【幽谷荘】には13の部屋がある①

 日曜日の午後、本来なら『また一週間が始まる』と憂鬱になる時間帯。世間では自殺行為が一番頻発し易いのもまたこの時間帯だとか話に聞いた事がある。

 僕も月曜が迫る度に気持ちがマイナスに向くのでよく分かるが、今日ばかりはその限りでは無かった。


「それじゃあ皆紹介するね!新しい入居者の御剣穿刀くんです!」

「「「おぉ〜」」」


 全員集合とまではいかなかったが、およそ全入居者の三分の二、管理人を含めると七人が僕の引っ越し祝いに来てくれた。勿論僕の部屋はまだ段ボールだらけという事で、ご厚意に甘えて【一〇一号室】、管理人さんの部屋でのお祝いである。


「御剣穿刀です。えっと……人間、です」


 皆が驚く。『人間です』と名乗るのは何だか新鮮だ。『人間です』に驚かれるのも。


「それじゃあ、【一〇一号室】から順番に穿刀くんに自己紹介しよう!まずは管理人さん!」

「はいはい」


 藤色の着物をしっかりと着こなした幼女が、人数分のお茶を淹れて台所から出てきた。


「ワシが管理人、正覚院しょうがくいん青子せいこじゃ。この通りちんちくりんなナリじゃが、これでも最年長なのじゃよ」

「家賃滞納したらおっかないからね。私この間包丁持って追い掛けられたもん」

「払うべきものを払わないアンタが悪い……そうじゃろ?」


 ズズズッとお茶を啜って小さく息をつく。その様子だけは立派にお婆ちゃんである。しかし幼気な童女の風貌が、僕に『アレは断じてお婆ちゃんでは無い。だって見るからに童女じゃないか』と叫んで認めない。


「あとそうそう。ワシさとりじゃから、何考えてても筒抜けじゃぞ」

「ゲフンゲフン」

「どうしたせよって。やましい事でも考えていたのか?うん?」


 背筋がゾッとする思いだった。まさか彼女が覚だとは……油断ならない。

 覚という妖怪は、妖の中では決して強力な存在では無い。だがしかし読心の術を有し、人の心を読み、言い当て、翻弄したのしむという。今まさに僕は心を読まれたのだろう。抜群のタイミングで注意をする事で遠回しに僕を名指しで愚弄し、反応を見て愉しんでいたのである。全く、とんだ妖女である。


「まぁまぁその辺にしといてよ青子さん。ボクが次かな?

