無辜の予言者・下

 女子高生とは、もとい女とはどうにも不思議な生き物だ。私自身がそもそも女子高生それだが、やはり不思議と思わざるを得ない。

 これは男性でも時にいるとは思うが、例えば、好きな人がいたとして、その人に素直に好意を伝えられない。どうしても勇気が出せずに、相手が先に好意を伝えに来るのを待ってしまう。私はそれを待っているうちに、勇気ある少女に奪われてしまった。彼女は私と違って顔も広ければ元気もあり、何よりも可愛らしい。私には無いものばかり、彼女は持っているのだ。

 だがそれでも、彼が幸せなら……私は諦められると思っている。私は野に咲く綺麗な花を摘み取らずに眺めて愛でるタイプの女なのだから。


 そう思っていたのに、運命の悪戯を信じなかった私にも等しく、状況はがらっと変容するものらしい。


 事は数日前、やけにパトカーのサイレンが騒がしい夜の事だった。

 その夜は眠るのには少々喧しく、中々寝付けずにいた。布団の中でうだうだと寝返りを打ち、時に這い出て本を読み、また戻って寝返りを打つ……。無音状態でないと眠れない黎夢にとって、今夜の喧騒は非常に辛いものだった。黎夢は結局その日眠る事は無く、脳裏に先のサイレンを思い出しながら、自分でも薄気味悪いと感じてしまう程の量、本を読み漁ってしまった。




 次の日、『いつもなら起きて来る時間のはず』と心配した繁礼が黎夢の部屋のドアをノックし、全く起きている気配を感じない為部屋に入って来た。

 ……彼の目に飛び込んで来た彼女の顔は、筆舌に尽くせぬほど酷いものだった。繁礼も昨晩のサイレンは煩く感じていたが、孫娘がよもやこの日曜の夜を完徹し、月曜の朝を迎えていようとは。これまで徹夜などした事の無かった彼女が、否そんな彼女だからこそ、目の下には深く暗くクマがたたえられ、瞳は睡眠不足による脳神経の鈍化で恍惚こうこつとし、長い髪の毛はうねうねと絡まり、これが果たして、普段から身だしなみに気を付けている、シャイな優等生に見えようか。少なくとも繁礼の目には、今の黎夢が薬物中毒者の姿に映った。


「祖父ちゃん、おはよ」

「黎夢、お前寝てないのか……!?学校今日は休みなさい。昨日の分までしっかり眠るんだぞ」

「私ならだいじょ────?」


 大丈夫、と言って立ち上がろうとしたのだが……この時の黎夢の平衡感覚は、睡眠不足で著しく狂っていた。立ち上がろうと着いた足を、読み終えた厚い本に半分ばかり半分乗せてしまい、────そのまま脳が処理も出来ていない中、黎夢は横にあった『9』の本棚にもたれるようにして転倒した。高身長故に転倒時のダメージは計り知れないものがある為、繁礼は全身が強張りながらも黎夢の安否を、彼女の肩を揺すって確認した。


「大丈夫か!?」

「大丈夫じゃ無さそう……」


 結局その日、私は学校を休んだ。……今になって思うと、私には最早この辺りから、何処からが現実で何処からが夢なのか分からない。その次の日学校に行くと御剣君と火々谷さんは学校に来なかった(先生は理由すら教えてくれなかった)。周りでは付き合っているのではとの噂も立ってはいたが、最終的に『それは有り得ない』と一蹴されていた。クラスのヒロインたる火々谷さんが、クラスの中でも特に地味と言われ馬鹿にされている(いじめと表現してもおかしくは無いが、第三者の私がそれを言うのは変かなと思ったのでこの程度に留めておく)御剣君と交際関係にあるなど、火々谷さんの事をやましい目で見ている男子にも彼女に憧憬の念を抱く女子にも、状況証拠は揃えど受け容れ難いものだったのである。暗黙の了解の様な形で形成されたクラスカーストの上では、どうしても美少女とフツメンは結ばれないらしい。……私には、クラスカーストは人を見る時の物差しとして使えるものでは無いと思うのだが。


 ────話が大いに逸れてしまったが、とどのつまり私は御剣君の事が一人の顔見知りとして、はたまた一異性として好きで、彼のいないクラスほど息の詰まる物も無いのだった。御剣君のいないクラスは厭になるほど鬱陶しい馬鹿の群れで────ここで言う馬鹿とは授業や勉強の出来云々では無く、浮ついた気を持たずに一心に、何か身になるものを極めようとする姿勢の無い奴らの事である────、少なくともその意味での馬鹿では無い私は、このクラスに蔓延はびこった馬鹿らを、白々しくのうのうと、日々を只その日分の享楽を貪っているだけの猿たちを、内心見下しながら、それをおくびにも出さず生きていた。

 詰まるところ、私の心根は優等生でも無ければ善良でも何でも無かった。この心の闇が、病みこそが、私の現実を食い荒らした張本人なのやも知れない。




 ……ここまで考えて、私の心はすっかり折れてしまった。原因が分かれば夢であるはずのここから逃げられるとばかり思っていたからだ。或いは、心の病みは原因では無いのかも知れない。こればかりは私にも分からないから、最早どうしようも無いのだ。


 かといって相談する様な相手は私にはいない。御剣君とは顔見知りだが電話番号を知らないし、火々谷さんだってそうだ。そもそも夢の中なら本人に電話が通じるはずも無く、私側から出来る事は最早何も無かった。


 部屋で独りうずくまり、私は考える事を止めた。考えたところで、私に出来る事は何も無いのだから。途端に微睡みに似た感覚が全身を包んでいく。嗚呼、なんて心地好く残酷な快楽なんだろう。これほどまでに無防備に無気力に、人を誘う魔性があろうか。

 堕ちていく。どこまでも堕ちていく。

 私は独りぼっちの夢の中を、どこまで堕ちていく。

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