【幽谷荘】には13の部屋がある②

「……君の名前は?」

「私を見て恐れもしないのか。何と警戒心の無い阿呆────」

「怖くは無いよ。むしろ可愛らしい」

「へぁっ!?」


 一気に顔を赤くして僕と距離を置く大きな縞々尻尾の少年。ホットパンツに薄手のノースリーブとかなり女性的な服装ではあるものの、肩幅は女の子と呼ぶには少し広いし、どちらかと言うと細身だが筋肉で締まった感じがする。間違えるはずもない、それは明らかに少年だった。


「私は男なのだが……?」

「可愛いからアリか……いや、僕には火々谷さんという彼女がいるんだ!彼女を裏切るなんて出来る訳がない」

「私は今危険な人種を『神隠し』してしまったと凄絶せいぜつな後悔に駆られている」


 ……『神隠し』?僕が自分に『僕には彼女がいるのだから、浮ついた事をしてはならない』と言い聞かせている間に聞こえてきたその単語を反芻はんすうしていく。

『神隠し』────それは妖が人を拐う行為全般を指して使われる単語である。元来、目的の大半が己の住処に侵入して来た人間への警告だったり、気まぐれに驚かす手段の一つである。

 しかし今日、妖の中でやましい目的の為に人攫いをする『ハイエース的神隠し』が横行しており、人間界のお偉いさん方は頭を抱えている。

 法律がまだ完全では無い故に、『神隠し』は人間が行う誘拐とは違い犯罪行為に数えられておらず、度々問題視されているという訳だ。

 ……話を本題に戻すが、僕は彼の口振りから考えても、どうやら『神隠し』の被害にあった様である。これの面倒な所は、被害者の行動・発言・思考その他諸々が全て、どう足掻いても周囲の人間のに入ってしまう為、『これは神隠しである』と判断するのに時間を要する点である。気付けば対処が出来ない訳では無いが、気付かなければ術者が取り止めない限り永遠に続く。妖は人間より遥かに長命であるから、人間側からすればこれからの一生涯、孤独と無視される苦痛を良いだけ味わって余りが出るという散々な事になるのだ。僕はそんな面倒極まりない術に掛けられ、物の見事に今、こうして孤独の苦痛と闘わされている最中なのである。


「独りぼっちは寂しいだろう。孤独でいる事は、このご時世、死の次に恐怖が大きいものだからな」


 僕は透明になったのをいい事に、青子さんの前に立って変顔をしてみたり、火々谷さんの困り顔を普段なら絶対に怖くて出来ない距離まで近付いて覗き込んだり、色々遊んでいる。己の話が聞かれない事に苛立ったか、僕はふわふわの尻尾で勢い良く背中を叩かれた。


「何とか言ったらどうだ、このたわけが」

「僕を骨の髄からおどかすなら死ぬ様な目に合わせたって良いだろうに。本当に死ぬのは困るけど」

「死の恐怖は大抵の人間には覿面てきめんなんだがな……お前からは恐怖が感じられない。お前、死が怖く無いのか?」

「死ぬのは怖いさ。でも……立ち向かう勇気が無いから死ぬのを諦めてるだけだ。生きる事も、何かと勇気が必要だけど……」

「消去法の結果、という事か────生死をそんな方法で選別するとは大層なご身分だな」


 縞々尻尾は呆れた様に言って、その場をぷかぷかを浮遊し始めた。手持ち無沙汰なのか、尻尾を脚の間から通して自分で抱き抱えている。


「人並みの生活が出来ているのに、それ以上何が欲しいんだ」

「それが人間のさがだよ。どんなに満ち足りても、それは一時的なものでしか無い。底の抜けた水瓶みたいに、水をいくら注げど次から次へと空虚を生じて、幾らでも欲してしまう」

「哀しいものだな……あんまり可哀想だ、お前にいい事を教えてやる」


 そう言ってふわふわ、縞々尻尾は部屋の外へ出ていく。扉越しに手招いて、ニンマリ厭らしい笑みを浮かべた。


「こっち来な。お前に『【幽谷荘】の七不思議』を教えてやるよ」




 七不思議────本来は神秘的な建造物七選をそう呼んだものらしいが、今日、特に日本では怪奇現象七選として、その名を轟かせている。学校七不思議とか、世界七不思議とか……。オカルトブームの産物の中でも、とりわけもたらした影響は凄まじい。


「……さて、一つ目だがな……早速腑に落ちねぇのよ、これが」



 七不思議の一、【幽谷荘の零号室】


 ……この【幽谷荘】はざっくり九十年前、未だこの辺り一帯が痩せた畑ばかりが広がる畑地だった頃、毎日の厳しい寒さや税収に追い込まれ、疲弊した小作農を癒す旅館として正覚院さんの母親が建てたものだという。

 突貫工事だった為に隙間風や雨漏りなど多々問題はあったが、それでもその日暮らしを強いられる小作農達にとって、寝泊まりが出来、少量ながらも温かい飯にありつける場所がある安心感は凄まじいものであった。



