢?
え、何?
……夢なら、これは悪夢。うん。悪夢だ。
現実なわけがない。だって……そう、私は――逃げ出したんだから。
「おはよ」
「あ、あぁ……のどかさん、おはよう」
辛うじて、喉からその声を絞り出す。夢想と現実を切り替えるよう、大急ぎで頭から振り払う。隣に立ったクラスメイトののどかさんが、クスっと笑う。
「巴ちゃんからおはようを聞くの、今日二度目だよ?」
「あ……うん、えぇっと」
登校早々、机につっぷして居眠りをしていたなんて、ちょっとバツが悪い。まあ、毎朝早朝からの登校だもの。睡眠不足なのは仕方ないけれど……。
そう、ここは見慣れた、いつもの教室。
朝の光が斜めに差し込む、歴史を刻んだ古い教室。私には不似合いなこの学校、それでももう、半年はここに通っているんだ。
そしてのどかさんの隣に立ってた女の子が、のどかさんに続いて私に話しかける。ええっと……誰だっけ?
「あのね、咲山さん。お昼……少しお時間よろしいかしら?」
えっ、と少し面食らった。
「はぁ」
シマッタ、「はぁ」だって。
慌てて、自分の口を片手で押さえる。少し恥ずかしい。
幾らねぼけ頭で、不意打ちで隣から話しかけられたとはいえ、こんな時の返答なら、せめて「はい」か「何の御用ですか?」でしょうに。
ダメだなぁ、我ながら……。
普段これといって話をした事のない、たしか隣のクラスの(えーっと、名前……何だっけ?)子に、急に呼び止められた事も一因だけど。
我ながら、ちょっと今の返事の気の抜けっぷりに、恥ずかしくなる。
「お昼? ええと、今ここじゃ駄目な話なんですか?」
おずおずと、私も言葉を返す。今はまだ、始業前の朝。「お昼」の話をされても正直、「えっ何で?」としかいいようがない。
「私は先輩から、咲山さんへの伝言を
先輩?
帰宅部の私に、上級生が何の用だろう?
ウムムと唸っていると、それを返事とでも勘違いしたのか、ホっとした表情で別れの挨拶と共に、パタパタと彼女は自分の教室へ駆けて行った。
「あ、ちょっとちょっと! ……って、何だろ? 今の……」
「何、って。萩組の仁科さんでしょ?」
「いや、そうじゃなくて……」
いやまあ、名前も確かに知らなかったけど。
ここで担任の先生が威勢の良い挨拶と共に扉を開け、本鈴が鳴り、本日の授業が始まる。
こんな始業ギリギリに、一体何なんだろう?
小首をかしげながら、まだ早朝の寝ぼけたままの頭をさっさと切り換えて、机の上にノートを広げる。
そしてお昼までの間、結局その『仁科さん』という人の事は、私──
第一話 『ホワイダニット』(前編)
(初稿・2003.10.01)
(ノベル版改稿・2019.11.17)
何故呼び出されたのか。
誰に呼び出されたのか。
そういった、真っ先に考えなきゃいけないような事柄が、私の頭からスッパリ消え失せていたのは、さっきの子(あッもう名前忘れた!)の言葉遣い──
「お時間」だの「よろしいかしら」だの──
から、改めてこの学園が「お嬢様学校」である事に感慨深く思っていたからで、私がここ、聖ミシェール女学園に入学して、そろそろ半年近く。
いまだに私は、校内の雰囲気に慣れないままでいる。
……お時間よろしいかしら、 だって。
ないよねえ、そんな言葉を中一が、同級生からかけられる事って!
