【幽谷荘】には13の部屋がある⑦
「……御剣君……?」
「火々谷さん……今助ける」
生徒会室には、拘束された状態で火々谷さんが幽閉されていた。だが何故犯人はこの場にいないのか。流石に不用意では無いか?
「待って!……今解いちゃ……ダメなの」
そう言って彼女は目と眉毛だけを動かして合図する。僕がそちらを見てみると、彼女を拘束している紐の先には見えないほど細い糸が、そしてその糸の先には水道に取り付けられたシャワーヘッドがあった。無理に紐を解こうものならシャワーヘッドのスイッチが入り、大量の水が火々谷さんにかかるという寸法か────。
兼ねてより記して来たが、火々谷さんは火鼠である。火に耐性がある代わりに、その特性上『水に濡れる事』で命に危険が及ぶ。弱点たる水が持続的にかけられ続けば……悲惨な結末になる事は想像に難くない。
「分かった。取り敢えず、あのシャワーヘッドを外せば────」
その途端、僕のこめかみに硬い何かが当てられた。本能的に危機を感じて、僕はシャワーヘッドへ伸ばしかけた手を引っ込める。
「賢明な判断だ、御剣穿刀」
「……嘘だろ。嘘だって言ってくれ」
僕はその声を聞いて涙が出てきた。ソイツが犯人だとは、僕は思ってもみなかったからだ。『裏切り者が凱旋を待っている』────僕は暗号の真意を、ようやく理解出来た。理解してしまった。
「……嘘は吐かない。その事は、君が良く知っているだろうに……なあ、名弁士?」
僕のこめかみには銃が突き付けられ、『裏切り者』────
「さて」
僕も手足の自由が効かない様に拘束された。抵抗すれば火々谷さんの命は水なんぞで失われて仕舞うのだ。更に銃を突き付けられた状態では、凪下に従うしか無かった。火々谷さんは無理に紐を解けば水が掛けられる仕組みだったが、僕の方は机の上に設置されたアルコールランプに繋がっていた。無理に解くとアルコールランプに火が灯され、その上にあるフラスコの中身が化学反応を起こす様である。何でこんな大層な仕掛けを作れるんだ凪下。
「この凪下、正しい事と蘊蓄をこよなく愛している訳だが……頭脳戦的な遊びも大好きでね。ここで一つ、凪下とゲームをして貰おうかと思っているんだ。結果如何では────今回誘拐した火々谷さんを、見逃して解放する事も厭わない。どうだ、やるかい?」
「そんな好条件ならやらない手は無いな。こちとら拘束されてるんだ、どの道力づくの手段なんざありゃしない」
「火々谷さんも同意と見て良いのだね?」
火々谷さんは頷く。凪下は僕達が提案に乗った事が実に嬉しい様で、嫌になるほど上機嫌で何かを準備していた。
「実はこの時の為に、状況別に色々持ってきたのだ。残念ながら、先程は凪下の予想とは違って、御剣君はすぐさま火々谷さんに仕込まれた仕掛けの解除をしようとしたから予定が狂いかけたが……」
彼は厳選して来たであろう玩具の数々を見て逡巡した。遊戯の相手が拘束されていて手足が使えないからである。
「……抜かったな。もう少し君が救出方法を熟慮し、凪下に見つからん様にここまで侵入出来ていたなら、無限に等しく遊べたと言うのに……。
まぁ良い。君は遊びに来たのでは無いのだからな。
御剣君……君は『しりとり』はやるかい?」
どうやら凪下は勝負の決着を『しりとり』で付けるつもりらしい。僕は記憶を
「……覚えてる限りでは、ほとんどやった事無いな。勿論ルールは解るけれど」
「ルールが分かるならそれで十分だ。それさえ解決したならば、後に残るのは語彙力の問題なのだから。
……名弁士の語彙力、見せて貰うよ」
僕には凪下君の表情が何処か、このゲームをやる事に抵抗がある様に見えた気がした。しかし彼は気の迷いを振り払うが如く『しりとり』と開始の言葉を宣言したのだった。
「栗鼠」
「水泳」
「鉛筆」
「爪切り」
「リブロース」
「スリッパ」
「パーマ」
「枕」
「ラー油」
「……まずまずやるじゃ無いか御剣君。初手で『リンゴ』だと予測していたから少々焦ったよ。……『ユリ根』」
「途中で突然話すんじゃない。混乱するだろ……『ネジ』」
「ジレンマ」
「マイク」
「倉」
「ランドセル」
「ルーペ」
「ペリドット」
「ト書き」
「切り身」
「ミミクリー」
ここまで来て漸く伸ばしで終わった。僕は凪下に問いかける。
「……『い』?それとも『り』?」
「君が決めて構わない」
「随分な配慮だな……さては凪下君、僕の脳みそを舐めてるんじゃないか?」
「この際、舐めてようが舐めてまいが君の関知する事では無い。勝っても負けても、君は人生に於いて大切なものを一つずつ失う事になるのだからね」
「……なるほど、
「この凪下もそれは変わらんよ。君が勝てば火々谷さんを誘拐した意味が潰えるし、こちらが勝てば御剣君という友人を失う」
この期に及んで、僕の事を『友人』と呼ぶ凪下君。人の彼女を誘拐しておいてどの面で言っているのだか。
「……糸」
「『い』にしたのか。結構。……扉」
「ライラック」
「九条ネギ」
「銀蝿」
「江戸幕府」
「フラスコ」
「コールタール」
「ルビ」
「ビール」
「塁球」
「海牛」
「視野」
「夜光虫」
……このままでは終わらない気がする。僕がそう思い始め時計を見ると、既に午前一時を回ろうとしていた。流石に夜も更けてくると睡魔が邪魔をして脳味噌が上手く働かない。意識し始めると尚更、集中力が保てない。
「……気付いたんだね、何故凪下が『しりとり』という、単純かつ非効率的な勝負を提案したのかを」
「ああ分かったよ。正直、大分頭が働かなくなって来てる。君の策略に僕はまんまと嵌められた訳だ」
「時間が味方している────『しりとり』に於いて、それは語彙力と持久力の双方があればこそ為せる現象だ。有難い事に、持久力は凪下の方が少々上だったらしい」
僕は凪下の自信に満ちた微笑に苛立ちを覚えた。持久戦に持ち込まれようものなら、僕に勝ち目は無い。どうすれば……どうすれば凪下君に勝てる?僕よ、御剣穿刀よ。無理にでも頭を動かせ。後先を考えるな。必勝の一手を導き出せ。これまで生きて来た十六年で読んだ本を文章を、それにより蓄積して来た玉石混交、先人の知恵の結晶たる語彙を総動員するのだ。
「……なぁ凪下君」
「何だい名弁士。諦めたのかな」
「まさか。生憎僕は諦めが悪いんだ。知らなかっただろ」
「……チッ」
僕は思わず『えっ』と声を漏らす。あからさまに嫌そうな顔をして、凪下君が舌打ちをしたからだ。彼らしくも無い態度に、脳内がクエスチョンマークで埋め尽くされる。
「────好い加減疲れた。お前の様な有象無象、僕より遥かに下の俗物に合わせるのは……」
「凪下君……?」
「僕はね……正直君の事などどうでも良かったんだよ御剣穿刀」
彼はこれまでと明らかに人相を
「折角の機会だ、愚鈍な俗物の君の為に、わざわざ僕自ら、僕の身の上の話でもしてあげよう。冥土の土産には少々重たいが……持つ者が持たざる者に手向けをするのは当然の責務だからね」
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