火々谷 美緒は燃え尽きない③
僕らはその後職員室から視聴覚室の隣、教室名が白紙になったまま放置されていた部屋に移動した。
「さて、まともに使えそうな空き教室はここくらいしか無かった。仕事は終わってるからここで監督出来るけど、この部活って一体何すんの?」
「
照宮先生を前に、僕は暇な時間の読書用に持参していた愛読書の幾つかを並べた。
『遠野物語』、『古事記』、『日本書紀』、『山海経』など、現代語訳された数々の妖を記した書物である。少し前なら幻想を記したものという扱いだったものだが、今では妖怪の社会進出が急速に進み、翻訳家や出版社が忙しさのあまりヒィヒィ言う程の売れ行きなのである。
僕が持っているのはそれより前に訳された、いわば『より原典に近い雰囲気のヤツ』である。何故新しい版で無いのかと言えば、最近大量生産されたものは言葉が砕け過ぎて読む気になれない為、多少なり古くても言葉がしっかりしたものが読みたいという僕のワガママだ。
「へぇー、私こういうの初めて見たわ。一応高校教師なのに」
「それ大丈夫なんですか……」
「妖の世界ではそもそも学校無かったからなぁ。親とか長老とかから聞かない限り昔話も知らないまんまだ」
先生の言う事には、人間との交流でメリットが大きかったのはむしろ妖怪の方であるという。それまで無かった『学ぶ』『生活の質を高める』といった概念を知り、高みを目指し自らの種族をより良い暮らしに導く為に生きる事そのものにメリハリが出たのだとか。
「人間も、人間が出来ない仕事の請負いをしてくれる妖怪の存在を便利に思っているだろうが、妖怪も妖怪で感謝しているんだぜ」
古事記を漫画の如くパラパラ読みつつ、ニコニコしながら、照宮先生は思い出した様に僕らに告げた。
「そうそう。早速だけど新入部員来たよ」
「本当ですか!?」
「よぅし入っといでー」
部屋の少し厚めのドアが音を立てて開かれた。床に少し掃き残されたホコリが散る。
僕はその顔を良く知っていた。どうやら火々谷さんもそいつを良く知っていたらしい。
ビックリして声も出なかった。
「やあ名弁士、君がこの凪下を部員として欲した張本人だったのか」
部活として正式な活動をするには少々人数が足りないが、3人いればまずは同好会として成立させる事が出来る。これで安泰だ……そう思ったのだが、如何せん面子が濃い。好きな事になると教師を負かすほどの勢いで喋る男(僕)、学級一の美少女と呼ばれる鼠妖怪の少女(火々谷さん)、正しい事の為に生き善悪の垣根を越えていく努力家(凪下委員長)と来て、顧問は新任ながらフレンドリー、本を読まない国語教師の照宮先生なのである。
「それじゃあこの【オカルト研究同好会】門出を祝して」
何故か先生は部室の戸締りや設備をキッチリ確認し始めた。一体何を考えているんだろう。
「プシュッと一杯いっとこうぜ」
その手にはオレンジ色の炭酸飲料(一・五リットル)がちゃっかり握られていた。曰く事務室から拝借したのだとか。
「この凪下、いくら祝い事であれ正しく無い事を見過ごないのですが」
「ぶつくさと煩わしいなぁ……部員になった時点で、君に拒否権は無いんだ凪下」
職権乱用とでも言おうか、先生が無理やり炭酸飲料を凪下君に飲ませている。それがオレンジ味と知らない人が見れば、飲み会で酒を無理やり呑ませる上司と無理に呑まされる部下という図に見えなくもない。
「もう少し正しくない事にも関心を持った方が良い。時には世間的には悪い事が、掛け替えの無い強い友情を生む事もあるんだぜ」
「そういうものですか」
「そういうもんさ。それじゃあ一緒に呑むとしよう!」
こうして凪下君は、物心ついてから恐らく初めて、故意にルールを破った。これまで最早病的とも思えるほど自他双方にルールの遵守を強いて来た彼にとって、『僕らと学校で炭酸入りオレンジジュースを飲む』という行為が禁忌そのものだっただろう。何とも言えない複雑な表情で、凪下君は『美味い』と言いつつ飲んだ。
「じゃあただ楽しむだけじゃ勿体無いので……」
突如、火々谷さんが口を開く。彼女にはこの祝いに、何かしたい事があるらしい。
「それぞれ、この部活での抱負って言うか。卒業までに達成したい目標とか決めませんか?その方が部の活動の仕方とか、色々考えられると思うんで」
なるほど理に適っている。僕は無論乗り気だったし凪下君も提案に
「こんな事言うのも顧問としてどうかと思うんだけどさ……『来年の事を言うと鬼が笑う』よ」
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