独白:凪下陽弥/勝負の行方

 僕────凪下陽弥は期待されて産まれた七人姉弟の末子だった。家庭唯一の男だったから、両親や姉達に甘やかされながらも良質な教育を施された。全国模試でも一位を取り続け、親族全員の期待するままに、僕はそれに応え続ける……それが唯一無二の、僕にとっての幸福だった。

 僕の親は妖怪を嫌っていた。反対デモには積極的に参加し、時には主催する事だってあった。僕もその影響から妖怪が嫌いだった。そこに根拠なんて無い。嫌なものは嫌だったからね。

 同じ頃、僕は善悪で全てを判断する世界に疑問を持ち始めた。善人が悪事を働かない確証も、悪人が正義に背く証拠だって無い。

 そんなものは所詮、集団が造り上げたまやかしなんだよ。個人にそれぞれ正義がある。価値観が合わない者を罪人とする事こそ、悪事なのでは無いか?僕はその考えから、善き人では無く正しい人として生きようと思った。その結果嫌われようが、敵に思われようが関係ない。僕は僕の信ずる道の為に生きると、そう決めたんだからね。

 そんな僕は……この高校に進学して、これまでの価値観が揺らぐのを体験した。初めてだったよ……妖が嫌いなはずの僕が、なんてね……。


 そうさ。僕は火々谷さんの事が恋愛的な意味で好きなのさ。よもやそうは思わなかったろう。君が彼女と付き合っていると知った時は、それはもう心底悔しくて堪らなかった。顔に出ない様にするのが大変だった……君の事がのはその辺りからだ。如何にして君から火々谷さんを引き離し、その好意を僕に向けさせるか……そればかり考えて夜もまともに眠れなかった。自他ともに認める秀才の僕が、クラスで浮かない存在で凡人の君に負けるなど、僕の自尊心と価値観が赦さなかったから。


 だから誘拐した。僕の信条に照らし合わせても正しい事では無いのに……僕は、恋という不可思議で不確定な感情に負けた。だから、もう負ける訳にはいかない。恋敵である君ならば尚更の事だ。僕は火々谷さんの為に、この勝負に勝つぞ。君も心持ちは同じなんだろう?ならばもうひと勝負だ。ここで退いては君も僕も彼女に顔向けが出来ない。

 逃げられないのなら、最早その拘束も要らないだろう。紐の代わりに心理的な壁が、君の退路をすっかり塞いでしまったのだから。




 凪下君は思いの丈を吐き出したからか、先程よりも顔がすっきりした様である。僕もすっかり、彼の気迫で目が覚めた。彼は言った通り僕の拘束を解き、机の上にチェスを用意した。最終対決が模擬戦争チェスとは、白黒付ける局面に於いて非常に趣を感じた。


「じゃあやろうか。……僕と凪下君、どちらが火々谷さんの心を射止めるのか」

「無論────」


 凪下君が言いかけて、窓の方を見る。


「……御剣君。君は僕とは違って愚鈍で、浅学で、計画性に欠ける所がある。だがね、恐らく君はそのままで良いのだ。僕は君が羨ましい。火々谷さんのこれまでとこれからを、君は見届ける事が出来るのだから」

「突然どうしたって言うんだ」

「外を見てみなよ。僕の結末が見える」


 僕は促される様に、窓の方へ歩み寄る。

 赤い光が幾つも明滅するのが見えて、思わず窓の下に体を引っ込めてしまう。


「何で警察が────!?」

「やはり通報したのは君では無かったか。信じていたが……そうか」


 何故か安堵の息を漏らす凪下君。僕は最早理解が追い付かず混乱してしまう。


「何で……?」

「君が怯える事は無い。彼らは僕を、この凪下を牢獄へぶち込む為に来たのだから」

「だから何で……何でだよ」

「何が分からない?」

「もう何も分かんないんだよ……!警察が来た経緯も、君がこんな事した理由も、僕が彼女に相応しいのかどうかも……もう全部、僕には分からなくなっちゃった」


 僕は気付けばボロボロ涙を流していた。今思い返せば情緒不安定だが、文字通り何も分かっていなかった。何故泣いているのかも、僕には分からなかったのだ。


「……こんな結末は嫌だったな。本当なら、僕は君も打ち負かして火々谷さんに告白するつもりだった。丑三つ時、本来妖が最も活気づく時間に。

 だが報いは訪れた。社会に盾つき、人間社会という名のゲームに於いてルール違反した僕を、こぞって咎める為に。

 僕は道を踏み外した。僕の信じた道が、多数派にとって不都合なものだったから。だがどうか、こんな出来損ないの謀反者ブルータスで良いのなら……僕の、凪下陽弥の事を忘れないでいてくれ」