いやもう、しみじみ、とんでもない学校に通っているんだなぁ、と思い知らされる。
カツカツっと黒板を叩くチョークの音。先生の言葉も耳の右から左に受け流すように、ノートの上の手も動かしながら、窓から校内の様子をぼんやりと眺める。
由来がどうとか創立者がどんな人かまでは知らないけれど、歴史だけはたんまりあって、明治からのたたずまいの建築群は、ヨーロピアンな雰囲気の薄紫の煉瓦造りで、異国情緒を感じさせる。
庭園風の広い敷地は、ぼんやり歩いているだけでステンドグラスや石積みの尖塔が目に入り、ここってどこの国?って気分になる。
そんな荘厳&広大な中を、これといって焦りも急ぎもする事なく、走らない、はしゃがない、お嬢様然とした生徒たち。
とてもじゃないけど、私なんかじゃ場違い過ぎる。何なんだろう、この学校。
でも、今は少しずつ慣れて行くしかない。
H市内の普通めの女子校に通っている小学時代のクラスメイト数人と、夏休みにひさびさに再会し、少し話をしてみても、やっぱりここ、ミシェールが「普通」じゃない事を痛感する。
中1なんだし、化粧っ気もなしブリーチもなしの、そんな普通の女の子たちの普通の会話が、何だか妙に弾けて感じた。
甲高い声できゃいきゃいと笑い、元クラスメイトが今どうしてるとか、TVタレントやミュージシャンのゴシップとか、女の子ウケする漫画やアニメのキャラ話題とか、ネットの流行り話題とか、そんなとりとめもない事で盛り上がる。ごく当たり前の、女の子同士の会話。
そんな元クラスメイトたちの会話を耳の右から左へと流しながら、やけにそれを懐かしく感じたのは、ミシェールはハッキリいって「そんな空気」の漂う女子校ではない、って事だった。
女の子三人寄り集まったとしても、廊下でも教室でも、お馴染みの奇声に近い嬌声なんて、てんであがりもしない。
常に静かで、ゆるやかで。
さすがに何でもかんでも「お」を付けたり、上級生を「お姉さま」と呼んだりするようなバカ丁寧語は滅多に耳にしない(全くいないワケじゃない、ってのがまたおっかない話)けど、何かにつけ品行方正にして、穏やかで上品。
校則が厳しいとか、上から抑えつけられてそうしてるのでもなく、自主的にそうなっているのだから、まさにこれは「校風」という物なのだろう。
スカート丈は膝まで、髪も黒。薄化粧すらとんでもない、ケータイだって校内持込禁止でそれを全員が律儀に守っている。
記録フィルムの「昭和の映像」さながらの異世界がここ、ミシェール女学園だった。
……馴れて行けるのかな?
やって行けるのかな。ほんの少しじゃきかないほどの、刺さるような不安や違和感。同時に、馴れて行くしか、やって行くしかないっていう決意。
どう考えたって「お嬢様」じゃない私だけれど、一応は優等生だったのだから。朱に交われば何とやら、って筈。うん。大丈夫。
ひっつめ三ッ編みもバッサリ切って、眼鏡もコンタクトに。
似合わない「濡れ烏」のような黒セーラーに身を包み、ここでの私はまったく昔の私とは違う。
この先、この学校で、三年なのか六年なのか八年なのか十年なのかわからないけれど、おっかなびっくりで過ごしていこう。とりあえず、この学校はイヤじゃない。
何より、自宅からかなり離れ、知り合いもほとんどいないこの学校に通う事も、気分の切り替えには良いだろうと思えたし。
──「忘れたい」と思う事が、私にはあまりにも多過ぎたから。
このまま何事もなく、フツーに。
私はあくまで「ただの中学生の女の子」なんだもの。
確かに、ちょっとした特技はあるけど。
特技っていうか、性癖?
「才能」とか「能力」と呼ばれるモノとは違うと思う。だから、それは性癖。(あ。なんかネットとかだと、今じゃすっかりエッチな意味で使われてる言葉だけど、これは本来の意味でのソレだから! 「性」って字が入ってるのが原因なんだろうなぁ、やっぱり)
なるべくならそれは心の奥底にしまい込んで、二度と表には出したくない。……余計な事にはもう、首を突っ込まない。
二度とあんな気味の悪い事件には、関わりたくもない。
――そんな私の考えは、その数時間後に打ち破られる事になるのだけれど。
「ねね、トモエちゃん。一緒にお弁当食べよ?」
後ろの席の卯上のどかさんが、人なつっこい笑顔で包みを広げる。ゆったりのんびりした口調の、ポニーテールの似合う可愛い子で、何かにつけ私にかまってくれる彼女の存在に、私はかなり救われている気がする。
適当な雑談をしながら弁当箱の蓋を開け、当番の吉田さんが運んで来た牛乳を片手に、じゃこ飯を何口か箸で運ぶ。
白米に牛乳って組み合わせも、小学校の「ごはん給食」ですっかり慣れてしまった。