 ────【一〇二号室】、翁島おうしまくろです。お兄さんは水虎すいこって知ってるかな」


 見るからに幼い男の子が管理人さんを窘める。私立中学の制服を着ている彼は、パッと見その辺をはしゃいで帰る子供と大差無い。

 しかし自らを『水虎』と名乗ったのだ、人間では無く正真正銘の妖である。


「勿論。鉄みたいに体が硬いんだよね」

「頑丈って言って欲しいなぁ。開脚なんかは百八十度出来るんだけど……」

「あぁごめん。悪気は無かったんだ」


 そんなやり取りの中、【一〇三号室】は私だよ、と火々谷さんが言った。即覚えたぞ。


「じゃあ次は睡蓮の番だねぇ」

「あれ、【一〇四】と【一〇五】は?」

「……今その二つは空きなんじゃよ。去年は入居者がおったが……」


 あまり聞くべき話題では無かったのかも知れない。僕は青子さんの暗い顔を見るやすぐにそう思った。


「まぁ気にせんでいよ。さ、睡蓮。改めて自己紹介を」

「睡蓮はばくだよぉ。夢が睡蓮のご飯なのぉ……ムニャムニャ」

「日中はこんな感じで寝ておる」

「寝言だったの!?」

「ま、そのうちしっかり話す機会もあろうて。今は名前と種族を覚える位で構わんじゃろ……のう?」


 確かにその通りだ。仲良くなったりお喋りしたりは後でも出来るのだ。僕は切り替えて他の入居者についても聞くのだった。


「二階に移って、【二〇一号室】が御剣君の部屋になるよ。角部屋良いなぁ……」

「【二〇二】は私、箕家みや乃音ののの部屋よ。猫又だけど化かしたりはしないから安心して頂戴」


 箕家さんは何だかツンツンしている気がする。僕の入居に対してあまり良くは思っていない雰囲気だ。


「【二〇三号室】の入居者はまだ帰って来てないみたいじゃな……この【幽谷荘】唯一の社会人、探偵の助手をしているみずち宇壌うじょう螭子ちこは是非会わせておきたかったんじゃが……」

「そのうち会えますよ多分。……お次は?」

「【二〇四】は空きだから……俺様だな!」


 これまでの入居者と比べてもとりわけ風変わりなのが出てきた。だが見た目だけで僕はその妖がどんな種族なのか、はっきりと分かってしまった。なにせとても有名な妖だからである。


「……ぬらりひょん?」

「俺様やっぱ有名だな!なぁババア、賭けは俺の勝ちだぞ!約束?」


 ────?

 僕はぬらりひょんの言葉使いに違和感を感じた。尊大な態度に出るならば、約束は『守れよ?』が正解だと思うのだが。


「……『新しい入居者』がぬらりひょんを知っていたらこやつの勝ち、知らなければワシの勝ちという賭けをしておったのじゃ。ぬらりが勝てばぬらりがワシに肩叩きを、ワシが勝てばワシがこやつと交際するとかいう、しっちゃかめっちゃかな条件でな」

「……で、俺様が勝ったからババアに肩叩きの刑っつー事だ。止めてって喚いても五分間は止めてやらねぇから覚悟しやがれ!コリというコリを取り除いてやる!!」


 ────何これ善人やん。

 僕は自分が知っているぬらりひょんのイメージとかなりの乖離があって困惑した。もっとぬらりひょんは狡猾な敵役、という印象を持っていたのだが。


「それは……先入観じゃな。どうせアレじゃろ、妖怪好きと言っておきながらマニアックなヤツには詳しくないんじゃろ。ぬっぷっぽうとか化け鯨とか」


 悔しいが僕はその妖怪を本当に知らなかった。反論もぐうの音も出ない。


「ま……学びに勤しむ事じゃよ。……じゃあ最後じゃ、とびきりのを頼むぞ」


 青子さんが声を大きくした途端、照明が全て消える。ブレーカーが落ちた……のだろう。


『────ッ』


 微かに音がして、ゆらりとカーテンが揺れる。……風は無い。窓も開いていないのに、はっきりと揺れていた。


『……ヒトの仔よ、ね』


 その言葉に身構える。何か抵抗が出来るか否かは問題では無い。そうしようとする意思が大事だ────と何かで読んだ気がする。

 だが、何も起こらない。声の主が攻撃して来るでも無し、姿を見せるでも無し……身構えたのが間抜けに感じてしまう。


「……あれ、御剣君?」

「どうしたの火々谷さ────」

「御剣くーん、どこ行ったのー?」

「……え?」


 火々谷さんは僕を探している。時折僕の方に目を向けているが、明らかに僕の向こうを見る様な眼だった。つまり、今彼女には僕の姿が見えていない。


「透明になった……のか?」


 昔見た映画がきっかけで恐怖の対象になっていた透明人間だが、『なる』瞬間には全く実感が無く、思っていたのと何か違った。

 とはいえ、せっかく『なった』のだからやる事は決まっている。


「そんな事の為に貴様を消した訳では無いぞ、人間」

「え────!?」


 僕の姿をはっきりと認識し、僕に声をかけて来た誰かの方を向く。

 そこにはやけにふんわりと大きな縞々の尻尾を抱きながら、僕をゴミを見る様な痛い視線で睨んで来る少年の姿があった────。

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