【幽谷荘】には13の部屋がある④

 僕は一瞬のうちに、突如現れた大師によって岩の橋から叩き落とされていた。空中に身が投げ出され、延々と広がる虚空に吸い込まれていく。

 繭弓がこちらへ手を伸ばすが、届くはずもない。繭弓もまた大師に岩の橋から叩き落とされ、二人共々どこまでも堕ちていった。


 意識が途切れる直前、いつの間にやら目の前に移動してきた大師に耳許みみもとささやかれた気がした。


「────七不思議を全て解きたくば、まずは掌にあるものを護れ。何物も、失ってからでは遅いのだから……」

「何故…………」

「あの娘を……美緒を、助けなさい」

「!?」




「……あ、ようやっと目覚めた」

「心配かけやがって。後で奢らせろよ!」

「良かった。何の怪我も無いみたいじゃし。……のう狢、お主やりすぎとは思わんかったのかえ?」


 気がつくと僕と繭弓は【一〇一号室】に戻って来ていた。虚空の先は元の場所だったのか何なのか……謎のままである。


「あれ……」


 僕は違和感────不足感とも言えよう────に気付いた。


「火々谷さんは?」

「美緒ちゃんなら、最寄りのスーパーに買い物に行っとるよ。あの娘も迂闊よのう、お祝いなのにケーキを忘れたのだと焦って出掛けよったわい」


『あの娘を……美緒を、助けなさい』


「……何だろう、胸騒ぎがする……」

「おい穿刀、何処へ行く!?」

「説明は後でする!来るなら来い、繭弓!」

「わぁったよ!!」


 僕は繭弓を引き連れて、すっかり日の傾いた【幽谷荘】を後にする。橙色の鮮やかな日差しに照らされて、街並みは怖いほど統一感を醸し出していた。


「僕の予感が当たってるなら、火々谷さんが危ない気がする────!!」

「ちくしょう……穿刀、ちょっと手ぇ貸して」

「うん……?」


 僕が繭弓の差し出した手を握るや否や、肩からまるっと千切れるほどの膂力りょりょくで引っ張られた。あらゆる建物が一瞬で視界の端へ流れていく速度で、繭弓は僕を引っ張って駆け抜けていたのだ。


「狢の脚は人の三倍速いんだぜ。実質赤い流星さ」

「その例えは色々まずい気が……ムベッ」

「口閉じて無いと虫食っちまうぞ!……言うの遅かったか。まぁドンマイ」




 繭弓の健脚のお陰で、きっちり本来の三分の一の時間でスーパーに到着した。と、繭弓は鼻をひくつかせて露骨に嫌な顔をした。


「誰か……ここで【妖擂香ようすこう】をいてやがったな」

「よう、す……?」

「【妖擂香】。だよ。本当は人間側が、【左党】の奴らに対抗する為に造ったもののはずなんだが────困った事に全ての妖に等しく効力がある。喰らえば最後、しばらくの間能力が使えん」

「それは困ったな……僕は繭弓と違って健脚でも無いし、嗅覚も鋭くはない」

「……まぁ、嗅覚が人間並みになった所で、花粉症の私には関係の無い事だがな。それよりアレ、見てみろよ穿刀」


 繭弓は僕の耳許に口を寄せ、目線だけで僕にそちらを見る様に促す。服装が服装なので、傍から見ればカップルに見えない事も無いだろう。密着するほどの距離で話す事の気恥しさと火々谷さんに対しての罪悪感で、僕の心臓はバクバクと跳ねていた。肋骨に覆われていなければ胸を飛び出してそこらを羽回っていただろう。

 僕は繭弓の端整な顔から目を背ける様にして、彼が目を遣った方を見る。何の変哲も無い道路、道を急ぐサラリーマン、スーパーに野菜を卸す白いバン……特段変わった所は無さそうに思うのだが。


「冷静に考えろ……今日は日曜日だ。大半の会社────サラリーマンが働く様な職場は、今日は休みのはずだろう」

「休日出勤だってあるかも知れない」

「……あのなぁ。私が怪しいと思ったのはそれだけじゃない、焦るな。……あのバン、卸業者のクセに自家用車か?」


 僕は野菜を卸している白いバンを見遣る。真っ白なバンだ。────側面に業者名でも記載してありそうなものなのに、物の見事にまっさらである。


「……誘拐車ハイエースの臭いがしやがる」

「どうする……直接突撃してみる?」

「阿呆。私が妖の力も使えない今、行ったところで返り討ちにあって終わりだ。追跡はしたい所だが────」


 と、繭弓は何か閃いたらしい。


「穿刀、弁償はする。スマホを貸してくれ」

「?良いけど……どうするの?」

「こうしてこうして……こうするの……さッ!」


 繭弓は全速力で駆け出し、あっという間に卸業者?の死角を縫ってトランクに近付き、恐ろしい程素早い手付きで、繭弓以外の連絡先を消去し通知音対策を取った僕のスマホを車内に忍び込ませた。幸い僕のスマホは割と使い込んではいたが薄型であった為、座席の隙間に余裕で滑り込んだ。


 そして彼はそのまま車の下に忍び込み、卸業者が車内に乗り込むのを待っている様である。僕も怪しまれない様にランニングしに来た体を装って、一周二分ほどの区画内を回った。気付けば車は走り去り、いつの間にやら電信柱の裏に移動していた繭弓が出てきた所であった。


「GPS機能での追跡を咄嗟に思い付くなんて……僕より機械に得意そうだ」

「ま、途中で気付かれなければ私達の勝ち。奴らのアジトを嗅ぎ付け、万全の体制でカチコミに行ける。……私の勘が正しいなら、アイツらが火々谷さんを連れ去った奴らだ。車の下に潜った時排気ガスを嗅いじまったんだがアラ不思議、ヤケに鼻につく厭な臭いがしやがる────【妖擂香ようすこう】の臭いがな」




 ────別話を挟み後編へ続く

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