寄宿舎の生徒は食堂か、給食センターの仕出し弁当(これは部活の子が主)、通学組は大抵ふつうに持参したお弁当か購買部のパンで、クラスで弁当なのは私を含めて八人前後。何を話していいのかわからない相手と仲良くなるのに、安易ながらもこの昼食時間は役に立った。
のどかさんもわりと無茶な知識で頓珍漢な話をする子だけど、私はうっかりボンヤリすると、わりと屁理屈癖と無駄な博覧強記癖が出てしまうのはちょっとだけ自覚してる。まあ、破れ鍋に綴蓋的に私と無駄話が上手く噛み合うのも、のどかさんのありがたい所だけど。
窓から見える銀杏並木はほんのりと黄色くなっている。ケヤキや紅葉はゆっくりと赤く。寒くもなく暑くもない、ちょうど良いシーズン。
とりとめもなく箸をつけたり喋ったりしている所で、のどかさんがアレッ? って顔をした。
「トモエちゃん、そういえば呼び出されてなかった?」
「ん、誰に? あッ!」
素っ頓狂な声を上げて、ガタっと私は椅子から立ち上がった。
同時に、のどかさんの箸を持つ手が扉を指す。仁科さん(名前思い出した)が「ゴメンすっかり忘れてた!」って顔で、バツが悪そうにそこに立っていた。
まあ、忘れていたのはお互い様なんだけど――。
***
せせらぎの微かな音が聞こえる。
学校施設にしては風光明媚過ぎの、庭園風の植込みと芝を縦断した小道をトボトボ歩く。
小高い丘になった校舎側からは瀬戸内の海も一望出来て、やっぱりここは「異世界」なんだな……などと、ぼんやりと思う。
私のいままで生きてきた日常とは隔絶した世界。いままで見てきた景色とは違う景色。今まで触れてきた人とは違う人たち。……うん、だからこそ、望んで私はここに来たんだ。
一年校舎からクラブハウスまで徒歩でおよそ十分強。往復で二十分以上はかかる。
食べてからゆっくり行ってちゃ相手にも悪いし、戻りの時間を考えてもあまり悠長にしていられない。この学校の敷地は、ちょっと洒落にならないくらい広いのだから。
なんでここの皆さん、走らないのだろうか。
お弁当を半分ばかり残して牛乳をイッキ飲みし、洗面所で口をゆすぎ手を洗い、仁科さんに教えられた道順を、不作法に見えない程度のやや早歩きで進む。
スピーカーから音量を絞って流れてくるアイネ・クライネ・ナハトムジークのロマンツェ。
校庭からは、食事を後回しにした部活の生徒たちの、ボールか何かを弾く音。ごくごく静かな話し声、笑い声。
キャッキャとカン高い声ではしゃぐ女の子たちの嬌声が、まったく聞こえないお昼休みには、いまだに感心してしまう。みんなクスクスとかウフフなんだもんなぁ。
つまり、私はいまだにこの学校に慣れていないのだろう。
そういえば、ほうぼうを探検した事もないし、校内の事に関しては、まるっきり何も知らないままでいる。
自分のクラスと、合同授業のある隣のクラスの人くらいしか私は知らないし、これがまたドがつく程にまじめな子ばかりなので、校内のうわさ話もほとんどした記憶がない。
いや、ドまじめなのは私なのかも。
自分でも、固いってわかってる。
この学校には、小学校から一緒だった人も一人もいないし、のどかさんのように屈託のない子から話しかけてくれなかったら、きっと私はこの半年、一人で壁に向かって黙々お弁当を食べていたかもしれないんだ。
人間、そう簡単には変われないよね……。
つくづく、そう思う。
さて、どうしよう。
「行けば一目でわかるから」とは聞いたけど、そもそも上級生が私に何の用なのだろう?
まったく何の心当たりもない。
長距離通学ゆえに帰宅部で、先輩とのタテの繋がりなんて一切ないし、接点すらないじゃない?
目をつけられて何か因縁をふっかけられる……なんてありそうにないし、目をかけられて入部に誘われる事もなさそう。
だいたいチビで運動神経絶無、目を引くほど可愛いルックスでもなし、取り柄といえば「勉強ができる」という面白くも何ともない事柄くらいで、それすら優等生ぞろいのこの学校に入ってからは、一山いくらの没個性な物になってしまった。
ようするに、間違っても少女漫画の主人公にはなれないタイプが私なのだ。
仁科さんがいうには、私を呼び出した上級生は「かなり変わった人」だそうで、授業が終われば昼はいつも部室で昼食をとっているらしい。三年校舎からクラブハウスまでは徒歩三分ほどだから、もうとっくにそこに居るのだろう。
行き道、図書館の前を通り過ぎる。一年校舎からクラブハウスまでの一本道の、丁度真ん中ほどの位置に図書館はある。
校門の反対側なので「よし、図書館に行くか」と奮起しない限り、ついでで寄る機会がないけれど、この学校の建物では、自分のクラスの他だと、講堂や体育館、職員室を除けば、ここくらいしか自分の意志で来た事がない。
蔵書量も多く小綺麗で、近所の市立図書館よりも品揃えが良さそうで、読書くらいしか趣味のない私にとっては、心惹かれる数少ない校内施設かもしれない。
ここまで出たなら何か本でも借りていこうか?