「……話の節を途中で折る様だけど、君の名前をまだ聞いてないぞ。多分【二〇六号室】の入居者でしょ君。いちいち君の事縞々尻尾って呼ぶのいい加減面倒なんだが」

「縞々尻尾とかそんな風に呼ぶな、私はむじなだぞ、人を化かすんだぞ」

「名前は結局なんなのさ」

「名前があったら名乗ってるさ……今話してる七不思議は私の出自にも関係があるから話してるんだよ」


 すまん、と軽く謝ったが、後できっちり謝罪しなければならないだろう。僕はまた狢が話し始めたので今度は大人しく聞きに徹する事にした。




 ……旅館としての【幽谷荘】が建てられてから十数年、外国で不穏な空気が流れ始めて、次第に国内の安寧も害されてきた頃、青子さんの母が平和祈願の為全国を行脚していたとある僧と恋に落ちた。二人が密接になると、周りの人間は次第に【幽谷荘】に寄り付かなくなっていった。僧の徳が高過ぎた為に、母親の化術が解け、妖としての姿を晒してしまったのである。僧は然れどそんな彼女を愛し、二人は【幽谷荘】を愛の巣とし愛し合った。……青子さんはこの頃生まれたらしい。産まれてすぐ空襲を体験し、物心ついた頃には父である僧は赤紙により出兵……。戦争への消極的態度から非国民と呼ばれ、幼いうちに母親も衰弱、青子さんは虐められながら母親の介助をし、日銭を稼ぐ為に出来る事は何でもやった。彼女は齢一桁で体験するにはあまりに過酷な幼少期を過ごしたのだ……。


「……その頃の辛い記憶が強く染み付いたこの生家を、彼女は捨てる事はしなかった。時おりうなされているのを見る度、こちらも胸が張り裂ける思いだ」

「…………狢、お前…………。

 ……管理人の部屋覗いてるのか」


 言下、激しく火花が散った。

 ゲンコツをはられたのである。当然だ、これほどの重たい話を聞かされて、僕だって胸焼けがしそうなほど苦しいのだ。


「……あのな、結論から言うが私の本業は医者だ。そして青子さんの主治医だ。もう何十年と、彼女の精神カウンセリングを請け負っている……だから彼女がどれ程の精神負荷を溜めたまま隠して生きているのか、何故そこまで我慢して人間を受け容れられるのかを知っているのだ。お前はな御剣、青子さんがずっと存在を待ち望んでいた子供なのだ。……かと言って、何か特別な力がある訳じゃないがな」

「なんだ、眠れる力があるのかと多少なり期待しちゃったじゃないか」

「だがな御剣……そんなお前だからこそ……お前じゃなきゃ出来ない事もあるんだ。それこそ、今話している七不思議の解明とかな」


 そう言うと、狢は急に空中移動を止め地面に降り立った。そこは何の変哲もない廊下の突き当たり、窓から差し込む日差しが温かい場所である。


「なぁ……この【幽谷荘】はかつて小作農の憩いの場であり、それより後は青子さんの両親の愛の巣だったのは言ったよな。

 その頃の記憶を青子さんが語らない理由、何故か分かるか」

「……忘れてる、とか?」

「三角、だな。辛うじて正解に掠ってる程度だ。忘れてるんじゃない、だけだ」


 そう言うと狢は人差し指と中指を忍者の如くピンと揃え、廊下の突き当たり目掛けて中空を切り始めた。ブツブツ何かを呟いている。


「我妖魔よりい出たる真実を求む子、現世うつしよにて綴じられたる鍵、故に開かれぬ徒花あだばなを今、一度ひとたび読み解かんとかしこみ畏みももうす……破邪解封遮門卦はじゃかいほうしゃもんけ急急きゅうきゅう如律令にょりつれい


 呪文の様なものを唱え、指を目の前の窓に向ける。途端に、窓のあるはずの空間が音も無く歪み始めた。


「……彼女が辛いと感じた記憶は全て、この狢が全てこの隠し部屋に保管しているからだ……。

 名付けるなら【二〇〇号室】、といったところか」

「何故────」


 僕は言いかけて、背筋に並々ならぬ悪寒を感じた。背中が丸々焼け焦げてしまうのでは無いか、と思ってしまうほどの殺意……あの時の、火々谷さんが【棗沢】の不良に絡まれた時、僕の背後から奴らを追い払ったあの気配だ。これほどの存在感なのに、狢といったらこちらを不思議そうに見つめるだけで何も気付いていないらしい。何故、何故なんだ。


「────その部屋は危険だぞ、行くのか」

「行かなきゃ、ならない気がする」

「忠告は一つに一度だけだ。もう俺は何も言うまい」

「どうしたんだ御剣、来ないのか?」

「……今、行くよ」


 僕は『彼』の忠告を聞きながらも、半ば無視する様に狢についていく。

 その後、僕がどうなるかもよく考えずに……。

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