【幽谷荘】には13の部屋がある⑤

 僕が実家跡に着いた時、時刻は夜の十一時を回ろうとしていた。焼け落ちて骨組みだけを残し、崩落の危険があると『立ち入り禁止』のテープが貼られた僕の家────。見ていると、未だ目覚めぬ錐を思い出して心が痛む。


『大丈夫か穿刀』

「大丈夫だ……けどさ、繭弓こそ大丈夫なのか?ほら、あの規制線」


 ────妖怪が社会進出した事で、色々なものが妖に対応する必要性が出てきた。これまで永らく社会の裏に潜んで生きていた陰陽師や霊媒師、祈祷師などの職業が再興し、今日では様々な方面でその技術が応用されている。

 警察の規制線(ドラマなどでよく見る、現場を区切る『KEEP OUT』とか『立入禁止』とか書かれた黄と黒のしましまテープ)もその一つである。現在の規制線は陰陽師の霊符の術が応用されており(霊符は人の目に付くと効力が失われる為、使っている霊符の種類はもちろん、製作者・制作日時などの一切は国家機密レベルで秘匿されているが)、倫理観の違う妖を物理的に進入禁止にする為に結界の役割を果たしているのだ。つまりこのままでは、繭弓はおろか、繭弓を憑依させて半妖化した僕も敷地に入る事は出来ない。……そう思っていたのだが。


「……おい穿刀、気付いたか」

「僕にも今なら分かるよ……このテープ、偽物だ」


 何故僕らの判断が遅れたのか……理由は明らかだった。


「【妖擂香】だな────こんなに酷い臭いなのか、このお香」

「そりゃ今の穿刀は半妖だからな、人間じゃ感知出来ない色々が分かるはずだよ。……まぁ、純粋な妖は大体それが十割増しで来る感じなんだけどな」


 本当の妖には【妖擂香】は二倍キツいのか。そうい事情を聞くと、つくづく人間に生まれて良かったと思ってしまう。


「……だが、これで確定だ。連中は妖怪を快く思ってはいねぇ……根絶やしにしたい、とまで思ってるかもな」

「手始めに人との結び付きが強い妖から消していく、って事なのか……!!」

「そして美緒ちゃんが犯人から見て、条件に合い、そして一番近い存在だった……」


 僕は喉の奥から込み上げる痒みを感じた。怒りの余りに胃液が逆流して来たのだろうか。


「吐くなよ。私も一緒に出てしまう」

「鳩尾に食らわなきゃ大丈夫だ……多分」


 僕らは落ちた骨組みや瓦礫を掻い潜り、敷地の真ん中まで辿り着く。そこに火々谷さんはおろか誰もおらず、すすけた包みの上に手紙と、画面が割れた僕のスマートフォンが置かれていた。


「クソっ、気付かれてたのか……!!」

「だけど連中、どうも私達とみたいだぜ。見てみろよ、この手紙」


『拝啓、遅咲きの英雄。

 賽は投げられた。君の想う『六花の姫君』を助けたくば、正統な手を以て、以下の文を解くのだ。


 TXLULQDOH QR RND ZR PLBR

 XUDJLULPRQR JD JDLVHQ ZR PDWWHLUX

 NLWDUH VDEDNDUHUX PRQR BR

 BXXQDJL QR NDRUX PDQDELBD GH DRX』


 僕は全身が熱っぽくなっていくのを感じた。血が滾るとか病気とかそういう類のものでは無い。人を弄ぶ、犯人の行為に対しての怒りだった。


「何が遊びだよ……何が暗号だよ……!!」

「怒る気持ちは分かる。だが今は抑えるんだ。ぶつけるべき相手がここにはいない」


 繭弓の制止は耳に入っては来たが、それでも怒りで握った拳は震えたままだ。


「それに……暗号を解けば美緒ちゃんの居場所も分かるかも知れない。素直に犯人の『遊び』に乗っといた方が良いかもだ」

「……」


 あまり乗り気にはならなかったが、これもまた火々谷さんの為だ。僕はさして得意でもない暗号解読に踏み出す事となった。


「……アルファベットの配列、幾つか似てる所があるな。そもそも遅咲きの英雄だとか、正統な手だとか、訳が分からない」

「『賽は投げられた』……なあ穿刀、古代史に堪能だったりするか?」

「まぁまぁじゃないかな。どちらかと言うと神話とか宗教とかが絡まないと、てんで歴史も分からないし」

「私の記憶に引っかかりがある。『賽は投げられた』って格言、どっかの王様か何かが言ってた言葉なんだ────」


 僕も考えてみたが、やはり『王様か何か』では幅が広すぎるし、王様自体そんなに数を知らない。そもそも僕の記憶でヒットするのは厳密には王様では無く皇帝ばかりだった。英国のエリザベス一世とか、プロイセンのフリードリヒ一世とか、オラニエ公ウィレムとか────。


「……ちょっと待てよ、こんな時の為の文明の利器じゃねぇのか」


 繭弓は思い出した様にスマホを取り出す。何故僕もその手を思い付かなかったのか。必死に考えていたのが何となく阿呆らしくなってしまった。


「……『賽は投げられた』っと。どれどれ……ガイウス・ユリウス・カエサル……?こいつ皇帝じゃないみたいだが」

「カエサル……ジュリアス・シーザーって呼ばれ方もしてたな、確か」

「────それだ。でかした穿刀」

「え?」


 僕の疑問符には構わず、繭弓は一人納得して暗号文の文字をスマホのメモ機能に打ち込み、下にもう一つ文章を、どうやら解読しながら打ち込んでいる様だった。


「ローマにおいて、シーザーはその礎を築いた偉大な人物だ。しかし成果を本格的に挙げ始めたのは四十代の頃。だから彼は遅咲きの英雄とも呼ばれている。暗号文の前振りの部分が繋がって来ただろ?」


 僕は繭弓の説明に納得させられた。それと同時に、今僕が何も出来ていない事にもどかしさと恥ずかしさを覚えた。


「でだな。何故シーザーなのかってのは、この暗号が【シーザー暗号】って奴だからなんだな。やり方は簡単だ。文字を一つずつ、決められた分ずらしていくだけ。この場合は『正統な手』って事だから……三つずらす。シーザー本人がやっていたやり方って事だ」


 みるみるうちに僕にも見覚えのある雰囲気の文章が出来上がっていくのを見て、繭弓が少し格好よく見えた。


「……っと。これでローマ字の文章……所々別の言語が入ってたけど……一丁上がり」

「凄い。僕にも大半が読める」


『(前略)以下の文を解くのだ。

 QUIRINALE NO OKA WO MIYO

 URAGIRIMONO GA GAISEN WO MATTEIRU

 KITARE SABAKARERU MONO YO

 YUUNAGI NO KAORU MANABIYA DE AOU』


「……なぁ、僕達、急いだ方がいいかも知れない」

「この濁した文章の意味が分かるのか?」

「『YUUNAGI NO KAORU MANABIYA DE AOU』……『夕凪の薫る学舎で会おう』。この部分、僕の通う星望高校の校歌の歌詞だよ」

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