……いや、相手を待たせている事だし。帰りがけでも良いか。
時計をチラリと見ると十二時十五分ほど。用件をさっさと終わらせれば、本を見てまわる時間も充分ある。何の用かはわからないけれど、その先輩との話が十分そこらで終われば良いんだけれど……。
「ここかな……?」
図書館から少し歩いた先。見上げると、蔦にまみれた真緑の洋館がポツンと建っている。
文化系の部室をいくつも詰め込んだ四角いクラブハウス棟は、普通の校舎の棟の半分ほどの長さの三階建てで、まあそこそこ新しめの近代的な建物。帰宅部の私は足を踏み入れた事もない。
そこからちょっと離れて建つ、庵のようなその洋館は、二階建てで二部屋くらいの効率の悪い土地の使い方をしている。
まんべんなく蔦にまみれているようでいて、実際には南向きだけが深緑色で、北側はまばらになっている。入り口のアーチ門は西側についていた。
「……趣味的だなぁ」
はぁっと、ため息が漏れちゃいそう。
学校施設の一部だとはちょっと思えない。魔女が中で、鍋でもかき回していそう。
文芸部の別館……とは聞いてきたけど、当然、ここに足を踏み入れるのも初めて。中に進むには少し勇気がいる。
開放されたままの門をくぐり、暗い廊下をギシギシと進む。ドアは二つ。外から見て、南向きの窓に蔦がからまった部屋が手前、北側の陽の入らない部屋が奥なのはわかる。
『探偵舎』
―St:Michael―
L'ecole de filles
*Puzzler's CLUB*
なんだろ、コレ。
仏語の校名に英語の……部活表札かなぁ?
妙に年季の入った彫金のネームプレートが貼ってある扉に近づく。
コンコン。
「失礼します。一年藤組、咲山巴です」
「開いているわ。どうぞお入りになって」
うっへぇ。「お入りになって」だって?
ソレ、この人の日常語?
仁科さんにしてもそうだけど、実際そんな丁寧語で喋る「お嬢様」なんてそんなにはいないのに。
まあ、そんなにはいなくても、いるにはいるのだ。全くいないワケじゃない、ってのがまたおっかない話。
ガチャリを音をたてて扉を開き、一歩中へ。
「ようこそ、ミシェール学園探偵舎へ。来ないかと思ってハラハラしたわ」
凛とした声が響く。
逆光の中、唐草模様を鉛線で貼付けたヌーヴォー調の飾り窓の正面に、ベールを羽織ったシスターを思わせる人影が立っていた。
「そこ、四角いボタンを押してね」
後ろ手で扉を閉め、いわれるままにドアを手で探る。内側のドアノブの近くに真鍮製の年季の入った箱があり、四角いボタンが脇に見える。いわれるままにパチンと押す。──錠か。
座って、とばかりに手を差し伸べられ、正面の机の前にポツンと置かれた椅子に腰かける。
おずおずと周囲を見渡す。部屋の中は何から何までアンティークな装飾と小物に溢れていて、左右正面背後と壁一面の書架にはハードカバーの本の背ばかり。
どう見たってどう考えたって、現実感のない異空間。ここは……魔女の庵?
