火々谷 美緒は燃え尽きない⑧

【幽谷荘】には現在、僕以外に人間の入居者はいないらしい。しかもここ、男性も僕しかいないのだとか。


「金曜日来なかったから私びっくりしちゃった……。家の方は大丈夫?」

「妹はまだ目覚めないんだ。眠れるうちの錐……なんて母さんは言ってたけど。一番辛いのは多分母さん本人」

「……色々大変、だね。でも私、御剣君と一つ屋根の下って、ちょっと嬉しいかも」


 そんな事を言われて僕も嬉しいのだが、色々あり過ぎて整理が付かず、素直に喜べない僕がいた。


「……火々谷さんの他にも、妖怪が?」

「うん。みずちむじなばく猫又ねこまた、管理人さんも妖怪だよ」

「凄いなぁ……見事にみんな妖だ」


 僕は質問で話を切り替えてしまったが、思うように会話が続けられない。一体どうすれば良いのだろう。


「……ねぇ御剣君。妹ちゃんの事だけどさ。実は私が家に乗り込んで火事現場から助けたの。既に煙を結構吸ってたけど……まだあの時は意識があったから、目覚めたら聞いてみて。犯人の顔────覚えてるかも知れない」

「……分かった。錐……妹の事、ありがとう。でもなんで家事現場に生身で乗り込んで行けたの?火々谷さん妖怪だけどネズミだったよね……?」


 僕はネズミの妖と言われて、鉄鼠しか思い出さなかった。鉄鼠は石の肉体と鉄の牙を持つ鼠の怪異であり、ある伝説に拠れば寺の仏像を喰い荒らしたとされる。

 だが火々谷さんはそんな気性は荒くないし、何より石の肉体とは思えない。掌しか触れた事は無いが非常に柔らかく暖かであり、石や鉄のひんやりとしたそれとはまるで正反対なのだから。


「私……なの」

「火鼠……あぁっ!」


 僕は彼女の正体を知っていた。知っていたのに、無意識下ですっかりその可能性を否定していたのである。


 火鼠かそ火鼠ひねずみとも言い、日本最古のファンタジーこと竹取物語にもその名称が登場する妖(怪異)?である。

 その毛を織って作った火浣布かかんふは、火をつけても燃え尽きず、汚れたなら火に入れれば雪の様に白くなるという。衣にしたなら鋼よりも強固な鎧として活用出来るという。竹取物語にて、かぐや姫は求婚して来た貴族のうち、阿倍あべの御主人みうしに出した難題が正にこの火浣布である。


「という事は火々谷さん、お風呂って……」

「この【幽谷荘】の特注、火炎釜。私の体じゃ学校の水泳の授業も、シャワーも致命傷になるから……」


 火鼠は水に濡れると死ぬ。少量ですら、重大な致命傷になりかねない。故に彼女は水に濡れる行為────入浴やプール、水場での家事や雨に打たれるなど────が出来ない。

 幸い体表の汚れは消えるので、火の中に身を投じれば風呂の変わりになる。一つ残念な事は、もし彼女とデートする事があっても、水着姿を拝む事は無い、と言うことだ。正直見てみたいが、種族的に無理なら仕方ないのである。


「……告白した時言わなかったから今言うね。私が御剣君を彼氏にした理由は、君の前でなら私が素の私でいられるからなの。

 クラスの皆は私の事勘違いしてて、『ご機嫌取らなきゃ』とか『敵に回さない様に』とか思ってるみたいだけど……私、皆と同じように何て事ない話がしたい。御剣君なら、御剣君となら、そういう話が出来そうだなって。そう思ったの」

「……僕を選んでくれてありがとう。正直照れ臭いけど……嬉しいよ」


 僕の傷が少し癒えた気がした。




 ────炎がくらくらと、私の家を喰らい尽くしていく。私は煙を吸って意識を朦朧とさせながらも、逃げ道の失われた家の中で、失いたくない思い出やこれまで集めて来た宝物を炎から守らんと布に包んでいた。……決して対策として十分な訳が無い事は、勉強があまり得意ではない私でも分かっていた。それでもこういうのは『守りたい』という気持ちの方が大切なのだ。────少女漫画で学んだ精神を胸に、私は目を瞑る。




『……錐ちゃん。起きて』


 気を失いかけた私を呼ぶ声が聴こえる。


『さ、お父さんお母さんの元に行こう』


 ……そうだ。私は父さん母さんの元に戻るのだ。私の胸にまた、小さいながら決意が宿る。


「あなたは……?」

「通りすがりのお人好し……かな」


 私と同じくらいの年齢なのか、若々しい声に安心感や親近感が湧いてくる。彼女は私より一回りも小さい体で私をおんぶすると、燃える火の中をゆっくりと歩き始めた。


「少し熱いかも知れないけど、錐ちゃんに火が触れない様にはするから」


 そういう彼女は、足に火がついてズボンが焦げている。私は充満する煙に咳き込みながらも、彼女の身を案じた。


「あなた、火が────」

「私なら大丈夫だから……!!」


 結局私はそこで事切れ、次に意識が戻った時には救急車の中だった。


「ん────?」

「瞳孔に反応あり、か。……御剣さん聞こえますかー、市立病院に向かってます、安心して……」

「私、お礼言わなきゃ……あの、人に……」

「え?……御剣さん?御剣さん!!また失神しました、急いでください!!」


 ────私、御剣 錐はその後、恐らくは病院に無事辿り着けたのだろう。意識が戻るまで確かめる術は無いのだが。

 ……お父さん……お母さん……お兄。皆無事なのかな……。


(了)

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