女神無き学舎/女神在る焦土
僕は火々谷さんに会いたくて仕方なかった。彼女が行方不明のまま丸一週間が経った。『もしかしたら穿刀も狙われているかも知れない』という杞憂から、繭弓は僕から離れず護衛として着いてくる。学校にいる時も、基本的にはずっと着いてくる。だがわざわざ僕に何か危害を加えて来る存在など居るはずもなく、授業中だと言うのにやる事の無さを嘆きながら、教室の天井寄り、物理的に人間が留まっていられないが為にデッドスペースとなっている辺りを浮遊している。
「……おい御剣授業中だぞ。天井のぶち模様の数を数えるなら昼でも放課後でも出来るんだから……そら、ここ解け」
「……はい」
前に立たされる羞恥も、その姿を背中越しに笑われる屈辱も、今は心を打たない。僕なんかよりもっと、火々谷さんは今苦しんでいるはずなのだから────。
「これで良いのか御剣」
「……はい」
「…………正解だ御剣、よく出来たな」
途端、教室がザワつく。板書に立たされてまともに正解した事の無いクラスの地味な奴が突然振られた長めの計算式を、突然難無く解いたのだから。
「御剣が……?」
「嘘だろ……」
「アイツヤバ……」
他人の反応などどうでも良い。僕は今気持ちが穏やかでは無い。イライラでは無い。モヤモヤでも無い。喪失感でも無力感でも、ましてや恐怖や嫉妬の様なものでも無い。……僕には、その感情の名前を形容する語彙は無かったのだ。沢山の本を読んできたのに、実に非力だと感じてしまう。
僕の話を真面目に聞いてくれそうな友人────脳裏に浮かぶ人間は一人しかいなかった。僕は彼に問うてみる事にし、掛け合う昼休みの時間を待ち侘びた。
昼。僕は彼を生徒ホールに呼び付け、その場でいつもより少なめの昼飯も早々に済ませ到来を待っていた。今日は生徒会も無い様なので、恐らくすぐに来るだろう。
「君はいつもより萎れているな、名弁士」
「君は平常運転でハキハキしてるな、凪下君」
そう……何を隠そう、僕が呼んだ相談相手は委員長の凪下君である。僕の話を現時点で、この学校の生徒で唯一笑わず聞いてくれる男子生徒であり、正しい人であるが故の正確かつ無慈悲な判断を、僕の不明瞭な状態の心に下してくれるだろうと思ったからだ。
「今日の数学の授業、キレは無かったが解答は正確だった。いつもとは正反対、一体どうしたんだね」
「だからこそ凪下君に頼りたいんだ。僕には何故か分からない。正直な所、日曜の夕方からずっと気持ちが穏やかじゃないんだ」
「ふむ……日曜の夕方……」
少し考え込んで、彼は顔を顰めた。
「自殺願望……でもあるのか」
「そんなまさか!わざわざ自分で死ぬ勇気なんか無いよ」
「そうか。自殺は自他共に不利益。故に間違った行為だ。君がいないと授業に不規則な流動性が見られないから、非常につまらない物になる。呉々も死んでくれるなよ名弁士」
「……なんだかありがたいな」
どうも先週の金曜日────僕の家が家事で全焼した為に引越しの手続き等に追われていた為に────僕は学校を休んだ訳だが、凪下君はその日の授業が何とも気に食わなかったらしい。その日のノートを見せて貰うと心なしか、金曜日の分だけ字や図形が乱れに乱れまくっている。ここまでブレるか。
「……日曜日の午後、というと火々谷さんが失踪したのもその辺りだったな」
「……そうだ」
僕は事の顛末の真実を知っている。真犯人も、その目的もまだ掴んではいないが。
「……御剣君よ、落ち着いて聞いてくれ。君は恐らく……もう一度火々谷さんに会わない限り今の状態のままだ」
「え?何で……?」