つい、そんなファンタジックな妄想が脳裏をよぎって、自分にちょっと恥ずかしくなる。
……ともかく、何か色々圧倒される。思いっきり緊張する。雰囲気に呑まれてしまう。
「眩しいでしょ、カーテンを閉めるわね」
シャっと音を立て、緑色の厚手の布が窓を覆う。黒いシルエットでしかなかった正面の人物が、やはり黒い塊である事が認識できた。
私と同じく「
今どき珍しい膝まで隠れたスカートの、黒セーラーに黒のハイソックス。
襟に入った細い三本のラインは、小豆色に近い赤。
魔女のローブのような黒衣の上に、ベールの様に見えたのは、赤みがかったソバージュの長い髪。おそらくは天パーなのだろう。校則から考えてもパーマをあてているとも脱色しているとも思えない。彫りの深い顔、鳶色の瞳から見て、ハーフなのかも知れない。
一瞬、最初の映画の頃のハーマイオニーを連想したけれど、彼女の顔は確かに整った美人ではあるけれど、十時十分を示すようなハッキリとした眉毛の表情は、もうちょっとトゲトゲしい印象を受けた。「カワイイ」というより「綺麗」。私とは造りが違う人種だ。
カーテンを閉めるために立ち上がったついでか、彼女は私の近くまでツカツカっと歩み寄る。
意外と背は低い。私と大差ないか、ちょっと高いくらい──ただ、小顔で脚が長いせいで見た目よりも長身に見える。……なかなかにコンプレックスを刺激してくださる先輩様だ。正直、隣には並びたくない。
「失礼、自己紹介がまだだったわね、私は
人形のような顔がニコリと笑い、息がかかりそうなほど私の顔に近づく。ドキドキした。
「はぁ」
ちさと、といわれてもピンと来ない。彼女はどっちかっていうと、イメージ的にはイライザとかイザベルとか、「イで始まる4文字」な感じの顔立ちだった。
「そう堅くならなくっていいわよ。その前に、ここが何処かを説明した方が良いかしら?」
「は――」
慌ててまた、口をおさえる。……まただ。自分でもイヤになる。「はぁ」だって。
でも、他にどう返答すれば良いのかまるでわからない。赫田先輩のよどみなく喋る言葉の切り方は、あきらかに「ここで合いの手でもどうぞ」といったタイミングでこちらに振っているけれど、事情も呑めないのに返事のしようも、まして質問すらも口に出せない。
そもそもガチガチに緊張して体も脳も動かない。
「何故? どうして? って。アナタそんな顔してるもの」
「ええっと……」
ダメだ。うまく質問がまとまらない。
ワカラナイっていうならもう、何もかもがわからない。ここは何処でアナタは何者で何故にどうして何を。
足音もなく元の位置まで戻り、どっしりとした机の向こう側に彼女は腰掛ける。足音を出したり引っ込めたり調整できるのだろうか?
「ここの『部活』はわりと古くから続いていて、元は戦後すぐだったかしら? 文芸部内で『探偵小説同好会』ってサークルが設立されて、それが元になってるのね」
ああ、うん……「探偵小説」というのは、今でいう「推理小説」とか「ミステリー」の古い呼び方だって事は、私も知っている。
昔の推理モノって、颯爽と名探偵が事件を解決するような内容で、いわゆる子供向けのジュブナイルや漫画の中にしか活躍の場がなくなって行ったのがその「名探偵」なんだけど。
とはいっても、そういった物への回顧と懐古で原点回帰的に名探偵が出てくる小説だって、まあ、ある時期からは大量に――新本格だか新々本格だかがブームになって以来、あるにはあるけれど、ジャンル小説というのは固定客向けのキワモノなわけで、お約束を楽しんで下さいって感じで読者作者も承前の了解で共犯的に『名探偵』の存在をパロディ的に受け入れて読むような物だと認識している。
今となっては、現実的には「探偵」といえば浮気調査とか身辺調査とか、単純に「興信所」って印象しかない言葉だと思う。
「聖ミシェール女学園文芸部別館探偵小説同好会舎、長いでしょ? これが略して今では探偵舎って呼ばれているの」
「えーと。それ、今だと『推理小説同好会』か『ミステリー研』にならないんですか?」
「ならない理由もあるの。そう! アナタ良い所に気がつくのね」
「はぁ」と返事しそうになったのをさすがに喉の奥に飲み込む。これ以上そんな受け答えしてたんじゃ、本気でダメな子だと思われちゃう。
「ここはね、推理小説の読書感想を述べたり、好きなミステリー作家の作風を研究したり、そういった部活とは違いますのよ。ソレって結局は文芸部の領域じゃないかしら?」
「じゃあ、一体……」
「だから、推理。主な部活は推理をするコト。だって『探偵』は推理をするモノでしょう?」
「……えーと」
ゴッコ?