 凪下君はそう言うと、窓から身を乗り出した。


「さらばだ名弁士。最後に君と話せて良かった」

「なっ────凪下君ッッ!!?」




 彼は三階から飛び降りた。酷く大きな音が鳴り、僕は背中に悪寒が走った。だが火々谷さんの事を思い出し、自分の精神が壊れそうになるのを構わず、彼女に仕掛けられた仕掛けと拘束を解いた。そこで僕は気付いてしまった。

 ……そのシャワーヘッドが精巧に出来た偽物で、水など最初から出なかった事に。

 彼ははなから、火々谷さんを傷付けるつもりなど無かったのである。


「……凪下君……火々谷さんの事が心の底から好きだったんだな。この拘束だって、火々谷さんの肌に跡が付かない様に上手く掛けられている」

「……私、どうすれば良かったのかな」


 僕は黙って、気まずそうにしている彼女を抱き締めた。彼女は静かに泣き出し、僕の胸元を涙でグチャグチャに濡らした。




 僕らはその後、教室に突入して来た警察官らによって保護され、しばらく事情聴取などを受ける事になった。その間僕の心の隅には、凪下君の言った言葉が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。


「……御剣君、君は心に深い傷を負っている。『一人にしたら危険』という診断が出たから、しばらく監察官をつける事になった。民間に委託しているんだが……大丈夫かな」


昏先くらま』というネームプレートを付けた黒髪の刑事が、僕に対し柔らかな物腰で語り掛ける。何でもこの人────人と呼ぶのが正しいか否かはさておき────烏天狗らしい。耳がエルフか何かの様に横長にとんがっている。くちばしでは無く普通に人の口だが、話していて意識する様な事が無いほど人間社会に馴染んでいる印象だった。


「ええ……僕は大丈夫です。火々谷さんは……?」

「火々谷さん……ああ、あの火鼠の子か。彼女なら大丈夫、と言いたい所だが……実はここだけの話、ちょいと面倒な事になった。秘匿事項なんだが……君は関係者だしね」

「火々谷さんに何かあったんですか!?」

「しーっ!誰かに聞かれるとマズイ。……火鼠が妖怪だっていうのはもう知ってる通りだ。これは本当は君の様な一般人には教えちゃダメなんだが、彼女の髪の毛は皮膚は相当の価値があって、裏社会では大金が動く程高価な代物なんだぜ。つい先日も、火鼠の髪の毛で編まれた加工品を取り扱う違法商店を取り締まった所だ」


 目眩がする話だった。昏先さん曰く、火鼠の髪の毛で造られた防火服は高級かつ法に抵触しかねないものであり、世界中の国家という国家が大金を積んで(勿論提供者の同意の上で)髪の毛を掻き集め、ようやく一着作れるものらしい。


「で……だ。彼女の身柄が悪用されるのでは無いか、という不安が警察内部に漂っている。君がこれから交際する火鼠という種族が、火々谷 美緒という少女が、そういう陰謀に巻き込まれかねない存在だと良く肝に銘じておいてくれ。場合によっては……警察ですら干渉出来ない存在とも、渡り合って貰わなきゃならない。最大限サポートはするつもりだが……何せ俺もだからな」

「ありがとうございます……でも、何でそこまで……?」

「まぁ何、……反省と自戒って奴かな」


 昏先さんは黒いセダンを繰り、僕を【幽谷荘】の近くの駐車場まで送り届けてくれた。


「それじゃ……また今度。後は監察官が引き継いでやってくれるから」

「お世話になりました」


 僕はこうして、火々谷さんにまつわる事件に関わり、取り敢えずその終結を見届けた。

 これから僕の生活はどうなってしまうのだろう……掻き消せぬ不安はあるが、火々谷さんの彼氏として、出来るだけの事はやろうと思う。


(子ノ章・完)

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