「この凪下を以てしても、名弁士の症状は恋煩いの類としか考えられん。君は火々谷さんに対し愛が深いあまり、失った事でポッカリと穴が空いた状態なのだ。喪失感や無力感とも似た、然れどそれらに非ず……そんな感覚は無いか?」
……言われてみれば。僕はご飯の食べる量が少なくなった事、昨晩余りに落ち着かず、眠たくなるまで授業の予習をしていた事までもを凪下君に話した。
「この凪下の目に狂いは無かったな。名弁士、君は紛う事なく恋をしている。兼ねてより君達、交際はしていたが友達の延長上にある様な関係性だったのだろう。例えば────ショッピングに代表される一般的なデートをしていないとか、
如何にせよ、彼女の失踪で君は深い絶望を抱いてしまったのだ。相談相手は凪下でも務まるが、穴を埋める存在にはなれない」
「……ありがとう」
「君の饒舌を取り戻せるなら安いものだよ。いずれまたあの名弁を聞かせてくれたまえ」
「ああ。必ず」
その日の晩、僕は部活も無く、帰宅してから七時間の間、気力が尽きたのか泥の様に眠っていた。
二十二時三十分、僕はベッドの揺れで眠りから引き戻された。繭弓が僕のベッドを揺らして起こそうとしていたのである。
「大変だ穿刀、火々谷さんの居場所が分かったぞ」
「でかした繭弓!後で何か奢る!!」
僕は繭弓から渡されたスマートフォンの画面を見る。GPSが指し示していた場所は、あろう事か僕の実家があった場所だった。そこにはもう、何も無いはずなのに。
「何故僕の家なんだ……」
「誘拐犯、もしかして放火魔でもあるんじゃないのか?」
「……まさか、そんな……。僕を狙う理由なんてあるのか?」
「あるさ。穿刀は私も含めて、周りに妖怪が多い。もし犯人がそれを快く思わない奴らなら、動機はそれだけで十分だ」
「……どちらにせよ、僕のせいで火々谷さんが攫われたのなら責任を取らなきゃ」
僕は自室を出る。夜遅くであるのに、部屋の前には青子さんが仁王立ちしていた。
「穿刀、お主……行くんじゃな」
「火々谷さんの願い……何て事ない普通の話、まだまともに出来てないんです。もっと彼女の事を知りたいし、逆に知って欲しくもあるし……。一緒に美味しいもの食べたり、ちょっとした事で一喜一憂して、……そうやって過ごしたいんです。だから、行かなきゃ」
「……そうか。お主美緒にぞっこんじゃな」
言われて急に恥ずかしくなったが、そんな僕を戒める様に青子さんは静かに言った。
「男子に二言は無しじゃぞ。例え死んでも、美緒を絶対に連れて帰って参れ。それまでは呉々も……我が【幽谷荘】の門を叩くなよ」
「分かりました。絶対、彼女を連れて帰って来ます」
僕は繭弓を連れ、【幽谷荘】を後にした。
最悪、宿無しになる覚悟なら出来ていた。だがそれよりも、僕は火々谷さんの事が大切だったのである。
「ところで繭弓、僕に憑依する事って出来るか?」
「出来るとも。……さては穿刀、私の力を使って────?」
「そうだけど?……身体の事なら大丈夫、これでも骨折だけはした事ないんだ」
「どうなっても知らんからな。私が保持妖力の高い狢だったからまだ良いものの、他の妖なら最悪お前の精神もろとも消滅しかねないんだぞ。憑依というのは危険な業なんだ」
そう言いながらも、繭弓は僕の背中のあちこちに指をトントンと当て、何かを唱えている。
「身体に無理がかかる。憑依が解けたらそれまでのツケがまとめて来るからな。……痛みで死ぬなよ」
「生憎、あちこち怪我して慣れてる」
僕と繭弓は軽口を叩き合いながら、この騒動の結末へと歩いて向かっていく。
その結末が、また別の騒動を引き起こす引き金になるとも知らずに────。
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