意外と子供じみた相手なのかも知れない。
「推理っていってもそう大層なモノでもないわ。この世は『結果』しかないの。目に耳に肌に触れる物全ては――何らかの起因と経過を経ての『結果』よね? その過程を『推察』し、『理』に沿って整合性をつける事。それが即ち――『推理』。例えば――」
ギシっと音を立てて彼女は椅子から腰を浮かせる。
机の上にはアンティークな小物、ピロードの敷物の上には革製マット。ブックスタンドにはクロス装丁の洋書や辞書、インク壷と羽ペン(こんなの初めて見た)、スタンプ、封蝋、金色のベル、籐カゴ。ちょっと目を引くのは銀色のタンブラー状の瓶。
現実離れを演出するには過ぎる程に『らしい』物が揃っている。白いプラ製のインターホンとプレーンヨーグルトのパックだけが現実臭い。
白魚のような指がヨーグルトの空容器をさす。
「私の昼食はコレだけど──」
ヨーグルトのパックを手に、彼女はつかつかと部屋の隅へ移動する。【不燃ゴミ】と書かれたブリキだかトタンだかの、部屋に馴染んだデザインのゴミ箱を開けてそこにポンと放り込む。
「あなたは、そうね──今は十二時二十分。一年校舎からここ迄なら小走りで七~八分、普通で十分とちょっと、ってトコね。食事時間にしては短かすぎるし、授業後即にしてはかかり過ぎる。お弁当は……半分ほど食べた所で呼び出された事を『思い出した』のね」
赫田先輩は片手の指二本で額をトンと小突くポーズを取る。
喋り方も仕草も、まるで演劇部向けの人材だ。
「……隣の教室の仁科さんにここの場所を聞きに行くか、仁科さんが伝えに来るかどっちか。いずれにせよ、あの
「えッ」
思わず口を押さえる。
「牛乳ヒゲはできてないわよ」
クスクスと彼女は笑った。
「ウフフ、今度は『はぁ』じゃなかったわね。今の『えッ』は良くってよ?」
赫田先輩のクスクス笑いは、ニヤニヤ笑いへと変化する。自分の考えを見透かされたようで、赤面した。
……っと、ちょっと待って。なんでそんな事まで?
牛乳ヒゲはともかく、どこかに牛乳しみでも出来ていたのかも?
手鏡を取り出そうと思ったけど、でもさすがに間抜け過ぎるので思いとどまった。
そもそも、食後に洗面所へ寄った時にチェックしてる筈。
手首の時計は確かに二十分を示している。
先ほど赫田先輩がチラリと見た壁の時計(これまたアンティークな振り子時計)も同じ時間を指している。
正午ちょっと過ぎに昼休憩に入り、ここ迄十分ちょっと。私が教室にいた時間は寄り道を考えなければ六~八分。長いようで短い時間だ。
「そして図書館で本を借りようかどうしようかちょっと迷って、でも人を待たせてるから後回しにしてここ迄来たのね。待たせてるって自覚してても、別に急いでもいない。気が進まないしワケがわからない。首を捻りながらここに足を踏み入れた、と」
「ど……」
どうして? ……と、いいかけて言葉を呑んだ。
なるほど、それが彼女のいう『推理』、か。
じっと視線が刺さるように私をとらえる。
──さぁ、何故わかったと思う?
無言で、そう挑戦的に目が訴えていた。
私は──奥底にしまい込んでいた《性癖》が、むくむくと膨れ上がって来るのを、慌てて抑えつけた。
……この先輩は、私の事を……「知っている」の!?
後編につづく
─────────────────────────────
CAFE BREAK
本作品は、2003年の晩秋頃に、ケイブ社『探偵プレイ』内コンテンツとして連載された物に、若干の加筆・修正を加えた物です。
……もう少し正確に述べると、それをまた2010年頃に一度、ある種の「単行本化」のような物として、九話ごとを一まとめに、『吉里吉里』のシステムを利用した同人ソフトのノベルゲーム形式でリリースした際、大幅な加筆・修正を加えたものを、また今回小説形式で読むために、ノベルゲームならではの過剰演出的な追加要素の削除、ノベルゲームである故の舌足らずな箇所に加筆(たとえば、キャラ画像を出せるノベルゲームでは複数人の話者で会話をするシーンでも、都度、話者のグラフィックにハイライトすれば、セリフを連続で並べても成立しますし、むしろ会話の接穂の描写が余計に感じてしまいます。しかしテキストオンリーの媒体では、誰が何を喋っているかわからなくなるのでNGとなります)、等など、そんな感じで切ったり貼ったり盛ったり削ったりな感じの物がこちらとなります。
ちなみに、連載時はこの「前編」掲載から時間を置いて、「後編」がリリースする形式でしたが、今回はそのまま前後編ともまとめ、話数単位で公開する形にしてあります。
とはいえ、よろしければ
まあ読み方は人それぞれ、
それでは、後編をどうぞ!
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