【幽谷荘】には13の部屋がある③
歪んだ空間の先には、物理法則を軽々無視した、奇っ怪な空間が広がっていた。足場となる岩の橋は虚空の上に浮かび、頼みの綱とする為の
「ここは本当に部屋なのか?まるで外にいるみたいに風があるんだが」
「紛うことなく部屋さ。壁として内と外を隔てるのが木や
「そういうものなのか」
「そういうものだ」
勿論僕は妖怪では無い。妖術とかその辺の扱いにはめっぽう疎いから、そういう使い方もあるのは初めて知ったのである。
「この部屋も原理的には神隠しと何ら変わらない。何か閉じ込めておきたいものの周りに、不可視の結界を貼るって寸法さ」
「こんな広いもの、一体誰が……」
「言うなれば大師、とかいう奴だな。ここは徳の高い僧侶の結界だよ……もう私達が結界を破り侵入した事も、目的も全てバレている。式神でもけしかけて来ると思ってたが────私が狢だという事も含めて、か」
半分は自分に言い聞かせて反芻する様に、もう半分は僕に注意と説明をする様に、前をキッと見据えながら、次第に脆くなる足場を進む。
道のりを半分ほど来て、僕はふと口を開いた。
「名前……無いんだったよな」
「ああそうだ。これまで誰かにわざわざ名乗る事も無かったからな」
「命名なんて大層な事は出来ないけれど……僕が名前付けるのってアリ、かな……?」
確実に的確に正確に、頭を尻尾で叩かれる。そんな事は分かりきっていた。だがどうしても、名無しのままでは呼びにくいし、何より、名前が無い事がどうにもむず痒くて仕方なかった。
ところが尻尾は僕を叩くことは無く、狢はやけに気恥しそうに、僕の頭を撫でる如く、ふかふかの尻尾を寄り添わせて来たのだった。
「名付けは……普通、愛着が無ければしないのだぞ……うつけ者め」
「そうだな……僕は相当うつけ者だ。そしてそんな僕に何故か気恥しそうにする狢も────
「もしやその、繭弓とやらが私の名前か?何だか落ち着かんな……」
狢……いや繭弓は照れ臭そうに、しかし喜びで大きく左右に振れる尻尾を制御出来ずに僕から目を逸らした。
「だがな……名前が付けられた以上、私はお前のものになるのだぞ。その意味が分かっていて名付けたのだろうな……穿刀よ」
────しまった。僕は意味を完全に理解した訳では無いのだ。それなのに、僕ときたら大変軽率な事をしてしまった。どう責任を取れば良いのだろう。養う……とかなら無理をすれば出来ない事も無いはずだが。
「お前には美緒という彼女がいるから捨ててまで
「……ちょっと待てよ、そういう事なのか名前を付けるっていうのは」
「相手が男でも無関係に、だ」
なんてこった。これは火々谷さんにバレたらとんでもない事になりかねない。しっかりと意味を理解してから名付けなかった僕が悪いのだが、期せずして二股をかける少年になってしまうとは。しかも相手は男である。火々谷さんは優しいが、流石に浮気にまで寛容ではあるまい。
「……では穿刀、伴侶候補としてこれから末永くよろしく頼むぞ」
「分かった、分かったよ……」
これからの事を思うと、正直この空間に永遠に留まっていたくなってしまった。
僕は仕方なく、一気に重たくなった足を引き摺るようにしてとぼとぼ進み始めた。先ほどまで数歩先を歩いていたむ……繭弓は、今では文字通り僕の半歩後ろを歩いてついて来ている。お前は僕の妻か。実際そうなる予定らしいけど。
「……少し待て穿刀、何か奥から来ている」
「まさか……大師?」
「如何にも」
僕はここに来る前の事を思い出した。その時は、背中が焼け焦げてしまうのでは無いかと思うほどの熱量を持った、憎悪に似た死の気配だったが────今僕が背中に感じているのは、死は死でも……生を憐れみ、慈悲の為に人や人以外をも殺す、思わず身震いする様な冷たいものだった。
「南無三宝、ここに死を
────さあ、私の宝を盗みに来た賊共、結界の涯へ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます